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2014年11月19日水曜日

あの日、夕暮れの都府楼にブルートレインを見送る

 首都圏を襲った台風は、美しい夕景を残して東の海上へ去って行った。窓からその深い青に覆われ始めた空のその一部を茜色に染める残照を眺めていると、新幹線が西へと長い光の点を明滅させながら疾走して行く。博多行きの「のぞみ」だ。ふとあの日の、あの光景が脳裏にフラッシュバックした。40年前のあの日...


 青春時代。筑紫の国大宰府都府楼。刈入れの終わった田園風景。すっかり秋も深まった天拝山に沈む夕陽。無実の罪で太宰府に左遷された菅原道眞公が京の都の帝を遥拝したその山のシルエットを背景にブルートレインが駆けてくる。「ピョー」っと悲しい汽笛を鳴らしながら、ヒンヤリした空気を切り裂いて東へ走り去って行く。西鹿児島発の「はやぶさ」だ。明日の朝には雑踏の東京駅に滑り込むんだ。過ぎ去って行く赤いテールランプとヘッドマークを見送りながら。夢と可能性に満ち満ちた東京へ。彼女の待つ東京へ。こんな所でくすぶってないで新しい世界へ飛び出すんだ!俺の居場所はここにはない。日常世界からの脱出。上昇志向。ハングリー精神。滾る若い心。怖いものは無い。高度経済成長真っ只中の時代の田舎の少年のきわめて単純な思考回路。

 大学は東京、と何の迷いもなく決めていた私にとって、時代の激動はそれを許さなかった。学園紛争もクライマックスを迎えたその年、その大学では入学試験を中止せざるを得なくなるという前代未聞の出来事がおこる。で、両親や恩師など周りの説得で地元の大学を受験することになった。私は受験の前年には病気して一年休学しているし「無理するな。ちょうどいいじゃないか。何も東京へ行かなくても」という説得。「取り敢えず地元大学へ入っとけ。嫌ならまた受験し直せばイイんだよ」という気休めの説得。が、そんな事にはならない事を知った。結局、同様に学園紛争真っ只中の地元の大学に入学し、荒れ果てたキャンパスに5年通った(在籍した)。その結果、生涯の良き師、良き友をたくさん得ることが出来たことは幸いであった。人生はどこでどのように変わるのかわからないものだ。こうして波乱の学園生活を終え卒業。いわば5年の執行猶予期間を経て東京へ。今の会社に入った。

 あれから40年。東京どころかロンドン、ニューヨークを拠点に、世界を股にかけたサラリーマン人生であった。成熟した欧州諸国をくまなく歩き廻った,貧困と金満が併存する発展著しいアジアを歩いた。広いアメリカを飛んだ。英国留学も果たし、authenticとquality of lifeという大人の生き方を知った。いろんな人と出会った。尊敬できる人も、できない人も。しかし、皆一様に自分の人生を必死に生きている。世の中の「最高」も「最低」も観た。「外からの視点」を持てるようになった。文化、価値観の多様性を左脳、右脳に刻み込んだ。青二才も打たれ強い性格になった。会社では良い上司に出会った。良い仲間にも恵まれた。そして米国法人の社長にもしてもらって、本社の役員にも取り立ててもらった。会社の、そして業界の有り様を決める仕事もさせてもらった。それなりのサラリーマン出世コースを歩いて来れたと言って良いだろう。もちろんいろいろな挫折もあったし、理不尽に泣いた事もあったが、総体として会社人生と自己実現との両立も出来たように思う。幸運に恵まれた。思えば遠くに来たもんだ。あの時の彼女とも一緒になれて、子宝にも恵まれ、東京23区(田園調布ではないが)に我が家を持ち、幸せな家庭を築くことが出来た。二人の子供達もそれぞれの路へ巣立って行った。そして今年は遂にジイジになった。なんと幸福な人生ではないか...


 我が家の窓から夕景のなかを西へ疾走する新幹線を見ている自分がいる。憧れの東京へ疾走して行ったあの時のブルートレインの勇姿と重ねながら、気がつくとサラリーマン人生も終わりを迎え、老境に一歩を踏み入れた一人の男がいる。ふと、都会の生活に負けたわけではないのだが、なぜか急に望郷の念がわき起こる。充実した人生だったのだが、ふとそのなかで何か大事なものを忘れて来たような、失ってしまったものがあるような気がして、妙な寂寞感を感じている自分。夕闇迫る静寂な時間と空間のなか...

