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2019年10月31日木曜日

世界遺産 首里城炎上 〜必ず復活するぞ琉球の風!〜

首里城正殿

守礼の門



今朝、驚きのニュースが飛び込んできた。那覇市の世界遺産、首里城が炎上し、正殿、南殿、北殿が全焼した。なんということだ。絶句... 言葉がない。かつての琉球王国の王宮。堅固にして華麗なる琉球王朝の城(グスク)。沖縄県民、日本国民全ての貴重な文化遺産にして、日本の文化の多様性のシンボルが一晩で失われた。先の大戦で国内唯一の戦場となり、戦災で失われた首里城は、戦後、本土復帰したのちに市民の力で復元、再建された。にもかかわらずその努力は水泡に帰し、建造物は灰塵に帰した。地元、沖縄の方々の心中察するに余りある。

今から8年前に、私は仕事で那覇市と宜野座村に出張した。那覇支店と宜野座のデータセンタを訪ねたのだが、やはり印象に残ったのは壮麗な首里城と、延々と続く米軍基地、そして美しく輝く辺野古の海であった。振り仰いだ首里城の威風堂々とした勇姿が目に焼き付いている。それが無残な姿になってしまった事を思うと胸が痛い。

かつて中国の明、清王朝の朝貢冊封体制下にあった琉球王国。やがては日本の薩摩支配を受け、首里城正殿の左右には中国風の北殿、日本風の南殿が配され、双方からの使節を受け入れてきた。幕末の1853年、ペリー艦隊が那覇に寄港し、強引に首里城に押しかけ大統領国書を手渡している。江戸湾浦賀沖に出没する直前のことである。首里城は琉球王国の東アジアにおける地政学的な立ち位置を示す貴重な史跡であるばかりでなく、大国に囲まれた小さな海洋王国が、軍事ではなく、現実的な全方位外交と中継貿易で繁栄し、平和を維持し、高い文化を育んできたという歴史を学ぶ縁ともなる文化遺産である。こうした海洋王国、琉球の歴史と、大国の戦乱に巻き込まれた戦中、戦後の沖縄の苦悩の歴史、そして日本の、世界の向かうべき方向を指し示す歴史の証人としての歴史をしっかり心に刻むためにも、心より首里城の早期復興を祈念したい。


2011年2月25日のブログ:

時空トラベラー  The Time Traveler's Photo Essay : 琉球の風 ー成長のポテンシャルはここにありー: 仕事で沖縄へ出張。3年前にシンクタンクの遠隔地医療のプロジェクトで琉球大学を訪問した時以来だ。 大阪伊丹からの便は満席。こんな季節に,何故?と思ったが、沖縄は今が一番過ごしやすい季節なのだ。暑すぎもせず寒くもなく。確かに...


なんと無残な.....
(朝日新聞デジタル版より)




2019年10月27日日曜日

SIGMA fp + 45mm 1:2.8 DG DN 〜久しぶりにワクワクするカメラが登場!〜

 シグマという会社は面白い。昔はニコンやキャノンなどの純正レンズに比べて廉価で入手しやすい交換レンズ群を提供するサードパーティーレンズメーカであった。ライカの一眼レフRシリーズ向けにズームレンズをOEM供給してきたメーカーとしても知られている。悪いが、これまであまりハイエンド製品を提供するメーカーとのイメージはなく、我々のようなカメラ好きだがお金のない学生や、ニコンには到底届かないアマチュアカメラマンに、安い交換レンズを提供するメーカとの理解であった。ところが最近はニコン、キャノン用だけでなくミラーレスのフロントランナー、ソニーアルファシリーズ向けに個性的な高品位レンズ Artシリーズなどを次々に出している。さらにライカ社のLマウントアライアンスに参加し、低廉な普及型製品から高品位製品へとシフトしている。あまり公表はされていないがライカ社との長年の提携関係があり、ライカ社の最近のレンズ設計、製造にはシグマの参加があると言われている。技術的にはそれだけの実力を有する会社なのだ。デジタルカメラも製造しておりユニークな製品がラインアップされている。本社は神奈川県川崎であるが福島県会津に工場がある。コストダウンのために製造を海外に出すオフショアーをやらず、日本で開発、製造することにこだわる。

