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2024年7月5日金曜日

古書をめぐる旅(52)A History of the English-Speaking Peoples:Winston S. Churchill:チャーチル著「『英語諸国民の歴史』〜 イギリスはヨーロッパなのか?第二弾〜


Winston S. Churchill  A History of English-Speaking Peoples, London, 1956~58

Sir Winston S. Churchill (1874~1965)
(Wikipedia)



今日、イギリスは総選挙の結果が明らかになり、労働党が大勝し14年ぶりに政権交代となった。首相となるキア・スターマー:Kier Starmerは労働者階級出身で中道左派。専制主義と極右ポピュリズムの亡霊が世界を覆う世の中に、イギリスでも大敗した保守党の票の一部をファラージ率いる民族主義新党Reformが奪ったものの、議会制民主主義の母国イギリスで中道政権が圧倒的な票差で選ばれたことは意義深い。内政問題山積のイギリスで、外交にどれほどの力量を発揮できるのか未知数だと言われている。外交政策はヨーロッパとの関係を重視する立場ではあるが、労働党政権になっても保守党政権時代に国民投票で決まったBrexitは変わらないだろう。ただアメリカでトランプが大統領になると英米関係には大きなギャップが生まれることだろう。これをどう乗り越えるのか。これからイギリスはどこへゆくのか?そして迷走のアメリカこそどこへゆく?

2019年3月26日のブログ、 時空トラベラー  The Time Traveler's Photo Essay : イギリスはヨーロッパなのか?: のなかでウィンストン・チャーチルの著作『英語諸国民の歴史』に言及した。まさにこの時世に合わせたように、その全4巻を入手することができたので紹介したい。この混沌とした時代にチャーチルの歴史観と政策の現代的意義を噛み締めてみたい。1956年に初版がロンドンで刊行された。チャーチルは政治家としてだけでなく、著述家、歴史家としても名を残しており、『第二次世界大戦回顧録全6巻』1948~54やこの『英語諸国民の歴史全4巻』1956~58などの大著を世に出しており、1953年にはノーベル文学賞を受賞している。もっとも本人は文学賞ではなく、政治家として平和賞を望んでいたそうだが。


本書の構成:

イギリスという国の成り立ちから、エリザベス一世の絶対王政、イギリス革命の時代、大英帝国の成立、ヴィクトリア朝まで、英語を共通言語とする国々、すなわち旧大英帝国とその植民地、自治領(ドミニオン諸国)の通史を4巻にまとめたものである。

第1巻:ブリテンの誕生:The Birth of Britain
第2巻:新世界:The New World
第3巻:革命の時代:The Age of Revolution
第4巻:偉大なる民主主義:The great Democracies

ブリテン島は古代ローマ時代にはケルト人やゲール人が住む辺境の島であった。その後、ローマ帝国に征服されブリタニア属領になるが、ゲルマン人の移動や、バイキング(デーン人)の侵入、さらにはノルマン人の侵入など、大陸からの絶え間ない異民族の侵入にさらされてきた島であった。ようやく11世紀、1066年の『ノルマンの征服』で土着のサクソン王ハロルドを大陸から侵攻してきたノルマンディ候ウィリアムが破り、ノルマン王朝を打ち立てイングランドを統一した。これ以降ブリテン島に異民族が侵入し王朝が交代するする歴史に終止符が打たれた。しかしブリテン島はヨーロッパ大陸の周縁部という地政学的な立ち位置から、絶え間なく大陸との人の出入りがあり、イングランド王がブリテン島と大陸に領地を持ち、その攻防を繰り返し、その過程でフランスの領土を失った失地王ジョンが、貴族の議会によりマグナカルタを認めさせられるなど、近代につながる政治思想、政治制度、法治主義という文化と歴史の発祥の地となった。16世紀後半にはチューダ王朝のヘンリー八世、エリザベス一世の時代にイングランドは強力な絶対王政を確立し、ローマカトリック教会から離脱して英国国教会(プロテスタント)を立てる。さらにはスコットランド王メアリーを処刑して、イングランド王がスコットランド王を兼任する。さらには当時、大航海時代を切り開いた大国スペインの無敵艦隊を破り、ヨーロッパの辺境国から七つの海を支配する世界帝国への道を歩み始めた。新大陸アメリカ植民事業を進め、アフリカからの奴隷貿易により北米植民地の綿花を輸出商品に育てた。1600年にはインド植民事業を担う東インド会社を設立した。17世紀には王政の廃止、王政復古、ピューリタンによる革命など、「イギリス革命」の時代となり、名誉革命、権利の章典で立憲君主制への道を歩み始める。18世紀にはアメリカの独立でカナダ以外の北米植民地を失うことになるが、産業革命と植民地獲得により地球の東へ遠征を進めてゆく。こうして19世紀になるとヴィクトリア女王のもとイギリスは大航海時代における覇者となり、オランダから奪った南アフリカ、西インド諸島、中東、インド、ビルマ、マレー、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、さらには香港を中国から割譲され植民地化して「日の沈まぬ大英帝国」全盛時代を誇った。いわゆるパクスブリタニカの時代だ。

