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| Joseph Ritson's 'Scotish Songs' vol.1,2 published in 1789 |
日本人はなぜスコットランド民謡を聞くと懐かしいのか?
なぜスコッツ・アイリッシュ音楽がアメリカから伝わってきたのか?
アメリカ人音楽教師メイスンが持ち込んだアメリカの歌曲教材に、なぜスコットランド・アイルランド歌曲が多かったのか。これは移民の国アメリカという国家の成り立ちに由来する。実はスコッツ・アイリッシュ音楽のアメリカ音楽への影響は計り知れない。彼らは18世紀以降、アメリカに続々と移住し、最初は主にアパラチア地方に入植した。ここで開拓、農業、牧畜などの労働に勤しんだ。この時彼らが持ち込んだケルト文化(自然崇拝、精霊信仰)を背景とする故郷の民謡や、フィドル(バイオリン)、ハープ、バグパイプなどの楽器を用いるスタイルが、やがてアフリカ系ルーツの音楽、バンジョーなどの楽器と融合し、カントリー&ウェスタン、ブルーグラス、あるいはゴスペル、フォーク/ワークソング、初期ロックンロールなどアメリカ音楽のルーツになった。19世紀の「アメリカ民謡の父」と言われるフォスターの曲は日本でも親しまれているが、彼はスコットランド移民の子である。彼の作品はケルト音楽と黒人音楽が融合した独特のアメリカ音楽を生み出した。アメリカから音楽を輸入するということは、その背景にあるスコッツ・アイリッシュ文化・ケルト文化由来の音楽を輸入するということでもある。
『蛍の光』:Auld Lang Syneのルーツは?
代表的なスコットランド民謡に「蛍の光」、すなわち原曲名「Auld Land Syne」がある。これはスコットランドの国民的詩人、ロバート・バーンズ:Robert Burnes (1759-1796)が1788年に作詞したもので、本国スコットランドでは国家同様に歌われている。また日本だけでなく世界各国でさまざわな形で愛唱されている、スコットランド民謡の象徴と言っても良い曲だ
この「蛍の光」の原型を探ろうと、18世紀のイングランドの古文学研究家、ジョセフ・リットソン:Joseph Ritson収集編纂、J. Johnson出版の『Scotish Songs』の1789年ロンドン初版(1869年グラスゴーで第二版を刊行)を手に入れた。スコットランドの古謡を研究する資料としては稀覯書に属する貴重なものである。しかし、何故かここにはAuld Lang Syneは収録されていない。ロバート・バーンズもたった2曲が収録されているだけである。他にも我々日本人に親しみのある「故郷の空」「埴生の宿」「アニー・ローリー」「ロッホ・ローモンド」などの歌曲が見えない。巻頭にリットソンの解説論文が掲載されており、その中ではスコットランドの詩人や作者についての歴史的考察が述べられていてるが、ここでもこれらの日本人に馴染み深い歌曲への言及はない。なぜか?
リットソンが初版出版したのが1789年。Auld Lang Syneは1788年の発表である。序文によると、本書で採録された最も新しい歌曲の出典は1786年であり、バーンズのAuld Lang Syneは1788年の発表なので対象にならなかったのかもしれない。そもそもリットソンから見れば、ご当世人気のバーンズは「現代詩人」であり、彼の歌曲は古謡集にはあまりふさわしくないと考えたのだろう。リットソンはスコットランドに古くから伝わる古文学作品、バラット、古謡を、オリジナルに忠実に再現し収集、掲載しており、スペルまで変えずに掲載するなど文献学的な正確性を重視した。バーンズは、むしろ現代に親しみやすい形にアレンジした詩歌を多く発表しており、これにリットソンは批判的であったとも言われている。
さて、A Iを使ってリットソンの古謡集に「Auld Lang Syne」について言及されてないか調べたところ、この曲、歌詞の原型らしいものがあることがわかった。同じくスコットランドの国民的詩人アラン・ラムゼー:Allan Ramsay(1684-1758)の歌曲がそうであるという。バーンズが生まれた前年に亡くなっている一世代前の詩人である。これはリットソンの古謡集に収録されている。しかし、その内容はバーンズのAuld Lang Syneが、旧友との再会を喜び、酒を酌み交わしながら思い出話しに浸る、というものとは異なるもので、一種のメランコリックなラブソングとなっている。村の女性が戦場から傷ついて帰還した恋人を労り慈しむと言うもの。リットソンはこの古いバージョンを選んだ。この他のもルーツとなる古謡がもあったかもしれない。もう少し検証する必要がある。
スコットランド民謡の変遷
このように我々が今親しんでいるスコットランド民謡は、18世紀晩期、19世紀初頭以降に作詞作曲された、ないしは古くから伝承されてきた古謡を元に編曲、歌詞を変えたものであるが多くあることがわかった(下記の例を参照)。元来、民謡:folk musicというものは時代に応じて人々に歌い継がれ、愛され世相に応じてアレンジされてきたものだ。
ただリットソンは、採録、編集にあたってそのオリジナリティーを追求し、後世のアレンジをを極力排除した。したがって現時点では。この古謡集に現在親しんでいる「スコットランド民謡」がそのまま収録されているのを発見することはできなかった。少し残念であった。しかし、故に日本に伝えられ、「日本化」して我々が親しんでいるスコットランド民謡は、時間の経過とともに歌詞が変えられたり、メロディーがアレンジされたりして継承されてきたものであること。そのままの形で昔から歌い続けられてきたものではないことがわかる。民俗学的にみても、民話や伝説と同様、民間伝承されてきた詩や歌には多様なオリジン、ルーツがある。皮肉な結果だが面白い発見である。今後、現代我々が親しんでいる歌曲のそのルーツになるものが、この古謡集で見つかるかもしれない。そしてそれは全く異なるメッセージの歌曲であるかもしれない。研究しがいがある面白いテーマだ。
