ページビューの合計

2020年3月29日日曜日

外出自粛の東京にて 〜満開の桜 お花見自粛 春の雪〜

満開の桜、春の雪、花見の自粛、
マスクと傘の通行人が足早に通り過ぎるだけ。
いつもと異なる大井水神公園のプロムナード

東京は暖冬のせいで三月下旬には桜が満開を迎えた。しかし、今年は花見どころではない事態になっている。年明けに中国武漢で発生した新型コロナウィルス感染が世界的に拡大し、東京もここ数日で感染者が急増。都知事はついにこの週末の外出自粛を要請した。二月下旬からは学校も休校。大規模イベントの自粛にともない大相撲大阪場所が無観客試合となるなど前代未聞の事態となっている。この週末は都心もがら空きの状態だ。中国武漢に発し、中国全土、韓国、イラン、イタリアを始めとするスペイン、フランス、ドイツ、イギリスなどの欧州諸国、さらにはアメリカへ飛び火してこの三ヶ月で世界中に急速に感染拡大している。いわゆるパンデミックだ。日本も例外ではないが、これに比べると、日本は今のところ感染者数、死亡者数ともに抑えられ、感染爆発(オーバーシュート:overshoot)は起きていない。日本はクルーズ船感染から、感染クラスターを一つ一つ潰してゆく手法でコントロールし、爆発的感染を抑えてきたが、感染拡大が第二フェーズ(中国以外の海外からの感染流入)に移行してきたため、ここ数日で東京や大阪などの大都市部で感染経路が追えない(クラスターが特定できない)感染が急増しており、いつ感染爆発に移行してもおかしくない事態になっている。とにかく中国武漢やイタリア、スペインなどのような医療崩壊に至ると急激に死者が増加することになる。アメリカがニューヨークを中心にこのフェーズに入っている。日本ではこれを絶対に避けるためには「3密:密接、密着、密閉」を避けるべく外出を「自粛」するように要請されているわけだ。米国ニューヨークのようにたった三週間で感染者が爆発的に増加し、死者が急増している状況が、次に東京で起きないという奇跡のような保証はない。日本の感染症専門家は優秀で、日本モデルを実行し、第一フェーズは成功しているが、第二フェーズでのクラスターコントロールが出来ない感染爆発の可能性を警告している。油断はできない。ここ数日のうちに「外出禁止」による都市封鎖(ロックダウン:lockdown)に移らざるを得ないだろう。

2020年の7月に開催するはずであった東京オリンピック/パラリンピックは来年に延期された。今やオリパラどころではなく延期は仕方がないが、果たしてこのパンデミックが来年までに収束しているのであろうか。中国やイタリア、フランス、ドイツ、イギリス、アメリカなどで、ニューヨークなどの大都市が軒並み都市封鎖(ロックダウン)した中、日本は東京も大阪も、まるで何事もないかのように満員電車で通勤し、若者で賑わう渋谷の飲み屋の密閉空間には連日連夜酔客が押しかけている。学校は休校となり、相撲や野球などの大規模イベントは無観客試合や中止、延期したものの、まだまだ危機意識が低い。ともかくこの週末は「外出自粛」要請で銀座も新宿も渋谷も人出は激減(といってもニューヨークのブロードウェイやパリのシャンゼリゼに比べるとまだ人が多い)。折からの花見シーズンではあるが、今年は人が集まる花見自粛。上野公園も、千鳥ヶ淵も、飛鳥山も、お花見の名所から人は締め出され、桜散策は諦めざるをえない。例年なら出かけたいい京都、奈良大和路の桜も今年は諦めよう。残念だが致し方ない。パンデミックという歴史に記憶される年になったのだから。しかも四月を目前に思わぬ春の雪に見舞われた東京。「外出せず自宅に居ろ!」という神のメッセージだろう。