 そのシグマから最近発表されたのが、このSIGMA fpとLマウントレンズSIGMA 45 mm f.2.8 DG DN Contemporary だ。ついに今月25日に発売となった。pfはフルサイズセンサーミラーレスとしてもっともコンパクトなカメラとなった。小さくても金属の塊の剛性感あるボディー/鏡胴でズッシリとした手応えだ。そのスクエアーなフォルムは、シンプルであるがむしろ個性的だ。とても万人向けのカメラではないだろう。おそらく量販店やネットショップの人気トップ3に入ることはないであろう。レンズはライカLマウント。こんなカメラが堂々と企画され、発売されカメラ好きの手元に届くようになったことは嬉しい。ライカのLマウントライアンスに参加しているので、レンズ、カメラともLeica SL, CLシステムと互換性がある。もちろんパナソニックLumix Sとも。

 このカメラ、レンズともに全てMade in Japan。最近希少となった感がある国産だ。ニコンもキャノンもソニーもハイエンドカメラでも裏を見ると中国やベトナムやタイ製。量産品は企画、設計は日本でも、製造、組み立てを海外にオフショアーしてコストカットする。しかし、人件費が跳ね上がりコストメリットがなくなった中国からChina plus OneでASEAN諸国へのシフトが進んでいるが、そろそろきちんとした信頼感の高い造りの「日本製」が、多少コスト高でも良いという人が増えている。中国人は日本製を選んで買ってる。このシグマのこだわりはその先取りだろう。Made in Japanは高品質、高品位のブランドになっている。もう一つ量産品の気に入らない点はエンジニアリングプラスチックの多用だ。かなりのハイエンド機でも軽くて丈夫、安くて、経済合理性は抜群の化成品素材を多用している。実用的なのだが、お道具感に欠けるので個人的には食指が伸びない。この点でも金属外装で武装したシグマのfpとContemporary Lensへのこだわりは好感が持てる。

 一方、シグマはデジタルカメラの領域では、買収したシリコンバレーのFoveonのセンサーをコアに独特のSIGMAワールドを形成している。固定的なFoveonファンが存在する。しかし、今回は2460万画素のフルサイズベイヤーCMOSセンサーとした。あえて「普通のセンサー」にしたことには意味がある。スチル専用ではなく今回はシネマとのシームレスな結合を優先しておりその方が合理的だと判断したようだ。ちなみに2020年にはスチル専用の新たなフルサイズミラーレスカメラを発表するといっている。こちらは新たな設計のFoveonセンサーだという。

 このfp (フォルテッシモ、ピアニッシモの意)の命名のセンスにも唸らされる。味気ない記号ではなく、表現者の「お道具」にメッセージが込められているように感じる。詳しいスペックはあちこちのネット上に紹介されているのでここで重複して説明はしないが、その特色を一言で言えば、ポケットに入る(実際はちょっと無理だが、それくらいコンパクトだという例え)フルサイズセンサーカメラ。も一つ言えばスチルカメラにシネカメラの機能を融合させたスチル/シネシームレスカメラ。さらにも一つ言えば、デジタルビジュアルエコシステムの母艦。デジタルスチル撮影、シネシューティングの機能をコンポーネント化した。すなわちスチル撮影でもシネ撮影でも、システムをカスタマイズできる自由度を提供するカメラだ。特にシネマモード撮影(動画)にこだわりが感じられる。驚くのはシネマDNGモードを備えていて、USBーCポートに外付けのSSDを繋いで撮影、記録できる。したがって、小さなボディーに拡張性:Scalabilityを可能ならしめるためのインターフェース、ガゼット増設ネジが用意されていて他社製品との組み合わせも可能。もちろんマウントアダプターを介して様々なレンズを使用できる。ホットシューすら別部品になっている。流行りの電子ビューファインダー:EVFもないが、ディレクターズモニターの接続が可能だ。。システム化するにつれ、大きなレンズを装着するにつれ、ハンドグリップが欲しくなるが、ちゃんと別売りで2種類用意されている。このfpの拡張性を、既存のカメラの固定された特徴を再構成する「デジタルカメラの脱構築」というキーワードで説明している。この辺りも柔軟な頭と豊かな感性で生み出されたオープンプラットフォーム発想のカメラだと感じる。

