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| 鉄道という西洋近代合理主義の産物を受容し日本的な精緻さで変容するとこうなる? 河鍋暁斎の鉄道絵図(神奈川県立歴史博物館蔵) |
「西洋近代合理主義」はどのように受容され変容していったのか?
前回のブログ(2025年12月27日 日本文化とは何か?〜外来文化の受容と変容の歴史(1))では、紀元前10世紀頃に始まると言われる稲作農耕文化の流入。5〜6世紀の儒教、仏教の伝来と受容と変容。16世紀のキリスト教の伝来と排除。駆け足で日本文化の歴史的な出来事を見てきたが、明治期の「文明開花」と戦後の「民主化」。これもいずれも外からやってきた文化である。いわば西洋からやってきた「近代合理主義」教の伝来と言って良い。明治維新から150年、終戦から80年である。このインパクトはまだ我々日本人には生々しい歴史体験として記憶されている。「惟神の道」「儒教」「仏教」という東洋思想に、「近代合理主義」という西洋思想は、どのように受容され変容してきたのか。長い歴史的時間軸で見ると、日本はまだ口に入れて味わいつつ咀嚼している途上にあると言わざるを得ない。伝統だと思っている東洋的な価値観や習俗と、最近入ってきた西洋的な価値観、習俗との間のギャップはまだ完全には解消されていない。少なくともこの変容は、既存文化を置き換えるフェーズ転換ではなさそうだし、徐々に上書される漸変的転換であろう。いや、日本独特の「習合」なのかもしれない。
ヨーロッパにおける神学から哲学へ、神の摂理から人間の理性へ、経験主義的思考を経た哲学や科学、さらに産業革命の中から生まれた科学技術。そこから生まれた社会契約概念、法の支配、議会主義、民主主義、人権、自由平等、そして市場主義経済。このような近代合理主義は、西欧諸国の長い歴史の中から生まれてきた。そしてその具体的な成果は市民が戦いの中で獲得した権利であり理念であり市場である。それが19世紀の日本に、科学技術、法律、政治・経済・社会制度という形で怒涛の如く入ってきた。戦後はアメリカから民主主義と個人主義、グローバル・スタンダードと称するルールが入ってきた。いわば歴史的闘争を経験せずに結果だけがもたらされた。奇しくも21世紀の世界ではその西洋的合理主義価値観が大きく揺らぎ始め、歴史を巻き戻す動きが出現。先行きを見通すことは難しい状況になっている。正月早々、まさかという驚天動地のニュースが飛び込んでくるご時世だが、敢えて少し立ち止まって歴史を振り返り、あの外来文化の「受容」と「変容」の実相にふれ、来し方行末に思いを馳せてみるのも一興だろう。
ということで話を明治に戻そう。伝えた本家である西欧諸国の側から見た日本の「近代化」「文明開花」はどう見えたのか。「文明開花」とは「キリスト教化」することである。と信じて疑わなかったヨーロッパ人にとって、日本の「キリスト教化」しない「文明開花」はどのように見えたのか。受容し変容させたという日本文化、それを行った日本人の特質をどう見たのか?今回は明治期のお雇い外国人、ジャパノロジストのバジル・ホール・チェンバレンとラフカディオ・ハーンの「彼らが見た日本とは?」を取り上げてみたい。前回と同様、彼らの「神と人間」という視点を「日本的なものとは何か」を考える縁(よすが)にしてみたい。
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| ' Things Japanese ' by Basil Hall Chamberlain in 1905 |
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| ' Japan An Interpretation ' by Lafcadio Hearn in 1904 |
(1)バジル・ホール・チェンバレンの The Things Japanese:『日本事物誌』
