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2010年7月15日木曜日

源氏物語宇治十帖とパンクロックの世界







 平等院のある宇治川のほとりは、源氏物語宇治十帖の舞台となった美しい土地である。宇治橋を渡ると、豊かな水量を誇る宇治川がとうとうと流れ、緑濃いなだらかな山々に囲まれた文字通り山紫水明の地。平安の時代に藤原の道長が都を離れ別邸を築いた地である。

平等院は1052年に道長の別邸跡に、関白藤原頼通によって創建された。当時は多くの塔堂伽藍が立ち並ぶ壮観な地域であったが、今では現存するのはわずかに鳳凰堂のみとなってしまった。この世界遺産鳳凰堂は当時の浄土信仰ブームにのっとり阿弥陀仏を安置する阿弥陀堂として建立されたもの。言うまでもなく十円玉で有名。

飛鳥や奈良を散策して来た目から見ると、京都やここ宇治はその景観背景が大きく違っていることに気付く。

まず時代背景を比べてみると、
奈良時代が主として唐の文化を積極的に取り入れて国づくりに励んだの時代であったのに対し、唐からの文化を日本風に消化発展させた時代。いわば唐風文化に対する国風文化の時代に移り変わっている。菅原道真の進言により遣唐使が廃止されたことがきっかけとなり、これまでの唐の文化をコピーすることから脱却した時代である。

従って建造物も日本独特の寝殿造り。庭園も日本庭園の原型とも言える箱庭的な庭園が出現している。また、末法思想による浄土信仰が盛んになり、阿弥陀仏を安置する阿弥陀堂など貴族を中心に多くの私寺が建立された時代でもある。奈良の建造物が国の威信をかけた官寺、天皇発願の寺が中心であったのに比べるとその違いが面白い。

さらに、風水の考え方に影響を受けた都の設計、ロケーション設定でも平安京は、平城京と異なり、山と川の織りなす山紫水明の地が選ばれている。特に「水」が重要なエレメントになっている。ここ宇治もその宇治川と橋とたおやかな山々が景観の重要な要素となっている。奈良盆地に繰り広げられた都の景観には大きな川がない。藤原京はその水はけの悪さから廃都となってしまっている。平城京でも「橋」という構造物がその時代の権力や文化を象徴することはなかった。

一方、国風文化の時代に生まれたひらがなは中国から輸入された漢字の草書体を使った日本独特の文字で、特に宮廷の女性達によって用いられ新しい文学作品が生まれる。日本の小説を代表する最高傑作、源氏物語はその一つ。その最後の編、宇治十帖は光源氏の子孫の時代の物語。薫大将と匂宮という二人のプレーボーイが主人公として登場する。ここロマンチックな宇治の地を舞台とした「いい加減にしろ」と言いたくなるような「草食系男女」の恋物語だ。

「京都大作戦」と銘打ったロックコンサートはこの宇治市にある広大で緑豊かな山城運動公園で開かれた。メジャー、インディーズを含め50バンド程が結集。会場は平等院鳳凰堂の位置する宇治川のすぐ東の山の中。梅雨時期の貴重な晴れ間、しかも夕刻の屋外ライブもいいものだ。これくらい広くて山の中なら周りに迷惑もかからない。

我がスタンスパンクスの熱い爆音とメッセージに久しぶりに酔いしれる。洋風文化オリジンのパンクロックミュージックだが、スタパンの「日本語パンク」をここ宇治の地で楽しめるのも何かのエニシ。これぞ現代の国風文化。

それにしても雅な源氏物語宇治十帖の世界とパンクロック、そぐわない気がするが、どうしてどうして、会場には全国から大勢の汗臭い「薫大将」や「匂宮」が集まり、もののけ姫みたいに化けた橋姫の群れとで現代の王朝絵巻が繰り広げられている。阿弥陀如来もこの世に出現した西方極楽浄土を暖かく見守っている。52体の雲中供養菩薩もダイブ、モッシュこそしないが伸びやかに様々な楽器を奏で舞っている。