だが「自宅謹慎」中とはいえ時空フォトグラファー魂がうずく。満開の桜。思いがけない春の雪。そして人気(ひとけ)のない桜の名所。またとない歴史的光景を切り取るチャンスではないか!ということで、雪が降りしきる中、カメラ担いでご近所ブラパチハンティングに出かけた(遠路はるばる桜の名所を巡らないことで「自粛」の意思を示したつもりだが...)。これはこれでまた違う趣の桜見物ができた。雪に凍える満開の桜もまた悪くはない。その満開の桜の下、花見提灯もなくブルーシートで場所取りする花見客もいない公園。歩く人もまばら。たまに通りかかる人もマスクと傘で身を覆いながら、これだけの見事な桜と空からハラハラと落ちてくる白い雪を見るでもなく足早に通り過ぎる。これもまた異様な光景である。こうした非日常的「景色」を後世の「時空トラベラー」のために残しておくのも悪くない。春の雪は儚い。やがて早くもみぞれに変わり、とうとう雨になった。午後には雨も上がり明るくなってきた。かといって花見に繰り出す人で賑わうこともない。今年の春はこうして終わってゆく。さて自宅の「巣篭もり」に戻ろう。株は暴落し、グローバルなサプライチェーンは分断されて製造業は生産停止を余儀なくされ、総じて経済は停滞し、失業者が増え、経済パンデミックがこれに続くのだが、しばらくは大人しくするしかなさそうだ。しかも長期戦だ。感染しないように、感染させないように。そして心のバランスを壊さないように。



この週末は外出自粛要請で町は閑散としてる





オリンピックを目前に設置されたのだが...
例年なら花見宴会のグループで混雑する公園もひっそり
お花見提灯も自粛

JRは通常通り動いてる


去年の光景
去年の桜祭り



春の雪
屋根にはうっすらと積雪








2020年3月17日火曜日

クラシックカメラ遍歴(7)スイスの時計部品メーカが作ったテッシナ 〜スパイも愛した超絶技巧カメラ?〜

Tessina

前回はスイスの時計屋さんが作った精密コンパクトカメラ、コンパス(Compus)をご紹介したが、今回は、これと双璧をなすもう一つの精密コンパクトカメラ、テッシナ(Tessina)を取り上げてみたい。イタリアとの国境に近いルガノにあるスイスの時計関連メーカーで、ロレックスなどへ部品供給していたコンカバ社(Concava S.A.)が1957年に売り出した。本機は初期型のTessina Automaic 35mm。このあと改良版のTessina 35, Tessina 35Lが続き、計3タイプが1996年まで製造された。結構な長寿製品と言うことになる。サイズはタバコの箱くらいで極めてコンパクト、かつ精巧で仕上げも美しい超絶技巧カメラだ。フィルムは35mmを専用パトローネに詰め替えて使用する。このパトローネはデュカティ(Ducati)と同じサイズ(内部の軸が異なる)なのでハーフサイズ。フィルム巻き上げはゼンマイ式で、一回の巻き上げで7〜8枚程撮影出来る。レンズは固定式のテシノン(Tessinon) 25mm f.2.8。なんと二眼レフ方式で、ピント合わせは距離計ダイアルを回すと同時に測距レンズが繰り出される本格的なものだ。おそらく世界最小の二眼レフカメラであろう。レンズ前にはスライド式のレンズカバーがあり、屹立式のビューファインダー(ツアイスイコンタの様なアルバダ式)が装備されている。またこのファインダー台座の下にピントグラスが在りピント合わせが出来る。しかしこのピント合わせは極めて見難く、アクセサリーでピントルーペやプリズムファインダーが供給されている。撮影レンズからフィルム面までの光路がユニークでミラーで45°曲げてフィルム面に到達させる。従ってフィルムには画像が反転して投影されるのでプリント時に裏焼きしてさらに反転させる必要が在る。5×5cmサイズのコンパクトなボディーに、シャッター速度設定ダイアル(なんと500,250,125,60,30,15,8,4,2,Bの10速)、絞り設定ダイアル、距離ダイアル、フィルムカウンター、シンクロ設定ダイアル(シンクロ速度1/125を誇る)、フィルム巻き上げ用ゼンマイチャージャー、フィルムリワインドノブ/レバー、交換式ファインダー、アクセサリーシューが精密に実装されている。なんとアクセサリーシューにはセレン式露出計の他に、時計(ジャガー.ルクルトール社製)を装着するオプションもあり、テッシナ本体を腕に装着するためのリストバンドまで用意されている。今で言うウェアラブル端末だが、かなり目立つのでこれをつけて自慢げに歩く人の気が知れない。精密さという点ではコンパスに負けないが使いやすさと言う点ではテッシナの方が有利。

