スマホカメラとFacebookなどのSNSの普及に伴う、写真の「どこでも化(place shift)」、「いつでも化(time shift)」、「誰でも化(user generated contents)」には眼を見張るものがある。誰でも其の気になればアンリ・カルチェ・ブレッソンのように「決定的瞬間」が撮れる。ロバート・キャパのような「戦場写真」も市民のスマホからインターネットで配信される時代だ。豆粒のようなパンフォーカスレンズ(型押しプラスチック製)に極小センサー(これに500万画素を押し込んでいる)の組み合わせでも、普通の写真なら結構良く写る。カメラならわざわざ今日は「撮影するぞ」と意気込んで、鞄に詰め込んで外出しなければならない。スマホはいつもポケットに入ってる。しかもネットに常時繋がっている。キャンデットフォト革命だ。
しかしこれは、「こだわり金属カメラ愛好家」、いや「守旧派」にとっては、憂慮すべき,嘆かわしい事態である。こんなカメラで事足れりとして欲しくない。いやこんなモノをカメラと呼ばないで欲しい。スマホやPCなどの液晶の小さな画面で一回観れば終わり、として欲しくもない。まして、スマホカメラ普及でデジタルカメラの売れ行きが低迷し,日本のお家芸であるカメラ産業が衰退して欲しくもない。
そうしたカメラの商品としてのコモディティー化の動きの一方で、昨今、デジタルカメラも大きく進化し始めている。「写ればよい」、から徐々に枝分かれし、カメラ本来の持つ写真撮影の喜びを味わう、あるいはアート作品造りに貢献する製品が次々とリリースされ始めつつある事は喜ばしい事だ。写真のデジタル化に伴う二極化の動きが見え始めたようだ。日本のカメラメーカーの「カメラ」「写真」に対するこだわり、それを事業化する「企業家精神」はまだ健在だ。
私はプロのフォトグラファーではないし、別にウデの良い自称「写真家」でもないが、カメラにはこだわりを持っているつもりだ。もともと銀塩写真機時代からのコレクターだし、「時空トラベラー」としての歴史を巡る旅にカメラは欠かせない。カメラの使用頻度も高い方だと思う。その「時空トラベラー」風景スナップの相棒は次の通りだ(言うまでもないが,全てのコメントはごく個人的な好みによる感想に過ぎない事をあらかじめお断りしておく)。
(1)Nikon D800E
まず、「じっくり腰を据えて撮影」には、Nikon D800E+AF Nikkorレンズ群。フルサイズCMOSセンサーに、圧倒的な画素数とローパスレス化されたフィルター、高速画像処理エンジンによる、高精細、高解像、かつ豊かな諧調再現は風景写真に欠かせない相棒となっている。これさえあれば「なんもいらねえ〜」くらいだ。使用レポートは以前掲載したので割愛する。
(2)Fujifilm Xシリーズ(X-Pro1, X-E1, X100s, X20)
お次ぎは、「ブラパチ散歩撮影」カメラ。デジタル一眼レフカメラ(デジイチ)ではチと大仰だというシチュエーション用だ。ここの選択肢が増えた事が,嬉しくもあり悩みの種でもある。どれにしようかな? 最近はもっぱら、FijifilmのXシリーズが主力である。このシリーズのカメラはどれも素晴らしい。レンズ交換式のX-Pro1, X-E1。これらは「じっくり腰を据えて撮影」機材にも充分なりうる。画素数こそNikonD800Eに比べれば少ないが、APS-Cサイズにローパスレスセンサーと最新の高速画像処理エンジン。秀逸なフジノンレンズ群。そして高品位な金属外装にユニークなハイブリッドファインダー(光学and/or電子ファインダー)もギミックではなく,ちゃんと実用的に使える。
また、純正のライカMレンズ用マウントアダプターも用意されていて、Leica M9やM8ボディーに少しフラストレーション覚えている人にはうってつけだ。レンズの収差や歪曲を補正してくれる機能を利用する事も出来る。ライカレンズでライブビュー撮影出来る快感を味わえる。
