モノ言わぬ黒い集団はどこへ向かっているのか? |
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2023年1月25日水曜日
(続)古書を巡る旅(29)アダム・スミス全集 〜理念と秩序なき現代資本主義に警鐘を鳴らす(つづき)〜
2023年1月11日水曜日
古事記の神話は「人の起源」をどのように語っているか? 〜葦原中つ国の「青人草」とは?〜
「葦原中つ国」の「青人草」 |
「豊葦原瑞穂国」の実り |
これまで「初期ヤマト王権はどこからきたのか?」という問いに対する答えを求めて古事記を読んできた。その問いに対し古事記は「ヤマトは天上界(高天原)の神々が産んだ地上の島々(大八洲すなわち葦原中つ国)に、天照大神の子孫が降臨し、その子孫が天皇となって橿原の地で建国した国である」と答えている。7世紀〜8世紀初頭に編纂され成立したこの古事記は、1世紀〜3世紀の中国の史書(後漢書東夷伝、魏志倭人伝など)に記述されている、中国皇帝に朝貢し、冊封された倭の奴国や伊都国、邪馬台国の存在には一切触れず、その後5世紀の中国との通交の記録(倭の五王)にも言及していない。すなわち、朝貢・冊封により中国の皇帝に統治権威を保障してもらう東夷の国ではなく、もともと天神の子孫が日本列島に建国し支配してきた国である、と言っている訳である。このように古事記では、中国の史書に記述された歴史とのつながりには言及がなく、邪馬台国やその女王卑弥呼などとの系譜については一切語られず、それゆえに「初期ヤマト政権」という観念もなく、天地開闢、建国以来、現代(古事記編纂時)まで一貫して天皇の統治権威が大八州の隅々まで行き渡る国として語られている。そこには古事記の編纂の意図が明白に見えている。神話は神話であって、神話は伝承物語であり、それを文字にする時点で、歴史的な事実を記録するというよりは、神話に仮託してある意思や価値観を表明する文書となった。
古事記に記述されてる神話の起源についてはさまざまな説がある。古事記の神話には、南方海洋神話的なエピソード(穀物の起源:ハイヌウェレ型神話や、なぜ人間に寿命があるのか:バナナ型神話、海幸山幸など)や、大陸神話的なエピソード(穀霊神の降臨など)、さらにはギリシア神話(神々の系譜、冥界からの帰還:オルテウス型神話など)の影響も見られるので、日本列島に、人の流入と共に伝えられた伝承や神話をもとに、伝承され、記憶されて、それ等をもとに創作されたのであろうとも言われている。比較神話学の領域の話にこ、こではこれ以上は立ち入らないが。かつては、こうした外来神話の影響を受けた断片的な神話や伝承を集め、編纂したのが古事記の神話である、とする考えが主流であったという。しかし、一方で、7世末の天武・持統天皇の時代、天皇制、律令制整備による日本(ひのもと)建国と中国の朝貢冊封体制からの独立宣言、という時代背景を反映して、対外的、対内的な国家としてのアイデンティティーの表明の必要性にせまられたことから、一気に「建国ストーリー」が創出され、その後時間をかけて文書化して神話として編集されたものだと解釈されるようになった(日本古典文学全集「古事記」の編者の立場「成立論的神話」)。これが最近の通説だと言われている。天武時代の稗田阿礼の口承から元正天皇の時代の太安万侶による書き起こし献納まで40年ほどの時間をかけている。列島の外から伝来した多くの神話や伝承のストーリーも取り入れながら(おそらく漢文で記録されたものがあったのかもしれない)、それを和語で口承し、さらに「漢字の音を借りた和文」で文字に書き起こすプロセスがあり、その時点である意思を持って創作、編集されたものであろう。いずれにせよ客観的な歴史書というよりは、天皇支配の正当性を確定させる、そういう時代の要請を色濃く反映した政治的な宣言の物語として読むべきであろう。ここまではこれまで見てきたとおりであり、古事記に初期ヤマト王権のルーツや、邪馬台国などとの繋がりを解く「歴史的な事実」を見つけることができなかった。2020年5月8日「初期ヤマト王権はどこから来たのか(第三弾)古事記
