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2010年10月17日日曜日

初瀬街道を行く






秋の好天の週末、今出かけるなら奈良平城遷都1300年記念で平城宮跡か、あるいは明日香巡り。NHKも特集を組んで奈良が盛り上がっている。観光客が押し寄せている様子がテレビから流れてくる。しかし、そうなればなるほどへそ曲がりの「時空トラベラー」はそんな所へは絶対出かけない。人でごった返している所へ、なんでわざわざ出かけるんだ。しずかに更けゆく秋をめで、時空を超えた古代世界に一人で浸る。それが好き。で、初瀬街道を歩くことにした。

初瀬街道は泊瀬街道とも呼ばれ、桜井,三輪から長谷寺へ向う参詣道。かつては宇陀を通る伊勢本街道に対して、伊勢へのバイパス街道でもあった。桜井では古代の横大路、難波へ向う竹内街道につながっていた。壬申の乱では大海人皇子が伊勢から大和に攻め上った道でもある。
今回は近鉄大和朝倉駅から長谷駅までの一駅分を歩いた。一駅と言ってもこの辺りの一駅は長い。あちこち寄りながらの道行きだが長谷寺に到着まで約2時間半の行程だ。

両側を山に挟まれた緩やかな上り道で隠口(こもりく)の泊瀬(初瀬)と呼ばれた訳が分かる。左手には三輪山、初瀬山、纒向山と続く山塊が迫り、右手には多武峰、外鎌山、鳥見山を見て歩く谷間の街道。しかし、初瀬川沿いのこの辺りは豊かな田園地帯でもある。いつもは電車から見下ろす谷あいの平和な田園集落。歩いてみると刈取りの始まった田んぼ、柿が色づき始めた軒下。コスモスも満開。穏やかな道すがら、両側の山々を見上げる。今日は近鉄電車が山裾を走っていくのを見上げる。

初瀬古街道は車の通行の多い国道165号に平行したりクロスしたり、縫うように進む。たいていは古くからの集落の中を抜けるのどかな道だ。途中には神社や天皇の宮跡がある。万葉歌碑も多いところだ。白山神社の辺りの台地が雄略天皇の泊瀬朝倉宮跡と言われており、万葉歌碑が建っている。また十二柱神社は武烈天皇の泊瀬列城宮跡と言われている。いずれもそれを特定出来る考古学的な裏付けはないが、日本書紀に記述のある激動期の大王宮が、今はのどかな風景のこの辺りに造営されていたのだろう。すなわち雄略大王とその子清寧大王で河内王権の皇統が途切れ、さらに播磨王権系統の武烈大王は暴虐の大王として日本書紀に描かれ,何らかの皇統の断絶が起こったことを意味すると言われている。そして突如、継体大王が越国から大和に入国してくることになる。

十二柱神社には相撲の始祖ケハヤの石塔がある。この辺りは出雲という集落である。古代出雲国から来た人々が住んだ地域だったと言う。ちょうど十二柱神社秋の大祭の日で。静かな集落に山車が出て太鼓の音がにぎやかになっていた。子供達が山車に乗って太鼓を叩き、後ろからチョコチョコとついて回ったり。若いおかあさんが小さな子の手を引いたり、だっこしたりして山車に続く。微笑ましい光景だ。家々からはお年寄りが山車を見ようと軒先に出て、年一度の小さな祭りを楽しんでいる。それでも静かな集落で,山車が過ぎると再びシーンとした空気に満たされる。

ここ出雲集落はまた出雲人形で有名。かつては長谷寺詣でや十二柱神社参拝の土産として盛んにつくられた素朴な土人形だ。しかし、いまや窯元は水野家一軒になったしまったという。窯元を訪ねようと探したが分からなかった。ちょうど家の前で祭りの神輿が過ぎるのを見ていたかわいくて上品なおばあちゃんに訪ねたら,とても丁寧に行き方を教えてくれた。ただ、もう跡を継いだ人も病気で今はやってないと聞いた,と教えてくれた。

国道沿いの出雲バス停の近くに水野家は見つかったが、やはり誰もいない。「大和いづも人形」の看板だけがひっそりと掛かっていた。残念。京都の伏見人形もとうとう丹嘉一軒になってしまった。

さらに国道沿いを歩くと長谷寺の参詣道との分岐点に至る。車が瀑走する国道を歩くのは少しも楽しくない。参詣道に折れてホッとする。今日は與喜天満神社の大祭の宵宮。家々には提灯や幔幕が出されていて祭りの気分でワクワクさせる。長谷寺はこの季節はボタンも紅葉も桜もなくて少し寂しいが、その分参詣者も少なくゆったりと散策出来る。

與喜天満神社の長い階段を昇ると夜の灯明の準備が進められていている。頂上の神殿にたどりつくと、立派な御神輿が拝殿前に鎮座ましましている。拝殿では地元の長老や祭りの役員さんたちがにぎやかに談笑して、祭礼の始まるまでの時間を楽しんでいる。ここからは今歩いて来た初瀬街道を西の方向に見おろすことが出来る。「こもりくの初瀬」とはよく言ったものだ。絶景だ。

参詣道の途中で初瀬街道筋のジオラマを出している古民家があった。中から若者が出て来て,この民家を開放しているので見ていって下さい、と。早稲田の学生がNPO法人と古民家保存の活動中なのだそうだ。若い建築学生達が長谷の町並みと古民家を壊さないように、と熱心に語ってくれた。築150年のこの古民家はついこの間まで持ち主が住んでいたが、引っ越ししたので取り壊して駐車場にする予定だとか。なるほど駐車場...か。手っ取り早く金になり、そして永遠に150年の建築は葬り去られる。かといって所有者を非難も出来ない。私が学生生活を送ったイギリスのケントやサセックスの古民家(こちらは築200年から300年も珍しくない)の長寿、現役ぶりと、つい比較してしまう。何が違うんだろう... 確かにイギリスは古くてイワクツキの幽霊が住んでる古民家などプレミアプライスで市場に出るお国柄だ。

参道の「いつかし」という茶店で出雲人形を売っている。店の女将に聞くと、「いつかし」とは古い姓で「厳樫」と書くのそうだ。その名を歌った万葉歌碑まで店の前に建っている。ここの江戸時代の家屋を建て直した時に,庭から出雲人形の型がたくさん出てきたそうだ。それでこの型を使ってこのオカアさんが自ら人形の復活を果たした。「出雲の水野さんの所はもうやってない」と厳樫さんも言っていた。やはりそうなんだ。ともあれこの「厳樫出雲人形」は表情は実に素朴だ。相撲と太鼓持ちを買い求めた。「庭から出たお宝だ。いつまでも造り続けて下さいよ」と言うと、「土産は今は人形よりも草団子ばっかりになってしもうた」と嘆いていた。

今来た初瀬街道を西に向って帰る。はや山々の間に夕陽が真っ赤に空を染めて沈まんとしている。秋の夕暮れはつるべ落とし。国道を横切ってだらだらと坂を昇り近鉄長谷寺駅にたどり着く。しばし西の三輪山と鳥見山の間に沈みゆく夕陽にみとれる。

駅のホームには誰もいない。駅が赤く染まっている。特急,急行通過待ち2回の後にようやく大阪難波行きの準急が来た。6両編成の電車にはほとんど誰も乗ってなかった。