さらに35mm単焦点レンズ+APS-CサイズのCMOSセンサー搭載のX100と其の後継機種であるX100s。2/3センサー搭載のコンパクトズームX10と其の後継機種X20。どれも造りが良く愛用のカメラだ。今後の新ラインアップのリリースも楽しみなシリーズだ。Xシリーズについても過去にレポートしたので、これ以上の説明を割愛する。
(3)SONY Sybershot RXシリーズ(RX100,RX1)
最近注目しているのはSONYのRXシリーズ、RX100とRX1だ。SONYは旧コニカミノルタのカメラ部門を買収し、本格的にスチルカメラに参入した。自前のセンサー開発技術による自社供給チップセットとあいまって、ユニークな製品が次々出てきた。αNEXシリーズなどは、APS-Cセンサー搭載のEマウントレンズ交換カメラ(いわゆるミラーレスカメラ)である。NEX-7は其のユニークなデザインと操作性で注目を浴びたが、正直、個人的にはあまり引かれない。レスポンスがよくない気がする。AF合焦速度、読み込み速度、いずれも不満足(ライカM9ほどではないが)。スナップ撮影時にフラストレーションが残る。また、ボディー形状がレンズに対して異様に薄くて小さい。これがデザイン上のユニークさなのだが、バランス、ホールドがいかがなものか。総じてソニーは軽小短薄にこだわっているようだが、カメラは小さければいいと言うものではない。ホールド性を高めるグリップ類も用意されていない(おそらくデザイン上のこだわりなのか)。不用意に触ってしまうボタン類には困りもの。特に動画撮影ボタンを知らないうちに押していて、気付くと延々と自分の足下と地べたが写っている、など観たくもないものだ(動画をオフにする事も出来ない。そもそも私にとってスチルカメラに動画は要らないから余計に)。
1)SONY RX100
Sybershot系列のRX100はカールツアイスの4倍電動ズームレンズのコンパクトデジタルカメラ(コンデジ)。これは結構いい。こんな小さなボディーにコンデジとしては大きな1インチCMOSセンサーを搭載し、高画質な写真が撮れる。ボケ味もコンデジにしてはよい。しっかりした金属外装ボディーにも好感だ。風景ブラパチ写真家にとって、意外にもメインの機材になりうる。始めは、NEX-7の印象がイマイチだったのであまり期待していなかったが、使ってみて気に入った。
難点は、スイッチオン、オフのレスポンスの悪さ。常時スイッチオンにしておかねば,いざという時に「決定的瞬間」を逃してしまう。スイッチオフしてからも、なかなかレンズが収納されない。イラッとすること度々... また売り物の鏡胴の外周リングのフィーリングにもクリック感やメリハリが無い。ヌメ〜としている。軍艦部がフラッッシュサーフィスなのはデザイン的にはいいのだろうが、シャッターボタンと電源ボタンを指で探す間にチャンスを逃したり、間違って電源ボタンを押してレンズが引っ込んでしまったり... ボディーはやはり小さすぎてハンドリングが悪いが、これはコンデジだから許そう。特にGARIZのケースを付けるとホールドが少し向上する。
2)SONY RX1
次に、話題のRX1。カールツアイスの35mm f.2ゾナーT*という豪華な単焦点レンズカメラだ。しかも2430万画素のフルサイズCMOSセンサー搭載のモンスターコンデジ。コンデジとは思えない高画質を楽しめる。これだけでも話題性充分だが、さらに24万円というプライスタグ! ハイエンドフルスペックデジイチ並みだ。これでも入荷が追いつかないほどの注文殺到だそうだ。世の中ホントに景気が悪いのか...
対抗馬は、先述のFijifilmのX100, X100sだが、こちらはAPS-CサイズCMOSセンサー。こちらも金属外装のクラシックなスタイルの高品位ボディーに明るいフジノンレンズで健闘していている。近接撮影にも対応。また28mmレンズアダプターがオプションにあり、35mmと全く同等の画質を維持出来る点は魅力的。RX1,X100sの両者は撮影結果に圧倒的な差がある訳ではないが、RX1はコンデジボディーに35mmフルサイズセンサー、というSONYの意地と根性を買う人用だろう。ちなみにFujifilm X100sの方は市場価格12万円程度とSONY RX1の半分。どう見る?