今回は「問い」を変えて、別の視点で古事記を読み直してみよう。古事記の神話は、これまで見てきたように国土創成(国産み神話、大八洲の起源)や、「天皇」の起源と統治権威の源泉、それに連なる天上界、地上界の神々の系譜については延々と語られているが、「人間」すなわち「ヤマトの民」の起源についてはどのように語られているのだろうか。「人間はどのように創造され、何処より来たりしものか」という、世界の神話に共通の人間創生譚を古事記はどう語っているのだろうか。例えば旧約聖書・創世記では「絶対神ヤハウェが土塊を固め、神の形に似せて人間を作り、その鼻から命を吹き込んだ。この最初の人間がアダムで、その肋骨から作られたのがイヴである」としている。これに相当する人の起源ストーリーは古事記にあるのか。また、旧約聖書では絶対創造神の存在を語っているが、そのような創造神は古事記に登場するのか。答えを先に言うと、古事記の神話は「人」の起源についてほとんど語っていない。また「ヤマトの民」の出自についても語っていない。古事記の神話はあくまでも「神」についてしか語っていない。しかもそれは唯一絶対神ではなく、まさに八百万の神々なのである。そしてそれは、国家の創建者にして統治者である天孫たる天皇の由来、それに連なる支配一族、氏族の神々のルーツに関してであり、「支配の客体」としての人・民についての説明はない。換言すれば、神の「被創造物」としての人間という観念が認められない。
差はさりながら最近の研究では、古事記の神話の最初の部分で、「人」の起源についての言及があるとする。それは「現(うつ)しみの青人草」とする言葉で語られているという(三浦佑之氏の古事記論)。すなわちこの世の「人」は「青々とした」「草」として登場するという。この話は、イザナキの黄泉の国訪問の神話の以下の部分に表れる。すなわち、
イザナギが黄泉の国から逃げる帰る途中、地上界への出口で追いかけてくるイカヅチたちに桃を投げて撃退した時(桃には呪力があると考えられていた)、桃に感謝して「これからはその呪力で葦原中つ国の命ある青人草(すなわち人、民)の苦難を取り除いてくれ」と叫ぶ場面である。また、さらに追いかけて来るイザナミを、イザナギが千人力でしか動かせない大きな岩で阻んだ時に、イザナミが「これからは地上界の人草(人、民)を毎日千人殺す」と叫ぶと、イザナギが「それなら人草を毎日千五百人産むための産屋を建てる」と応戦した話が出てくる。こうして人間は(草であるから)いずれ死ぬ(枯れる)。しかし死ぬ数よりも、生まれる数のほうが多い。個としての人間の命には限りがあるが、種としての人間は生き続けるとする認識が表明されている。これはある意味、国の発展は人口の増加がその源泉であり、「人=青人草」は資源であり国富であるという認識が建国神話で示されているわけである。これを現代に置き換えて省みると、少子高齢化で人口減少が止まらない現代の状況を今の為政者はどう考えているだろうのか。
その話は別途するとして、この「青人草」は、もとは漢籍からの引用であると考えられており、青は生命力あふれるという意味で、人を草になぞらえるのは、「蒼生」「民草」、あるいは「草莽の士」と言う言葉のルーツとも言われている。古事記にも漢籍の影響が現れる例の一つともされる。しかし、既述のように、古事記は国土や天皇、その統治権威、その寄って立つべき天界、地上界の神々の起源を説くことに終始しているのであるが、その国家の重要な構成要素たる人・民に関する起源を「草」であるとするその心は何なのだろうか。