以前のブログでも紹介した1905年版の『The Things Japanese:日本事物誌』序文で。チェンバレンは、現在(1905年当時)の日本を「古い日本は死んで去ってしまった」「日本は静かな家長制の中からやかましい西洋の競争の中に移された」と評している。1905年といえば革命(明治維新)から37年、日清、日露戦争に日本が勝利し世界を驚かせた時期である。これまでの西洋人の日本観は、「妖精の住む小さくて可愛らしいロマンチックな国」であり「繊細な芸術品に満ちたエキゾチックな国」であり、「素晴らしい進歩が起きている国」「このまま変わってほしくない国」だった。しかし気がつくと急激な大変化に直面、「日本は軍事的にも経済的にも西洋の脅威になるのではないか」と心配し始めた時である。「黄禍論」が叫ばれたのもこの頃である。チェンバレンは、「同じ人間が、ある時は日本の進歩を激賞したかと思うと、今度は日本がやり過ぎないかと心配する」。勝手なものだと。西洋人の日本に対する古い「エキゾチックな幻想」へのこだわりを批判するとともに「急速に変わってしまった日本」の脅威論にも異議を唱えている。もっと日本を冷静客観的に観察せよというわけだ。「教養ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人(部分的には今も過去の日本人なのだが)とは別の人間になろうとしている」と評しつつ、一方で「日本は捨てた過去よりも、残している過去の方が多いことは極めて明瞭である。革命(明治維新)そのものが極めてゆっくりと成長し、成熟していっているのだから」。そして「国民の性格は依然としてそのままであり、本質的には少しも変化していないのである」。「昔の武士階級の知的訓練は儒教の古典を暗誦することであった。その素養を育んだ彼らの息子達は、今日では西洋の科学の教えを受けている」。また「日本人の外国を模範として真似するという国民性の根深い傾向は、12世紀前の行動を今日も同じく大規模に繰り返しているに過ぎない。あの時は中国文明に飛びついたが、今日では我々に飛びついている」。古書を巡る旅(12)2027年7月10日チェンバレン著『The Things Japanese:日本事物誌』
「日本は昔の日本ではない。しかし日本人の性質は昔のままである」。こうしたチェンバレンの論評はヨーロッパ人読者に向けられている。「日本に対して昔の幻想を抱くのではなく、日本の西洋文明の受容と変容の実態を良く見よ!そしてヨーロッパがより深く日本について研究をできるよう、本書で諸問題に対する考え方を提示したい」としている。一方で日本人にとっては、「外来文化の受容と変容」という「日本らしさ」の本質とはどのようなものなのか。ヨーロッパ人研究者の目という写鏡で己の姿を見る機会が与えられたのである。まさに今まさに「激動の時代には何が起きるのか」「自己を見失わないようにするためにはどうすれば良いのか」を考えるための示唆に富む分析が散りばめられている。
チェンバレンは「日本事物誌」の中で「神と人間」という視点で日本文化について論評している。前回ブログでの折口信夫の「神と人間」論評と対比して読むと面白い。要約して紹介したい。
神道:
神道は宗教として言及されるが、宗教に値するものではない。まとまった教義もなく、聖書、経典もなく、道徳規約もない習俗や慣習あるいは政治的儀礼と言って良い。最初期には神道という呼称すらない自然崇拝、祖霊崇拝であった。仏教が入ってきた6世紀以降に、(仏教に倣って)宗教的な形態(文字化された祝詞、拝殿を伴う神社建築)をとり始めた。そして仏教と習合していった。18世紀の江戸中期になると仏教や儒教などの外来宗教を排した「日本古来の」宗教として神道を位置付けようとしする動きが起こり、古事記注釈などの国学盛んになる。これがのちに幕末の尊皇攘夷、明治の国家神道の源流となる。しかし、神道が儒教や仏教の影響を受けていない日本古来の宗教であるという主張には無理がある。近代の神道は仏教と儒教に深い影響を受けているし、神道の聖典とされる古事記すら中国文明の影響が色濃く見られるのは明白である。
儒教:
儒教は仏教より早い時期に日本に伝わった。孔子はあらゆる形而上学的飛躍を避け、宗教的な陶酔(神秘主義)に陥ることがなかった。宗教というよりは、主君への忠誠、親への孝行といった社会秩序を重んじる道徳観を説く、いわば政治の細部にわたる実践と道徳倫理の思想であった。日本の社会は今でもこの「忠」と「孝」という二本の基本的徳目で組み立てられている。仏教思想が広まっていった時期以降は、儒教は休眠期となり影を潜めていたが、江戸時代に徳川家康が儒教を重んじ、徳川幕府が儒学を官学としたことで復活した。支配者や親への盲目的服従という教えが古い封建的な思想に完全に適合したからだ。この頃には多くの著名な儒学者(伊藤仁斎、新井白石、荻生徂徠などの)が現れたが、儒教思想体系を発展させたり修正、変更したり、いわば日本的に「変容」する独創性はもたず、ただ忠実な解説者に過ぎなかった。したがって日本人の著した翻訳書や注釈書で読むに値するものは一つもない。明治以降の学校教育の改編までは教育の主要な伝達手段として続いたが、現在ではほとんど顧みられなくなってしまった。
日本では長く国教的に扱われてきたが、不思議なことに一度も仏典の和訳が試みられた形跡がない。僧はサンスクリット語原典の漢訳のまま経を唱える。一般信徒は仏典を読めないし僧の読経に唱和するのみである。これは聖書が各国語に翻訳され誰でも読み親しむことができるキリスト教とは異なる点である。仏教は信仰というよりは哲学的な思想を持っているのだが、日本人は仏教の複雑な形而上学にはほとんど興味を示さなかった。しかし長く日本における文化形成と教育に大きな影響力をもった。哲学を除き。信仰という点ではキリスト教と大きな違いがある。仏の恵みは無常を知って悟りを開くことによって受けることができる。キリストが身代わりとなって(救世主となって)受難したから人は救われるというものではない。仏道は、ただ自己滅却(煩悩解脱)により涅槃の境地に入ることが目的であって、キリスト教のような永遠の生命が目的なのではない。仏教の教えによれば絶対最高神や宇宙の創造神を否定する。日本に伝わったのは多神教的な仏教(大乗仏教)である。これれが日本古来の神々との習合が進んだ理由である。
キリスト教:
16世紀にイエズス会ザヴィエルによって布教された。苦難の布教活動の成果が実り、一定規模の信者を獲得したが、結果的にはキリスト教は排除され受け入れられなかった。日本は禁教令を出し長い鎖国という微睡の時代に入った。この間日本でキリスト教は新しい信者を獲得することができなかった。明治になって禁教令が解かれ再びキリスト教が日本に入ってきた。カトリックだけでなく聖公会やプロテスタント各派が競って布教伝道活動を行っている。日本の近代化に大きな影響を与えたのは近代合理主義(科学や産業主義)とキリスト教である。しかし、伝道者たちの努力にもかかわらず現代でもキリスト教信者が増えないのは、布教活動がアジアにおける帝国主義的支配の先駆けとなることを求める本国の姿勢によることが大きい。これは16世紀におけるイエズス会やフランシスコ会などの布教活動が、本国スペイン・ポルトガルの異民族の搾取、略奪、異教徒の文明破壊という領土拡大野望に利用されたのとあまり変わっていない。
日本人の信仰心について:
「日本人には信仰心がないのではないか」。これは多くの西洋人が異口同音に語ってきたことである。これにラフカディオ・ハーンは猛烈に反対している。日本人は神社参拝と葬式仏教を何の違和感もなく日常的に行なっている。西洋キリスト教文化圏の信仰では考えられない事だ。しかしこれが直ちに日本人に信仰心がないということにはつながらない。ただ一神教的な信仰の形がないだけで、我々には習慣とか習俗、儀式としか思えないような形で信仰心が表されているのだ。日本には「八百万の神々」がおり、一木一草にも神が宿っているのである。
「武士道」という新宗教:
チェンバレンは、日本が西洋文化礼賛、一等国へと突き進む中で、やがて日露戦争を境に、徐々に西欧文明一辺倒への懐疑に転じ、やがて、ひょっとすると西欧人よりも日本人の方が優れているのでは、強いのではという国粋的、愛国主義的ムードを高めてゆく。そういう変化を読み取っている。一心不乱に富国強兵、殖産興業に突き進み「一等国」を目指した先に見えた西洋文明への幻滅、不信感。そこから沸き起こり始めた「新たなる尊王攘夷」「国粋主義」「帝国主義」「民権から国権」というムーヴメント。その中で話題となりもてはやされている「武士道」は、つい数年前までは語られたことのない新思想であると彼は分析する。元々は武士の精神であったものが、革命(維新)で武家政治を否定し、武士を廃止し、その忠誠心を天皇に向けたにもかかわらず、新たに天皇(武人ではなく文人であるはずの)への忠誠心のために、「忠君愛国」「軍国主義」に向けた精神として、(武士でもない)庶民に「武士道」精神を押し付けている。これは西洋文化に対抗するために生み出された新たな「宗教」である。この「新宗教」を唱導したキリスト教徒の新渡戸稲造はそうは考えていなかったようだが、彼の意図とは別に受け止められ動き始めている。