そして本書には記述されていないが、そのイギリスの時代(パクスブリタニカ)は17世紀にヨーロッパを脱してから、20世紀に第二次世界大戦で勝利したにも関わらず、多くの植民地が独立し、アメリカの時代(パクスアメリカーナ)を迎えることとなり終焉を迎える。そして冷戦時代をアメリカと共に生きてゆく道を歩み始める。チャーチルはその前史を俯瞰する中から、戦後のイギリスの立ち位置を指し示してきた。


『アングロ圏構想』という妄想?

本書で描かれたこの七つの海を支配した大英帝国の栄光の歴史はイギリスの人々の記憶から消え去ることはない。かつてあのローマ帝国の属領であったブリタニアが、そのローマ帝国をも遥かに凌駕する世界帝国になったという歴史の記憶がイギリス人の国家意識の基層にある。そして英語が世界の共通言語になったという自負。Brexitは、そんな栄光のイギリスはヨーロッパの一国となってEUのルールのもとでこじんまりと余生をおくる老大国でいいのかという思いは意外に強い。そういったノスタルジアだけでなく、かれらはヨーロッパの大陸諸国よりも、英語を母国語とする人々、共通の君主をいただく立憲君主制、自由主義に基づく議会制民主主義、コモンロー、英国風のライフスタイルに共感してくれる人々、国々との連帯感の方が強い。そういう意味でイギリスはヨーロッパ、EU:European UnionではなくBC:British Commonwealthなのだ。すでにかつての植民地は独立していても、その共通言語英語と共通の自由主義的、民主主義的政治制度、共通の文化的バックグラウンドという紐帯は、地理的に近いヨーロッパ地域との紐帯よりも強いのである。そんな心情がイギリス人の底辺に潜んでいる。こうした考え方は、戦後これまでも多くのイギリスの政治家や政治思想家によって夢想されてきた。いわゆる「アングロ圏:Anglosphere」という概念あるいは構想だ。同じような構想にCANZUK:Canada/Australia/New Zeeland/United Kingdomというのもある。すなわちイギリスとイギリスからの移住植民地(カナダ、オーストラリア、ニュージーランド)、すなわち旧自治領・ドミニオン諸国(British Dominion)。それにアメリカ合衆国を加えた、いわば「アングロサクソン共栄圏構想」である。これには大英帝国の属領としての南アフリカ、西インド諸島、インドやビルマ、マレー半島、香港は入っていない。白人中心の移住植民地、あるいはそこから独立した国の集まりである。あまり現実的な構想であると思われてはいないようだが、今でもそういうレトリックが語り継がれているところに、この構想(妄想)の根強さがある。

ウォルトン作曲の『英語諸国民の歴史のための行進曲』という曲がある。これはウインストン・チャーチルの『英語諸国民の歴史』を堂々たる行進曲にしたものだ。英語を共通言語とする世界、すなわち大英帝国の歴史を高らかに歌った作品だ。ロンドンのロイヤルアルバートホールで毎年夏に開催されるクラシック音楽の祭典、プロムス:Promsで必ず演奏される曲である。このプロムスは単なる音楽祭ではない。大英帝国の栄光をみんなで共有し、思い起こし、讃えようという一種の国威発揚イベントだ。参加者全員がユニオンジャックを打ち振り、感涙に咽びながら声を合わて「威風堂々」「Rule Britannia !」を斉唱する。戦争に負けた日本にはあり得ない愛国的高揚感が堂々と披瀝されている。この辺が戦勝国イギリスと敗戦国日本の違いだ。歴史に対する悔悟の念も遠慮も感じられないこのストレートな愛国表現には違和感も感じるが、少なくとも負ける戦争は絶対すべきではないと感じさせられる。

