棟方志功といえば、丸い眼鏡で板に顔を埋めるように鬼気迫る勢いで版画を彫り上げてゆく姿が心に焼き付いている。かつてNHKでも度々特集番組が組まれ、またドラマにもなった作家である。ある意味ではテレビ時代のビジュアル・アイコン的な版画家ともいえよう。棟方自身は、彼の作品を「版画」ではなく「板画」と称し、木の内に宿っているイメージを引き出す表現手段だと言っている。作品は公共建物の大空間を埋める大型作品から雑誌の表紙、小説の挿画まで多彩である。また連作品を屏風に並べて展示する手法も多用している。これがなかなか魅力的だ。今回も数多くの屏風作品が展示されている。彼の原点である青森、東京、そして疎開先であった富山福光と、それぞれの場所、時代ごとに作風が進化していった、その系譜が俯瞰できるような展示となっている。何と言っても柳宗悦などの民藝運動との出会いが、大きな影響を与えた。1959年にはニューヨークのジャパン・ソサエティーの招待を受けて、渡米し、棟方旋風を巻き起こしており、これをきっかけに国際的なアーティストとして高い評価を得た。
今回は、生誕120年記念ということで、青森時代、東京時代、富山疎開時代、そして東京時代と、全画業が一堂に会しており、見て回るだけでも目が回るほどの圧巻のコレクションであった。以下では、時代、ジャンル、サイズに関わらず、全く個人的な好みでランダムに(好きな作品順?)掲載させていただく。くだくだと能書き語らず、ただ息を呑む作品を並べてみた。棟方志功研究の成果というわけではない、個人的な写真コレクションということでご寛恕いただきたい。
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東京国立近代美術館広告より 原田忠茂 撮影 |
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棟方志功記念館HPより |
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大和し美し「倭健命の柵」(部分)1936年 柳宗悦らの民藝運動と出会うきっかけとなった作品 |
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古事記の倭健命の長編叙事詩がモチーフ |
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東北経鬼門譜(部分) 真ん中の鬼門仏は、身を割って世界中、天下のために道を開けて悪霊を通す犠牲の心を込めた 戦前最大の作品 |
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二菩薩釈迦十大弟子 1939年 1948年改刻
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道祖土頌 1950年
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幾利壽黨頌耶蘇十二使徒屏風 1953年 |
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華厳譜(部分)1936年 最初の宗教モチーフ作品 華厳経の講話から曼荼羅形式で描いた |
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谷崎歌歌板画柵 1956年 谷崎潤一郎自選の短歌24種を板画にしたもの |
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流離抄(部分) 1953年 吉井勇の詩集「流離抄」を文字と絵で表現したもの |
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女人観世音板画柵 1949年 岡本かの子「女人ぼさつ」がモチーフ |
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華厳松 躅飛山光徳寺襖絵 福光の疎開時の作品 |
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追開心経の柵 1957年 女体と般若心経の文字を彫り込んだ作品
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華狩頌 1954年 アイヌ伝承の物語 |
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ホイットマン詩集抜粋の柵 1959年 ジャパン・ソサェティー招聘でニューヨークへ |
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ニューヨーク近代美術館 1959年 |
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花矢の柵 1961年 青森県庁正面入り口を飾る壁画 日本文明は北から南へ吹き返す、との思いが込められた作品 |
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宇宙頌「四神板経天井画柵」 1949,53,59年 |
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いろは板画柵 1952年 |
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鐘渓頌 1945年 戦後、福光で手掛けた大作 |
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灼員大聖天不動明王尊像 戦時中 |
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門舞男女神人頌 1941年 八曲一双屏風として出典 古事記の神々 |
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観音経曼荼羅 1938年 |
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自画像 沢瀉風の柵 1970年 |
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愛用のオリンパス・ペンEE |
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愛用のメガネ |
(撮影機材:Leica Q3一台で。撮影は商業目的以外は許可されている)