このイザナギの言葉で語られる「青人草」、すなわち草に例えられる「人」の起源は、さらにその前の、神話編序章「天地初発」の高天原の三柱の神の次に登場する、大地(地上界)がまだ未熟な状態(どろどろで水に浮かぶクラゲのような)のときに生まれた一柱の神、宇摩志阿斯訶備比古遅神(うましあしかびひこぢ)に求められるとする(前出、三浦佑之氏の古事記論)。この神は「泥の中の葦の芽から生まれた尊い男神」という意味であるが、この「葦の芽」から生まれた神こそが「青人草」、すなわち「人」のルーツとなる神であると解する。このような「泥の中から芽吹く葦」に喩える人間の生命の観念は仏教思想に言う「輪廻転生」の影響とも考えられるが、むしろ、芽吹き、成長し、繁茂し、枯れるという自然界の流れ、個体は死んでも種は生き続ける、循環する生命、という自然界の摂理が観念の基底にあると考える。興味深い解釈であると思う。そしてこの「人」は、「万物の創造主」のような誰かが「創造」したり「生み出」したりしたものではなく、自然に「成る」「生える」生命として表されている。旧約聖書・創世記の人間は「土塊」から創造され、創造神が鼻から命を吹き込んで人間になったが、古事記の人間は泥に芽吹く「葦」であり、はじめから命を宿している。ある意味、対象的な人間観である。この砂漠と岩山という環境から生まれた発想と、温帯モンスーン地帯、稲作文化から生まれた発想の違いも面白い。
このように古事記の神話では「人」を「葦の芽」「草」に例えて登場させているわけであるが、そもそも天上界「高天原」に対する地上界を「葦原中つ国」、すなわち葦の生い茂る国(水稲農耕を彷彿とさせる)と形容することから、人間をそこに生える「草」すなわち「葦」あるいは「稲」に喩えるのも腑に落ちる。万葉集では日本を「豊葦原瑞穂国」という美称で呼んでいる。これは先史時代に大陸から伝来した稲作農耕文化を前提とした(弥生的な)ヤマト国家のかたち、社会観念の反映であったとも考えられる。また自然に対峙して、これを克服、征服することで生きてゆくという生命観ではなく、人の命もその一部として「成り」、その自然の摂理を受け入れ、自然と共生して生きてゆくという生命観である。古神道の宇宙観は「一木一草に神宿る」「八百萬の神々」という自然神信仰であり、自然の存在そのものに霊力を感じ、それに身を委ねるという観念。これらが神話の基層に佇むのも温帯モンスーン的農耕文明の反映なのだろう。絶対創造主のような主体が「作った」ものではなく、自然に「生えた」「成った」ものという観念が日本人の創世神話の古層にある、と考えたのは丸山眞男である。この「作る」主体を持たない「成る」という考え方、繰り返し続いてゆくという「不断に成り行く世界」という観念が日本人の歴史認識の底流として存在するというわけである。一方で、主体的に物事を決めない。融通無碍に決まったことを受け入れてゆく、「成るに任せる」という日本人の思考回路がここから来ているのだとすると、「自然の摂理」や「循環する生命」を受け入れる「美しい生き方」、などと言って喜んでばかりはおれまい。従順な「民草」でなくて「草莽崛起」を唱え主体的に行動したあの維新英傑の思想ももうひとつの日本人の思考様式であり、それを思い起こすべきと考えるがいかがであろう。
少し話題が変わるが、古事記でも、先述のように、人(青人草)の命は永遠ではなく、寿命があると認識されている。生と死は一体のものであるという死生観も示されている。これにはヒンズー教や仏教の「輪廻転生」という考えかたの影響があることも否定できないだろう。しかし、世界の神話の中には「何故人は死ぬようになったのか?」という、その起源を語るものがある。インドネシアに伝わる、いはゆる「バナナ型」神話と言われるものもその一つである。すなわち、「人間が、最初に天から与えられた食べ物は、石であった。ある時、天から石ではなくバナナが降りてきて、人はそれを食べた途端、こちらの方が美味しいので、これからは石ではなくてバナナを!と求めた。すると神は、それではこれからはバナナを食べ物とせよ。