この様な戦後のイギリス人の心情の底辺にうごめくかつての栄光へのノスタルジアや愛国心に基づく観念を読み解くと、Brexitは必ずしも不思議な動きではないことを理解させられる。たしかにかつての大英帝国構成地域(英連邦とドミニオン諸国)の現在の市場規模は依然としてイギリスにとって無視できないだろう。しかし、現在の地政学的環境の変化、経済活動や市場のグローバル化、アジア地域の経済躍進の時代に、時間を巻き戻してかつての大英帝国時代の観念に戻ることはない。肝心のアメリカは再びトランプが大統領になった時点で、America Firstを取り、どこの国・地域であれ二国間貿易協定を主張して譲るつもりはないし、ヨーロッパの安全保障を請け負うつもりもない。カナダは大西洋を隔てたイギリスやフランスよりも、国境を接したそのアメリカとの二国間自由貿易連携にしっかりと取り込まれてThe Americasの国として生きている。オーストラリアやニュージーランドは発展するアジア経済圏の中で生き残る道を、白豪主義の放棄、移民政策の転換も含め突き進んでいる。安全保障はイギリスではなくアメリカに依存している。かつての移住植民地は遠く離れた母国イギリスとの歴史的、文化的、精神的、そして言語的な紐帯はともかく、それぞれの地政学的な立ち位置を認識して新たな生き方を歩み始めている。そういう21世紀の時代にナショナリズムを前面に出して物事を整理、理解、決定してゆくやり方は、結局アメリカのトランプのAmerica First, Make America Great Againとなんら変わりはない。あるいはヨーロッパ大陸諸国におけるナショナリズム、反移民を謳う極右政党が多数の支持を獲得しポピュリズム政治に傾斜してゆくのと同じ道ではないのか。ロシアや中国の様な専制主義国家が国際的な融和と協調よりも、自らの支配権力の確立と自国利権優先主義を、武力行使を含めて推し進めていることに危機感を覚えるが、それ以上にこれに対抗するはずの『自由と民主主義のアライアンス』が崩壊の危機に瀕する事態を見たくない。人類がその歴史の中で血で贖いながら築き上げてきた『普遍的価値』が音を立てて崩れていくのを看過するわけにはいかない。イギリスはその『普遍的価値』を生み出してきた国ではなかったか。アメリカはその『普遍的価値』を新大陸に実現するために独立戦争を戦った国ではないのか。


チャーチル『英語諸国民の歴史』が伝えるものは?:

ウィンストン・チャーチル著『英語諸国民の歴史』(1956~58年刊)が、こうした『アングロ圏構想:Anglosphere』の元祖のように取り上げられがちである。しかし彼がこれを表した時代は1956年、冷戦真っ只中である。単純に大英帝国の夢よもう一度!などというナイーブな愛国的妄想を抱くほどチャーチルは未熟でも愚かでも懐古趣味でもない。アングロサクソンの栄光の歴史を賛美しつつも、通史として英語諸国民が築き上げ、引き継いできたレガシーを振り返ることで、彼はこれからのイギリスとコモンウェルス諸国が生き残る道を説いているのである。とりわけ、イギリスの目の前に立ちはだかっているアメリカ合衆国(イギリスから生まれた)との付き合い方について示唆しているのである。英語諸国民のレガシーとは何か。アメリカとそれをどのように守り継いでゆくのかということである。

