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2016年8月27日土曜日

「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」〜Leica Noctiluxという名馬〜

Noctilux-M 1:1/50 + Voigtlaender VM-E Closed Focus Adapter + SONYα7RII



ライカにはその歴史上数々の名レンズ/迷レンズがラインアップされてきた。だいたいにおいて万人向けの使いやすいレンズといったシリーズは少ない。が、使い手を選ぶ気難しいレンズはいっぱいある。Elmar 50mmやSummicron 50mm,35mmなどは比較的扱いやすい方だが、フレアーやハレーション華々しいSummar 50mm, Summitar 50mm,旧Summarit 50mmなど50mm標準レンズクラスでもクセ玉がずらりとラインアップされる。35mm広角レンズでは名玉・迷玉で有名な初代Summilux 1.4などは素人には出来損ないレンズに見えてしまう厄介な代物だ。そしてこの高速レンズNoctilux 50mm f.1。第4世代のレンズだ。最新のものはその開放F値が0.95という最高速レンズで非球面化(ASPH)されたので多少扱いやすくはなったものの、それでもNoctiluxは代々扱いが難しいレンズの代表格だ。これらはレンズの個性・味としてライカ使いのマエストロにもてはやされてきた。レンズ設計が手計算で、レンズ研磨も手磨きの時代。コーティング技術もまだ十分に確立されていないので、収差などにバラツキが出たり、逆光フレアーが盛大に出たり、手仕事による個体差が現れる。それを「道具の目利き」よろしくマエストロたちが自分にあった個体を選び出し、一生モノとして愛でる。そういう世界だった。そういう意味で現代のライカレンズは個性がなくなってしまった、とオールドファンは手厳しい。職人芸のマイスターが創り出す「お道具」から合理的な生産ラインで生み出される「モノ」になってきたということだ。

Noctiluxの話に戻るが、まず開放で撮るには正確無比なピント合わせが必要だ。これがなかなか至難の技。合焦部分のピントの幅が極めて薄く、かつその周辺部分はうっすらとボケる。いやフレアーが沸き起こり、ハレーション起こしてるんじゃないかと思わせるようなふんわり感。どこにピントがあっているのか慣れないと目視では分かり難い。ライカのレンズはどれも合焦部分とボケのコントラストが絶妙なのだが、これは素人には絶妙を通り越している。目の慣れた達人だけが「名人芸のごとく」そのピントを嗅ぎ分けられる。

しかも、LeicaMカメラのボディーで撮影するとなると、ライカ秘伝のレンジファインダーで正確にピントあわせするテクニックと熟練の技が必要だ。この辺がライカは使い手を選ぶと言われる所以だろう。デジタル化されたType240のライブビューでの撮影にはさらに別種の慣れが必要だ。フォーカスピーキングや拡大機能が搭載されて便利になったはずだが、なおピンボケの山を築いてしまうのは何故なのだろう。液晶画面は意外にMFによる細部の確認に不向きなのかもしれない。

さらにMボディーだと最短撮影距離が1mという老眼なのももどかしく感じる。高速レンズのボケ(Bokeh)を生かしたクローズアップ撮影を狙っても無理。そもそもレンジファインダーカメラは近接撮影を想定してない。従ってレンズ設計も寄れない構造を是とすることとなる。せっかくのf.1, f.0.95が勿体無いと思う。もともと夜間でもavailable lightで撮影出来る高性能レンズという触れ込みで開発されたのだが、近接撮影でもこのF値を生かしたBokehを楽しみたいと思うのが人情だろう。

こうして私のような、ライカMボディーという厳しい親方に、いつも駄目出しされる撮り手は、ついSONYα7RIIなどという最新テクノロジーで武装した優しい親方の方に行ってしまう。ライカ道修行が足りないのだ。さらにこのSONYα7用にコシナからライカMレンズ用クローズドフォーカスアダプターがリリースされている。これを使えば、上記のフラストレーションが解消される。まず、最短撮影距離が30cmまで寄れる。そしてSONYα7ボディーに搭載されている手振れ補正機能、フォーカスピーキング、ピント拡大機能が、有効に働いてくれる。こうしてNoctiluxというモンスターレンズで「手軽に」近接撮影によるボケを楽しむことができる。なんと便利な世の中だこと。まさに「私にも写せます」だ。

  しかし、そうは言ったものの、なおNoctiluxの開放撮影でのピント合わせは厳しい。これだけSONYボディーの最新フォーカスアシスト機能があっても思ったところにきちっとピントを決めるのには修練がいる。なかなかピチッと決まってくれない。厳しい親方はMボディーだけかと思っていたが、このNoctiluxという親方はもっと厳しい。このモンスター名器を使いこなすにはまだまだ修行が足りない。もっともっとピンボケの山を築かないと腕は上がらないのだろう。「千里の馬は常に有れども伯楽は常には有らず」だ。名馬を名馬として見出し使いこなすには名伯楽がいなくてはならない。そしてその名馬は名伯楽を育てるのだ。



