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2010年12月15日水曜日

50年前のニューヨークへ時空旅 ーNew York City 50 years time differenceー

 我が思い出のニューヨーク。我が社の米州事業拠点にして海外事業スタートアップの地。家族とともに7年ほどを過ごした町。苦闘と栄光の町。この町を今から50年程前に父と母が訪ねていた。

父が亡くなり、遺品を整理していたら、その中からアメリカ時代の大量のスライド写真が出て来た。幾つかは生前にも見せてもらったことがある写真であったが、これだけ大量のフォトアーカイブがあるとは知れなかった。今見ると、どの写真も、父が戦後復興期の日本からの研究者として渡米し、彼の地で生き、苦闘した日々を写し出す一級の資料だ。当時、父はワシントン郊外のベセスダにあるNIH(National Institute of Health)の客員研究員として米国に赴任していた。これらのニューヨークでの写真は、学会で行ったときの写真だ。

スライドはカビが生えたものもあったが、大方は良い状態で保存されていた。専用のスライド保管箱(これも時代を感じさせる金属製の箱)にきちんとスライドごとにスペースを空けて保存されている。さすが几帳面な父のなせるワザだ。ほぼ全てのスライドは、父の愛用のカールツアイス社製コンタフレックス(当時流行ったレンズシャッター一眼レフカメラにキレの良いテッサー付き)で撮影。フィルムはコダクロームとエクタクロームのカラーポジだ。50年以上の時を経て今鮮やかに当時のニューヨークが蘇った。

アメリカが第二次世界大戦後の繁栄を謳歌し、そのアメリカとの戦争に敗れた日本は貧しく、その手の届かない豊かさにただただ憧れた1950年代後半。写っているものも、写したカメラも、フィルムも。今は過去のものとなってしまったが、古き良き時代のアメリカンテイストを醸し出すものばかりだ。当時、父は見るもの聞くもの新鮮な驚きを感じたに違いない。父のその後の人生の糧になったシーンもあっただろう。その後に、奇しくも私も米国に移り住み、経験したカルチャーショックを、父の経験と重ねて追体験をしてみたくなった。今回は父が遺してくれた50年の時空を超えたニューヨークの街をご紹介してみたい。

しかし、ここに再現されたニューヨークの町は、今とそれほど変わっていない感じがするのが不思議だ。特に敗戦後の焼け野原から復興した東京の大変貌ぶりに比べればなおさらだ。仔細に見ればこの風景の中にその後、新しい高層ビルが建ち、マンハッタンはより現代的になった。ミッドタウン42丁目のの煤けたグランドセントラル駅は真っ白に磨かれ、その上にはパンナムビルがパークアベニューをまたぐように建ち、ランドマークとなった。しかし、パンナムというアメリカ繁栄のシンボルエアラインはその後倒産し、消滅。ビルは保険会社の所有となった。ダウンタウンにはツインタワーの世界貿易センタービル(WTC)が建設され風景が一変した。それも2001年の9月11日の悲劇的な崩壊に遭遇し、姿を消した。50年もの間にいろんなことが起こり町の景観が変わった。時の流れを感じざるをえないが、基本的な街の風貌に変化は無い気がする。

父が、エンパイアステートビルの展望デッキからイーストリバー沿いの国連ビルと発電所を撮影した写真に驚いた。なんと私が2003年から2006年まで住んだアパートはこの火力発電所の右隣(南)にあった。ミッドタウントンネルのすぐ隣だ。もちろん50年前にはご覧の通りアパートはなかった。いまはこのあたりは高層コンドミニアムが林立している。そしてこの火力発電所はもう取り壊されてしまった。私の目の前で取り壊し工事が進んでゆくのを毎日見つめていた。まるで父は息子が50年後にすむ場所を指し示すようにシャッターを切ったのだろう。

しばし時空トラベルを楽しんでみよう。父が見た景色。私が見た景色。そこに時空を超えて、変わったもの,変わらないものが見えてくるだろう。