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2013年9月1日日曜日

建仁寺双龍図

京都の夏は暑い。とりわけ今年の暑さは尋常ではないのでなおさらだ。それにもめげず、渇望していた「いにしえの文化の香り」に触れる、というだけでワクワクしながら、関西出張の合間を縫って京都に降り立った。今回は、時間も限られていることもあり、ただひたすら建仁寺の双龍図、雲龍図、風神雷神図を鑑賞するためだけに脇目もふらず現地へ向った。

 建仁寺は祇園の花街、花見小路の突き当たりにある臨済宗建仁寺派総本山。よく日本初の禅寺,と紹介されているがこれは間違いだ。2010年12月24日のブログ「博多聖福寺と今津浦ー栄西の足跡をたどるー」で書いたように、博多の聖福寺こそ、その扁額のとおり「扶桑最初禅窟」である。栄西が宋留学から戻り、最初に禅寺を開いたのが博多の聖福寺だ。1199年に源頼朝のもと、博多百堂に博多の宋の華僑の協力を得て創建したもの。さらに1200年には鎌倉の寿福寺の住持となり、そして1202年に源頼家の開基、京都に建仁寺を開いた。現在手元にある建仁寺のガイド冊子にも「京都最古の禅寺」とある。当初は、禅だけでなく、天台、密教の三宗兼学道場であったそうだ。この時期、京都は天台宗比叡山の権勢が絶大であった。なかなか新興の禅宗を広めるのは抵抗があったのであろう。その後蘭渓道隆により純粋な臨済禅の道場として整備されたという。

 ここは実は文化財の宝庫だ。有名な俵屋宗達の風神雷神図もここにある。これは国宝。海北友松の雲龍図ほか竹林七賢人図などの重要文化財も。潮音庭、◯△□の庭などの禅宗独特の庭園、建仁寺垣など。なかでも御本尊釈迦如来座像のおわします法堂の天井に描かれた双龍図は圧巻である。これは2002年に、創建800年を記念して描かれた新しい作品であるが、その迫力は見るものを圧倒する。小泉諄作画伯の筆になるもの。これが今回のお目当てだ。

 ここのお寺がうれしいのは、全て写真撮影OKという点だ。特に、この法堂の天井画、双龍図は、薄暗い堂内で、露出をマイナス補正して、開放絞り、周辺光量が適度に落ちる広角レンズでの撮影の醍醐味を味わえる。ボストン美術館に収蔵されている曾我蕭白の雲竜図に劣らない阿吽の双龍。天から釈迦如来を守り、見上げる者に睨みを利かせているようだ。ビゲローによって持ち出された曾我蕭白に替わって,今京都で鑑賞出来る双龍図はこれ、という訳だ。しかし、ライカの広角レンズ群の性能を遺憾なく発揮出来る被写体だ。光源に限りがあり、暗くても諧調も豊かだし、広角レンズ特有の樽型の歪みもほとんどない。

 京都に限らず、歴史のある寺院では仏像や文化財,果ては庭園の撮影禁止,というところが多いのはがっかりだが、文化財保護、撮影側のマナーの問題も多いのも事実。しかしここ建仁寺はオープンだ。この姿勢は歓迎だ。もっともここに常設展示されている国宝の風神雷神図も雲龍図もキャノンの技術で高精細デジタル復元したレプリカ。ホンモノは京都国立博物館に展示されている。レプリカであれ、ここまでホンモノに近いものを、こうして本来置かれている場で、身近に鑑賞出来るのはうれしい。そしてなによりも写真撮影OKがうれしい。

 文化財の保存・研究のためにはやむを得ないのだが、私は博物館や美術館のショーケースに治められ、均質なライティングの下で仔細に観察するよりも、こうした木造の建物の中の、庭から射すかすかな薄明かり(available light)のなか、もともとある「場」で観るほうがいい。見えにくいところは想像力で補う... 篠山紀信氏は,あるインタビューで「美術館は美術品の墓場だ」と言っていた。氏らしい表現だが一面の真理をついているような気がする。

「大哉心乎」(大いなる哉 心や) 栄西禅師「興禅護国論の序」より



(法堂には、須弥壇に御本尊釈迦如来座像、脇侍迦葉尊者・阿難尊者、そして天井には2002年、創建800年を記念して小泉諄作画伯筆の双龍が描かれている)




(本坊中庭の潮音庭。シンプルで枯淡な四角形の禅庭だ)




(俵屋宗達の風神雷神図屏風。高精細デジタル復元されたものが展示されている)




(海北友松の雲龍図。これも高精細デジタル復元された襖絵)



(◯△□乃庭。◯(水)△(火)□(地)を表し、禅の世界で宇宙の根源的形態を示すと言う)



(双龍図も角度を変えて眺めるとまた別の迫力を感じる)

撮影機材:Leica M Type240, Tri Elmar 21-18-16mm, Elmarit 28mm