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2009年11月12日木曜日

新・大大阪の夢 (御堂筋編)

先週末は土曜日には、奈良西ノ京の唐招提寺へ平成の修理完成落慶法要が済んだ金堂を見に、また東塔の解体修理が始まる薬師寺へ行った。
この写真は別途掲載するつもりだが、秋の観光シーズンたけなわであることも相まって、大勢の人出で、こころしずかに金堂の修復を愛で、諸仏に手を合わせる雰囲気ではなかった。

唐招提寺は入山に大勢の人の列。皆さんよく知ってるんだなあ。しかも寺院、仏像ブームもあって若い女性「仏女」が目立つ。特に薬師寺は東塔の解体修理への寄進イベントなのか、大勢の善男善女が東塔の公開に長蛇の列をなし、写経納経の受付でテントが並び、坊さんはハンドマイク片手に走り回わり、ライブイベント開催で金堂と講堂の間は立ち入り禁止。

ちょっと来る時期を間違えたなあ。

で、次の日には、がらりと趣向を換えて大阪の近代建築遺産を求めて,「新.大大阪の夢」シリーズの第3弾として御堂筋をライカM9片手に徘徊する。

だんだん「ブラタモリ」風になってきたなあ.....

今回は淀屋橋を起点に南へ歩く。日曜日とあってオフィス街のこのあたりは人気が少なく,ゆっくりとブラパチ散策を楽しむことが出来た。

ビルの前で立ち止まって一生懸命カメラで下から上を仰ぎ見ていると、通りがかりの人が「なに撮ってんやろ?」と一緒になってビルを見上げるのが楽しい。つい,「このビルは素敵ですねえ」、「フーン、昔から建っとるけどな...」などと自転車に乗ったオッチャンと,ほとんど意味のない会話が成立するのが良い。大阪人は東京人のように周りに無関心(あるいは無関心を装っている)でないのがよい。気取りがなくて「好っきゃで」大阪!

そういえばニューヨークで建築写真撮ってたときも同じ経験をした。たいがいは「Oh, Nikon. Good Camera, isn't it?」と声をかけられる。建物ではなくカメラの方に関心が。ホームレスのおじさん(オニイさん?)がブツブツとカメラのうんちくを語り、最後に,要はナイコンが最高だ,と言って去っていったこともあった。通りがかりのおばさんが建築評論家よろしく,延々と建物の故事来歴を聞かせてくれたこともあった。大阪はニューヨークだ。人がオープンでよそよそしくない。

まずは、堂々とした白い石の塊、日本生命本館。そこから東に折れて緒方洪庵の適塾跡とその隣の大阪市立愛珠幼稚園、八木通商本社ビル、再び御堂筋に戻り大阪ガスビル、又一ビル、そして心斎橋大丸本館と写真を撮り回った。どれも大大阪を代表する近代建築であるが、その有様がそれぞれで楽しい。大阪は面白い!

なかでも一番感動したのは、日本で一番古いと言われる愛珠幼稚園だ。堂々たる近代建築群とは異なり、堂々たる日本建築。明治34年竣工。これが幼稚園か。しかもまだ現役の...  大大阪の中心地にこんな広大な敷地を有する幼稚園。船場の旦さん、ゴリョんさんの底力を見せつけられる。

もう一つは大阪ガスビル。昭和モダニズム建築の粋と言っていいだろう。1933年竣工で、ちょうど御堂筋拡張工事が本町通りまで進んだ時期だ。ここではガスを使った近代的な家庭生活をショールームとして紹介していたようだ。今でも最上階のレストランは大阪モダンの象徴である。大阪ってすごい町だったんだ。御堂筋のランドマークだ。

もちろん大丸心斎橋店ビルはウイリアム・ヴォリス設計の大阪を代表するアールヌーボー建築。御影石とスクラッチタイル、テラコッタの3段重ね。すごい装飾に覆われている。最近はデパートが景気悪くって、つぎつぎ店を畳んでる。大丸の隣のそごうも近代建築の代表的な建物であったが、取り壊されて新生そごうの本店として高層ビルに建て直された。それもつかの間、結局そごうは心斎橋から撤退を決めて、隣のライバル店、大丸へ売却。大丸北館として11月14日に再オープンする。大丸さんがんばってくれよな。一生懸命買い物するよってな、この建物の為にも。それだけの価値のある建物だよ。

最近の経済情勢を見るにつけ、「昔はよかったなあ」などと,年寄り臭い感慨に浸るのは嫌だけど、御堂筋沿いの古き良き時代の大大阪の建築遺産を見せつけられると、つい過去を振り返りたくなってしまう。

日本もヨーロッパの古い町のように時間の経過とともに熟成した町が増えると良いのだが。残念ながら日本は近代資本主義の時代に入ってわずか100年余。蓄積された近代建築の町並みが充分に景観として形成され熟成する時間を経ていないのと、その間に戦争や地震で失われてしまったのと、高度経済成長の時代に惜しげもなく取り壊してしまったのとで、ヨーロッパの都会ほどに厚みのある景観が残されていないのが残念だ。大阪の町に残された、数少なくなりつつある栄光の時代の遺産をこれからも大事に残してゆく努力が必要だろう。

むしろ,繁栄を享受した大都市よりも経済発展に取り残された地域、であるが故に戦争で空襲も受けず、地上げにも遭わずに残った地方の田舎の方に日本らしい町並みが残っているのは皮肉だ。こうした景観の集積は貴重で、これが普通の町の普通の景観になって欲しい。これからはこれらを大事に文化遺産として、今度こそ破壊せずに後世に残していかねばならないと思う。