チャーチルは『英語諸国民の歴史』のなかで『アングロ圏:Anglosphere』という概念を使わず,『英語を使用する諸国民:English-Speaking Peoples』という概念を用いている。彼は、英語を使用するアングロサクソン民族の政治的・文化的業績を賞賛している。アングロサクソンは絶えず戦争に勝ち,貿易を拡大し,自由・安全保障・福祉を促進したが,それらはすべて自由主義的な政治文化と制度のおかげであると述べる。彼は,アングロサクソンの文化的優位性を信じていたが,他の民族に対して人道的に振る舞う義務があるという自由主義的な信念も持っていた。それゆえ,彼はナチス・ドイツによるアーリア人の優越性や反ユダヤ主義を鋭く批判し,イギリスはヒトラーに対して最後まで戦うと宣言したのである。第2次世界大戦が勃発すると,チャーチルはアメリカがヨーロッパ戦線に参加するように説得した。しかし、アメリカがイギリスに対して行った支援は,イギリスの戦争遂行を支えるために必要な政策であると同時に,アメリカが自由主義的な国際秩序の形成を推進し、大西洋憲章に示された民族自決の原則をヨーロッパの帝国主義国,特にイギリスに尊重させるために必要な政策でもあった。アメリカはイギリスの戦争遂行を支援する一方で、イギリスはアメリカによってその帝国主義的野心を放棄するよう圧力をかけられることになった。ここでチャーチルは英米が共有する歴史的紐帯を思い起こさせるためにためのレトリックとして英語諸国民の共通の歴史と将来の団結について言及した。チャーチルにとって、英語を共通言語とする英米の深い歴史的関係を強調することは,植民地帝国は解体に向かうが、イギリスの利益を保護し,アメリカの野心を尊重する新しい国際秩序を形成するための基礎であり,西側諸国の安全保障と繁栄を守り,自由主義的文明の新時代を築くために必要なものであった。そして、本書ではその歴史的根拠を語っているのである。

チャーチルが英米の特別な関係を初めて公にしたのは,戦後の1946年3月5日にアメリカで行った歴史的な「鉄のカーテン」演説であった。この演説のなかでチャーチルは「英米は議会制民主主義や自由主義、コモンローという共通の遺産によって結びつけられており,それは数世紀にわたって進化し,これまでの幾世代の移民によって世界各地に伝道されて来た」と壮大な叙事詩をアメリカ国民に語りかけたチャーチルのこの歴史観は人々の心を打つものであったし間違ってはいない。脱植民地化は大英帝国を崩壊させたが,自由,民主主義,法の支配といった『普遍的価値』を共有する緩やかに結合した共同体を残したからである。「鉄のカーテン」演説は,英語使用諸国民がナチス・ドイツのファシスト枢軸に対して勝利し,彼らが新たに直面するソビエトの共産主義に対する戦争(冷戦)に乗りだす時に行われた。まさに戦後レジームを創造した重要なリーダーの一人がチャーチルであった。

チャーチルは戦後レジームの中でのイギリスの勢力圏を次のように示した。第 1の勢力圏は英連邦:British Commonwealth,第 2の勢力圏はドミニオン諸国とアメリカ,いわば『アングロ圏:Anglosphere』、第3の勢力圏は連合ヨーロッパ( United Europe)であり,イギリスはそれらの勢力圏の結節点にあると主張した。しかし,チャーチルにとって,連合ヨーロッパ、のちのEUへの関与は,冷戦下におけるイギリスの安全保障と英米同盟への関心に比べれば 低くならざるをえなかった彼にとって核心的な問題は、ソ連、共産主義の侵略の可能性があるなかで、アメリカが西ヨーロッパに防衛的な関与を続けるか否かであった。現代のNATOの置かれた状況に類似する。一方で、確かに 1960年代になると,アングロ圏やコモンウェルス市場はイギリスにとってそれほど大きな経済的利益を生まなくなり,イギリスが連合ヨーロッパの一員となって再出発することを望む声が大きくなった。そしてEUに加盟することとなった。しかし,アングロ圏構想は消え去ることなく冷戦終結後に復活することになるのである冷戦終結後の世界においても、依然としてソ連の残滓であるロシアの専制主義の危険性は薄れておらず、むしろウクライナ侵略に見られるような剥き出しの軍事力による脅威が増している。そんな中イギリスとその仲間達にとって安全保障の観点からアメリカが(ヨーロッパ諸国よりも)、以前にも増してより重要であるという認識が生まれることも不思議ではない。その重要性を強調し、アメリカの繋ぎ止めに、チャーチルが用いた『英語諸国民』が共有する普遍的価値観というレトリックとして強調してみせることの重要性が再認識されている。アメリカには今も昔も、基本的にはヨーロッパや他国のことに関心を払わない自国優先の伝統がある。トランプの『America First』は今に始まった話ではない。しかし、アメリカは民主主義と自由、法の支配、自由貿易という『普遍的価値』を共有する国として、戦うべき相手が現れた時には勇猛果敢に登場してきた(ナチスドイツ、ファシズム、共産主義との戦い)。それは、その登場を促したチャーチルのような有能な政治家にして歴史思想家がいたからとも言える。残念ながら今のトランプを『普遍的価値』や自由のための戦いに引っ張り出せる現代のチャーチルはいるのだろうか。新首相スターマーにそれを期待したいが、トランプを大統領に選んでしまうアメリカ人の心を打つレトリックで『普遍的価値』に基づく紐帯を語れるのか。もはやチャーチルの『英語諸国民』というレトリックはトランプには通用しないだろう。そもそも『普遍的価値』をトランプは共有しているのだろうか。世界は新たな局面に入りつつある。