 シグマはLマウントアライアンスなので、もちろんLeica SL用の重いレンズも使える。マウントアダプターを介してLeica M、Rレンズも使える。ボディー内手振れ補正機能がないが、レンズ内手ブレ補正機能つきLレンズには対応していて、使用時には手振れ補正表示が出てキチッと止まる。しかし、そうでないレンズを使用する時には手振れに注意する必要がある。ただ、このカメラは高感度ノイズが驚くほど抑えられていて、ISO6400くらいは完全に常用域だ。したがってLeica Mレンズや、キットレンズの45mmレンズでも高感度に設定してシャッター速度を稼げば手振れの心配はない。シャッターは電子シャッターのみという割り切りよう。したがって高速移動する被写体の撮影ではいわゆるローリング現象があることを知っておくべきだ。外見の特色の一つに液晶パネル外周をグルリと取り巻くヒートシンクがある。シネモードなど、長時間の撮影を想定した冷却ベンチレータだ。これがこのカメラの性格、コンセプトを物語っている。

 同時発売された45mmのミラーレス用標準レンズがまた魅力的だ。いやむしろ、シグマ製品発表会ではレンズの発表が先で、ソニーEマウント用、ライカLマウント用の新企画として紹介された。そして、「One More Thing: もひとつおまけに...」としてfpを、まさにポケットから取り出して紹介して見せた。このプレゼンテーションタクティクスの巧みさ、センスの良さにも、山木社長の新しい感性と戦略を強く感じさせる。そう言えばなぜプレゼンしている社長が謎のfpロゴの入った黒いTシャツを着ていたのか、ここでようやく謎が解けるというストーリー展開、演出であった、

 フルサイズミラーレス用レンズはどれも大型化し重いものが多い。Leica SLのレンズのダンベルやバズーカ砲のような重量感には辟易する。しかし、この45mm単焦点レンズはは小型軽量のコンパクトレンズだ。スペック的には45mmで、50mmと35mmの隙間をいく焦点距離。F値は2.8と高速単焦点レンズ時代にコンサバなスペック。手ぶれ補正もない。しかし、そのクリアーでシャープな解像度、反対にアウトフォーカス部のボケ味は、なんでこうなるの?!というほど魅力的だ。最短撮影距離は24cmまで寄れるので、開放で撮ると結構なボケが楽しめる。開放、近接撮影だと少し解像度がソフトになるが、ちょっと絞るだけでキリリとした描写になる。周辺光量落ちや収差は感じられない(作例参照)。しかも鏡胴はブラックペイントのオール金属。その剛性感、絞りリングのクリック感もとても高品位な仕上げだ。レンズマウントのカッチリ感も最高だ。ガタガタするレンズマウントは不安になるものだ。おまけに付属の専用フードも縦縞模様の金属製(よくあるプラスチックではない!)というこだわりようだ。こうした「造り」にいたく感動してしまう。このカメラとレンズの組み合わせがベストマッチだが、もちろん、あの重いLeica SLボディーにも装着できる。この組み合わせだとSLが嘘のように軽快な取り回しとなるのが嬉しい。

 若い社長の個性とチャレンジ精神と、何より写真好きがこのカメラとレンズを生み出したことがありありと伝わってくる。社長と開発者の顔が見える「お道具」に仕上がっている。日本の製造業も、高性能だが低価格の量産品モデル(これで成長してきたのだが、そのモデルは韓国。中国にキャッチアップされ、追い越されてしまった)から抜け出て、より高付加価値、高品位、オンリーワンの使い手の感性に訴える製品を出していかねば生き残りできないことは自明だ。カメラという道具は特にそうした「特別感」が必要なガゼットだろう。いやあ、面白くなってきたぞ!ライカを超えるカメラが出てきそうな予感だ。再びライカバスターが日本に現れるかもしれない。