 がむしゃらに走ってきたサラリーマン人生は突然終わりを迎える。時計の針が0時をさすように、なんのためらいもなく自動的に。これからは、誰かがあなたの時間の使い方を決めるのではなく、あなた自身が好きなように決めていい。これからは私のスケジュール表を管理する有能な秘書もいない。貴重な時間を浪費させるイライラするようなヤツもいないし、ツマラナイ会議もない。時差調整に悩まされるロングフライト出張もない。だから、好きに時間を使って人生を楽しめば良い。「自分の時間を会社に売って対価を得る」というサラリーマン型人生モデルは終わったのだ。ご卒業おめでとう! さて、急にそう言われても...  周りはこれからは趣味に生きろ、という。しかし、趣味は本業が忙しいから趣味になり、息抜きになるのだ。毎日趣味で暮らせ、と言われると、今度はそれが本業になり、ストレスになりそうだ。これってサラリーマンの生活習慣病だ。

 取り敢えずこれから心落ち着けることのできる自分の居場所はどこにあるんだろうと考える。毎日通う「勤務先」もなくなる。私にとって東京は戦いの場であった。そして世界へ撃って出るベースキャンプだった。その限りでは刺激的で生き生きと心を滾らせる格好のステージであった。ビジネスで付き合った人の数は知れない。パートナーもライバルも... 名刺の数は整理しきれないほど。しかし、その人脈はこれからの人生に役立つのか。所詮gesellschftの人のつながり。金の切れ目が縁の切れ目、「肩書き」に用事がなくなって行き来が無くなった人の数の方も半端でない。しかし、戦線を離脱してみると、戦場に安らぎの場などあるはずもない。猛烈に突っ走っていた自分が、突然急ブレーキかけて前のめりに転びながら、高ぶっていた気持ちがだんだんクールダウンしてくるにつれ、東京の殺伐とした日常から脱出したい。気がつけばそんな心境になっている。突然の帰国命令でニューヨークから帰ってから過ごした関西での5年間の生活は殺気立った戦闘モードを冷ますには十分な期間だった。その中で煮え滾る心とは別の安らぎを愛でる心が芽生えたことに気付かされた。大和路、京都、そしてナニワというヤマト倭国の世界。さらにその時の彼方にあるチクシ倭国の世界。我がふるさと。世界を駆け巡ってふと日本に帰ってみると、なんとここは素敵な国なんだと。


 そして久しぶりに故郷、筑紫(チクシ)を訪ねる。ここは倭国・日本(ひのもと)発祥の土地であった。今まで気付かなかった美と安らぎがあちらこちらに潜んでいる事に気付く。あのとき、しゃにむに脱出を試みた故郷。若い時には目もくれなかった海の美しさや田園の豊かさ。食の豊かさ。人の暖かさ。歴史の厚み... あのとき顧みなかったもの、打ち捨てて来たものが今頃になって、あちこちでキラキラと輝いていやがる。なんともったいない事をしたんだろうと感じる。人生のなかで時を重ねることによっても見えてくるもの、感じることが出来るものがあることに気づかされる。そうだ故郷へ帰るか? いやいや、ああして故郷を出て行った私にとって居場所はあるのだろうか。故郷の人達にとって故郷を捨てた人間に差し伸べる手はないに違いない。遠くを旅して、長い旅路の末に今頃になって妙に里心がついた自分には厳しい故郷の現実が待っているのだろう。故郷の雑踏の町角に立って見回すと、辺りは見知らぬ人ばかり。ふと見ると我が手には玉手箱が... 夢の竜宮城でもらった玉手箱が。開けてはならぬ玉手箱が。

 自分の居場所を日常の中に見いださず,いつも非日常のある場所を夢見る自分。現実逃避なのか。いや、そういう日常に満足せず埋没しないハングリーな心が、これまでは戦いの原動力であったのだが。しかし、今聞こえてくるのは、「今いる所で生きなさい」という声。「故郷は遠きにありて思うもの 帰る所にあるまじや。」と室生犀星は歌う。じゃあ、まだなにかお役に立てることがあるはずだと執着してみる。しかし退役老兵が、戦いの続く戦場に立ち尽くしながら、便便と自分の居場所を探す。この勘違いは悲しい。「老兵はただ去り行くのみ」。「I shall return.」じゃなくて「a point of no return!」。葛藤と不安が行き交うこの人生の通過点。明日の夢に繋いでくれた、あのブルートレインはもうない。夢とは不可逆なものだ。これから私を待っているのは心の居場所を求めて彷徨する人生なのだ。それを受け入れるもまた良しだ。


最後のブルートレイン。故郷と東京を繋ぐ夢の架け橋はもう今は無い。


西へと疾走する新幹線。あのとき夕景を切り裂いて東へ疾走していったブルトレの勇姿と重ねながら眺める。