今年はいつまでも寒くて、しかも週末ごとに雨や曇り空で春遠しという感じだ。3月20日の春分の日にようやく晴れとなり、勇躍、ゲットしたばかりのFujifilm X-Pro1とレンズ三本バッグに詰め込んで、梅田から大和路快速に飛び乗った。なかなか、この新機材が活躍出来る機会が無くてうずうずしていた。
今日は奈良の「三名椿(ちん)」巡り。
誰がどういう理由で選んだのかわからないが、伝香寺の「散り椿」、白毫寺の「五色椿」、東大寺開山堂の「糊こぼし椿」が、三名椿と言われている。
1)まずは伝香寺の「散り椿」。奈良市内の中心、三条通からやや南に下った小川町、率川神社の隣に位置する。ここは筒井順慶一族の菩提寺であるそうで、創建は聖武天皇の時代。あまり観光ガイドに出て来ない小さな寺で、日頃は公開されていないが、椿の季節の休日に一般公開されている。現在の境内はそのほとんどが幼稚園の園庭になっているが、御本尊釈迦如来のおわします本堂前の椿の古木がその「散り椿」だ。
この「散り椿」は別名「武士椿(もののふつばき)」とも呼ばれている。椿は散る時に。ボトリと花ごと落ちるが、この椿は、花びらがハラハラと散るので、武士のように潔い,という事で名付けられたそうである。なかなか見事な立ち姿の古木で、本堂、石仏背景に画になる椿である。ちょうど見頃を迎え、ピンクの花弁がバラの様でもあり美しい花姿だ。つぼみもイッパイついていたのでしばらく見頃が続くと思われる。
早くも散り始めた花びらが石仏の辺りに舞い落ちる有様に思わずシャッターを押す。確かに椿の散華は紅い花びらに黄色い花心の花ごと転がっている様が普通だが、この「散り椿」は美しいピンク色の花びらが楚々と散っている。
2)次は白毫寺の「五色椿」。三条通を西に向い、ならまちに折れ、さらに西、春日山に向ってひたすら歩を進める。緩い勾配の高畑町を抜けて、新薬師寺辺りまで来ると、大阪の民放主催のウォークラリーの一団に遭遇。すごい人の群れだ。幸いにも新薬師寺がゴールだったと見えて、さらに白毫寺まで歩く行列は無い。長大な列を横切って、一路白毫寺町の古い町並みを抜けて白毫寺へ向う。
ここは、春は椿、さくら、秋は萩と紅葉、という花の寺として有名だ。何度か足を運んだ事があるが、坂を上り、萩と椿の石段を上り切ると、古い土塀越しに、奈良市内が一望できる。ふと一息入れて伸びやかな気分になる瞬間だ。
ここの五色椿は、一本の木で、紅、白、桃、絞り、大絞りの五色のは花を咲き分ける珍しいもので、天然記念物にも指定される古木であるが、残念ながら、まだほとんど花は咲いていなかった。春分の日ではまだ早すぎたようだ。寺の人に伺うと、今年は寒さで開花が遅いこと、例年でもだいたい盛りは3月下旬から4月初めだそうだ。
それでも五色椿以外の山椿は盛んに咲き誇っていて、そろそろ散華の舞を演じている木もあった。特に居並ぶ石仏に降りかかる紅椿の黄色い花弁が、彩りを添えてそこはかとない美しさを醸し出している。寺の方の配慮か、蹲や歌碑、古木のウロに落花を配して、そのはかなげな椿の散華を演出しているのが心地よい。わざとらしくないアレンジメントが、まるで生け花の心を持っているようで、「人の手の加わった自然美」もまた良しであると思う。
3)最後は、東大寺開山堂の「糊こぼし椿」だ。白毫寺からは延々春日大社を横切って向う。つい先週までお水取りが行われていた二月堂の正面に立っているのが開山堂。この「糊こぼし椿」の名は、二月堂のお水取り儀式に使う造花の椿の赤に、間違って白い糊をこぼしたような模様が入っている事から来ているそうだ。
ところで、東大寺の開祖は誰なのだろう。聖武帝のもと、東大寺造営を指揮した行基は、東大寺完成を見る前に世を去っている。もちろん鎌倉期に戦乱で荒廃した東大寺の再建、勧進を指揮した重源ではないだろう。良弁僧正だそうだ。知らなかった。故にこの椿は「良弁椿」とも呼ばれている。
この開山堂は非公開なので中には入れない。門から覗いたり、隣の四月堂の縁石に登って塀越しに覗いたりで、ようやく堂横の椿の木が見えたが、花は咲いていないようだ。早すぎるのか、終わってしまったのか。手前に紅梅が盛りを迎えているのが見えるのみだ。
寺の配慮で、四月堂の縁に、この赤地に白い斑の入った「糊こぼし椿」三輪が水盤に浮かべられて、目を楽しませてくれている。ちょうど開山堂を塀越しに覗ける位置に、この水盤がおかれているのが憎い。見たい人が多いのは当然だし、かといって聖域にみだりに観光客を入れたくない寺側の思いがそこに置かれている。
以上が、駆け足で廻った「奈良三名椿」鑑賞の旅である。奈良は何度行っても新しい発見があるが、こうした花にまつわる散策もまた良しだ。
(撮影機材: Fujifilm X-Pro1, Fujinon 18mm, 35mm, 60mm)