 シグマの山木和人社長、1968年生まれの創業家二代目社長だそうだ。最近流行の若手ベンチャー企業経営者ではなく、いわば老舗の伝統企業を引き継いだ経営者だ。創業者である父は光学技術の研究者であり自ら手を動かす技術者で、オンリーワン精神の持ち主であったらしく、下請けに甘んじることなく、独自のブランドで独自の製品群を世に出してきた。ニコンやキャノンという二大ブランドが厳然と存在する市場での差異化は難しく、「安さ」を売りにせざるを得なかった悔しさはいかばかりだったか。かといってコスト度返しのとんがった高級品を開発してもなかなか商業的に成功する道は厳しかっただろう。良い技術を持ちながら苦労してきたと思う。その父親の苦労を知り、オンリーワン精神を二代目はしっかり引き継ぎ、さらに新しい感性と、時代を見つめる眼と、最先端の技術を生かした製品の企画、製造にのり出だした。時代も後押しした。カメラ自体がデジタル技術イノベーションで、高性能化するとともに、コモディティー化が急速に進み(スマホカメラがその究極)、スペック的、コスト的な差異化が困難になってきた。利益の出にくいモノ作り事業モデルになってしまったカメラ業界で、差異化ポイントをハッキリさせて、それを高付加価値として受け入れてくれる顧客層を狙った製品を開発する方向に動いている。その差異化ポイントとは「人の感性を刺激する」道具造りである。高性能で高品位。コストはそれに見合っていれば高くても買う。そう云う高付加価値/差異化渇望ユーザを狙う。誰もが手を出す汎用品ではなく、こだわりを持った人が唸る「お道具」を丁寧に作り出す。かつてのライカの精神にも通じるものがある。長いライカ社との協業の中で学んだのかもしれない。先述のように彼はMade in Japanにこだわる。製造拠点である「会津」にこだわり続けている。良い「お道具造り」は結局「ヒト」という経営資源に依存するものという強い信念による。こういった個性的、かつ堅実な視点を持つ若い経営者がどんどん出てきて、日本をもっと面白くして欲しい。決してとっぴな発想ではないが、創業以来の目線の延長線上に、満を辞して今回の製品を生み出したのだろう。時宜を得た製品を生み出すためには、「時」を見極めることが必要だ。納得だ。これがスタートで、さらにユニークな世界のオンリーワンを次々生み出して欲しい。


SIGMA fp + SIGMA 45mm f.2.8 DG DN Contemporary

背面の配置
わかりやすいユーザインターフェース
EVFは内蔵されてないし、外付けも想定されていない。
右手の握り位置が狭くてこのままでは少々ホールディングが悪い
別売のハンドグリップが用意されている。




手のひらサイズ!
しかし意外に分厚いボディサイズ

USB, HDMI, MIC等のコネクター端子が配置されている
ネックストラップ用のネジを外せば、ホットシューユニットの装着、ジンバル、ドローン、シネマ用のフレームへの装着時にねじ止めができる。

レンズフードは金属製!
スチル撮影とシネ撮影をワンタッチで切り替えできる
このシームレスさが特徴
外見の特色のひとつはこのヒートシンク。
長時間撮影だと結構な発熱量がある
まるで液晶パネルが浮いているように見える。
EVFがないので背面液晶画面がすべてとなる。
視認性の高い3.15型210万ドットタッチセンサー
ここに取り付けるビューワーもオプションとして用意されている


(作例)

取り急ぎ試し撮りバージョン。
DNGで撮影。LightRoomでポジフィルム現像。







絞り開放(f.2.8)で近接撮影
ソフトフォーカスのようなふんわりした写り
(LightRoom でクロップ拡大)

しかし一段(f.3.5)絞るとクリアーで違った印象になる
(LightRoomでクロップ拡大)










2019年10月18日金曜日

デジタルに疲れたらアナログで行こう! 〜高校時代のLPレコードが半世紀ぶりに復活!〜

久しぶりに我が家にアナログレコードプレーヤーがやって来た。
視覚的にもこの土星の輪を彷彿とさせるストリーミングが美しい!


ヘンデル「メサイア」
パッケージングも素敵だ!
私のお宝レコードだ!