そのかわり人間は、石のような永遠の命を得ることはできない。バナナと同じように限りある生命を持つことになる」と。この話、どこかで聞いたことがあるだろう。そう、古事記にも見られる。曰く、天孫ニニギが、高天原から葦原中津国に降臨し、地上のオオヤマツミの娘、コノハナサクヤヒメに求婚する。オオヤマツミはたいそう喜び、姉のイワナガヒメと共にニニギに嫁がせた。ところがニニギは、醜いイワナガヒメを送り返して、美しいコノハナサクヤヒメとだけ結婚した。これを悲しんだオオヤマツミは「イワナガヒメは岩のような永遠の命を保証する。しかし、これを送り返したということは、コノハナサクヤヒメの花のような儚い命だけを受け入れたということだ。これで永遠の命が与えられることは無くなった」と言った。ここでは「人」ではなく「天皇」は何故神の子なのに死ぬのか?という話に置き換わっているが、まさに「バナナ型」神話が取り入れられている。このように神話には、不思議なことに世界で共有されるストーリーが見られ、古事記の神話もその例外ではないことがわかる。「バナナ型」神話が日本列島にどのように伝わり、共有していったのかは明らかではないが、7〜8世紀の日本人の記憶にもあったのだろう。古事記の編纂者はこのエピソードを天皇起源神話に取り入れた。古事記を歴史書としてだけでなく、日本人の歴史の基層にある人間観、思想を読み解く書として、また世界史的な神話伝承の中に位置づけて読み直してみるのも面白い。
参考文献:
「古事記」神話から読む古代人の心 三浦佑之 NHK出版
日本古典文学全集「古事記」 山口佳紀、神野志隆光 小学館
2023年1月5日木曜日
古書を巡る旅(29)アダム・スミス全集初版 〜理念と秩序なき現代資本主義に警鐘を鳴らす〜
アダム・スミス肖像と全集表紙 |
Adam Smith (1723~1790)のサイン |
年末に、貴重な古書を手に入れることができた。1812年のアダム・スミス全集5巻の初版本だ。スミスの没後20年ほど後にロンドンで、初めて全集として編纂、出版されたものである。いつもお世話になっている神保町の北澤書店で「貴重な本が入りましたよ」というわけで見せてもらった。探していたアダム・スミスである。しかも、スミスの直系の教え子であるデュガルト・スチュアートのスミス評伝、書評付きである。ところが、残念なことに5冊とも外装がかなり傷んでいる。1、2巻の表紙は外れ、背表紙も無くなっているし、3巻以降もモロッコ革のタイトルが剥落して無くなっている。書店では改装してから店頭に出そうと考えていたのだが、内部は完全なのでこのままでも良ければ、と格安で譲ってもらうことになった。古書の保存という観点からは改装/バインディングし直すべきなのだろう。ゆくゆくは少なくとも補修をしなければならないだろうが、当面はオリジナリティーを重んじてそのままにしておくことにした。こうした歴史を纏った古書の扱いは実に難しい判断を求められる。素人が勝手に手を入れて古書の原初の佇まいを失わせてもいけない。修復、改装する以上は専門家の手を借りねばならない。時間も費用もかかる。かと言ってオリジナリティーを重んじると、脆弱になっている書籍を破損してしまう恐れがあり、頻繁に手にすることは憚られる。ジレンマだ。
アダム・スミスの著作には、これまでもなかなか出会うことがなく、いつかは、と念じたものだった。東大の図書館には、新渡戸稲造がロンドンで入手したという「道徳感情論」と「国富論」の初版本が収蔵されている(下記リンク参照)が、古書市場に出回ることは稀である。たまにネットに掲載されることもあるが、稀覯書として値札すらついていないのでとても手が出るものではない。今回、入手したものはスミス自身による上記二大著作の初版本ではないが、初めて全集として出版された貴重なものである。こうした書籍を紹介していただいた北澤書店には感謝である。