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2026年7月21日火曜日

2026年夏 里帰りの旅(2)水郷柳川 〜「よみがえり」の街で川下りとうなぎ蒸篭蒸しを堪能するの巻〜

柳川は城下町である。秀吉の九州平定に功績のあった立花宗茂が、南筑後13万石の領主となり柳河城(かつては柳ではなくこのように表記した)に入城した。宗茂は、島津勢の猛攻に抵抗し、岩屋城(四王寺山)で壮絶な討ち死にした猛将、高橋紹運の実子で、やはり九州の実力者、立花道雪の養子(誾千代の婿)となった。すなわち筑紫に武勇を轟かせたの名門一族の出である。しかし1600年の関ヶ原の戦いで宗茂は西軍に着き、家康に所領を没収された。一方で関ヶ原で東軍に功績(石田三成を捕縛した)のあった田中吉政が、三河岡崎から筑後32万石領主として柳河に入城。一国一城の主となった。柳川では、堀割り整備、矢部川の治水、有明湾の干拓、堤防整備などの城下町としての基礎を整えた。「堀割り」「どんこ舟」「水郷柳川」のイメージは吉政によって形成されたと言って良い。しかし、不運にも田中氏は後継がなく断絶。家康は、浪人となっていた旧領主の立花宗茂の人格識見を高く評価し、再び国守に取り立てる。立花宗茂は柳河10万石の大名として旧領に返り咲く。これは当時は珍しかった。以降明治の廃藩置県まで立花氏がこの地を治めた。立花家別邸「松濤館」は「御花」として当主子孫により経営されて現在に至っている。こんな立花宗茂のエピソードから、柳川は「よみがえり」「敗者復活」の街として縁起担ぎにも人気がある。

田中吉政は、豊臣秀次の家老として近江八幡の街づくりに活躍した。のちに三河岡崎5万石(のちに10万石に加増)の城主となり、岡崎のまちづくりにも貢献した。いずれの地においても低湿地の埋め立て、堀割り構築、街道の付け方など、城下町としての機能を高めるインフラ整備を行なった。近江八幡の八幡堀あたりの景観が柳川を彷彿とさせるのには理由があった。これらの吉政の都市設計思想がのちの柳川の街づくりに大きな影響を与えた。

柳川は、元々は干満差の大きい有明海の干潟であったところで、吉政は干拓により農地や居住地を確保。街中に張り巡らされた堀割り、クリークは、矢部川や筑後川に繋げて、海水が混じらない生活用水確保と水運に必須のインフラであった。その全長は930キロに及ぶという。彼は近江八幡で琵琶湖からの水を引き堀割りを巡らした街作りをしており、その経験が柳川に生かされた。しかし、時代とともに堀割りが交通手段や生活用水として使われることは無くなったため、徐々に衰退していった。一時期、放置され水質汚染が進み、ドブ川と化しつつあった堀割りを埋め立てて道路にしようという計画が持ち上がったそうだ。しかし地元の人々の反対運動で、堀割りが残され、水質浄化運動が進められ、現在のような「水郷柳川」が残されたわけだ。そしてそのシンボル「川下り」が全国、全世界の人々に愛されるようになった。この辺りの「街づくり」エピソードも近江八幡のそれと共通するものがある。水郷柳川の基礎を築いた田中吉政の功績は大きい。

一方で、明治維新、廃藩置県、版籍奉還により、各地の藩主、大名が華族となり多くが旧領国を離れ東京に引っ越していった中で、立花家は華族となったのちも柳川に屋敷を構え、洋館を建設し地元に住まった。城は破却されて残らなかったが、これが「松濤館」「松濤庭園」のちに「御花」として地元に残った。現在では柳川のシンボルとなり、田中氏の「堀割り」と共に地元に大きなレガシーを残してくれた。立花宗茂と田中吉政。この二人のお殿様が建設し育てた柳川である。