世の中なんでもデジタル。スマホもデジタル。カメラもデジタル。オーディオもデジタル。こういうブログもデジタル。SNSもデジタル。仕事もデジタル。思考様式もデジタル。お金までデジタル。これからは全てがデジタル。そうデジタルトランスフォーメーションだあ!だけど少しデジタルに疲れたなあ!と感じる今日この頃である。何か一息つけるものはないものか。

膝を痛めてウォーキングを自粛している間に、少し部屋の片付けを始めた。ところがいけないものが出てきた。高校時代にクラシックにハマっていた頃のレコードが出てきた。懐かしいLPレコードの数々。デジタル時代に突如現れた我が家のアナログ遺産。当時は親のすねかじる高校生。今のCDのようにどんどん買い込むほどの小遣いはなかったので一枚買うのにもよく考えて買ったものばかりだ。それだけに、その一枚一枚に込められた思い出が一気に蘇ってきた。開けてはならない「玉手箱」を開けてしまった。「あっという間に白髪のおじいさん」が、一気に時空を超えて高校生の頃の自分に戻った。中でもSir Adrian Boult指揮、London Symphony Chorus and OrchestraのHendel作曲「Messiah」のLP3枚組セットが出てきた。これは高校生の当時としてはかなりの大枚を払って天神福岡ビルのヤマハで買ったものだ。福岡では年末には福岡市民会館で恒例のヘンデル「メサイア」の市民合同演奏会が開かれていた。荒谷俊二指揮、九州交響楽団と社会人/大学/高校の合唱団総出のスペクタクルな演奏会。ステージも聴衆も一体となってハレルヤを合唱する一大イベントであった。合唱団としてステージ参加した私はその感動が今でも忘れられない。クラシック、中でもバロックや古楽器演奏の曲が好きなのはその時の身震いするほどの歓喜の「トラウマ」が今も引きずっていいるからだ。その思い出にとレコードを買い込み、自宅で友人と集まり、父に買ってもらったばかりのコンポステレオで擦り切れるほど聞き倒したものだ。自分たちが市民会館で歌ったパートをSir Adrian Boultの指揮とLondon Symphonyの演奏に合わせて合唱した。当時ステレオプレーヤーといえば、家具のような立派な装飾のプレーヤー/アンプ/スピーカー一体型が主流だったが、パイオニアが初めてそれぞれ独立したセパレートコンポ型のステレオセットを売り出した。父はカタログを取り寄せて研究し、天神のヤマハに行って視聴し、確か県庁前のベスト電器で買った。アンプは真空管だった。スピーカーは卓上型だったが、セッティングが変えられるので高音から低音まで素晴らしい音域を持ったコンポだったことを覚えている。

こんな思い出が一気に吹き出してこのお宝レコードをどうしても聞きたくなった。レコードはウン10年のお蔵入りのわりにはカビもなく、あんなに聞き倒したにしては傷も見えず、程度は良さそうであった。そういえば父の遺品のレコードコレクションも大量にあるはずだ。しかし肝心のレコードプレーヤーがない。針を落として聞くアナログプレーヤーなど、いつ頃我が家から姿を消してしまったのか。確か古いベルトの切れたプレーヤーを、ロックにハマっていた息子が高校生の頃だったか、「壊れてるならもらっていい?」ということで進呈したとこまでは記憶している。その後のあのプレーヤーの消息はようとしてつかめない。息子は友達とDJの真似事をしようとスクラッチ演奏の練習用に持っていったらしい。きっと完全に壊れて捨てられたに違いない。ということでオーディオといえば、いつの間にかカセットテープへ、ウォークマンへ、そしてCDへと変遷していった。今やネットワークオーディオとかハイレゾとか、完全にデジタルオーディオに移行してしまった。PCやスマホでアップルやアマゾンからのダウンロードで手軽に聴けるようになった分だけ、オーディオもコモディティー化が進み、趣味人として道具にこだわる余地が少なくなってしまったような気がするのは私だけであろうか。そう思っているところへ、先だって他界した義父の形見分けで大量のCDとLP盤のレコードが我が家にやってきた。義父もクラシックが好きで単身赴任先のアパートでよく聞いていたのを覚えている。ピアノのリチャード・クレーダーマンが好きで、よくカセットにダビングして送ってくれた。

