前回,中之島のダイビル建て替えの話を書いたが、取り壊される前に是非一度見ておきたいと秋晴れの休日に訪ねた。
残念ながら建物は既に閉鎖されていて中をみることは出来なかったが、外観をカメラでなめ回してきたので下のアルバムでご覧あれ。ちなみにカメラはゲットしたばかりのライカM9。こうしたクラシックな建物をとるのにはちょうどいいカメラだ。が、一眼レフからスイッチすると、やはりレンジファインダーでのフレーミングがなかなかうまく行かなくて慣れるまで苦労した。だがエルマリート28mmの歪曲の少ない写りは、M9ボディーとのマッチングが最高であること示している。どうだ!
中之島は再開発が進み、京阪の中之島線も去年10月に地下に開通してロイヤルホテルまで通じた。かつて山崎豊子の小説「白い巨塔」の舞台となった旧大阪大学医学部跡は堂島リバーフォーラムや朝日放送本社、タワーマンションなどに生まれ変わった。その向かいの旧大阪中央電信局、電話局は堂島テレパークとして建替えられ、今でもNTTグループの西日本の重要拠点として存在感を誇示している。堂島電電ビルとNTT西日本堂島ビルに挟まれた鉄塔が低く見えてしまう。この鉄塔はかつてここが全国の電話中継網の西のハブであったことを示すしていたのだが..... このようにここダイビルだけが周囲の新しい高層ビル群の中で圧倒的な存在感を持ってワイドスパンの敷地にドッカと座っている。周囲は関西電力本店ビルや,新ダイビル、三井ビルなどの高層オフィスビルやタワーマンションに囲まれてしまっているが。
ダイビルは遠くからみると重厚な外見で,一見装飾性を排したシンプルなオフィスビルに見える。しかし,近寄ってみると外壁一面を覆うのはスクラッチタイル。壁からエントランスにかけて豪華な装飾の連続である。連続する柱は蛇や人面や動物のモチーフのテラコッタ装飾で飾られ,メインエントランスはことのほか豪華なレリーフで飾りまくられている。これらの一階の柱や外壁に用いられている石材は龍山石というものらしい。住友銀行本店ビルの外装全面にも用いられている石材だそうだ。
残念ながら既に内部をみることは出来なくなってしまったが、一階のアーケードは吹き抜けの大天井、華やかな照明器具、漆黒のエレベータ、渋い金色に輝くメールボックスなど、徹底的に豪華さを誇るインテリアであるそうだ。残念。キット東京日比谷の三信ビル内のアーケードの様だったんだろうなあ。こちらは跡形もなく解体されてしまったが.....
隣に新しい中之島ダイビルが建てられているが,こちらは低層部にクラシックな装飾が施されて,その上に高層のタワーが屹立している。ダイビルも立て替え後のイメージはこんなものなのだろうか。内部は確かに明るく合理的な空間と機能美のコラボレーションがさすがであるが、外見は最近流行の「壊してごめんね、だけど一応残しました」風の高層ビルだ。日本は古い建物の保存や修復に補助金や税金面での優遇措置などないのでビルオーナーだけに保存を押し付けるのは無理かもしれない。もう少し市民の側もこうしたビルのオリジナリティーや景観の価値を認識すべきだろう。
土佐堀川沿いに東へ進むと、朝日新聞大阪本社、旧住友銀行本店があたりを圧倒する威容で立っている。高層ビルに囲まれて高さ的には睥睨することは出来ないが、その存在感は圧倒的である。この朝日ビル旧館はダイビルの4年後に竣工した古いビルだが、外見は古さを感じさせないモダンなものだ。御堂筋のガスビルにも通じる当時としては未来を予感させる景観をあたりにつくりだしていたに違いない。こちらも新・旧両方のビルが建替え計画中だ。
西から見ると阪神高速の高架に視界を遮られた旧・住友銀行本店ビルはまさに大大阪を象徴するビルだ。土佐堀川沿いに建つフルブロックの建物の威厳と自信に満ちた有様は周りを黙らせるオーラを持っている。当時としては珍しく銀行内に建築部門を設け設計にあたらせたという力の入れ様だったと聞く。メンバーは辰野金吾の弟子達でその後の日本の建築史に名を刻む建築家がここで育った。第一期大正15年(1926年)、第二期昭和5年(1930年)の2期に渡って完成させた。その設計に携わった建築家の長谷部鋭吉、竹越健造がその後独立して開いたのが日本最大の設計事務所、日建設計である。
さらに東へ向かうと、錦橋、淀屋橋、日本銀行大阪支店、大阪市役所、中之島図書館、中之島公会堂、と大阪のプロムナードをつなぎ、北浜の旧・大林組本店、大阪証券取引所,と続く。堂島川(旧・淀川)土佐堀川沿いの大大阪の東西軸のハイライトだ。どうだ,大阪はすごいだろう、とばかりに。