日本への眼差し:

ところで、チャーチルは本書で日本をどのように位置付けているのだろうか。もちろん日本は英語諸国民の国ではないし、大英帝国の植民地であったこともないので、本書でも多くの紙幅を費やしてはいない。それにしてもチャーチルは日本に関する知識も関心もはそれほど高くなかったようだ。索引で見ると「Japan」は全4巻通じて2箇所しか出てこない。日露戦争と第一次大戦後の建艦競争と軍縮交渉の場面だけだ。日英両国の17世紀のファースト・コンタクトも19世紀のセカンド・コンタクトにも触れられていない。そもそも極東の外交課題にはそれほどの関心を寄せていなかったが、日英関係の長い歴史、イギリス王室と日本の皇室の交流を重視し、東洋における国の中で日本は別格の扱いであった。ただ、現実の外交政策では、もっぱらヨーロッパやクリミアにおける対ロシア対策で日英同盟が極東側からロシアを牽制するのにちょうど良い同盟であると考えていた。日本が引き起こした満州事変についても、大英帝国がインドでとった帝国主義的な手法と共通するものであって、日本の利権確保がイギリスの利権に影響を与えるものでない限り、非難する意図はなかったと言われている。しかし、満州権益に強い利害を有し、日本の帝国主義的な大陸進出に懸念を抱いていたアメリカからの強力な圧力を受けて、アメリカとの関係を重視する立場から1921年イギリスは日英同盟を終了した(更新しなかった)。さらに満州事変から日中戦争へと事態が拡大してゆく中で、中国におけるイギリス利権に脅威が感じられるとアメリカに背中を押され反日政策に転換していった。もともと歴史上も日英両国は良好な関係にあったし、ユーラシア大陸の東西両端に位置する島国という共通点もあり、ロシアという共通の仮想敵を抱え、利権をめぐって対立する関係でもなかった。それだけにチャーチルにとっては、日本を敵対国と見ることには抵抗があり、戦争直前まで日本融和策を取ろうとしていた(駐英大使重光葵の回想)。ただやはり、ホームであるヨーロッパにおいてナチスドイツやソ連の共産主義のような脅威に備えることと、第一次世界大戦後、急速に力をつけてきたアメリカとどのように安全保障上のアライアンスに組み込むか、といった問題こそ核心的課題であり、それに比べると日本は良くも悪くも喫緊の課題になりにくかった。しかし、日中戦争の拡大でイギリスの権益が脅威にさらされ、資源を求めて南方進出して来た日本にアジアの帝国植民地が攻撃されるに至っては、アメリカと歩調を合わせざるを得ない所へ追い込まれた。ダメおしはイギリスの正面の敵ナチス・ドイツと日本が同盟を組むに至ったことである(のちにチャーチルは「回顧録」で日英同盟を破棄したことは間違いであったと回想している)。歴史にタラレバはないというが、あのとき、チャーチルを含め日英両国の指導者にもう少し歴史を振り返り、将来に向けて俯瞰的な視野があれば、その後の歴史は変わっていたかもしれない。明治維新以来の同盟関係にあった日英両国。イギリスを味方につけることが出来なかった日本。アメリカに唆されて日本を見放したイギリス。敗戦国のリーダーとして処断された親英米派の広田弘毅や近衛文麿の悲劇とともに、戦勝国のチャーチルの政治家、歴史家としての評価も、この点においては減点されなければなるまい。


Volume I: The Birth of Britain

Volume II: The New World

Volume III:  The Age of Revolution

Volume IV:  The Great Democracies

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