ようし、こうなりゃレコードプレーヤーを買うまでだ。とネットや量販店で物色して購入を決断した。こうしてウン10年ぶりにアナログレコードプレーヤーが我が家にやってきた。最近はまたLPレコードブーム再来だとかで、Amazonでも、量販店でも結構な種類のプレーヤーが出ている。PioneerやSansuiのように姿を消したメーカーもあるが、懐かしいYAMAHA、Technics、Luxman、DENON, TEACなど老舗メーカーの復刻プレーヤーも出ている。中古レコードショップも渋谷や秋葉原に出ている。オーディオの世界こそ、カメラの世界以上に凝りだすと底無し沼の無間地獄に落ちるので、「物欲煩悩」と戦いながらながら程々のプレーヤー(TEAC)を買ってきた。ここで背伸びしなかった私は、やはりカメラで修行を積んできただけあって、「とどまるところを知る」境地に達した、と自己満足した。懐かしい!ベルトドライブ、のシンプルなやつだ。最近のデジタルオーディオアンプにはフォノイコライザーがないものが多いので、フォノイコ内蔵のやつを買った。カートリッジもまあまあのやつがついている。最近ぽいのは、USBポートがついていてPCにつなげてデジタル録音ができる。スピーカーはイギリス時代に大枚叩いて買ったB&Wのトールボーイタイプ。リビングで無用の長物としてただ植木鉢を置く台になっていたものが、再び本来の実力を発揮できる仕事を与えられることになった。その音は悪いはずがない。早速、デジタルアンプと繋げてメサイアを再生してみた。針を落とす瞬間のドキドキ感がたちまち蘇った。おお!なんとこのアナログなほんわかした空気が一気に部屋に充満するではないか。そこはかとないノイズすら人間的なリアリティーを感じる。高校時代に誤って針を落として傷つけた箇所での「ポチッ」という音も、時空を越えて鮮やかに再現された。英国人のトールボーイとの相性も良い。しかし思った以上にノイズも少なく、滑らかな音色と高音から低音までクリアーに再現できるアナログサウンド。デジタルの合理性に疲れたらアナログのゆるい世界に浸ってみよう。気づくと時間が50年タイムスリップして、私は福岡市民会館の大ホールのステージに立っていた。高校の友人とThe Glory of the LordやFor unto Us a Child is Born, Behold The Lamb of God,そしてHalleluyah!を合唱している。あの高揚感に浸る。なんとアナログレコードは「時空トラベラー」にとって、今まで気づかなかったが、時間をワープするタイムホールだったのだ。こうしてすっかり昭和40年代の市内電車が走る福岡に時空旅行して、懐かしい旧友たちに会った。

いやあ考えてみると危険だ。モノを減らしていこうと思って片付け始めて発見した懐かしいレコード。その結果、レコードプレーヤーを買う羽目になり結局モノが増えた。物欲煩悩の無間地獄だけでなく、危うく異界にまで引きずり込まれて帰って来れなくなりそうだ。アナログレコードの世界がこっちへ来いと手招きしている。しかし、まあそれも良し。地獄へも行ってみよう。異界にも行ってみよう。なるようになる。しばらく膝が治るまではこの世界に身を委ねてみる気になった。カメラを抱えて「山川を跋渉して寧処にいとまあらず」のはずが、「寧処」でアナログオーディオ三昧の日々を送っている自分も悪くはない。




TEAC のベルトドライブターンテーブル

オーディオテクニカのMMカートリッジ

なんとか隠れ家のデジアナ混在環境が完成した

サー・エドリアン・ボールト指揮
ロンドンシンフォニー/合唱団
ソプラノはジョアン.サザーランドが...