「うなぎの蒸籠蒸し」の思い出。 

父が大好きだった柳川独特の味。もちろん私の大好物でもある。ご飯にタレをまぶして蒸す。そしてうなぎの蒲焼と錦糸卵を乗せてふたたび蒸す。故に注文から出てくるまでに時間がかかるが、タレがしっかり染み込んだご飯と肉厚の蒲焼。最後まで熱々で食べられる絶品!朱塗りの器の中に蒸しあがったばかりの蒸篭が収められている。市内に何店かあるが、我が家は若松屋によく行った。本吉屋も老舗。御花でも庭園を眺めながら楽しむことができる。東京や大阪では、鰻屋はあるが、蒸籠蒸しを出す店がなく、父が「柳川の蒸籠蒸し食べたいなあ」と懐かしがっていた。うなぎと柳川。いつ頃から有名になったのか実はあまりはっきりしていないようだ。いくつかの記録によると江戸時代末期から柳川のうなぎの取引が上方でも行われていたようで、地元でも郷土の料理として漁師仲間で振る舞われたらしい。また蒸篭で蒸すというスタイルがなぜ始まったのかも、「冷めにくいから」と言うウンチクらしくない説明しか聞こえてこない。東京や大阪でなぜ流行らないのか?これも「なるほどガッテン!」と言う解説がない。まあ調理に時間がかかるのでセッカチ、イラチには向かないのだろう。確かに、「チャット座ったら、さっと出てきて、チャチャっと食って、アバよと出てゆく」そんな落語のはっつあん、くまさん向けではない。いずれにせよ「うなぎの蒸籠蒸し」は柳川に来なければ味わえない。だから無性に柳川に行きたくなる。

ちなみに柳川は、詩人、北原白秋を産んだ街でもある。今回は時間がなく「白秋記念館」には寄れなかった。


「御花」横の川下り乗り場

船頭さんの名調子

孫も竿を持たせてもらう

低い橋をくぐる準備



夏雲

殿の蔵

堀割りから見るうなぎ蒸篭蒸の老舗「若松屋」行列ができている。



立花家別邸「松濤館」別名「御花」

白亜の洋館と漆黒の和館



松濤園




さげもん



うなぎ蒸籠蒸し


(撮影機材:Leica SL3 Reporter + Sigma 20-200/3.5-6.3 DG)




2026年5月18日月曜日

世界に冠たる本の街「神保町」を楽しむ 〜ネット時代の古書店は知のワンダーランド!〜


知の殿堂「北澤書店」



神保町で古書の魅力に出会う

書籍・出版文化の危機、活字離れ、書店の経営危機が叫ばれて久しいが、ここにきて書店業界に新しい潮目が現れているようだ。建て替えを終えた「三省堂書店」の本店開業が大きな話題となっているように、本の街、神保町が活気付いている。和書、洋書を問わず多様な専門分野の書店が軒を連ねる世界最大の古書街。その神保町での古書店巡りが、海外からのツーリストの東京への来訪目的の一つとなっている。それぞれに特色を持った古書店には外国人ブックハンターが押しかけている。イギリスのTime Out誌で「世界で最もクールな街」の一つに選ばれた。この空前の「JINBOCHO」ブームは何を意味しているのだろうか。

日本は、和書、洋書、漢籍を問わず古書/古典書をよく保存し、流通させている国の一つであるとみなされている。イギリス人がシェークスピアやディケンズを求めて神保町にやってくる。フランス人がデカルトやニーチェを探しにやってくる。中国人が杜甫や白楽天を求めてやってくる。それが不思議でないのが神保町だ。浮世絵やジャポニズムだけでなく、日本文学の古典の英訳版が人気である。最近は、漫画やアニメ、映画に加えて日本の新しい文学作品が欧米諸国で人気が出ていることも話題となっている。注目すべきは、こうした「聖地」神保町ブームが、インスタやX、YouTubeなどのSNSによって世界中に拡散している点である。読書離れ、書店や本の衰退が云々されがちだが、神保町を歩いてみると、新しいかたちの書籍ブーム、古書店人気が起きつつあると実感する。