RX1は、こじんまりとはしているが、剛性感のある金属外装に、太めのレンズ鏡胴というスタイル。レンズ一体型カメラであるために、レンズ設計、鏡胴設計に自由度が高く、フルサイズセンサーとの組み合わせによる高画質を極限化するとこういうバランスになったのだと設計者は言う。ややレンズサイズに対するボディーの小ささが気になる。手振れ補正機能も無いし、ファインダーも無いのでやはりホールド性に不安が。アクセサリーにMatch-Technical社のLeicMデジタル向けのフィンガーグリップにそっくりなパーツが用意されているが、ハンドグリップは用意されていない。これもデザイン重視だからか?
ちなみに、このフィンガーグリップ、M-T社の特許、意匠侵害にはなってないだろうね,痩せても枯れても「世界のSONY」なんだから。もっとも、いくつかのボタンとレバーがこのグリップで隠れてしまわないように左右にフォールド出来るようになっているところや、アクセサリーシューから不用意に外れないようにロックがかかるようになっている点はさすがだ。オリジナルには無い改良の得意な日本製造業の面目躍如たるシロモノ(?!)。
レスポンスはNEXシリーズに比べると良くなっている。また、不用意に動画ボタンを押してしまうミスをなくすために、動画オフ撮影機能がついた事は嬉しい。もっともNEXシリーズも6が出てより高速処理、レスポンスの向上が図られたようだ。やはりユーザからの不満が多かったのだろう。
この圧倒的な単焦点レンズのボケ味や、高解像度を活かした写りには参るが、ただやはり私的「ブラパチ風景写真家」にとっては、ズームレンズは欠かせない。もちろんデジイチ+高倍率ズームを持ち出せばいいのだが、軽快にスナップを楽しむにはコンデジがいい。FujifilmとSONYの高級コンデジは超解像ズーム機能がついている。画質を損なわないで、光学ズームの倍率を補う、というデジタルズームで望遠撮影が手軽に楽しめるようになった事は嬉しい。RX1も単焦点カメラにも関わらず、20cmまでの近接撮影と、2倍までの(すなわち70mm)超解像ズームがついている。これはこれでいいが、画素数(LからSまでサイズダウン)を落としての望遠撮影にこれだけの高級単焦点カメラを使うのはやはり邪道だろう、と納得していない自分がいる。
最後にバッテリーだが、RX100と共通の薄型。大丈夫か?やはり「満タン」表示は長続きしないようだ。予備バッテリーを持ち歩く事がおすすめとなる。ちなみに、充電はUSB経由でも出来る。
以上が,最近気に入っている「相棒」カメラであるが、今後それぞれのカメラメーカーはどういう方向に進んで行くのだろう。NikonやCanonはハイエンド一眼レフ中心で行くのだろう。Leicaは次のMで、かなりデジタルカメラ度が上がるだろうが、まだ往年の光学レンジファインダーカメラの頂点の夢からは覚めきれないだろう。一方、SONYはそもそもどこへ行くのだろう。新しいコンセプトのカメラは挑戦的だが、カメラが本業のメーカーとは思えない。本業(家電?)が方向感を見失っているようだし、カメラをどのような立ち位置の商材とするのか、商品ラインアップ上の位置づけがよくわからない。やはり,今のところFujifilmがもっとも写真の老舗らしく、フィルム開発で培った画造りのノウハウと、光学技術に最新のデジタル技術を組み合わせてカメラの王道を極めるのだろう。カメラメーカーとしては後塵を拝してきたフィルムメーカの富士フィルムが、デジタル時代のハイエンド写真機造りをリードする。オモシロイ。このXシリーズは今後も多いに楽しみだ。
ところで、私の理想の「ブラパチカメラ」スペックは次のようなものだ。
1)金属外装の高品位コンパクトボディー(適度の重さとホールド感を維持した)。ポケットとは言わないが、常に鞄の中に入れて持ち歩ける事が大事だ。掌で転がして心地よいカメラ!