しかし、こうして出会ってみると不思議なものだ。偶然といえば偶然の出会い。いや、必然といえば必然的な出会いかもしれない。現代の理念と秩序の欠落した資本主義。そういう危機的な状況に瀕しているこの時代、戦争と疫病と経済混乱に翻弄されたその2022年の暮れに、250年前のアダム・スミスがタイムスリップしてきて、「君たち、色々騒がしいようだが、私が言ったことを本当に正しく理解しているのか?」と問いかけてきた。この現世の混乱をあの世で見てられなくなってこの世に蘇ってきた。「原典に帰れ!」と言って、この5冊を置いていった。そう思いたくなるような出会いである。
この全集には、スコットランド啓蒙主義を代表する哲学者の一人であるデュガルド・スチュアート:Dugald Stewart(1753〜1828年)によるアダム・スミスの評伝と書評が収録されている。スチュアートはグラスゴー大学でスミスに師事し、直接の教えを受けてた後継者の一人である。のちにエジンバラ大学の教授として、またエジンバラ王立ソサエティーのフェローとして道徳哲学(Moral Philosophy)を教え、スミス思想の普及者としても名を残した。スミスの友人でよき理解者のデビッド・ヒューム(経験主義哲学)と共に後世に記憶されるべき人物である。本書に収録されている人物紹介と書評は、1793年にスチュアートがエジンバラ王立ソサエティーで講義したものである。
改めて言うまでも無いが、アダム・スミス(1723~1790)は「経済学の父(古典派経済学の父)」と言われている。経済学(Political Economyと呼ばれていた)という学問を生み出した人物とも評されている。我々現代人は経済学という学問領域が存在していることに何の違和感も感じないが、この頃は大学に経済学という科目はなく、彼も経済学者ではなかった。アダム・スミスはグラスゴー大学では倫理学と道徳哲学を教えた。彼の道徳哲学者としての源流をたどれば、友人であるデビッド・ヒュームからハチソン、シャフツベリー伯爵(アンソニー・アシュリー・クーパー)という啓蒙主義を代表する思想家へと遡ることができる。さらには経験論哲学のフランシス・ベーコン、自由主義の父のジョン・ロックに行き着く。経済学は倫理学と哲学から生まれたのである。そういう意味ではスミスは最初の経済学者となったと言うべきかもしれない。その成り立ちと思考のプロセスは彼の著作を読むことで理解できる。彼はまず1759年に道徳哲学の論文として「道徳感情論」:The Theory of Moral Sentimentsの初版を著した。以降、これは何度も修正、加筆が重ねられ、1790年の第6版まで改訂追補された。そしてその論考の過程の中から1776年に「国富論」(あるいは「諸国民の富」とも訳される):An Inquiry into the Nature and Causes of the Wealth of Nationsが生まれた。スミスは「道徳感情論」の第6版の序文で、これに盛り込めなかった考察を「国富論」で実現できたと説明しており、一方で「道徳感情論」の改訂版へのフィードバックも見て取れる。このように両著は、一体で不可分の道徳哲学論として書かれたのだが、後世に「国富論」は古典経済学の原典と見做される事になる。ちなみに時代はアメリカの独立宣言(1776年)、フランス革命(1789年)と激動の時代であり、科学の時代、産業革命勃興期である。これらがスミスの思想に与えた影響は大きい。
