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2023年12月11日月曜日

神田須田町界隈散策 〜空襲にも奇跡的に残った震災復興建築群〜



 東京の街は、膨大な人口を抱え、隙間なくオフィスや住宅に覆われ、終わることのない再開発の波に洗われ、そしてガラスと鉄骨でできた特色のないビルや狭小住宅で埋め尽くされている。まさに資本主義的合理性が支配する街である。しかし、そんな茫漠たる東京ジャングルをカメラを持って散策し、深く分け入って観察すると、こうした資本主義的な論理に巻き込まれない、奇跡のような一角が、あちこちに点在していることに気づく。ここ神田須田町界隈もその一つである。江戸時代は中山道など主要な道8本が通る殷賑な町場であり、江戸末期には青物市場もでき、神田川の舟運で賑わった。神田の生まれの「江戸っ子」が産湯を使った地だ。現在の神田須田町内は神田明神の氏子で、神田祭の舞台である。明治以降は、近代化の象徴である鉄道が通り、万世橋駅が須田町交差点にでき、路面電車の集結点となり、帝都東京の繁華街として賑わった。しかし、関東大震災で甚大な被害を受け、やがて万世橋駅がなくなり、青果市場が移転し、街の様相は大きく変わっていった。戦時中は、数度にわたる空襲で神田一帯は焼け野原となったがその真ん中に、かつての賑わいの面影を残す一角が焼け残った。現在の靖国通りと中央通り、神田須田町交差点の「奇跡のトライアングル」と呼ばれている地区である。戦後の高度経済成長期、バブル期の地上げの狂騒からも取り残されたような一角。今、ここに一歩足を踏み入れると、大正期から昭和初期の料亭や蕎麦屋、甘味処が立ち並び現在も盛業中。オフィス街のビルの合間に点々と、伝統的な和風木造建築や看板建築、お稲荷さんが出現する。この界隈だけ時空を超えた独特の景観が残っている。子供の頃に読んだ絵本「ちいさなおうち」The Little House(バージニア・リー・バートン作)をふと思い出した。絵本の方は、すっかり都会になってしまった故郷を逃れ、曳屋して田舎に引っ越して、かつての平和と安寧を取り戻すのだが、ここではビルの谷間にそのまま残って頑張っている。看板建築を含めて、現存する木造建物は震災復興期以降の建物で、江戸時代のものではないが、江戸の記憶を纏う「昭和初期の街並み」として「千代田区景観まちづくり重要物件」指定や、東京都指定文化財となっている。国の「登録有形文化財」指定の建物もある。今回はそのいくつかを紹介してみたい。


1)「いせ源」 1930年(昭和5年)

江戸時代、1830年(天保元年)創業のあんこう鍋料理の老舗。 

入母屋造 木造3階建て

震災後、再建された復興建築 看板は創業時のもの



立派な建物 開店待ちのお客も既に

天保年間の創業時からの木製看板を掲げる

二階の欄干には菱形のレリーフ


想像するより敷居は高くない

「いせ源」の並びにある「出世稲荷神社」
大阪なら、差し詰め「お地蔵さん」だろう



2)「竹むら」 1930年(昭和5年)

震災復興期の昭和5年創業の甘味処。池波正太郎も通った現在も人気の店。

入母屋造り、木造3階建て。



屋根と庇が重なり合って、一見四階建てに見える


「おしる古 竹むら」

こちらの木製の看板「志る古 竹邑」

堂々たる佇まいである

二階の高欄には「竹に雀」のレリーフ





3)「ぼたん」 1929年(昭和4年) 

1897年(明治30年)創業の鶏すき専門店 

ここも震災後、再建された復興建築

塀がぐるりと建物を囲う



打ち水が清々しい玄関


独特の字体で「鳥?鶏?」の看板

看板建築が並ぶ通り




4)「神田まつや」 1925年(大正14年)

1884年(明治17年)の創業から当地で営業を続ける老舗蕎麦屋

出桁造 木造二階建て

震災後、創業の地で再建。ビルとビルに挟まれた木造和建築が存在感を主張、現在も人気の店として盛業中





開店前の11時半にはこの行列

看板と提灯




5)「山本歯科医院」 1929年(昭和4年)

3代続く現役の歯科医院

一見、鉄筋コンクリート造りの洋館に見えるが、内部構造は木造3階建てで、震災復興期の看板建築

国の「登録有形文化財」に指定されている









6)「アナンダ工房」 1929年(昭和4年)頃?

現在はインド素材の店

木造二階建て 看板建築

震災復興期の看板建築の古い意匠をうまく活かし、ファサードにおしゃれなアールヌーボー調のデザインを加えたアート建築。シャッターに描かれた樹木とそれに合わせた植栽が特に秀逸!







7)「藪蕎麦」 1923年(大正12年)

2013年に失火で焼失。人気のあった庭のある数寄屋風建築は再建された。藪蕎麦系の老舗本家として復活


「や婦"そば」看板

再建後は、板塀がなくなり生垣になった。

焼失以前の「藪蕎麦」





8)「高畠邸」 1926年(大正15年)

震災後の区画整理で整備された、駿河台のお屋敷街に現存する貴重な木造建築

石垣に囲まれた堂々たる本瓦葺き和風建築。実業家の別邸であった。







風格にじむ重厚な門構

高石垣の上に板塀が連なる

建物全景


高層ビルに囲まれてしまった


(撮影機材:Nikon Z8 + Nikkor Z 24-120/4, Leica M11-P + Tri-Elmar M 16・18・21/4)

建築写真はなかなか難しい。超広角レンズを使い、建物の全景を取り込もうとすると、ちょっとしたカメラの傾きで水平が取れない、建物がデフォルメされる、いらないものが写り込むなど、構図に苦労する。「アオリ」はLRの後処理で可能だが、その結果を予測して撮らなければ、とんでもなく平凡な構図になる。使い手のウデが試される。しかし、Mライカ用のトリ・エルマーは優秀だ。ズームではなく、ユニークな3焦点レンズ(16、18、21ミリ)。周辺光量落ちもないし、歪曲収差(タル型)も僅か。そのお道具を使いこなせるかは使い手の修練次第だ。人を見て結果を出しやがる嫌なヤツだ。