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2024年11月5日火曜日

養玉院如来寺「五智如来」参拝 〜江戸の在には有難い仏がおわします〜



五智如来坐像



連休最終日は「文化の日」。秋晴れの良い天気。久しぶりに古寺巡礼。と言っても、とんとご無沙汰の大和古寺巡礼でも、京都古寺巡礼でもない。地元の養玉院如来寺というお寺である。このお寺があることは以前から知っていたが、こんなありがたい御仏がおわしますとは!と改めて発見する参拝であった。江戸の在、鄙には稀なる御仏、金剛界五仏が鎮座まします。

養玉院如来寺は品川区西大井にある天台宗の寺。「大井大仏(おおぼとけ)」と呼ばれている五智如来坐像で名高い寺院だ。しかし殷賑な通りや街中にあるお寺ではなく、江戸時代なら荏原郡大井村の金子山の麓、現在は静かな住宅街となっている一角にひっそりと佇む寺だ。通りに面して立派な門がある(平成元年落慶)。中へ入るとまるで別世界のような空間が広がる。決して広くはないが奥行きのある境内には趣のある本堂と五智如来が鎮座まします瑞応殿、秋には紅葉、春には桜が楽しめる古刹の趣がある。

この寺は江戸時代初期(寛永年間)に上野寛永寺近くにあった養玉院と、芝高輪の泉岳寺近くにあった如来寺が明治末期から大正にかけてここに移築移転、合併してできた寺である。関東大震災や戦災で無惨な姿となったが、戦後再建された。そういう意味では比較的新しい寺だ。

養玉院は、平安時代創建と伝わる寺が起源であるそうだが、寛永年間に天海僧正によって移築され、上野の寛永寺塔頭三明院として開かれた古刹。その後江戸の下谷に移った。対馬藩宗家の菩提寺となり、宗家の令室の遺言で養玉院と改称した。

如来寺は寛政年間に芝高輪の泉岳寺近くに、木喰但唱上人によって創建された寺。堂内に五智如来を造立した。座高3メートルを超える大きな五体の仏像で「芝大仏(おおぼとけ)」として評判になり、江戸名所図会にも描かれている。東海道品川宿へと続く人通りの賑やかなところなので江戸の名所となり、年間を通して大勢の参拝客があった。大和高取藩植村家の菩提寺になる。

明治末期になって芝高輪から如来寺が現在地に移転。さらに養玉院が1923年(大正12年)に下谷から移転。二寺が合併して養玉院如来寺となった。なぜ江戸を離れて荏原郡大井村に移転したのか?廃藩置県で対馬藩宗家、大和高取藩植村家という大名檀越がなくなり、寺の維持が難しくなったことや、関東大震災後の再建が困難であったことが大きな理由のようだ。廃仏毀釈の影響もあったのか。何やらありそうだが詳細は不明。

寺の本尊は養玉院から伝わる阿弥陀如来立像。平安時代末期作と伝わる。無量光殿阿弥陀堂に安置されている。もともと平家の知盛の持仏だったが、壇ノ浦の戦いで平家が滅び、安徳天皇が入水したときに海中に沈んだとされる。それが時を経て対馬に流れ着いて宗家の持仏となったと伝承されているようだ。そんな!と思うがだいたい縁起、由来とはこんなものだ。宗家は渡来系の秦氏の末裔と言われるが、これ以降桓武平氏を名乗る。そのためにこの仏像流転のストーリーが必要だったのだろう。

五智如来は芝高輪の如来寺の仏であった。大日如来を中心に、東の薬師如来、西の阿弥陀如来、南の宝生如来、北の釈迦如来の五仏で、密教世界、金剛界の五つの知恵を表す。江戸時代初期1635年(寛永12年)の造立であるが、その後火災で焼け、薬師如来以外は後世の1746年(延享3年)に再建された。やがて、大日如来(現世安穏、所願成就)、薬師如来(病気平癒、無病息災、滅罪)、阿弥陀如来(現世安穏、極楽浄土)、宝生如来(福徳財宝、病気平癒)釈迦如来(知恵聡明)という現世利益を求める庶民信仰の対象となった。現在の場所は人通りの多い、あるいは交通アクセスの良いところとは言えないので、参詣者で賑わうと言うわけには行かないだろう。それにしてもこの3mを超える5体の大佛(おおぼとけ)は荘厳である。西大井に突然、金剛界五仏が降り立ち密教曼荼羅世界が出現した。5体の如来のお顔はつい最近まで赤銅色であったが、金鍍金が施された。元のお顔もそれはそれで良かったが、やはりライトアップされた黄金に輝く御尊顔は神々しい。