2)画質には妥協はしたくない。ローパスレス・フルサイズセンサー(画素数は1600万画素以上であればよい)。
3)24ー120mmくらいのf2.8の明るくて高品位なズーム(マクロ機能付き)レンズ。やはりズームは便利だ。開放ボケ味も欲しい。
4)プログラムオートがあってもよいが、基本は絞り優先オートがあればよい。シャッタースピードセレクト、露出補正ともにクリック感のあるダイアル式で操作できること。
5)測光方式は中央部重点(スポットがあればなお良い)。
6)ファインダーは内蔵(外付けは邪魔だ)。ハイブリッド(電子/光学)がいい。
7)電源立ち上げ、AF合焦、書き込み読み込みのレスポンススピードが速いこと。
8)動画機能や使いもしないギミックの無い潔いカメラ。
そしてもちろんコストパフォーマンスの良さが求められる事はいうまでもない。結構贅沢な要求だろう?
カメラ屋さんには使い手の感性をくすぐる「高品質、高付加価値商材」のプロデュース能力が求められる。使い手は,demandingな要求をドンドン作り手に突きつけて行く事が求められる。そして、作り手と使い手のそうしたインターアクションの結果、完成した良いものはドンドン買って、カメラ屋さんを元気にする事だ(もっとも、フトコロ的には最もハードルが高い要求だが... )!
(Fujifilm X-Pro1。このハイブリッドファインダーを開発した技術者は天才か! あの越えられなかったLeicaMをはるかに越えている。レンズラインアップも益々充実して楽しみなシリーズ。改良バージョンが5月頃リリースされるとの報道も。)
(Fujifilm X-E1シリーズ。X-Pro1の普及機版といわれるが、光学ファインダーを除けば、X-Pro1をファームウエアーでブラッシュアップした高機能版だ。サイズも一回り小さくなり取り回しがよい。ブラックとシルバーボディーが用意されている。純正マウントアダプターでLeicaMレンズが使える。)
(Fujifilm X100s。X100の改良版。スプリットイメージファインダーにより、マニュアル撮影がよりやり易くなるなど、さらに「ファインダーによる撮影」にこだわった。新しい画像処理エンジンで高速かつ高画質処理。外見は変わらないが、中身が大幅に進化している)
(FujifilmX20。X10の改良バージョン。シルバーボディーが加わった以外、外見は変わらないが、新しい画像処理エンジンでレスポンスの高速化、高解像度化が図られた。X10ではオマケっぽかった光学ファインダーにデジタル表示が加わり,より実用的なファインダーに変身した。他のコンデジに比べると少し大きな2/3サイズセンサー搭載とはいえ、依然小さなセンサーサイズだが、ユニークな画素配列とローパスレス化により、画質はフォーサース規格センサーと同等とうたう。)
(SONY RX100。外見は他社のコンデジとあまり変わらないサイズと風貌だが、1インチCMOSセンサーを搭載した高画質コンパクト。外装にアルミ筐体を纏い高品位な手触り。レンズはカールツアイスのバリオゾナー。)
(SONY RX1。カールツアイスの35mm F.2ゾナーT*単焦点レンズにフルサイズCMOSセンサー、というコンデジとは思えない高級仕様。お値段も高級!その分写りは最高!)
