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2012年4月18日水曜日

初瀬のお山は花盛り ー長谷寺の桜ー


去年は、桜の季節に間に合わず、青紅葉を楽しんだ長谷寺。これはこれで目に鮮やかな新緑が感動であったが、今年は見事、桜花全山満開の華々しい初瀬の里を散策する事ができた。開花は例年に比べ一週間以上の遅れだ。

桜井から、三輪山、巻向山系と外鎌山に挟まれた谷間を東へ続く初瀬街道。難波、大和、京から伊勢参りに通る,伊勢本街道でもあり、古くから大和と東国(古代の東国は伊勢尾張を指した)を結ぶ、交通殷賑な谷間の街道筋であった。

6世紀の欽明天皇の時代,百済から仏教が初めて伝わった地とされる海柘榴市(つばいち)。三輪山の南,現在の桜井市金屋を大和盆地の起点に、北へ向うと三輪山麓、龍王山麓の山辺の道。すなわち初期ヤマト政権の故地である纏向へ。南へ向うと古代大王ゆかりの磐余(イワレ)道。、東へ向うと、この初瀬街道。河内(第二次ヤマト政権、すなわち河内政権)から進出して来たと言われる5世紀の雄略天皇や武烈天皇の宮趾が並ぶ地域だ。歴史の道である。

長谷寺はその初瀬街道に沿った初瀬山の山腹に位置する。8世紀前半奈良時代に創建されたと伝承されているが、正式な記録は無い。平安時代には、官寺である東大寺の末寺,あるいは興福寺の末寺として朝廷の直轄寺院であった。その後、真言宗の寺院となり,現在では真言宗豊山派の総本山だ。女人高野室生寺はここからさらに東へ向い、深山幽谷の地にある。こちらも真言宗室生寺派の寺となっている。

御本尊は身の丈10mをこえる一木造りの十一面観音菩薩。本堂自体が巨大な観音様の厨子のようになっている。南に張り出した舞台(拝殿)から拝む十一面観音は圧巻。まして本堂内陣で足下から見上げるそのお姿は思わずひれ伏したくなる神々しさ。俗世の煩悩の中で苦悩する我々を慈悲溢れるまなざしで救って下さる。古来より参詣者が絶えないのも宜なるかな。

平安時代には観音信仰の高まりとともに、長谷詣でが盛んになったと言う。奈良時代の仏教は鎮護国家思想のもとの官寺での国家仏教。平安時代に入ると、貴族の阿弥陀信仰や観音信仰が盛んになり、さらには俗世での苦悩を救い,来世を信ずる庶民の信仰の拠り所へと変遷して行く。長谷寺の歴史はそれを現わしているように思う。

今は、長谷寺は「花の御寺」と呼ばれ、それぞれの季節の花々が美しい、大和路でも人気のお寺だ。特にこれからの季節は、新緑の中にひときわ美しく咲き誇る牡丹が見事。399段の登廊の両側を飾る色とりどりの牡丹は豪華、妖艶、華麗。しかし、この桜の季節の長谷寺も素晴らしい。初瀬山が全山桜花で埋め尽くされ、その合間に本堂や登廊、五重塔が埋もれるように佇む様は息をのむ。長々とした能書きはこれで止めるので、スライドショーをご高覧あれ。


(対面の山上の愛宕神社からの長谷寺全景。この位置は、桜に埋まる初瀬街道、長谷寺を一望出来る絶景ポイント。)