もちろんロンドンにもチャーリングクロス・ロード(あの映画や小説で有名な)やセシル・コートなどの古書街。ストランドやフリート・ストリートなどの出版、新聞街がある。周辺にロンドン大学や大英博物館、高等法院などの教育・研究機関が数多いなど、その成り立ちも神保町の書店街と似ている。しかし、その古書店の集積度と多様性は、はるかにロンドンのそれを上回っている。またロンドンの老舗古書店は、最近は店舗をたたみ、郊外に移転するか、オンライショップに変更しているケースが多いと聞く。あの伝説の「Mark's Book Shop」も今はなく、跡はファーストフード店になっている。私がかつてよく通った「Ash Rare Books」は郊外に移転、オンラインも始めた。神保町でも廃業した古書店もあるが、盛業中の実店舗が130店以上も軒を連ねていることには驚かされる。これが世界的に注目されて外国人が殺到する理由となっているとしても不思議ではない。


「知の迷宮」を彷徨う

かつて古書店は、ちょっと入りにくい、一種、日常から隔絶された別世界であった。ドアを開けて静寂で薄暗い店内に一歩足を踏み入れると、足元から天井まで本、本、本。壁という壁は古色蒼然たる本のモロッコ革の背表紙て埋め尽くされている。そう、闖入者は本の大海に揺蕩う漂流者になる。ここでは時間の流れが止まっている。いや数百年の歴史が重層的に折り重なっているのだ。ページの間から滲み出てくる何百年も前の文字が空間を浮遊している。この「知の迷宮」を彷徨う至福の時間。それが古書店探索の魅力だ。これは決してオンライン書店では味わえない。

ロンドンの古書店の中には、どこに何の本があるかわからないようなダンジョンのような本屋が珍しくなかった。ロンドンで古書店通いしたのは、70年代に留学した時と、90年代に勤務した時なので、もう随分と昔のことだ。その後、仕事でロンドンを訪ねた時に、久しぶりに立ち寄ってみたが、古書店の佇まいはチャールズ・ディケンズの時代から変わらぬ風情でのままである。狭い店内に入ると足の踏み場もない。店員はこちらから話しかけない限り近寄ってこない。薄暗い片隅のデスクに佇む店主に聞くと、たちまち目当ての本を取り出してくれる。彼の頭の中にはこのランダムに積み上げられた古書のインデックスが保存されていて、たちどころに脳内のサーチエンジンが起動し、取り出しができるのだ。神技である。そして先ほどまでの寡黙さと眼鏡の奥の無愛想な眼は、芝居だったのかと思わせるような饒舌さで語り始める。本への愛が止まらない。こうした人種はロンドンのダンジョンには生息しているが、現代のアマゾンのジャングルではお目にかかれない。

目当ての本などなくても、ただ迷宮をあてもなく漂うのも楽しい。目についた古色蒼然とした革装の本を梯子を頼りに取り出し(周りの本が崩れ落ちないように気をつけながら)、そこに思いもよらない世界を発見することも古書店の醍醐味だ。数百年という「時間の経過」を纏った古書。未だ色褪せぬ先人の知恵との出会いに心が震え、自ずとその「時間の経過」にしかるべき敬意を払うようになる。 17世紀イングランドで出版された本が、本棚から私に向かって「ここにいるぞ」と目配せするなん場所が他にあろうか。思わず埃を払ってそれを連れ帰ることになる。

古書には前の所有者の蔵書票や、サイン、書き込みがあることがある。時には小さな紙切れに記されたメモが入っていることもある。蔵書票によっては、所有者自身も歴史的に著名な人物であったり、著者と深い関わりを持つ人物だったりする。購入した年月日、誰かへの特別なプレゼントを示すコメント。文中の下線や、チェックの部分には所有者の心の動きや言葉への愛着が読み取れる。なのになぜそんな愛蔵書を手放すことになったのか。そして、どんな旅路の果てに私の手元にたどり着いたのか。そんな以前の所有者の痕跡にこの本にまつわる物語を夢想してみるのも古書の楽しみの一つだ。そして私の人生もこの本にしかるべき痕跡を残して未来に引き継がれる。ロマンチックではないか。