この全集は原著の出版年代順に合わせて、まず第1巻には「道徳感情論」が掲載されている。ただ掲載されている版はその最終版、すなわち第6版(1790年)である。そして2〜4巻が「国富論」である。大部の著作である。最後の5巻が、そのほかのスミスの哲学論文集と、スチュアートによるスミス評伝/書評となっている。この順番には大きな意味が有ることを理解する必要がある。後世の人は、この順番を間違えてスミスを理解する、すなわち「国富論」が主論文で「道徳感情論」は付随的な論文である、あるいは「国富論」のみを読んでスミスを理解する、という過ちを犯しがちである。確かに「道徳感情論」が顧みられない時期があったが、今では、先述のように、この「道徳感情論」こそがいわば本論であり、そこから「国富論」が生まれたとの評価となっている。この理解が重要である。その理解の欠如がスミスの説く古典経済学理論を正しく理解せず、ひいては現在の資本主義の混乱を招いていると言っても過言ではない。
まずスミスは「道徳感情論」で、そもそも人間とは、自分のことしか考えない利己的な存在ではなく、他人に対する「共感」(sympathy)を持つ存在である。「利己的」ではなく「利他的」に行動する存在であり、故に「社会的存在」(social being)であると。ということは、すなわち個人は自分が所属する社会で一般的に通用する「公平な観察者」(impartial spectator)を胸中に形成し、それによって行動する。これが正義と社会秩序の土台となる。また人間は「賢明さ」と「弱さ」の両面を持つ。「賢明さ」は心の中の「「公平な観察者」の判断に従って行動することであり、社会秩序の基礎をなす。「弱さ」は自分の利益や世間の評判を優先させて行動することであり、社会の繁栄を導く原動力になる。しかし、「弱さ」は放任されるのではなく、「賢明さ」によって制御されなくてはならない。制御されない財産形成という野心や利潤獲得競争は社会秩序を破壊し、結果として社会の繁栄を妨げる。またなぜ人間は財産や地位に固執するのか。それは世間の賞賛と尊敬が与えられるからだ。それが、他人の目を意識するという「社会的存在」たる人間の「賢明さ」でもあり「弱さ」でもあるとした。そして次の論考「国富論」はこの人間理解から出発している。「国富論」をより正しく理解するためには、この「道徳感情論」こそ、よりよく熟読玩味すべきであろう。
次にスミスは、「道徳感情論」で述べたような、そうした性質を持つ人間、すなわち「社会的存在」としての個人が「公平な観察者」という制約条件のもとに、自分の経済的利益を最大化するよう行動する。そういう個人の経済活動が、自由にお互いに競争することによって経済が発展する。そういう社会の仕組みを詳細に論考し「国富論」として著した。すなわち「国富論」は「道徳感情論」のエクステンションとして生まれた産物と言っても良い。元々は、次の論考を「法と統治の一般理論」とする予定であったが、これは未完となり「国富論」となったと言われている。ちなみにこの未完の原稿は、スミスの死の直前に彼の願いで焼却されてしまった。彼の友人の手元に残された一部の断片的な論文が「哲学論文集」としてこの全集に収録されている。ともあれ、「国富論」は重商主義的な王権や国家による経済活動の統制/介入や、金塊の蓄積、保護貿易を批判し、自由な個人の経済活動、自由競争市場こそが、高い成長と豊かで強い国への発展の源泉であると論ずる。さらに価値を生む源泉は個人の労働であるとする「労働価値説」に立つ。換言すると、「個人的利益追及行動」が「社会全体の経済的利益の増大」につながる。そして「レッセフェール」「神の見えざる手」(invisible hand)による市場調整メカニズムが働き価格が安定し、社会の発展と成長へと繋がるのだと。しかし、これは決して「利己的」で、強欲、無秩序な資本主義や経済活動を是とし、それが経済発展、国富増大の源泉であると説いているのではない。繰り返すが、「国富論」でスミスが前提としている人間は、「道徳感情論」で描かれている「他人に対する共感」を持ち「利他的な行動」をとることのできる「社会的存在」である人間、「公平な観察者」としての制御ができる人間であることを思い起こさねばならない。この前提を忘れた「国富論」読みは「論語読みの論語知らず」となる。