テッシナには超絶技巧カメラというだけでなくスパイカメラという受け止め方もされてきた。スパイ仕様の静音シャターバージョンもある。つまり巻き上げギアーをナイロン製にしたり、ゼンマイ式フィルム送出機構を排して、できるだけ音がしない工夫をした物があるそうだ。実物を見たことはないが諜報機関でも使われたという。実際にあのウオーターゲート事件の時にも登場して名を馳せたことがある。スパイカメラといえばラトビア・リガのミノックス(Minox)が有名である。こちらは8×11mmのミノックス版フィルムを使うマイクロカメラである。しかしスパイにとって潜入先で入手困難な特殊サイズのフィルムより、どこでも手に入る35mmフィルムの方が便利なのと、特殊フィルムを購入することにより足取りを追跡されるリスクを避けたい(すこし話を盛ってる感もあるが)ということから、このテッシナのほうがスパイには人気だった(?)という。しかし、専用カートリッジに詰め替えないといけないので、かえって面倒な気もするが...

この個体はニューヨーク勤務を終えて帰った翌年に、有楽町のDカメラで購入した。アメリカでも人気がありそれなりに出回ったカメラなので、ニューヨークのダウンタウンのAカメラにもそこそこの数出ていたが、程度の良いものが少なかった(別にスパイが酷使して使い捨てた物が多いというわけではなかろうが...)。少なくとも整備された状態ではなかった。どれもジャンクに近い状態でゼンマイが切れたものもあり、他のカメラと一緒に箱にぶん投げられていた。ガラガラと引っ掻き回して安くて程度のマシなやつを探して持ってけという感じだ。そこにはvatue for moneyという経済合理性は働いているが、道具に思い入れを持って愛おしむ心に欠けているようで買う気が出てこなかった。日本人はモノにモノ以上の感情を移入する性質がある。特に丁寧に作られ、歴史を刻んできた「お道具」には、何かしら作り手や、歴代所有者の心とストーリが住み着いていると考える。この超絶技巧カメラ、テッシナがジャンクボックスに放り投げられているのを見るのはいたたまれなかった。東京のDカメラでこのテッシナに出会ったときは、ショーケースの中から「おおい!ここに居るよ」と手招きしていた。目と目があった。一期一会、出会いである。脳内で「有楽町で逢いましょう」のメロディーが流れた。というわけで連れて帰ることになった。


正面
レンズカバーを閉めた状態。
ファインダーも折りたたんでいる状態なのでとてもコンパクト。

正面
ファインダーを立て、レンズカバーを開けた状態。
レンズが互い違いに二個ついていて二眼レフであることがわかる
向かって左がシャッターボタン

後面
アルバダファインダーを覗いて撮影する。
向かって左は絞りダイアル。右は距離計ダイアル。ピント合わせができる。

向かって左から、巻き戻しダイアル、シンクロ接点(シンクロダイアル)、シャッター速度ダイアル、リワインドレバー、そして右がフィルム巻き上げ(ゼンマイチャージダイアル)


フィルム装填は裏蓋を外し、専用カートリッジ(手前)を装着する

ちょっと見難いがレンズ上部にレフレックス鏡が仕込まれている。

同じくスイスの時計メーカーのコンパスとの比較写真

本機のボディーはメタリックだが、黒やカラフルな貼り皮のものもある
左レンズが撮影レンズ、右が測距レンズ


黒皮のケース、フィルムローダーといった付属品の他に、腕時計式のリストバンドやプリズムファインダ、セレン式露出計、はたまた時計まで豊富なオプションが用意されている。
腕に装着!
ちょっとなあ〜