掲載の作例は、このSONYα7RII+Voigtlaender VM-E Close Focus Adapter+Noctilux 50mm f.1という組み合わせで撮ったもの。


室内で開放で30cmほどの近接撮影。ピントの幅が極めて薄いことがわかる。
しかしボディー内手振れ補正が機能してくれるのが嬉しい。
おかげで狙ったところにピントがきちっと合った。

屋外で距離1mを超えると写しやすくなる。後ろのボケ方も自然だ。

撮影距離1m以内に寄っても上から俯瞰するように撮れば周辺がなだらかに減光/アウトフォーカスしてくれる。

ピント部とボケのコントラストがライカレンズ独特の立体感を生み出してくれる。
曇天の薄暗い光のなかで威力を発揮するレンズだ。

失敗作。
手前のエッジ部分にピントを置いたつもりが、後ピンになってしまった。手持ち撮影だと体がちょっと動いただけでピントは簡単にズレる。

Crazy Comparison!:

 Noctilux 50mm f.1と双璧をなす名レンズSummilux ASPH 50mm f.1.4による開放での撮影結果を比較してみた。Summiluxの方は非球面化(ASPH)された最新設計のレンズ。開放F値が一段暗い分、ピントあわせが楽であるほか、被写体周辺部のフレアーも少なくてさすがに解像度も高い。こうしてみるとSummiluxは使いやすいレンズということになるが、これはこれで結構なじゃじゃ馬レンズである。なにしろ、出自がXenon 50mm f.1.5を先祖とし、前述のクセ玉Summarit 50mm f.1.5の後継機種なのだから。収差はよく補正され、最短撮影距離も70cmとなり、最新のASPHレンズの性能は素人にも扱いやすいレベルになったが、もともとライカのレンズは開放F値が小さいほど使い手の技が求められる。したがって最も明るいNoctiluxはさらに熟練度を向上させなくてはならないというわけだ。どちらがよいレンズかという問題ではなく、自分の思った表現手段としてどう腕を磨き使いこなすかという問題だ。いずれにせよ使い手の力量、熟練度、そしてセンスを試される厳しさを持ったレンズ達だ。名器とはそうしたものだ。


Summilux ASPH 開放f.1.4
フレアーも少なくすっきりした画になっている
Noctilux 開放f.1
ロゴ部分はしっかり合焦しているが
全体に薄くフレアーがかかっている。





2016年8月16日火曜日

Leica SLとSony α7RII  〜これからの高性能/高品質ブランドとは?〜


初瀬の長谷寺にて

大森貝塚公園にて

 掲載の作品2点はいずれもNational Geographic Your ShotのDairy Dozenに選ばれたもの。 
Leica SL+Vario-Elmarit-SL 24-90mm ASPHで撮影。




 どうも以前から気になっていたのだが、最近のLeicaのミラーレスカメラはSonyのそれとラインアップやテイストがよく似ている気がしてならない。そう言うと両社は必死で否定するのだろう。だが、フルサイズのLeica SLはSony α7シリーズを、APS-CサイズのLeicaTはSony α6000シリーズを、LeicaQはSony RX1を、そしてパナソニックのOEMであるLeica D-LuxはSony X100を意識しているとしか思えない。偶然ではないだろう。そこには両社が置かれているカメラメーカーとしての課題認識と立ち位置、これからの成長戦略に共通するチャレンジマークのようなものがあるように思う。

 Leicaはかつてレンジファインダーカメラの頂点に立ち、その歴史的な勝利を手にした。押しも押されもせぬ大御所としての地位を誇り、そして一転して一眼レフに市場を奪われるという苦い敗北の時代を経験した。そのトラウマからNikonやCanonのような一眼レフカメラ(ミラーあり)に大きな対抗心とコンプレックスを抱いていた違いない。ちょうどNikonが、LeicaM3という不動の名機の登場にほぼ絶望感を抱いたように。渾身の技術力でNikon SPを出したが、市場での評価はM3に及ばず、やがて敗北感を胸に一眼レフNikon F開発へと方向転換した。これが逆転の成功劇の始まりであったことは有名である。そして今、デジタル時代になって、出遅れていたLeicaは一生懸命アナログ銀塩Mボディーにフィルムの代わりにCCDやCMOSセンサー詰め込んで、これがライカのデジタルカメラでございます!とやってみたが、「何じゃこりゃ」反応に戸惑ったに違いない。全くこれまでのカメラ作りとは異なるテクノロジーの変化にとても日本勢には追いついてはいなかった。第二の敗北かと思われるなか、あっという間に10年が経ってしまった。しかし、新たにミラーレスというカテゴリーを自己再定義し、そこにリスタートの機会があると気づく。ヤッタ〜!ここでリベンジしないともうリベンジする時は来ない、とばかりに矢継ぎ早にミラーレスカメラを打ち出してきた。Mデジタル化での試行錯誤とパナソニックとの協業、モンスター一眼レフカメラSの開発で追いついてきたLeica型のデジタルカメラ。ようやくミラーレスで、LとMの成功とライカ判の創始者という名門のジレンマ、保守的なユーザ層、オスカー・バルナックの亡霊から解放された感がある。