リットソンの古謡集で、現在も歌い継がれているものの原型をそのまま確認できるのは、イギリスの第二の国歌とも言われ、あのプロムスで会場が一体となって感涙に咽義ながら斉唱する「ルール・ブリタニア:Rule Britania」である。これは第二巻の126,127ページに収録されている。スコットランドの詩人James Thomson の1740年の作詞によるものである。これなどは現代までほとんど改変されず愛誦されている珍しい例かもしれない。
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| 表紙 |
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| 第一章は「愛の歌」 |
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| 'Rule Britania ! ' by James Thomson 第三章:「歴史と愛国」の最後に掲載されている |
二つの「スコットランド歌曲集」:リットソン編『Scottish Songs』とジョンソン(バーンズ)編『Scots Musical Museum』
同時期に、同じ出版人ジョンソン:James Johnsonによって企画された歌曲集 『Scots Musical Museum』がある。1787年から1803年まで刊行された。こちらもスコットランド民謡、歌曲600曲を収集・編集した豪華なもので、バーンズ:Robert Burnesが主たる編者、寄稿者として参加している。したがって多くのバーンズ作品(200曲ほど)が収録されている。バーンズの代表作とも言えるAuld Lang Syneはここから広まった。おなじジョンソンの出版企画であるが、リットソン:Joseph Ritsonの古謡集(初版1789年、第二版1869年)の方は、古謡のオリジナルを尊重し、改ざんを極力避けた採録、編集方針で、楽譜も単旋律(メロディーのみ)を参考として掲載するに留めている。第1巻では巻頭の論文で、歴史的、文献史学な評価・分析に多くの紙幅を費やすなど、古文学の学術研究書として尊重されている。一方の、ジョンソン(バーンズ)の方は「民族の記憶保存プロジェクト」「国民の愛唱歌集」とでもいうべき歌曲集で、誰でも歌えて楽しめるように、楽譜を取り入れ、現代風にアレンジして実用性を重視している。特に当時国民的人気を博したバーンズが編集と寄稿に関わったこと、家庭でピアノやハープシコード伴奏による演奏が楽しめるようアレンジされたことなどで大きな人気を集め、歌曲集としては圧倒的にこちらの方が売れたようだ。
日本人に馴染みの深いスコットランド民謡
これをきっかけに調べてみると、現在親しまれている曲は、オリジナルはスコットランドの古い詩、バラッド、古謡であったものを、19世紀になって曲をつけ、あるいは編曲し、歌詞をアレンジしたものが多いことがわかった。これらが明治期にアメリカ人音楽教師を通じて日本に伝わり、『小学唱歌』として選曲され、日本語歌詞化という形で変容されたわけである。
『蛍の光』:Auld Lang Syne
Robert Burnesの作詞 1788年発表 オリジナルは一世代前の国民的詩人Allan Ramseyの詩など、いくつかのバリエーションがあった。バーンズの歌詞は旧友との再会、思い出話で酒を酌み交わすというもの。日本では学校の卒業式や年末の紅白歌合戦終了時、船の出航時などの定番となっている。本家スコットランドでは新年を迎えるときの定番である。先述のように、国歌に近い愛唱歌である。英語では old long since, times gone by, for old times' sake(久しき昔)世界中で歌われる。
『アンニー・ローリー』:Annie Laurie
William Douglas (1672-1748)の1700年の詩に、1838年にLady John Douglas Alicia Scott (1810-1900)が曲をつけたもの。元はダグラスの失恋の歌 日本では最初「才女」という名、歌詞で親しまれた(小学唱歌集)
『ロッホ・ローモンド』:Loch Lomond
原作者不明の詩,The Bonnie Bank'o O' Loch Lomondに1841年曲をつけたと言われる。1745年のジャコバイトの乱のスコットランド敗残兵が歌ったと伝承
『故郷の空(夕空晴れて)』:Comin' Thro' the Rye
Robert Burnesの1790年代の作とされるが、古くから伝わる伝統的民謡で、多くの英訳バリエーションがあると言われる。
『清い水辺』:The Water is Wide
Allan Ramseyの'The Tea Table Miscellany' 1724年に収められているO Waly Waly, Gin Love be Bonnyが原型で、他にもO Waly Waly, Lord James Douglasのバラッドとしても伝えられる。その後多くの作者によってアレンジされていった
『埴生の宿』:Home Sweet Home
Henry Rawley Bishop作曲、アメリカ人のJohn Hayward Payne (1791-1852)作詞。
イングランド民謡とされるがスコットランド民謡でもある。
『ダニー・ボーイ』、『庭の千草』はアイルランド民謡である。