西洋近代合理主義の受容における「日本人の特質」:
「日本人の特質」という章の中で、西洋近代文明に直面した日本人について観察、論評している。チェンバレンは「日本を批評することは感謝されない仕事である。そこからで生じる自分への非難を避けるために、ほかの西洋人の論評を引用することにする」と皮肉を込めて言い訳している。この頃政府は言論に対する規制を強化し始めていた。これまでに日本に関する評論は数知れぬほど巷に溢れていた。東洋的な美術品に溢れるエキゾチックな国とする一方で、文明開花を西洋の猿まねだとする偏見に満ちた批判(ビゴーの風刺画のような)など、御雇外国人やヨーロッパからの商人、ジャーナリスト、短期旅行者、流れものまで、さまざまな外国人によるジャーナリスティックな日本観察が、これまたさまざまな書籍や新聞に掲載されている。センセーショナルに描けば描くほどどんどん売れる。今も昔も変わらぬ商業主義だ。しかしチェンバレンは、日清・日露戦争を経た「現代日本」についてもう少し現実的で冷静な観察がなされるべきであると指摘する。ただ、彼が選んだ評論には共通性がある。これが他者に代弁させた彼の日本観であることは間違い無いだろう。彼自身もこう言っている。「日本人は総合的に雄大なものを作るのに必要な素質も、幅の広い考え方も欠けているように思われる。それらは小さなもの、こぎれいなもの、孤立した物、小さな飾り物に表現されるにとどまる」。以下に本章で引用されたコメントをいくつか紹介したい。
W.アストン『日本文学史』:「日本人は、単に借用することで決して満足しない。美術においても、政治組織においても、宗教においてさえも、他国から取り入れたものは何でも広範囲に渡って修正を施し、それに国民精神の刻印を押すという習性を持っている」
C.ミュージンガー『日本人』:「特殊の才能(talent)は大きいが、創造的才能 (genius)は小さい」
P. ローウェル『神秘的な日本』:「並外れて明敏であるが、深く黙想的ではない」「高度に倫理的ではあるが高度に宗教的ではない」「日本人は創造性がかけているにもかかわらず、強い個性が目立つ。そして、外国からの輸入品がいつまでも外国のままの姿でいることに満足していない。」「抽象的思想を受け入れる能力を持たぬ」「礼儀正しさは、その奥底に精神的な活動が欠けていることを示す。活気にあふれた精神の持ち主なら、極めて厳格な礼儀作法に縛られていることはとてもできないであろう」
E. ケンペル『日本史』:「学問や文芸といった面で日本人に欠けているものは哲学的思索、音楽の調和、それに数学の論理である。道徳的には優れているが、思索的には無知で無頓着である」
等々
このほかにもザヴィエルからウィリアム・アダムスなど16〜7世紀の先人たちの「日本論」を紹介している。明治期ではウィリアム・アストンとラフカディオ・ハーン(後述)の論評を激賞していることにも注目したい。また当時話題となったピエール・ロチの論評については「これが日本の全体の真相なのか?」、間違っているのは日本ではなく、悪口を言っているフランス人(ロチ)の理解力の欠如ではないか、とこき下ろしている。
またヨーロッパの貿易商や銀行家による、中国人と日本人の比較論では、中国人の誠実で、信頼感のある商取引への賞賛に対し、日本人の不正や非能率、優柔不断な態度を嫌悪する評論が興味深い。チェンバレンは以下のように評している。「日本は観光客にとっては天国であるが、貿易商にとっては墓場である」。また「中国人は民族的誇りを持ち、日本人は国家的虚栄心を持つ」。すなわち、中国人はその悠久の歴史と文明に対する誇りを持つが、政治的単位としての国のために命を捧げるという理想には少しも関心がない。日本人は1000年の間に二度も自国のもの(文化)は全て捨ててしまったにも関わらず、抽象的には強烈な愛国主義者である。したがって、いざという時には実際の必要以上に勇敢である。中国人は名だたる現実主義者であるから「三十六計逃げるが勝ち」である。ただ、中国人と日本人に共通する特色がある。それは実利主義である。