 このミラーレス戦略は実はSonyも同じだ。Sonyはそもそもカメラメーカーではなかった。世界に冠たるSonyブランドも陰りを見せているなか、デジタルカメラ市場に参入した。Sonyのカメラの前身は買収したMinoltaのカメラ部門であるから、本来はPentaxと同様に日の丸一眼レフの巨頭の一角を占めていたはずだ。現に旧Minolta αシリーズを引き継いだデジタル一眼レフをSony αとしてラインアップしているところがLeicaとは異なる。しかしデジタル一眼レフの市場ではやはり二巨頭Nikon, Canonの背中は遠かった。一方でSonyは画像センサーやチップなどの電子的デバイスの自社製造という優位点を持っているので、光学プリズムファインダーを排したミラーレスカメラは競争優位を打ち出すにはうってつけの製品だと考えた。しかも軽小短薄路線はSonyの社是みたいなものだ。一時代を築いたトップランナーの成功と挫折、こうした背景を共有していることが、両社のラインアップ戦略とブランド戦略を似たものにしているのかもしれないと勝手に推測している。ちなみにLeicaの新社長が元Sonyの役員出身だということも関係あるのかな? かつてMinoltaとLeicaが提携してLeica CLという小型のレンジファインダーカメラやLeicaflexという一眼レフを共同開発した歴史があるが、これは関係ないだろう。

 こうしたミラーレス重点開発というモチベーションは同じでも、出来上がってくる製品には違いが現れる。この辺は両社のカメラ造りのDNAの違いだろう。

1)コンセプト

Leica SL:ミラーレスは軽量小型カメラ、という常識を見事にぶち破った(!?)カメラ。重厚長大カメラ(バズーカ砲を常時携帯!)になってしまった。日本製のフラッグシップデジイチに比べても重量級である。別に軽量化しようなんて考えてもいないだろうが。

Sony α7:フルサイズにしては軽小短薄ボディー。APS-CサイズのEマウントα6000シリーズのボディーとレンズの異様なアンバランスという軽小短薄路線からスタートしたわけだから。しかし(その意に反して?)結構本格的なレンズ群GやG-Masterを開発するにつれ重量級システムになってきた。

2)レンズへのこだわり

Leica SL:渾身の重厚長大ズームレンズ(ズームでも画質の妥協はない。鏡胴は全金属製でこちらも妥協がない)。現時点では標準ズームの24−90mmと望遠ズームの90−280mmがラインアップされている。一見、長さはNikon, Canonのそれと同レベルに見えるが、その質量は超弩級。焦点距離とf値は同じでも描写性能を重視するとこういうアウトルックになる、という例だろう。

Sony α7:Zeissブランドでスタートしたが、ミノルタロッコールレンズの伝統を引くGシリーズ、さらにはG-Masterシリーズを新たに投入してきた。イメージセンサーの高画素化に対応したレンズ群、すなわち高解像度に加えて滑らかなボケ味を追求した高性能レンズをこれから続々と投入してくる予定だ。こちらも画質に妥協はないが鏡胴の質感はLeicaに比べるとさすがにそこそこだ。適度にエンジニアリングプラスチック素材を使い軽量化を試みる、というの日本的な合理化、コスパ追求、ユーザ利便性追求の結果だが。

3)価格

Leica SL:びっくり仰天価格!SLボディーだけで95万円。標準ズーム24−90が65万円。望遠ズーム90−280が75万円!Nikonのプロ用フラッグシップD5でも60万円だからかなり強気なプライスタグ。しかし、Mシリーズに比べればこれでもリーズナブルと言いたげなプライシングだ。名機は安売りしないというわけだ。

Sony α7:ライカの半分以下の価格。その比類のない性能に比して大きなディスカウントプライスだ。それでもα7R・SIIは頑張って40万円越えの値付け。Gマスターレンズシリーズは20万円越えを設定。ライカが「あんな」値付けをしてくれるので、安心して「こんな」高値がつけられる。