(写真はいずれもメーカーウエッブサイトから引用)
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2013年2月26日火曜日
2013年2月17日日曜日
土佐の赤岡町 ー「あの頃の町」へ迷い込むー
絵金蔵と弁天座 |
おっこう屋 |
私の祖父は土佐人であった。その祖父は臨終の床の苦しい息でポツリと「ああ、赤岡のジャコが食べたい」とつぶやいた。あの頑固で無骨な祖父が「赤岡のジャコ」かあ。人間は死ぬ時には,薄れて行く意識の中で、生涯にあったいろいろな事を回想するのだろう。まるで走馬灯のように。祖父は自分が生まれ育った高知の「赤岡」を思い出したのだ。そういうものなのだ、人間って... まだ18才の少年だった私の心にその末期の言葉がこだまのように響いた。
祖父はいわゆる土佐の「いごっそう」、即ち頑固一徹な明治の男であった。次男坊で、高知商業卒業後、当時の日本一の経済都市、大大阪へ出て住友銀行に職を得た。大阪で一家を成し、私の父が生まれ、上町台地の一角、北山町に家を構えた。やがて脱サラ、起業して、道修町に製薬会社を創業。会社は順調に成長し,祖父は西宮の夙川に邸宅を構えるまでになった。当時の関西の立身出世物語だ。そして戦争。社員の多くを失い,創業パートナーを病気で失い、会社は廃業を余儀なくされた。高知から青雲の志を持って大大阪に出て掴んだ栄光と挫折。波乱の人生だった。
その祖父の「赤岡」である。「ジャコ」である。私は土佐人の血筋は引いているが、高知に住んだ事は無い。この歳になるまで、その謎の地名「赤岡」にも「ジャコ」にも関わりなく、祖父のようなビジネスマン人生を送って来た。今回仕事で高知へ出かけることになった。ふと、あの祖父の臨終の一言「赤岡のジャコ」が心に蘇った。「ところで赤岡ってどこだ?」「なぜジャコなのか?」。今まで疑問を疑問としてけ受け止めていなかったのに、急に「その疑問は解いておかねばならぬ」と思い始めた。人間やはりある歳にならないと心に響かないものがあるものだ。私もそういう歳になったという事か。
赤岡は、高知市の東、高知県香美郡赤岡町のことだった。いまは平成の町村合併で香南市となっているが、それまでは日本一小さな「町」として有名であったらしい。今はひっそりとした町だが、もともと高知城下に伍して栄えた在郷町、商業都市。上方や九州への回船業や製塩業、綿織物業(赤岡縞)が盛んな土地であったそうだ。そして赤岡の名物は「絵金」と「どろめ」だ。また謎の言葉が出て来たな。「絵金」とは、江戸時代末期から明治にかけて活躍した絵師金蔵のこと。芝居絵で名高い赤岡の有名人だ。こういう絵師を抱える事の出来る経済力を持った豪商が多くいた町だったということなのだ。そして「どろめ」とは、まさに「ジャコ」のことである。赤岡港に上がる「ちりめんじゃこ」が昔から名物だったのだ。しかし「絵金」の話は祖父から聞いた事無かったなあ。今みたいに有名になるとは思ってなかったのかもしれない。
ともあれ、これで「赤岡のジャコ」の謎がひとまず解けた。よし,行ってみよう祖父の故郷、赤岡へ。
高知からは、JR土讃線で御免(ごめん)まで、さらにそこから第三セクターの土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線に乗り換え「あかおか」下車。高知駅からは約30分。この「ごめん・なはり」線(なんとも頭を低くした奥ゆかしいの名前が微笑ましいが)は高架鉄道で、太平洋沿岸を安芸、奈半利まで走る景観抜群路線だ。高知の生んだ漫画界の巨匠、やなせたかしのラッピング一両編成車両がユニークだ。海岸側にはオープンデッキが設けられた車両もある。