これらの批評を整理すると、チェンバレンは、日本の長所としては、清潔さ、親切さ、洗練された芸術的趣味。短所としては、国家的虚栄心、非能率的習性、抽象概念を理解する能力の欠如である。日本人の模倣性については長所か短所か迷う。独創性がないと言えば短所だが、実際的(実用的)知恵の現れである、あるいは模倣が手の込んだ細部にまで浸透していることに驚嘆するという意味では長所だ。そして最後に、数々の雑誌や新聞に投稿されている付和雷同的な誇張と偏見に満ちた「特質」論が、あたかも日本国民全体の特質であるかの如き論調に強烈な皮肉をのべ違和感を示している。「これは歴史が示しているように、この国民が現在経つつある不安定な時期の特徴にすぎない。(中略)ヨーロッパが封建体制から抜け出した時も、全く同じ兆候を示したものである」と締めくくっている。うまくまとめたものだ。
チェンバレンは「歴史と神話」の章で、歴史と神話が区別なく語られる古事記の思想と背景を論評している。日本人の思想、日本文化の背景について、初めて古事記の英訳をなしたチェンバレンならではの鋭い切り込みである。興味深いのでぜひ以下を参照願いたい。古書を巡る旅(64)2025年5月17日 チェンバレン 英訳『古事記』
(2)ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)のJapan An Interpretation:『神国』
ラフカディオ・ハーン(小泉八雲)は、本書で「神と人との関係」という視点で日本を論評している。本書は1904年の刊行で彼の最後の著作であり、日本論の集大成とも言えるものである。本書についての詳細は次のブログを参照願いたい。2025年7月5日古書を巡る旅(66)ラフカディオ・ハーン Japan An Interpretation:「神国」
ハーンの目線(要約):
これまで述べてきたチェンバレンの考察との対比で少し要約すると、日本の神道は宗教というより古来からの習俗、霊的感情を表したののである。儒教や仏教もうまく受け入れられていった。仏教が祖霊崇拝を否定しなかったことが大きい。ここが祖霊崇拝を排除しようとしたキリスト教との大きな違いである。また日本人が個人よりも家族や社会を大事にする性質を持っているのは、こうした古来からの祖霊崇拝による親や一族の祖先への感謝、恩恵を感じているからである。この点でチェンバレンが儒教の「忠」と「孝」の二大徳目が日本人の家族や社会を重視する性質の根源とみなしているのと異なる。ハーンは外来の仏教や儒教の影響を否定はしないが、より古来からの祖霊崇拝、自然崇拝に注目している。またハーンは近代合理主義一辺倒で日本の古来の伝統や精神を蔑ろにする傾向を嘆いている。これは、ヨーロッパ人が抱きがちな東洋的、日本的なエキゾシズムへの懐古趣味からではなく、かといって日本人の急速な欧化に対する反発からくる極端な皇国史観や国家神道に傾倒する国粋主義からでもなく、人間の根っこにある霊的な感性、自然への畏怖と敬意といった素朴な心情、そして、人種、民族に関わらず共有する普遍的な価値観が失われてゆくことへの哀惜の念からである。すなわちこれは日本のみの問題ではなく西洋文明の現実に潜む問題である、というのがハーンのメッセージである。ちなみに、ハーンが暮らした日本の街の中で最も愛したのは松江であった。勇ましい軍都熊本でも、華やかな開港場神戸でも、まして帝都東京でもなく。たった一年、そして初めて住んだ日本の街であった。そこは文明開花の波に洗われることもなく、古よりの日本人の心が西洋文明に曝されずに生き残っている街である。杵築の大社に守られた「八雲立つ出雲」、まさに「神国」である。
ハーン・チェンバレン論争:
ハーンはチェンバレンとは生涯にわたって交友関係を結び尊敬しあった。特にハーンはアメリカにいるときにチェンバレンの英訳『古事記』を読み、インスパイアーされて日本にやってきた。またハーンを東京帝国大学の英文学教師に推薦したのもチェンバレンであった。が、晩年には批判の応酬もしている(エリザベス・ビズランド『ラフカディオ・ハーン往復書簡集』)。ハーンはチェンバレンの日本人の「神と人との関係」論は、アングロサクソンやキリスト教視点でのそれであり、キリスト教や仏教などの伝来以前からある、人類に共通する霊的感性や精霊、自然や祖先を神として崇める心を思い出すべきである。それは洗練された教義や聖典として継承され信仰されるものでは無いが、未開の習俗や邪教として排されるべきものではない。まさに我々が忘れかけている人間の始原的心である。日本にそれを発見したのだ。と批判している。