こうしたスミスの二つの著作への再評価は、まさに現代の資本主義が抱える問題への反省と、課題解決への取り組みの中から生まれてきた。スミスは決して「欲望の資本主義」の教祖ではないし、彼の論理が間違っていたわけでもない。これを日本に当てはめて考えてみると、渋沢栄一の「道徳/経済合一」主義である。渋沢がここへ来て思い起こされるようになった時代背景と共通するであろう。彼の場合は論語的な道徳観であるが。道徳、倫理を忘れた経営者、政治家ではダメだということは、スミスも18世紀末にはすでに唱えていたわけだ。このスミスの「道徳感情論」を渋沢栄一も読んでいた。彼は講演の中でスミスの言葉をを引用している。このスミスと渋沢の原点が忘れられてきたことへの反省が今湧き起こってきたとも言える。そして哲学的、倫理的視座を持たない、すなわち理念と秩序の観念の欠如したリーダーに説得力あるビジョンは語れないし、正しい富の創造もできない。リーダーと言われる人々が大好きな歴史を語って見せても(戦国武将や維新の英傑をロールモデルに準えてみても)、「歴史的な想像力」を働かせる能力が涵養されなければ、その歴史に学ぶことも叶わぬ。。日本の高等教育に欠けているのはコンピュターサイエンスやデータサイエンスなどの教育や、起業マインド醸成や金融、財務、法務知識だという人がいるが、そのような「パンのための学問」(Brot Wissenschaft)、いや「諸科学」(Sciences)の前に、「哲学」(Philosophy)の素養が忘れられているのではないか。「広い視野」「高い目線」と「深い洞察」が養われていない。何よりも「人間への理解」が欠如している。そちらの教育が先じゃないか。アダム・スミスも渋沢栄一もそれを教えている。「総論あって各論なし」というが、むしろ「各論あって総論なし」では無いのか。日本の先人には論語の素養という重要な徳育科目があった。西欧の先人にはキリスト教的な倫理、道徳から止揚した啓蒙主義、近代合理主義という素養があった。その根底にはギリシア語、ラテン語の古典素養があった。その上での経済であり、政治であり、法律であり、科学技術であった。アダム・スミスをただ自由放任主義(レッセフェール)を唱える「国富論」を書いた古典経済学の祖と捉えるだけでは、こうした哲学という基盤の上の経済思想であることを理解していないことになる。繰り返すがスミスは啓蒙主義の倫理学者、哲学者であった。「資本主義的合理性」とは何か。もう一度考え直してみる必要がある。
さて、アダム・スミスの贈り物をじっくりと研究し直してみるとしよう。またしても日暮れて道遠しではあるが。暗い夜道はやるべきことが多くて忙しい。それもまた結構結構。ただその前に、この全集の装丁の修復、改装を行わなければならないだろう。
参考ブログ:2020年の年頭に書いたブログで、SDGsの提唱者の一人で社会問題解決の理論と実践でノーベル平和賞を受賞したモハメド・ユヌス博士の、ソーシャル・ビジネス(社会事業)について述べた。ユヌス博士は彼の著作「三つのゼロ」の中で、アダム・スミスの再評価と資本主義の再定義を提唱している。実践する社会事業家である経済学者の理論はまさに傾聴に値する。2020年1月6日「欲望の資本主義」の行く末 2020年年頭の妄想を参照することをお勧めしたい。
アダム・スミス全集5巻 1、2巻は背表紙が欠損している。3〜5巻もタイトルが剥落している。 外装はかなりの痛み具合だが、中はしっかりしている。 |
「道徳感情論」(初版1759年)表紙 |
「国富論」(初版1776年)表紙 |
Dugard Stewart による人物評/書評 |
Dugard Steward (1753~1828) |
東京大学経済学図書館・資料室デジタルミュージアムに スミスの「国富論」初版本など、貴重な蔵書が展示されている。 |
リンク:東京大学経済学図書館・資料室デジタルミュージアム