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2012年8月14日火曜日

伊万里秘窯の里 大川内山を巡る ー「違いの分かるオトコ」の窯元散策ー

 「伊万里焼」と「鍋島」と「古伊万里」と「有田焼」の違いをご存知ですか?私は今回の旅でようやく分かってきたような...気がします。まずは大川内山のご案内を。

1675年から廃藩置県の1871年まで、大川内山は肥前佐賀鍋島藩の御用窯がおかれていた。ここでは独特の磁器製造技術を藩外にに流出させないように,この三方を奇峰に囲まれた谷あいに陶工達を移り住まわせ,関所を設けて人の出入りを監視したと言う。秘窯と言われる所以である。その窯からはカネに糸目を付けない最高品位の焼き物「鍋島」が生み出され、朝廷や将軍家、諸大名などへの献上品、贈答品として鍋島藩の権威をいやが上にも高める役割を果たした。伊万里焼は、Imariブランドとして海外,特に欧州の王侯貴族の人気を博し、入手を競う垂涎の品となっていった。伊万里港から各地に積み出される伊万里焼、鍋島は、長崎のオランダ東インド会社の主力輸出商品をなり、後にドイツのマイセンに影響を与えたことはつとに有名だ。

さて,そのような御用窯も明治の廃藩置県に伴い廃止されたが、その歴史は現在に至るまで継承され、現在は30数軒の窯元が、隠れ里のような谷あいの集落でその伝統の技法を受け継いでいる。

大川内山は伊万里市からさらに車で15〜20分ほどの山中にある。伊万里までは、福岡天神バスセンターから直行バスで1時間30分。頻発しているのでここまでは便利だが、伊万里駅前から出るはずの大川内山行きバスは、一日に5本程度。この日は天神からのバスが5分ほど到着遅れで,出発したあとだった(乗客もほとんどいないのに5分くらい待ってるってことはしないようだ)。つぎは2時間後。よってタクシーしか選択肢は無い。

大川内山入口の伝統産業館前でタクシーを降りる。いきなり伊万里焼で出来た橋がお出迎え。豪華で見事な物だ。しかし,辺りを見回すと、切り立った大屏風奇岩に囲まれた、とにかく秘境感漂う隠れ里だ。鍋島藩は明代の景徳鎮の官窯を模してこの地に御用窯を造ったそうだ。カンカン照りの夏の朝。観光客も人っ子一人いない。伊万里焼の風鈴が人気の無い静かな里涼やかに響き渡っていた。30数軒あるという窯元ひしめく鍋島藩窯坂を歩く。なかなか趣のある町並み。しかし、これを一軒一軒全部見て回るのは至難の業だ。登窯、藩窯公園、藩役屋敷跡、清正公堂、関所跡等を見て回り、入口の伝統産業会館と伊万里鍋島焼会館へ戻り、なかで涼みながらワンストップで鍋島、古伊万里、そして現在の伊万里焼コレクションを見て回った。もっともこれじゃあ、ここまで来る意味ないのだが。会館の係の人に「窯元全部は廻れませんねえ」とぼやいたら、「初めての方はここを観てから、気に入った窯元へ行くというのがいいんじゃないですか」と。なるほど。アドバイス通り、その後、御庭焼窯、泰仙窯、青山窯、魯山窯等を見て回った。

日本の陶磁器生産の歴史は,朝鮮の役(文禄、慶長の役)に始まる。この時に朝鮮から連れて来られた陶工達が技術を伝えた。、なかんずく李参平は唐津や有田で窯を開き、日本での陶磁器生産の元祖となった。最初は唐津辺りで陶器を手がけたようだが、後に有田で磁器に適した陶石の鉱脈を発見し、本格的に磁器の生産を始めた。有田には李参平の墓や、彼を陶祖として祀る陶山神社がある。

こうして有田で磁器の生産が盛んになり,多くの陶工が育って行った。酒井田柿右衛門などの現代にまで続く名工が生まれたのも有田だ。有田で生産され、それを外港である伊万里から出荷したので、「伊万里焼」と呼ばれていた。その後、塩田、波佐見、三川内等での生産も盛んになり、「伊万里焼」は商品として民間の窯で大量に造られるようになり、全国に出荷されていった。ちなみに,唐津焼は磁器(石もの)ではなく、陶器(土もの)である。筑前の小石原焼,高取焼も陶器だ。

しかし、鍋島藩は,先述のようにその高度で洗練された技術を門外不出のものとし、藩専用の特注品を造るために、藩窯を伊万里の郊外の大川内山に設けた。陶工達は関所や役人に守られ(監視され)、分業体制で最高のものを造った。陶工達は武士同様に藩から禄を受け,名字も許されたそうだ。そこで生産されたものが「鍋島」(色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁)と呼ばれた。しかし、生産量は年間5000個と決められていた。一方、民窯で生産されるものは年間10万個だったと言うから、いかに「限定生産」であったかが分かる。

藩窯廃止後、その伝統を受け継いだのが現在の「伊万里焼」である。江戸期から明治初期に伊万里から出荷された有田製造の磁器を,これと区別する意味で「古伊万里」と呼んでいる。

一方、現在,有田で造られている磁器を「有田焼」と呼んでいる。どうも「伊万里焼」「鍋島」「古伊万里」「有田焼」の関係と区別がはっきり理解出来なかった。「有田焼」は、現在でも柿右衛門など、伝統の技法と名品を継承しているが、香蘭社や深川製磁のように、明治期の日本の花形輸出品を製造する会社組織も店を構えている。これらも海外に名の知れた有田ブランドである。

さて、おさらいです...

伊万里焼:
江戸期に伊万里港から出荷された有田、塩田、波佐見、三川内などで焼かれた磁器一般の名称。すなわち、産地の名称ではなく、出荷された港の名称を冠したものである。しかし、現在の「伊万里焼」は鍋島の伝統を受け継ぎ、大川内山で焼かれている物をいう。

鍋島:
江戸期に鍋島藩の御用窯(大川内山)で焼かれた、いわば特注品をいう。色鍋島、鍋島染付、鍋島青磁のジャンルがある。

古伊万里:
現在の伊万里焼と区別するために、江戸期から明治初期にかけて焼かれた伊万里焼をいう。

有田焼:
一般に有田で焼かれる現在のものをいう。すなわち地名由来の名称(波佐見焼、三川内焼も同様)である。

以上、参考になりましたでしょうか?

(大川内山産業振興会HPより)








(撮影機材:Nikon D800E, AF Nikkor 24-120mm F.4)