高校時代の懐かしいLPレコードが出て来た
ドイツグラモフォン盤
カラヤンとリヒテル
ウイーンフィル

福岡市民会館での年末恒例の「メサイア」コンサート楽譜も出て来た。

練習の痕跡が随所に



2019年10月14日月曜日

伊豆高原の別荘 〜バブルはじけて20年。別荘物語の第二章始まる〜




伊豆高原駅前に開業したフレンチレストラン「MIKUNI IZUKOGEN」
地元の別荘族を狙ったという


別荘と聞くと、何やらバブリーな響きを感じて、無縁のもの、敬遠すべきもののように感じるのは、我々戦後生まれ団塊世代の(勤労サラリーマンの)受け止めだろう。軽井沢、那須、日光、箱根、伊豆と首都圏に近い別荘地はいずれも、かつては皇族や政財界の大物の別邸が設けられたところであった。憧れの別荘ライフは、そもそも庶民にはとても手の届かぬ「憧れの世界」でしかない時代が長く続いた。庶民の日常的な「ある姿」と非日常の「あるべき姿」の乖離は絶望的とは言わないまでもとてつもなく大きかった。しかし、戦後の高度経済成長の中で、一億総中流となり、別荘も単なる夢や憧れでない時代がやってきた。勤労サラリーマンの中にも小さな別荘を買う層が現れたものだ。東京都心のマンションや土地付き住宅が異様に高騰して、こっちの方が「憧れの都心マンションライフ」となり、勤労者は狭小住宅しか手に入らず、そんな息が詰まりそうなな庶民が、せめてもの週末の息抜きに都心に比べると入手しやすい「リゾートマンション」「別荘」に憧れ購入。しかし、やかてバブル崩壊。中流崩壊。格差社会がやってきた。再び別荘なんて夢のまた夢。無理して買った人は代々そのツケを払わされることになった。

こうした別荘地やリゾートは、もともとは幕末、明治にやってきた西欧の外国人が開いたもので、都会での生活とは別の、オン/オフを切り替えて過ごす彼ら流のライフスタイルに基づいて開発されたものであった。私がかつて暮らしたイギリスやアメリカでは、今でも勤労サラリーマン世代でも、郊外に小さなコテッジやシェアーハウスを持ち、週末や長期バカンスの静養の場として生活に欠かせないものとなっている。猛烈に働いてお金を貯めて、資産運用で増やして、なるべく早期にリタイアーして、ケントやサセックス、いやスペインのコスタデルソル、ギリシアあるいはフロリダやハワイに生活の場を移して老後はゴルフ三昧。もちろん貴族のマナーハウスや、トランプの豪邸のような別荘もあるが、程度の差はあれ、働き盛りの息抜きと、老後の生活の場の確保としての「別荘生活」は今も普通の人々が「手の届く夢」のライフスタイルである。もっともこうしてリタイアーして「別荘」生活にはいった直後にハートアタックで死ぬ人も多いが。それはさておき、そういうライフスタイルを日本人もマネ、取りいれるようになっていった。日本ではこれに温泉湯治という貴重な付加価値がついてきたので、日本独特の別荘地が生まれた。

しかし、バブル崩壊20年。格差社会の到来とともに、別荘地には大きな変化が訪れている。ここ伊豆別荘地を廻るとそれがわかる。大きくて立派で、手入れのよく行き届いた豪邸が立ち並ぶ一方で、草むし、荒れ果てた廃屋が点々と。中にはすでにほぼ自然に返りつつある一画も。バブルの遺産の成れの果てだ。小さくても瀟洒な別荘も多く、意外に別荘を手に入れるのは難しくはない。土地家屋は東京の異常な不動産相場に比較すればお手頃物件に見える。しかし、それを長年、子孫代々にわたって維持し続けるのは難しい。現役時代には息抜きの場として、老後は都会の喧騒を忘れて静かな余生を送るために求めた別荘は、その世代交代とともに、子や孫の世代に引き継がれることは少ないようだ。親世代の時代はそうした別荘を購入し維持する経済力があったが、その子世代にはその力がない事態が増えている。日本はかつては分厚かった中間層が痩せ細りつつある。したがって相続しても維持できない。購買層の縮小傾向が常態化すると買い手もつかず売却もできない。したがって放置される。そんな(元)別荘が、先ほどの廃屋、自然に還る土地である。別荘地の不動産屋の売り物件は豊富で、しかも驚くほど安いが、かと言って買い手市場で活況を呈しているわけでもない。