赤岡に着く。下車した人は私を含めて3人だけ。無人の高架駅だ。絵金さんの作品を収めた「絵金蔵」がほとんど唯一無二の観光スポットだから、まずはそこを目指してみよう。そこまで行けば町の案内があるだろう。少し歩くと、あったあった絵金蔵はコッチという看板が。しかしよく見るとその上に「現在臨時休館中」のはり紙。「なんじゃそりゃ?」ここまで来て絵金蔵が閉まってるんじゃあ他に行くとこないじゃないか... じゃあ、最近「弁天座」という歌舞伎小屋が再建されたと言う話を聞いていたのでそこへ行こう。なんだ、絵金蔵の隣だ。絵金蔵は2月イッパイ全面改装中とか。なかなか立派な美術館だ。隣の弁天座も、愛媛県内子町の内子座ほど大きくはないし、オリジナル建造物の再建でもないが、赤岡の意地を見せるような立派な芝居小屋だ。そこに絵金の芝居絵が2枚かかっている。
さて、町を歩く。小さな町だが、ここにはかなりの古民家、古い商家が並んでいる。土佐独自の水切り瓦の豪壮な屋敷や蔵が眼につく。かつて栄えた商業都市の残照を見る思いがする。また港の近くには本瓦葺きの純和風建築がずらりと並んでいる。漁業で結構豊かな家が多いのだろう。しかし、残念ながら多くの古い建物は老朽化がひどく,ほとんど廃屋になっていたり、改造されたり、あるいは完全に建替えられていたり。町の歴史的な景観が保全されているとは言いがたい状況だ。残念だ。重要伝統的建造物群保存地域に指定もされていないので、保存修景のお金も出ないのだろう。
横町という古い商店街に「おっこう屋」という雑貨屋さん(骨董屋と自称していないが)がある。建物は,江戸時代の脇本陣であったもの。店内は、文字通り「足の踏み場も無い」ほど、様々な雑貨(骨董?)が並んでいる。外からこわごわ覗いていると、ここのオカアさんが、「コーヒー入れるき、なかに入りや」。コテコテの高知弁だ。祖父や祖母の関西弁風高知弁を聞いていた私にとって、これはこれは、なんとnative Kochi-benに感動!
「おっこう屋」とは「奥光屋」だそうだ。奥深い所にある光を,という意味を込めたと。ここは一種の町の社交場になっているようだ。町おこし活動の拠点でもあるそうだ。ここに山のように散らかっている(失礼)無数の品々は、どれも町の古い蔵や町家から出てきたものだそうだ。皿、壷、着物、家具、グラス、ランプ、掛け軸、置物、柱時計、電話機、蓄音機、クラシックカメラ等等等等等等..... 見れば見るほどお宝満載の不思議なラビリンス。ウラには庭があり、そこにも「お宝」が散乱している。かつて脇本陣であった事を示す立派な蔵もある。オカアさん、「怖くて開けてない」と。
昨今,次々と町の古民家が取り壊され、蔵が消え、若者が居なくなり、町に残る年寄りも古い家を維持すことが出来なくなる。こうして、家に伝わるお宝をここに持ち寄って売ってもらうことになるのだと。また、売上の一部は、町の古い建物の維持保存の資金になっているそうだ。重伝建地区の指定もされてないので、行政からの補助金も出ない。住民のある種の「景観保存」自衛策なのだ。しかし、入ってくるほどには出て行かない(売れない)そうだ。そうだろう、この「在庫」の山は.....
オカアさんにコーヒー入れてもらいながら赤岡の話を聞いた。私の祖父がここの出身で、臨終の時「赤岡のジャコが食べたい」と言い残した話をすると感動してくれた。「ジイちゃん、ええオトコやっつろうね」「赤岡は、今はこれバアのチンマイ町になっちゅうけんど、スゴイ町やきにね」「赤岡は情念の町ぜよ」「その頃(祖父の少年時代)はもっと賑わッチュウロウね」。話が止まらない。祖父が当時どの辺に住んでいたか,今となってはもちろん知る術も無いが、オカアさん、「いっつも皆で集まって昔の事聞きユウキ、知っチュウもんがおるかもしれんロウ。聞いちょいちゃらあ」と言ってくれた。このオカアさん、ホント「ハチキン」(土佐のしっかりした女性のこと)や!