全国に五智如来坐像が安置されている寺はいくつかあるが、最も古い五智如来坐像は京都の安祥寺で平安初期の9世紀の作。中心仏の大日如来像は京都国立博物館に置かれている。高野山三昧院多宝塔には運慶作と言われる五智如来坐像が安置されている。こちらは鎌倉時代の作。空海の教王護国寺である京都東寺の立体曼荼羅には21体の仏像が並んでいるが、その中心に位置しているのが五智如来像である。そんな五智如来がご近所さんだなんて誠に有難いことだ。


大日如来像



「瑞応殿」扁額

五智如来像が安置されている瑞応殿 
1624〜44年(寛永元年)建立、1760年(宝暦10年)再建。明治末に移築

春は桜、秋は紅葉が

紅葉はまだまだ

阿吽の仁王像


左手が本堂 元は養玉院本堂で1628年(寛永5年)建立。大正12年移築 奥が瑞応殿


無量光殿阿弥陀堂

阿弥陀堂から新幹線が見える

対馬藩宗家墓所

大和高取藩植村家墓所

荏原七福神 布袋様







山門



五智如来御朱印




アクセス:
JR横須賀線西大井駅から徒歩10分
都営地下鉄浅草線馬込駅から徒歩10分

拝観:
午前9時〜午後4時 無料

(撮影機材:Nikon Z8 + Z Nikkor 24ー120/4、Leica M11-P + Tri-Elmar 16-18-21/4)









2024年11月1日金曜日

Leica Q3 43登場 〜28mmと43mm どっちが良い? " It's up to you."〜

Leica Q3 43(Map Camera)


 今年の9月に新製品Leica Q3 43が発売になった。,今日、予約していたものがようやく入ってきた。人気のライカだが今回は予約から1ヶ月待ちでゲットなのでまあまあか。

先行モデルQ3(28mm Summilux付き)は2023年6月に発表されたので、およそ1年3ヶ月ぶりの派生モデル誕生だ。何が違うのか?要するに、これまでのQシリーズは2015年の初代以来、レンズは28mm Summilux f1.7であったが、43mm Apo Summicron f.2という新しい画角のアポを冠する高性能レンズが登場した。すなわちQ3に28mmか43mmかの選択肢が出来たというわけだ。どちらが良いか?どちらのレンズを評価するかだが、「それはあなた次第:It`s up to you.」ということだろう。ライカ社が新設計したという43mmという変わった画角のレンズが搭載されているのだが(往年のライツミノルタの45mmを思いだす)、どうやらパナソニックが開発、製造したようだ。28mmから43mmになったので、Q3につきもののデジタルズームなるクロップの画角は60mm(3000万画素), 75mm(2000万画素), 90mm(1370万画素), 120mm(770万画素), 150mm(500万画素)と望遠寄りに設定されている。センサーサイズが6000万画素もあるのだから90mmくらいまでは十分な画質。最短撮影距離は60cm(Q3は30cm)であまり感動的ではない。最新のMズミルクス50mmでは最短は45cmだ。マクロ切り替えで27cm(Q3は17cm)まで寄れるが、思ったより老眼だ。一応テーブルフォトや花の撮影にも使えるが、28mmの近接撮影感覚に慣れた目にはちょっとガッカリ。外観はボディーの張革がグレーになった。オシャレというのもあるがQ3(ブラック)と区別しやすくしたのだろう。重さは51g増加(794g)。これはレンズの重さであろう。それ以外は画像エンジン、画像センサーなどの中身、外観ともにほぼQ3と同じ。価格は10万円ほど高くなった。ただ、問題が一つ。Q3で使えたフィルター(口径49ミリ)が使えない。付属のレンズフードにフレアーカッターが装着されたため、フィルター枠が干渉して装着できないのだ。薄型フィルターなら良いのか?それでもマクロモードに設定するとやはり干渉する。なぜフードをもっと深くしないのか?レンズ鏡胴が長くなった分をサイズをQ3と同じにするためにフードの深さを浅くした。そのためフレアーカッターを内蔵したことでフィルターが装着できなくなった。デザイン優先の設計。Does this make sense? この設計思想に合理性はあるのだろうか?ちょっと残念だ。