「製本・装丁(Book binding )」という古書の世界

洋古書には蠱惑的な奥深い世界がある。その装丁である。本は活版印刷された文字列を記録する紙媒体であるだけではない。本自体が工芸品、アート作品なのである。モロッコ革装、マーブルボード、天金、金文字、羊皮紙、簾の目紙、背表紙補強(five raised band)、アンカットページ、エッチング挿画など。今は失われし製本・装丁技法や素材が本を希少な工芸品にする。それが時間という試練に耐えた書籍となり、その出会いにクラクラしてしまう。あるいは、時の経過(aging)により、背表紙が外れボロボロな姿になって書棚に横たわっている古書にも、むしろ侘び、寂び、古びといった美を感じることすらある。まさに「崇高と美」の境地である。古書を装丁で買う。今風にいえば、一種の「ジャケ買い」である。

昔は出版人(Publisher)、印刷人(Printer)とは別に、製本・装丁を専門に請け負うBook binderがいて、書籍の購入者が、印刷済みのアンカットの束を買って、製本・装丁を依頼した時代もあった。あるいはハードボード表紙で簡単に製本した本を、自分用に装丁し直すことも盛んであった。活版印刷が普及したとはいえ、本は貴重で高価なもの、誰でも購入して読めたわけではない。詩人が事前に購入予約者を募り、代金を支払ってもらってから出版し、装丁家が買主の注文に応じてデザインを施すこともかつて流行ったことがある。詩集の装丁が殊に美しいのはそのせいかもしれない。蔵書家が著者と作品への敬意を込めて、あるいは知的資産への愛着を込めて、美麗な装丁を施して大切に所蔵する。これも本の文化の一つである。それを古書店で手にすることができる。

今でもイギリスの田舎のマナーハウスを訪ねると、立派な書斎に天井までの高い書棚があり、美しい革装丁の背表紙がずらりと並んでいる光景を見ることがある。特に全巻揃えの古典書全集などは壮観である。あるいは生涯で旅した思い出(Grand tour)を記録するために書いた旅行記や、訪問したエキゾチックな国々の書籍をコレクションとして並べる。本は絵画や彫刻、調度品などと共にその家の格式、教養、趣味あるいは一族の事績といったものを誇示するステータスシンボルであった。


神保町から見る「西洋古書事情」

話を神保町に戻そう。このようにここは世界的にもユニークな古書街として賑わっているが、一方で、古書業界もなかなか厳しい試練の時代を迎えている。これまでの大口顧客であった国内の大学図書館や、公共図書館、研究機関からの学術的にも貴重な古典書への引き合いが減少しているという。今やネットで世界中から本を取り寄せることができる時代なので、神保町の古書店に来て本を探す必要も無くなったというわけなのか。また古典書のデジタル・アーカイヴ化も進んでいて、コスト削減のためできるだけ書籍を所有しない大学もあるという。これが一時期神保町に閑古鳥が鳴くようになった原因の一つだという。もちろん読書離れ、学生すら本を読まないなどの、知的欲求の低下がある事も否定できないのだろう。しかし、バブル時代に日本が海外で買い集めた貴重な洋古書は日本にまだ眠っている。今やネット時代。逆に、東京の神保町にお宝あり!という情報が世界中にが拡散している。そして円安もあり、欧米のバイヤーや古書コレクターによって買い集められている。すなわち神保町の客層が日本人から外国人に移りつつあるようだ。