しかし、最近は、別荘物語は第二章へ進みつつあるようだ。すなわちこうした廃屋付きの土地を安く購入して、別荘としてではなく住居として住み始める人が現れている。流行りの田舎暮らしの古民家ブームに似ている。都心の狭小住宅やタワーマンションを多額のローンに縛られて買うよりは、はるかに安く手に入るし、自然環境はもちろん良い。であるから都会から移住する人が増えているという。もとより地元に働き口があるわけではないし、畑三昧の田舎暮らし、などという安易な農業回帰もできないので、若い世代はここから都会へ通勤するのだ。軽井沢や那須は新幹線通勤ができる。伊豆は直通特急「踊り子」で2時間超で都心へ出れる。リタイアー世代は東京の家を売却して永住の地として移り住む。伊豆高原の場合、学校もスーパーも整備されていて普通の生活には不自由がない。車さえ運転できれば移動に不自由はない。歳をとってからの問題は病院だが、最近大きな総合病院が駅前に開業した。しかも老人ケアー施設付き。生活インフラは意外に整備されている。私の周りの知り合いもここ伊豆に移り住んでいる人が多いことに気づく。現役時代に別荘として買っていたところに移り住むケースが多いようだ。

さて、こうした新「別荘生活」はオススメなのだろうか。なんとも言えない。人それぞれのライフスタイル、居住地観による。私のように地方から出てきて東京や大阪や海外でほぼ人生の大半をサラリーマンとして過ごした人間がリタイアー後にどこに住むか。結構重要な決断を求められる選択だ。確かに東京は便利だ。長年の生活の場にもなっている。ビジネスやキャリアディベロップメントの場としては忙しくもエキサイティングであるが、リタイアーしてみると、「憧れの都心マンションライフ」に固執する意味はあるのか疑問が湧いてくる。そもそも人が多すぎて人間関係もギスギスいていてなんか息苦しい。かと言って、今更故郷に帰れるか。若い頃あんなに「こんなとこにいつまでもいるか!」「人間関係が息苦しくて!」と言って飛び出した故郷に、今になって急に里心ついて帰ることなんてできない(勝手なこと言うなという声が聞こえる...)。それに半世紀も経つと故郷には親も兄弟もいない、子供の頃の友達もそれぞれの人生を歩み何十年も経つとすっかり疎遠になってしまった。帰っても全くの「浦島太郎」だ。「故郷は遠きにありて思うもの。そして悲しく歌うもの。...帰るところにあるまじや」である。いっそ、娘夫婦と可愛い孫がいるニューヨークに移り住むか。緑豊かなロンドン郊外もいいなあ。などとありえない妄想が膨らんでいく。じゃあ、近場で伊豆に移り住むか? しかしなんの所縁や根拠があって伊豆なんだ?それもなあ。とグルグル回り。理屈っぽい人間はその意思決定の合理性に拘るので困る。結局ため息つきながら、思考停止して東京のマンションの一室で呻吟している。イギリスやアメリカ時代の友人のように、土地にしがらみを持たない「終の住処」思考様式が、なんか新鮮に見えてしまう。彼らは母国にすら拘らないのだから世界中に散らばっている。「人生至るところ青山在り」は日本人の思考様式、美学ではなかったのか? 鴨長明や吉田兼好はどこへ行ってしまったのだ、などと考えながら伊豆別荘地の散策を終える。


大室山から展望する伊豆高原別荘地

一碧湖周辺


豪邸は桜並木沿いに



季節の花に埋もれる別荘ライフ

建物もそれぞれに意匠を凝らす


噴水通り

閑静な別荘地内にあるベーカリーカフェ
少々分かりにくいロケーションにあるが
地元の客で賑わっている





なるほど絶品ランチ!

テラス席がお勧め




伊豆高原駅
シンボルはこの楠の巨木

駅前に出来たフレンチレストラン



開業したフレンチレストラン「MIKUNI IZUKOGEN」
建物は当代人気の隈研吾設計

横浜から伊豆に向かう豪華観光列車「The Royal Express」
これも人気の水戸岡鋭治デザイン

スーパービュー踊り子
伊豆大川駅での離合

トンネルを抜けるとそこは駅だった
伊豆熱川駅