今日は、中学時代仲良くしていた悪友と40年ぶりに再会することが出来た。
長く音信が途絶えていたが、ひょんな事からネットでお互い大阪に住んでいる事がわかり訪ねて来てくれた。インターネットの効用を感じる団塊世代の私である。そう、団塊世代も後期に属する我々はネットを使うんだ。
お互い髪が薄くなったり、白くなったり、外目の形状は多少変わったものの、基本的には昔と全く変わらない友がそこに居た。40年の時空の隔たりが一挙に消滅し、中学時代にワープ。「どげんしよったとね?」
その後、彼が法学部を卒業して、兵庫県庁に勤務していたコトは知っていたが,私の方が、東京/ロンドン/ニューヨークを転勤し回っていたため、すっかり音信不通に。彼は最近めでたく定年退官し、役所の就職斡旋を断って行政書士として独立し,新たな人生を歩み始めたと言う。私の方も、長い海外転勤生活を終えて、第二のサラリーマン人生を大阪で送っている。お互いそんな年になった。なんせ40年だもんなあ。
語り尽くせない懐かしい中学時代の話や、旧友の消息、その後の人生について、時間が過ぎるのを忘れるほど話し込んでしまった。そして彼は、ぽつっとあの18年前の阪神大震災で、家族を亡くしたと語った。父上と奥さんを亡くされた。彼自身も被災したのだが、県庁職員として震災の救援、復興に身を投じた過酷な日々だったそうだ。もちろん初めて聞いた。ショックだった。
40年と一言で言っても,この40年はお互いに人生の最も忙しいピークの時間帯。目先の懸案事項で日々を過ごす事で精一杯だったあの頃、友の事を思いやる心の余裕も無かったあの時代のあの瞬間に、彼がそんな過酷な体験をしていた訳だ。そんな事も知らず、一見、昔のまま変わらない友との再開を無邪気に喜んだ自分を恥じ入った。40年という時間の経過は、やはり人の一生に大きな山坂を与えるのに充分な長さなのだ。
阪神大震災の時は、イギリスにいた。ロンドンのアパートで、夕食後いつものお気に入りのClassic FMを聞きながら,ベッドの上でくつろいでいた。突然の音楽の中断。「日本で地震があった」と簡単な臨時ニュース。「日本は地震が多いさ」と、あまり気にも留めず、聞き流していたが、「待てよ、ロンドンのラジオで日本の地震の臨時ニュース?」。すぐにテレビをつけるとBBCは、炎上する神戸の町、ひっくり返った阪神高速道路や、脱線転覆した電車の空撮映像(NHKのロゴ入)を延々と流していた。
テレビの向うの日本で起こっている未曾有の災難に戦慄した。しかしその瞬間に、その渦中で、我が友は大丈夫なのか、呻吟苦悩しているのではないか、と思いをいたすに至らなかった自分を今頃になって責めている。彼が神戸にいるであろう事は知っていたのだが、不思議にそのことと、この震災とが結びつかなかった。なんと自己中心的で、勝手な理解なんだ。
その後日本へ帰り、彼の消息が気になり、当時の新聞の被災者のリストを入手して恐る恐る探したが、名前は無かった。よかった。無事なんだ。もちろんその時は、彼の家族に不幸が襲っていた事を知る由もなかった。ちょうどインターネットが普及し始めた時期でもあり、彼の名前と兵庫県のキーワードで検索し、消息の手がかりを探し求めた。曖昧ながらもいくつかのそれらしい情報に行き当たったが、いずれも人違い、ないしは連絡取れず。当時はまだまだネットに公的機関の情報が公開される事も少ない時代だった。そうこうしているうちにその後の雑事にまぎれて、ウヤムヤになっていた。
皮肉な事に、彼が退職して独立し、事務所を構え、ホームページを公開した事で、消息が掴めたという訳だ。インターネットは40年の時空を超えて旧友を見つけ出してくれた。しかし、その結果、その友が体験した深い悲しみを知る事にもなった。ただ救いは、彼の残された家族である娘さんが、震災の苦難を乗り越えて、いまは立派に大学で研究者の道を歩んでいる話を聞いた事だった。40年という時間の重みを感じた。