以前、あの赤瀬川原平や藤森照信、南伸坊等の「路上観察学会」の面々が赤岡にやって来て、「赤岡不思議幻灯会」なるまち歩き会を催したそうだ。このオカアさんは、その時の記録をまとめた「犬も歩けば赤岡町」(赤岡探偵手帳)という本の発行人になっている。私も歩いてみてわかったが、確かに赤瀬川先生の好きそうな町だ,赤岡は。町には不思議な「トマソン」が至る所に。ちなみにこの本、古い銭湯の建物を移築保存するための資金集めだったそうだ。無事お金が集まって「風呂屋が残った」。めでたしめでたし。
今の赤岡は、7月の「絵金祭り」とともに4月の「どろめ祭り」が有名だ。「どろめ」は先ほどの説明通り「ジャコ」のことだが、どろめ祭りは、一升瓶で酒の飲み比べをするいかにも高知らしい祭りだそうだ。昔はどろめ(ジャコ)で一升酒飲んだのだろう。ちなみに祖父は「下戸」だった。お猪口一杯でとスグ真っ赤になって「火事場の金時」になっていた。さぞや若い頃は酒で苦労しただろう。父も私もその下戸の血を引いているのでよくわかる。高知出身だ、九州出身だというだけで、何の根拠も無く「酒は強い」と決めつけられる理不尽さ... でも、どろめ(ジャコ)の方は、大好きだったに違いない。赤岡漁港近くにどろめの老舗三浦屋が天日干しの工場と直営店舗を開いている。「ははあん、ここのがうまいんだ,キッと」。急に祖父が懐かしくなって涙が出そうになった。
結局、祖父の少年時代の暮らしの痕跡を見つける事は出来なかったが、祖父の「あの頃」の町を訪ねることが出来た。祖父を育んだ「赤岡」。ジャコが名物である事も現認出来た。ハチキンのおカアサンにも会えた。native Kochi-benを聞く事も出来た。滅び行く栄光の赤岡をなんとかしなくては,とがんばってる人々の活動にも触れた。建物や町並みが壊されて行く中で、赤岡の遺産が集積された骨董屋さんががんばっている。祖父の故郷を「どげんかせんといかん」。また来よう、我が家のルーツを感じる旅に。私が今ここに居るのも、祖父がこの町で育ったからだ。
(追記)
今回、行きは大阪から飛行機で高知へひとっ飛び。帰りは土讃線経由で岡山から新幹線で帰った。四国はこんな狭い島なのに、山山山..... 瀬戸内沿岸から太平洋沿岸の高知に出るにはこの山隗の波を越えねばならぬ。鉄道も道路も大変な難工事だったことだろう。今は本四架橋で瀬戸内海をひとまたぎで岡山へ。日本の土木技術のすごさを見せつけられる。そういえば,祖父母も父も,大阪から高知への里帰りの行き来は船だったと言っていた。陸路よりも便利で速かったんだろう。土讃線が出来たのはかなり新しい事のようだ。
機上から見ると、所々山肌や谷間にへばりつくように集落が見える。人の営みの執念に凄みを感じる。四国山脈を飛び越えると、すぐに目の前には無限に広がる太平洋。幾重にも重なりあう山並と広大な太平洋に挟まれた狭い帯状の平地に人が住む高知。ボンバルディアは剣山を越えられるのか,というような低空飛行でようやく高知空港に降りる。そして、帰りは地べたの土讃線で。三次元で四国を体感する。トンネルと鉄橋の連続。しかし上空から見る以上に沿線には集落や道路が続き、人跡未踏という感じでない事を改めて現認。大歩危小歩危は秘境の空気に満ちているが、山の中にある阿波池田駅の構内の広さには人々の開拓の歴史を感じる。高知はやっぱりすごい所だ。人はハングリーにならざるを得ない。自ずと外向きにならざるを得ない。坂本龍馬のような人物が出ても何ら不思議ではない土地だという事を改めて感じた。
(高知独特の水切り瓦のある蔵。台風などの風雨から建物を守る高知ならではの工夫。赤瀬川原平がこれを見て「トマソン」と間違えたそうだ。さもありなん話だ。)
(新装なった弁天座。なかなか赤岡の気合いがこもった芝居小屋だ。この向かいが絵金蔵。こちらは改装のため臨時閉館中。残念。)
(横町の雑貨店、おっこう屋さん。店内は赤岡のお宝満載。その奥深さはまさに迷宮。ハチキンのオカアさんが居る店。)
(土佐くろしお鉄道ごめん・なはり線あかおか駅。高架のプラットホームからは美しい瓦屋根の家並が見渡せる)
(ボンバルディアで四国山脈をひとっ飛び。幾重にも重なる山並みの向こうに高知が)
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