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2012年4月6日金曜日

竹内街道を行く(太子町山田大道)

 以前、竹内街道の奈良側,すなわち近鉄南大阪線磐城駅下車で、葛城市の長尾神社から竹内集落までを散策した事があった。この時は、菅原神社から竹内峠を越えて、太子町まで歩くつもりであったが、途中が歩道も無い国道166号線での峠越え、ダンプカーが曲がりくねった道をビュンビュン走り抜けるので、歩くのを諦めた。

 古道散策はクルマ無しで願いたいものだ。時空を超えるイメージに合わないのと,危険でノンビリブラパチどころではない。そこで,今回は上ノ太子駅から、南河内郡太子町,すなわち近つ飛鳥側からの散策を楽しんだ。太子町、磯長(しなが)の里は前回の「時空トラベラー」で紹介した通り、聖徳太子の御廟を始め、王陵の谷と言われ,天皇陵墓の多いところである。駅からは金剛バス(一時間に一本ぐらいしか無い)がちょうど間に合い、太子前バス停まで乗車。叡福寺聖徳太子御廟を参拝してから、六枚橋まで歩く。これも車道を歩いたのでは面白くないので、路地を入り一本メインストリートから中を歩く(これが古道歩き、町並み散策の鉄則)。

 太子町春日集落の古い町並みを愛でながら、六枚橋から、いよいよ竹内街道の標識に従い、左手に二上山を仰ぎ見ながら、ゆるい坂道を上り始める。道はいたるところに標識が整備され,さらにお勧めルートがわかりやすいように、カラー舗装、石畳となっているが、チと整備され過ぎで,古道の趣が薄れてしまっているかな。まあ,贅沢いわずダラダラと上り坂を行く。

 この辺りは大和棟の民家が多いところと聞いていたが、今は少なくなってしまっているようだ。それでも風格ある古民家が点在する街道を歩くと、徐々に高低差を感じる峠道になり、ビューポイントの山本家住宅あたりでは、遠く河内平野、PLタワーのある富田林辺りまで見渡すことが出来る。ここは山田字大道地区。まさに古代官道、「大道」が地名として残る集落だ。しかし,残念な事に、建物は改築されて現代的になってしまったものが多い。それ故か、この辺りはその歴史的な重要性に比して、「重要伝統的建造物群保存地区」に指定されていない。朽ち果てた土蔵や古民家が街道沿いに無惨な姿をさらしているのは、趣があると言えばあるが、むしろ哀れだ。

 大道旧山本家住宅はその中でも,古民家の修復保存活動がうまくいって、見事に大和棟が復元されている例の一つだ。ちょうど訪れた日は運良く一般公開日であった。オリジナルに忠実な「完全復刻」大和棟の農家住宅。室内も農作業する庭先も、まるで今も生活中であるかのようにディスプレーされ、籾殻までそのまま保存修景されている。訪れる人も無く、私一人で往時の生活を彷彿とさせてくれる贅沢な時間を堪能する。江戸末期の豊かな農家の姿だ。


(大道/竹内街道ルートマップ:大阪府のホームページから転載)

 大道は図の通り、大和の飛鳥から西に走る大道、二上山麓の竹内峠を越え、河内飛鳥から堺へ向い、そこから真北の難波に宮へ向う難波大道へと繋がる古代の官道である。推古天皇の時代に造られたと言われ、難波津から瀬戸内を通じて、筑紫、朝鮮半島、中国、さらには天山南路のシルクロードをへてインド、ペルシャ,ローマ帝国へと繋がる「文明の回廊」、その東の端でもある。東西交流の歴史を表す様々な文物、そして仏教、律令制などの政治制度、技術、などがこの道をへて飛鳥にもたらされた訳である。その中の葛城竹内集落から竹内峠を越えて太子町山田、羽曳野市飛鳥をへて堺へ向うルートを「竹内街道」と呼称しているようである。

 時代を下っても様々な歴史の舞台となった道である。、孝徳天皇が難波宮で取り残されて憤死し、飛鳥古京へ越えれなかった道であり(孝徳天皇陵はこの竹内街道沿いの山田にある)、斉明天皇の新羅征討のための、筑紫進駐の軍を進めた道であり、壬申の乱の時には大海人皇子進軍のルートとなり...  大和と難波を通じて外界とをを結ぶ重要な交通の要衝であった。また、都が奈良盆地から北のカドノの平安京に遷都した後は、伊勢参りや大峰山参りの参詣道として,庶民にも親しまれる街道となって行った。

 しかし、この官道が造られる以前から、4ー5世紀の築造と思われる古市古墳群(応神天皇陵とされる誉田山古墳が最大の古墳)と百舌鳥古墳群(仁徳天皇陵とされる大山古墳が最大の古墳)を結び、二上山から東西軸上の奈良盆地の大倭古墳群を結ぶ線上にあり、古くから人の往来が盛んであったであろうと想像される。三輪山山麓の初期ヤマト王権(崇神王権)と河内王権(応神王権)の変遷を巡る「王権の断絶」論争の謎を解くカギとなる舞台であり,考古学的にも興味の尽きないエリアだ。

 今、大阪の私のオフィスは難波宮にすぐそばにある。ここから眺めると、上町台地も河内平野もビルと住宅に埋め尽くされて、古代の面影は無いが、それでもここから河内平野のむこうにかすむ二上山ととその麓に広がる高地の風景は、はるけき飛鳥古京に思いを馳せる眺めであり、はるばる大陸からの長旅の果てに難波にたどり着いた賓客や渡来人にとっては,これから向う倭国の都を夢想して心高鳴る風景であたことだろう。また、これから波頭を越えて、彼の地、彼の国へ旅立つ人々にとっては、振り返って別れを惜しむひと時の風景でもあったのだろう。



(撮影機材:Fijifilm X-Pro 1, Fujinon 18, 35, 60mm)