かつてはジャパン・マネーが海外でアンティークや貴重な古書を買い漁ったものだ。これまでは日本で開催される国際的な古書フェアーは、そんなジャパン・マネーを狙って海外の売り手が殺到した。日本にはそれだけの需要があった。しかし、今は、逆に日本に眠る洋古書や和書を買い付ける海外バイヤーや古書マニアが押しかけるようになった。長いデフレと円安で、今や「日本」は海外バイヤーによって買い漁られる国になってしまった。彼らから見れば、かつての「ジャパンアズナンバーワン」時代に海外流出した「文化財」の買い戻しなのだろう。神保町が世界の古書の共有市場(common market)として繁栄するのは嬉しいが、流出一方では寂しい。国の経済的な衰退が、知的資産の縮小、ひいては文化的な衰退につながりかねない。「貧すれば鈍する」だ。


神田古書会館

神保町にある神田古書会館。ここを拠点とする神保町の古書店組合は、こうして蓄積された和洋を問わず古典書の、言わば書庫的機能を果たしている。書誌データを調査、記録し、その価値を公正に評価し、情報発信し、貴重書が散逸したり、価値の毀損が起こらないよう保全する役割を担っている。また毎週「交換会」と称した加盟店のみが参加する「市」や、誰でも参加できる定期的な古書フェアーを開催して、流通を促し、歴史的遺産たる古書の適正な取引の仕組みを保持している。そうした地道な活動が評価され、世界的な古書市場としての信頼を獲得しているという。

古書市場も「レッセフェール」(資本主義的合理性)に任せていたら、淘汰され消えてゆくユニークな店や、売れなくて廃棄所処分される貴重な古書が出てくる。しかし、一見閉鎖的な「ギルド的」組織が、一定の規律と互助精神を持って歴史的遺産としての古書の価値を守り、流通を促し、伝統を継承し新たな価値創造を推進する。いわばSDGs ,社会変革(Social Innovation)を起こす社会事業(Social Business)の役割を担っているとも考えられる。その中から若手経営者が育ち、さらにオンラインやSNSとの融合で新たな事業モデルを生み出す。古書の持つ新たな価値に光を当てる。「古書は過去の賢人からの未来への預かり物」という古書店主の言葉に重みを感じる。


ある老舗洋古書店の「ビジネスモデル・イノベーション」物語

創業120年の老舗「K書店」は、4代続く神保町を代表する洋書、英文書籍の殿堂である。多くの文人墨客が集い、大学の研究者、学生にとっては憧れの書店であった。この店に出入りすることが知識のアップデートに欠かせない習慣であり、知的なステータスですらあった。戦後、高度経済成長期には店頭での洋古書販売。新刊書販売も併設し全盛時代を迎える。しかし、21世紀、ネット時代に入ると、ご他聞に洩れず大口の注文・納品が減り、さすがの老舗も徐々に書店経営受難の時代の波をかぶることになる。やむえず店舗縮小し古書専業へ。事業承継問題もあり、一時は廃業の危機に。「伝統ある老舗の事業継続」というビジネス・スクールのケーススタディーになりそうな事態であるが、現実の経営の苦労は想像を絶するものであったろう。しかし、ここからが老舗古書店の新たなスタートであったという。

4代目店主は3代目の娘さんで、大学を出て全く家業とは無関係な仕事についていた。しかし、実家の祖業の危機を目の当たりにして、仕事を辞め家業を継ぐことにしたという。古い商慣行や、付き合いが横行する業界での若店主デビューは苦労の連続であったであろう。だが、2代目(祖父)、3代目(父)の背中を見て育った。持ち前のセンスと才覚を発揮し、古書のオンラインショップ・サイトを立ち上げる。さらに「ディスプレー書」の販売と古書を活用した空間デザインコンサルという新基軸を打ち出す。ネット店舗とリアル店舗をうまく融合させた事業モデルを開発していった。古書店のビジネスモデル・イノベーションだ。

