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2010年11月8日月曜日

タイムカプセル 橿原・今井町の時空旅

学生時代に奈良を旅した時、驚きの光景を目にしたことが今でも忘れられない。

 近鉄大和八木から橿原神宮方面へ電車が進む。すぐに八木西口駅に着く。そこを過ぎるとやや高架になって国鉄桜井線と交差する。

 車窓からは畝傍山が見えていたが、ふと眼を転じると黒々とした甍の波が続く古色蒼然とした町並みが目に飛び込んで来た。その一画だけまるで時間が止まり、過去がそのまま何かの拍子に凍結保存されてしまった。そんな街並がマッシブに広がっている。街全体がタイムカプセルに閉じ込められたような佇まいだ。

 電車はドンドン速度を上げてゆき、あっという間に、その不思議な空間は視界から消えていった。そして私の記憶の片隅にその光景が刻まれたまま、それを脳の記憶装置から引き出すこともなく30年余が過ぎてしまった。

 そこは橿原市の今井町である。大阪に住むようになって学生時代から気になっていたあの不思議な街の面影、あのときの記憶がよみがえり、その街へタイムスリップすることにした。30年ぶりにあの電車から見た街に出かけた。




 室町時代後半14世紀に一向宗(浄土真宗)の道場(後の称念寺)がここに出来、今井町は寺内町としてスタートした。やがてこの中世環濠集落を母体に安土桃山時代には6町が周囲約3間の堀と土塁に囲まれた武装宗教都市が形成された。織田信長の一向宗攻めの後に、今井町は和睦し町の姿が後世に引き継がれることになる。

 江戸時代に入ると、寺内町には近在から多くの人が移り住み、在郷町として発展する。徳川幕藩体制の下で180年間天領となるが、住民には大幅な自治権が与えられ、町政は今西家、尾崎家、上田家の惣年寄により運営された。
このころから多くの商人が移り住み、木綿、両替商などで栄え、独自の通貨とも言える「今井札」の発行も許された。また大名相手の金融業も盛んになる。江戸時代初期には家千軒、人口四千人に達する繁栄を見たといわれた。

 しかし,そのような街は筑後の吉井、宇陀松山、五條、河内の富田林など日本の地方にあちこちにあるが、今の今までその街がこれほどまでそっくりそのまま保存されて残っていることが驚きだ。現在、伝統的な町家が全体の6割を占め、9件は重要文化財、3件が県指定文化財、6件が市指定文化財となっているという。

 今井町の町並み保存運動が起きたのは昭和30年ころからで、50ー60年頃には住民と行政が一体となって建物の修理、保存、修景、道路整備を行った。平成5年には、重要伝統的建造物群保存築に指定されている。

 街を歩いてみると,想像していた通りの不思議な空間がよく保存されている。かなり修復された建物が多い。昔のイメージを思い出し、崩れかかった町家や滅びの美を求めがちだが、思いのほか新しく整備が行き届いている。電柱の地中化も進み、道路もカラー舗装され、こぎれいな街になっている。

 しかし、ここは保存の為の街ではなく、人々が普段の生活を営む場である。公開されている町家にも住人がいて、日々の暮らしがそこにある。田舎の街にありがちな過疎化や、人がいなくなって空家化した建物が並んでいる様子はないように見える。

 NPO法人のボランティアの人に伺うと、ここに住みたいという人も結構多いが、住む以上は住民としての生活を営むことが条件とか。奈良市のならまちのようにレストランにしたり、カフェ開いたり、お土産やの改造したり、観光客向けの施設は歓迎されないとのこと。確かに食事する所が見つからない。お土産屋もない。観光地ではないのだ。

 重要文化財の今西家住宅を見学させてもらった。ここはかつて惣年寄りを努めた今西家の住まいである。しかし,その構えは住居というよりは、城郭のようだ。中に入ると、大きな土間があり、その前には座敷が三つ並ぶ。その中央の座敷には重厚な張り出し縁がある。ここはその昔は自治都市今井町の警察であり裁判所でもあったそうだ。いわばお白洲だったのだ。二階には簡易な牢屋もあった。やはり単なる住居ではないのだ。

 説明してくれた今西家のお内儀は、このような文化財に暮らす誇りと苦労を語って下さった。建物の維持管理と見学者のマナーに苦慮しているようだ。現代的な生活様式や快適さを求めることも我慢しなければならない。しかし、伝統ある今西家の末裔として歴史的な文化遺産を引き継ぐ気概を強く感じた。

 こうした建物の公開にもなかなかのご苦労があるんだ。訪問者は無責任に見て回って,生活者の立場を忘れている。住んでる人に言わせると「見せ物じゃないぞ」と言いたい所だろう。パブリックな場とプライベートな場と、なかなかきれいに一線を引くのは難しい。しかし、こうした町家は人の生活が今に引き継がれているからこそ貴重なのだ。博物館のように静態保存されたり、テーマパークのようなフェイクな町並みではない。だからこそ,見学する方もそれなりのマナーと見識を持つ必要がある。

 街に掲示されている「文化財、守れる人が文化人」の標語の前で立ち止まってしまった。