新設計レンズ、アポ・ズミクロン 43mmは、最高の高光性能を誇るだけあって試写してみるとなるほど解像度、ダイナミックレンジ、コントラスト、どれをとっても素晴らしく、アポクロマート補正により周辺部の色収差がよく抑えられている。絞り開放から安定した画像が得られるので、被写界深度以外で、画質向上のために絞り込む必要はない。パナソニック製なのかもしれないがライカらしいテイストのレンズ。4枚の非球面レンズを採用した豪勢なレンズで、かつ、その一部のレンズを前後に動かすインナーフォーカス方式をとっている。それでいてコンパクトな鏡胴に収まっている。このガラスの塊のせいで重量51g増、レンズ長5mm増になったと考えると納得できる。高画素機には高解像レンズが必須だし、DNGで撮って、ポスプロで画作りする人間にとって、弄っても画質が劣化しない高解像度で収差や破綻のないレンズは重要なインフラだ。それにボケ味も重要な要素だ。作例のようにマクロでもクロップしても画質が大きく劣化しないし、フォーカス部のピントとアウトフォーカス部のボケのコントラストも良好。高画素機+高解像レンズではもうクロップは禁じ手ではない。もちろん120mm,150mmにクロップしても、元が43mmなので望遠レンズの圧縮効果は得られない。そういう性質を理解して使うべきだろう。確かにこのレンズはゴージャスだ!あとはいつもの悩み、価格だ。M用のアポ・ズミクロン50mm、35mmがいずれもレンズだけで100万円を軽く超える価格なので、それに比べるとQ3 43は安い!?と、相変わらずライカ中毒患者にしか通じないコスパ感覚が心の中に湧き起こってくる。やはり病気だ。免疫力をつけるためには買い続けるしかない恐ろしい病気だ。それに金銭感覚麻痺という副作用がついて回る。ライカ中毒から抜け出して「社会復帰」する道は険しい。

ライカ社はフラッグシップ機であるLeica Mが今でも売り上げのメインであるが、Qの売れ行き好調のようだ。伝統的なMの使い手、保守的なライカユーザー層だけにこだわっていては商売に広がりが出てこない。これまでXシリーズやCLなどでデジカメの試行錯誤を重ねてきた技術と経験知をQに収斂させてきた。今後ますますQシリーズを強化するのだろう。その技術、経験知がやがてはMにフィードバックされるのだろう。SLの方はパナソニックとの技術協力、Lマウントアライアンスでシグマやパナソニックの優秀なレンズ群、特にズームレンズをラインアップに加え、実用性も拡大している。かといってMシリーズを止めたり、光学レンジファインダーを取り除いたりすることもしないのだろう。これからはM、Q、SLシリーズと3本建でひたすら高級ブランドカメラ路線を突っ走るのだろう。カメラ市場は安くて高性能な「コスパ優先」じゃあ儲からない市場になってきたのだろう。

Leica Q3登場時のブログは、こちらで→ 2023年9月8日「Leica Q3登場」


Q3とQ3 43とを使い比べての感想(11月12日追記)

やはり個人的にはQ3の28mmの方が使いやすい。日常のストリートスナップやブラパチ風景撮影において広角な方がより寄れるし、狭い場所でも窮屈さがなく使い勝手が良い。構図調整でも特に6000万画素センサーからクロップを多用する場合はなおさらだ。また近接撮影がマクロで17cmまで寄れるのも威力だ。これに慣れると27cmは引き気味になってしまう。要するに画質の問題というよりは画角の問題だ。カバレッジの広さが気に入っている。もちろん個人的な撮影スタイル、好みによるので、まさにIt`s up to youであるが。



Leica Q3 43外観(ライカ社HPより)

正面 張革がグレーに

背面は全く同じ

チルトスクリーンも同じ



 Q3(28mmレンズ)の鏡胴


Q3 43(43mmレンズ) 鏡胴がQ3より5mmほど長くなった
鏡胴が長くなった分フードを短くして全体をQ3と同サイズとした



Apo Summicron 43/2レンズ構成図(Leica Rumoreより)
4枚の非球面レンズというゴージャスな仕様!


左がQ3 43、,右がQ3
Q3 43はフード内側にフレアーカッターが設けられたため、フィルターが装着できない。



(オプションのブラス(真鍮)製のフードとサムレストを装着してみた)

ブラス(真鍮)無垢のフードとサムレストなので、ずっしりとした質量を感じる。これでレンズにようやく49mmの保護フィルターを装着できるようになる。フードの重みでカメラがお辞儀する。剛性感、ホールド感は十分。しかし黒地にグレーの張革、金色のフード、サムレストという派手な出立ちのカメラに変身となるので見せびらかしには良いがステルス性は失われる。









(作例)

通常撮影(最短撮影60cm)

通常撮影(周辺光量落ちもない)

通常撮影(歪曲収差、色収差も感じない)

ISO1000 開放絞り(歪みは全く感じない)

マクロモード(27cm)で撮影

マクロモード(27cm)で撮影
マクロモード(27cm)からクロップ(150mm相当)

マクロモード(27cm)
柔らかいトーン

通常撮影

クロップ(120mm相当)
やはり望遠圧縮効果は薄い

通常撮影

クロップ(60mm)

通常撮影
暗部の情報も豊富

通常撮影

通常撮影
ガラス越しでもクリアーに撮影

マクロでクロップ(150mm相当)
解像度はこのサイズなら十分