4)コストパフォーマンス

それを言っちゃあお仕舞いよ!なんだろうな。それを求めてはいないのだ。少なくともLeica社は。しかし、Sony α7の描写性能、操作性はLeica SLのそれに劣らないどころか上回っているくらいだ。最新の技術と機能のフルスペックを余すところなく小さなボディーに詰め込んでいるその姿はさすがSony! ボディーやレンズ鏡胴素材を軽量化している分、お道具としての「いい仕事してますね〜感」でLeicaが高得点しているぐらいの感じだ。コスパを語るならSony α7は魅力だろう。こういうLeicaに分の悪い比較コメントは、必ず(高い金払ってしまった)ライカファンからのブーイングがあるのでこれくらいにしておこう。「いちいち他と比べるなよ、そんなカメラじゃないんだから、コッチは」と。

5)写り

デジタルカメラもここまで来たかというこの両システム。特にSony α7RIIの4240万画素CMOSセンサーが叩き出す画は何か一線を超えた感がある。Leica SLのほうはやはりそのレンズの性能へのこだわりが強烈だ。重くなっても、大きくなっても構わない。ズームでも画質優先思想に妥協はしないという頑固さが際立っている。これもズームレンズによる異次元の描写性能の世界を拓いた感じがする。ライカがズームレンズを作るとこうなる、と言いたげ。もっともこのシステムを撮影現場に持ち出すには、しっかりしたストラップと、カメラと交換レンズ群に見合った頑丈なカメラバッグと、三脚と、そして筋トレが必要だが。ちなみにSonyが軽小短薄路線にもかかわらず、レンズが高解像度を目指すに連れ重厚長大化しているのは皮肉。まだまだ軽小短薄高性能レンズへの挑戦は道半ば、という訳か。35ミリフルサイズカメラも高画素化に伴い解像度では中判カメラを凌駕した。ハッセルブラッドが最近中判デジタルカメラを発表したが、結構厳しい戦いになるのだろう。


 これからの「高品質」とブランド価値

 安くて高性能/高品質。それが誰でも手に入れられる。大量生産、大量消費。これを目指してきたモノ造り哲学の結果がすなわちコモディティー化の道であったことに気づいて久しい。革新的と言われる技術の陳腐化のスピードが速くなっている。昨日の差異化要因はすぐに目新しいモノではなくなってしまう。誰でも作れる。ならば製造コストが安い方が(特に海外の途上国)競争優位に立てる。こうして安くていいモノが大量に出回る。製品単価は下がり続け、したがって利益は薄い.... 薄利多売=コモディティー、というモノ造りビジネスモデルのジレンマに陥ってゆく。「高付加価値」は別の形で実現されるべきだ。SonyもLeicaも感性に訴える高品質ブランドの代表であるが、これからの「高度成熟期」のブランド戦略は「高度成長期」のそれとは異なる。コモディティーよりちょっと高級、ちょっと感性をくすぐってカッコイイくらいの差異化要因では存在価値はない。それはすぐに後発競争相手に追いつかれるからだ。これまでのブランドとは違うイメージを再構築せねばならない。例えば、誰もが共有できるみんなと同じ価値ではなく、自分しか持てないストーリー、私だけの喜び。得難い希少性。すなわちexclusivityのような。「モノより経験」といった、モノから出てそのモノを超えた世界を提示してみせるような。その点ではLeicaの挑戦が興味深い。「遅れてきた名門ブランド」が新たな勝ち組の世界を築いてゆくのか...

 「デジタル化」という究極の標準化・合理化テクノロジーのなかに、どのように人とは違う自分だけの「味」とか「感覚」「感性」といった非標準的、非合理的な「曖昧さ」を伴う価値を醸し出すか。それを所有し使うことによって、人とは異なる世界を表現できるか、体験できるか。新たなパラダイムシフトの時代に入った。そうでなければどんどんコモディティー化という負のスパイラルに巻き込まれてゆく。ビジネスをする側もブランド価値を高めて行かないと事業継続の意欲を失って行くだろうし、買い手もワクワクしない。スマホのカメラで十分だ。いやスマホの方がワクワクする。あらたなブランド・エクイティーを築くのは誰なのだろう。こんなビジネスの世界も、線形物理学的な合理性ではなく、1+1=2にならない非線形系と、連続性が保証されない離散系といった複雑系の「合理性」の時代へと突入してゆく。イノベーションとはそうした中で起こるべきものだろう。



左から、Sony α7, Leica SL, Nikon D800
Nikonは一眼レフ(ミラーあり)だ

Leica SLと Sony α7サイズ比較
Sonyも最新のレンズを装着するとかなりの重量級となるが