一方、チェンバレンは、ハーンはあまりにも日本的な感性に共感を寄せ過ぎていて、日本人の心に流れる美しい精神を讃えるときに、ヨーロッパ人を比較対象に持ち出して悪者にする。それが公平な観察を歪めていると批判した。しかし、ヨーロッパ人は、幸いなことにそんな悪口にはへこたれない精神と復元力を持っているので何も心配していないと自己弁護している。チェンバレンは別の章でヨーロッパ人の不行跡について批判しているので彼一流の皮肉である。これに対してハーンは「私は東洋的、日本的というよりはケルト的なだけだ」「教会よりも森に霊的なものを感じるのだ」とコメントしている。
ハーンの「日本的なもの」に対する観察は、確かに多面的な事象の観察という点では偏りがあり、チェンバレンが批判するように日本への共感が客観的な(アカデミックな)分析を妨げていると言えるかもしれない。チェンバレンは、多くの資料や文献にあたり言語学的、比較文化論的に考察する、いわば比較研究アプローチを取った(いわゆる「書斎学派」)のに対し、ハーンは、文字資料や書籍によるだけでなく、伝説、怪談など民間説話など、その土地に伝わる伝承をその土地の人々から聞き、実際に現地を見て歩く。そこに「日本的なもの」を感じ取った再話作家であり、在野のジャーナリスト視点を持つ批評家である。ハーンもまた、いわば柳田國男や折口信夫のような民俗学的なアプローチを重視したと言っても良いかもしれない。そういう意味においてはハーン(小泉八雲)も官学、アカデミズムの人というより在野の人であった。
(3)私的総括
この西洋文明側から見た日本の「近代化」への戸惑いと違和感は、おそらくかつて儒教や仏教を伝えた中国文明の側から見た日本にもあったのだろう。文化・文明の「受容」と「変容」は本家から見ると異様なもの、あるいは滑稽なものに見えるのだろう。それにもかかわらず「日本化」は、もはや本家を離れ日本固有のものになろうとしている。あるいは岡倉天心が『日本の目覚め』で述べたように、本家のインドや中国で失われてしまったものを日本で保存し、今に残して預かっているものもある。あるいは、既に日本に内包されていた変化の兆しが、西洋の「近代合理主義」文明の流入で一気に顕在化して加速的に進化したとも言えるかもしれない。いずれにせよ問題はその日本化されたものが普遍的な価値を持ち、世界に発信して受け入れられるまで昇華されたものかどうかだ。かつての軍事大国としての日本は潰えた。経済大国としての日本も衰微しつつある。これからは文化大国としての日本が花開く。日本に西洋文明を伝えた本家の欧米諸国が、その近代合理主義、なかんずく民主主義、自由主義という歴史的な理念と価値観を失い始め、時代を逆行しつつある今、日本がそれを保存し、東洋文明に内包される理念と「習合」し、再び世界に戻す時期が来るであろう。文明・文化は相互に行き交うものである。これからは日本文化が世界で「受容」され「変容」される時代がやってくるに違いない。それこそ日本の新たな役割であり文明国の歩む道、新たな「文明開花」である。
最後に、岡倉天心のあの言葉をここでも掲げておきたい。
「西洋人は、日本が平和な文芸にふけっていた間は、野蛮国とみなしていたものである。しかるに満州の戦場に大々的殺戮を行い始めてから文明国とよんでいる。」......「もしわれわれが文明国たるためには、血なまぐさい戦争の名誉によらなければならないとすれば、むしろいつまでも野蛮国に甘んじよう。われわれはわが芸術および理想に対して、しかるべき尊敬が払われる時期が来るのを喜んで待とう」(『茶の本』より)古書を巡る旅’47)2024年3月29日 The Awakening of Japan:『日本の目覚め』


















































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