この「ディスプレー書」という着想の背景には、売れなくなった古書。すなわち大量の廃棄本の扱いという社会問題があったという。本を捨てるなんて勿体無い!なんとか活かす方法はないか?まさにSDGs発想である。まずデザインの優れた装丁の本をディスプレー用(ホテルや、インテリアショップ、アパレルショップ、レストラン、バーなど)にセット販売。セッティング受託やディスプレー・コーディネーションのコンサルもやる。重厚で整然とした書店内を古書をテーマとした写真撮影の場として提供。SNSで紹介し、オンラインショップで販売した。これが話題となり多くのメディアで取り上げられ注目を浴びる。「カリスマ店主」からの新しい古書生活の提案である。

最初は「本を何と心得るか」とか、「老舗も落魄れたものだ」「邪道の古書販売だ」とか、色々批判が殺到したという。しかし、革新には抵抗がつきもの。伝統と革新とは常にセットである。若い感性と問題意識が洋古書への関心を高め、さらに古典作品への関心、書籍に囲まれた生活への憧れ、といったライフスタイルを広めていった。それにまず反応したのが海外の客というのが興味深い。それだけ日本人の読書離れは深刻なのだろう。実店舗は数年前までは閑散としていたというが、今では連日外国人客で賑わっている。この言わば「神保町現象」が、忘れていた古書の魅力を思い出させ、個人の研究者や愛好家などの、いわば古書マニアが「アマゾンのジャングル」から戻ってきたのだ。かく言う筆者も明らかにその一人である。あのロンドンのダンジョンとは一味違う、「K書店」の端然とした「書の殿堂」にすっかり魅了されている。

4代目店主は、古書店を、近寄りがたい店、敷居が高い店、ではなく、思わず入ってみたくなる店に変えた。それも伝統的な老舗書店の佇まいをそのまま生かして。最近は外国人客の増加に合わせ、Books on Japan in Englishとして、気軽に手に取れる日本関連の英訳ペーパーバック版などの品揃えを充実させている。そして世界中がネットで繋がる時代だからこそ、海外からの注文が舞い込むようになった。遠く離れた海外の会った事もない客との出会いとコミュニケーションを大事にし、新しい書店文化を創造すべく頑張っている。いや、これは思い起こしてみれば、『チャーリングクロス街84番地』の、ロンドンの伝説の古書店「マークス」のフランク・ドエルと、ニューヨークの作家ヘレーヌ・ハンフの交流の物語に描かれている世界ではないか。まさに本を通じた信頼関係、書店文化の原点である。コミュニケーション手段が手紙からネットに替われども、底流にある「本への愛」は変わらない。それを神保町の「K書店」で改めて発見させてもらった。「朋ありて遠方より来たる亦楽しからずや」だ。

最後に、今どきの「世界の神保町」を象徴するようなエピソードをもう一つ紹介したい。アメリカの比較文化学の女性研究者が、数年前から神保町を拠点に、古書店でインターンをしながらフィールドスタディーを続けている。そんな彼女は最近、「神保町の沼」にハマってしまったのか、「古書の大海」に飲み込まれたのか、なんと研究対象の古書店の店主とめでたく結ばれ、神保町の「女将」に収まってしまった。これからは地元に根を生やしたローカルな「本屋の女将」にして、グローバルに発信する研究者として世の中を面白くしてくれるのだろう。やはり、ここでも神保町を活気づけているのは女性のパワーと海外顧客なんだ。そのダイナミズムにワクワクさせられる。



KITAZAWA DISPLAY BOOKS

このディスプレーもオシャレ

今や神保町のランドマーク





老舗「八木書店」

「一誠堂書店」は建物もクラシック

「大久保書店」


「文房堂」書店ではないが

浮世絵・版画といえば「大屋書房」

「三省堂書店」新本店開業

かつて徘徊したロンドン セシル・コート古書店街



本稿を執筆するにあたって、北澤書店の北澤一郎社長、北澤里佳店主に、店内写真掲載許可を含め、多大なるご協力をいただいた。末尾ながら謝意を表したい。

参考:朝日新聞デジタルマガジンの特集記事です。

参考:

84 Charing Cross Road:

ロンドンのMarks Bookshop:マークス書店を舞台にした1986年制作の映画。出演:アンソニー・ホプキンス、アン・バンクロフト

へレーヌ・ハンフ(NYCの作家)、フランク・ドエル(Londonの古書店主)の20年にわたる手紙による交流の物語

日本語文庫本『チャリング・クロス街84番地』へレーン・ハンフ編著、江藤淳訳 中公文庫










2025年2月1日土曜日

大井町再開発 大型複合商業施設と「せんべろ」横丁 〜資本主義的合理性とは何か?〜

 

JR大井町駅


高輪ゲートウェー、品川駅と鉄道沿線沿いに連続して進められているJRによる再開発事業の波が、ついに大井町にも及んできた。東急大井町線の北側のJR車両センター(旧国鉄大井工場)の敷地の一部が再開発の対象。かつてJR社宅(旧国鉄アパート)があったところ、そして一時「劇団四季」シアターがあったところ。大井町駅直結の複合商業施設ができるという。大井町にもこの大手デベロッパーが大好きな「大型複合ビル」がニョキニョキと建ち始めた。それにしてもまあ、どこへ行っても同じ規格、どれもこれも何の変哲もないGlass & Steelのビルばかり。東京は個性のない都市景観が連なる街へと変貌中。今回の再開発エリアには入っていないが、大井町名物「せんべろ」横丁も風前の灯か😵「昭和は遠くなりにけり」だ。

空には羽田着陸の飛行機が、地上には高層ビル建設のクレーンが



東急大井町線駅に隣接する「大井町TRUCKS」
  



それにしてもどこも変わり映えしない「規格品のプレハブビル」ばかり



JR大井町駅と東急大井町駅
品川駅方面を展望



大井町は戦後の焼け跡復興商店街の痕跡が今も残る街だ。トレンディー、ファッショナブルなどという、賞味期限の短いブームを追いかける街ではない。東急大井町線で繋がるお隣、おしゃれな街で人気の自由が丘が、周辺建物の老朽化に伴い再開発計画が持ち上がり揺れている。例によって辺りを取り壊して「15階建ての複合再開発ビル」化しようとしている。この町の「おしゃれな」佇まいに複合施設ビルは必要なのかと。何でも高層ビル化すればいいってもんじゃないだろう。ビルが陳腐化すればデベロッパーはまた建て替えする。壊しては作り、作っては壊す。そうして金を回す。この資本の論理のもとでは歴史や文化や情緒が棲みつく間もない。大井町も高度経済成長以来の再開発で街は変わった。バブル崩壊までは日本の戦後高度経済成長を牽引する京浜工業地帯の一つの中心であった大井町。国鉄や紡績会社(カネボウ)や、製薬会社(第一三共)、日本光学(ニコン)などの大手工場、それに関連する中小工場が集まり多くの勤労者で賑わう街であった。その頃の面影が残る地区の多くは飲食店街で、今でも庶民にとって懐に優しく、戦後を知る昭和老人にとっては懐かしい街となっている。人気のB級グルメの店や安くて美味い居酒屋などもあり、いわゆる「せんべろ」横丁が今も健在だ。限られた土地、狭い通りに店舗が密集する地区なので地震や火事を考えると、行政としては安全な防災街区に「再開発」したいのだろう。実際、最近も火事が発生している。しかし、この何とも言えない路地の奥に愛おしい昭和の佇まいを感じる人が多いのもまた事実。赤提灯、縄のれんが再開発複合商業施設ビルのテナントになってしまっては情緒なしだ。経済合理性一本槍の「規格型ブレハブビル」や「複合商業ビル」の対局をなすこの無規格で非合理的カオスがたまらなく愛おしい。有形資産価値:tangible value VS 無形資産価値:intangble value 、資本主義的合理性と非合理性。これらがが同居する大井町。うまく調和すればそれが新たな町の魅力になるのかもしれない。


「東小路」入り口


この人気店も火事に見舞われた




「大井新地横丁」



2023年11月の火事で12棟が消失した。人的被害はなかったのは不幸中の幸い。
今も再建の見通しが立っていないようだ