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2010年9月29日水曜日

山辺の道 古代「国道一号線」を歩く






学生時代に一人旅でこの「山辺の道」を歩いたことがあった。
この時は天理から入り、石上神宮を起点に桜井方面へ南下するルートを取った。

当時は大学紛争まっただ中、世情も騒然としていて、自分自身の立ち位置をともすれば見失いがちだった。いろいろと自分の将来や世の中の矛盾や、学生らしい懊悩に苛まれて心身ともに疲れてディプレッション状態にあった。

日常から一刻も早く離れて、非日常の中に身を置きたいと願った。一種の現実逃避だ。のどかな何も考えなくていい所で一人で居たいと思った。古代史の世界に埋もれて、和辻哲郎の大和古寺巡礼、井上靖の天平の甍などを読みあさっては、滅びの風景に憧れ、入江泰吉の写真集に救いと安らぎを見出していた。

そうした中で、思い立って「山辺の道」を歩く旅に出かけた。

当時は、山辺の道などそれほどの話題にもなっておらず、訪れる人も稀であった。すれ違う人もほとんどなく、のどかな田舎道をのんびりと歩き、桜井へ向った。秋晴れの気持ちのいい日だった。大和棟の民家と刈入れの済んだ田園、所々に点在する歴史の痕跡。非日常に身を置くには最高のセッティングであった。

竹内集落の辺りで一人旅の女性に出会った。彼女はにこり笑って挨拶をしてくれた。彼女は私とは逆に桜井から歩いて来たと言っていた。こんな所を歩いている同好の友という共感、人なつかしさ、そして二人とも歩き疲れていたのもあって、しばし座り込んで話が弾み時間がたつのを忘れた。何の話をしたのか今となっては思い出すすべもないが,他愛のない話だったに違いない。東京のD大学の学生だと言っていた。美人という程ではないが端正な顔立ちの知的な女性であった。やがて、それぞれの目的地に向って歩を進める時間が来た。別れを言ってそれぞれ背を向けあって歩き始めた。

たんたんとした出会いと別れであった。それっきりその彼女とは人生で二度と出会うことは無かった。しかし、時間がたつにつれ、その淡い思い出が美しく増幅されてゆく。あの時の彼女は山辺の道の延長線上にどんな人生を歩んでいるのだろう。今もその端正な後ろ姿を思い起こすことが出来る。クリスタライゼーションという奴だ。

それから、たしか箸墓古墳近くまで歩くと,日も西に傾き、二上山を赤く染め始めた。息をのむ美しい光景だった。入江泰吉の二上山残照である。しかし、急に人恋しくなり、それ以上歩き続けることが出来なくなってしまった。疲れもあるが、不思議な孤独感に襲われた。秋の夕暮れに途中棄権だ。そのまま桜井線のディーゼルカーで奈良へ帰った。案外一人になりたいなどと言って旅に出る自分を、客体化してみて喜んでいただけなのかもしれない。結局たわいのないセンチメンタルジャーニーだった。ともあれこの時の古代ロマンの一人旅は未完に終わった。

ところで,「山辺の道」って何時頃できた道なのだろうか。最近は歴史散歩やハイキングコースとしてつとに人気が高い山辺の道であるが、歴史を辿ろうとすると、以外に文献や資料が少ないことに気付く。

古事記にその名が初めて現れることから,日本で最古の官道であると言われているが、それは景行天皇と崇神天皇の陵墓の位置を説明する際に出てくるだけで、山麓を縫うように進む道、というくらいの意味なのではないか。これが本当に計画的に整備された官道だったのか... 多分縄文時代から弥生時代にかけてこの辺りに住む人々の生活道路だったのかもしれない。初瀬川、大和川を介して難波津とつながっていたと言われる現在の桜井市金屋の海柘榴市(つばいち)から三輪を抜けて纒向(まきむく)や布留(ふる)の集落を繋ぐ通り道だった可能性はある。

推古天皇の時代に奈良盆地(大和国中)を南北に走る「上ツ道」「中ツ道」「下ツ道」の3本の官道が整備され、さらに東西軸で難波へ向う「横大路」が整備されている。また厩戸皇子の斑鳩から飛鳥へと斜めカットする「筋違道」も整備されている。これらの道は飛鳥故京と藤原京、平城京を結ぶ計画的な道路として直線で結ばれているが、山辺の道は整備された道、というよりは踏み分け道であり、幾度かルートも替わった可能性もある。オリジナルのルートがどのようなものであったのかも確認されていない。

今、歩いてみると確かに東に聖なる三輪山、龍王山を仰ぎ見ながら、西には大和国中を見渡し、大和三山、二上山、金剛山、生駒山を展望する抜群の景観道路である。その道すがらには,景行天皇陵や崇神天皇陵、巻向遺跡、箸墓古墳、黒塚古墳、布留遺跡があり、この地がヤマト王権発祥の地であるらしいたたずまいを見せてはいる。

のどかで牧歌的な散策道である。結局、後世の人々が、古事記の記述からこの道にロマンを託して「山辺の道」と命名したのかもしれない。たしかに歴史上のいわれはこの際どうでもいいくらい心和むロマンチックな風景の連続であった。花が美しい。歴史の痕跡をそこかしこに感じることの出来る道である,というだけで十分な気がする。

今回の旅は秋の実り豊かな山辺の道を歩いた。稲穂もコウベを垂れて豊穣の秋を演出している。鱗雲を天高く見上げるさわやかな秋晴れだった。学生時代の旅で求め、挫折して感じることの出来なかった心の安らぎを得ることが出来た。そして時空を超えたヤマトの風景の美しさに心打たれた。

この旅は一人ではなかった。素敵な彼女が道中一緒だった。旅は一人も良いが、感動を共有出来るパートナーがいるとまた違う。私の昔のガールフレンド、すなわち今私の妻となってくれた連れ合いがともに歩いてくれたからだ。