2020年3月14日土曜日

クラシックカメラ遍歴(6)スイスの時計屋さんが作った超絶技巧カメラ「コンパス」 〜過ぎたるは及ばざるがごとし〜

アルミブロックの削り出し筐体
背面からのぞいてピントを合わせてからフィルムフォルダーを上のスリットから挿入する。
ビューカメラと同様の撮影ができる

非常にコンパクトだが、ホールドしにくい
右にあるのは水準器


コンパスというカメラをご存知だろうか。1936年、英国人の実業家がスイスの時計メーカに製造を委託した精密超小型カメラである。 しかし、これが半端なモノではない。戦前にこんなスゴイカメラを企画設計し、商品化した人間がいたということにまず驚かされる。どういう購買層を狙ったのだろう。技術者魂もスゴイが、商品企画者もスゴイ。小さなアルミダイキャスト削り出しに磨きを入れたボディーに、考えられる機能をありったけ詰め込んだその根性に気迫を感じる。まず、連動距離計付きレンジファインダ(二重像合致式)、アングルファインダ、視度調節付き透視ファインダーとファインダーだけでも小さなボディーにこれだけの懲りよう。さらに濃淡のスケールで測定する光学式露出計、ガラス圧板(シートフィルムホールダ付き)、二重沈胴レンズ、内蔵フィルター、内蔵フード、内蔵正円絞り、被写界深度表付レンズキャップ等々てんこ盛り。シャッターは時計屋さんの設計らしくぜんまい式ロータリーシャッター(500-4,4.5, B,T スナップモードと21速を誇る)。あとまだ解読されてない指標が刻まれている。どうやら低速シャッターで中間速度を使うことに関連しているようだ。レンズは固定式のCCL3Bアナスチグマット35mm f.3.5という広角レンズ。フィルムサイズは35mmフルサイズ。内蔵のモノクロフィルターが二種類仕込まれており、正面のダイアルで選択する。この他に、水準器、三脚穴、そしてどう使うのかわからないがステレオ撮影用のネジ穴まで付いている。ポーチ型のケース付き。別売りでロールフィルム用バックもあるそうだが、通常は35mmフィルムを切ってフィルムホルダーにれてバックのスリットに差し込んで一枚ずつ使うのだから面倒。何よりも、どうやってカメラをホールドせいと言うのだろう。小型すぎるのと表面いっぱいにダイアルやレバー類が装着されていて持つところがない。そんなことにはお構いなく、ありったけの機能をこの小さな筐体に盛り込むとどんなカメラができるのか、という挑戦が作らせたカメラなのだ。使い手のことなんか考えてみたことはないだろう。したがって極めて使い勝手の悪いカメラで「過ぎたるは及ばざるが如し」という言葉が頭をよぎる。私自身、いまだに完全に機能を使い果たしたことはないし、これで日常的に写真撮ってみようという気にもならない。完全珍品コレクションとして鎮座ましましている。

そもそもどうしてこんなカメラが生まれたのだろう。その背景にあるエピソードを紹介しよう。このコンパスは英国人のノエル・ペンバートン・ビリング(Noel Pemberton Billing)が1936年に設計したカメラである。と言っても彼はカメラの専門家ではなく、まったくのアマチュアであった。Wikipediaや、クラシックカメラのコレクターの高島鎮雄氏の著作によれば、かれは英国の戦闘機、スピットファイアーの製造元である航空機メーカー、スーパーマリン社を創設した航空家、実業家で、貴族院議員にまでなった英国紳士だ。彼は英国紳士にありがちな賭け事好きで、ある時、仲間とドイツのライカを超えるカメラを設計できるか賭けをして、彼自身でやらざるを得なくなったと言う。当時、ライカは35mmシネフィルムを使う画期的なコンパクトカメラとして一斉を風靡していた、これを超えれるかというわけだ。こうして生まれたのがコンパス。あまりにも小型で精密なので英国では製造できるところがなく、スイスの時計会社、ル・クルトール社(現在のジャガー・ルクルトール社)に製造依頼したというわけだ。1937年から英国のコンパスカメラ社から発売され1944年に販売終了したようだ。当時、ライカIII + Elmar 50mm f.3.5が31ポンドで売りに出ているところ、コンパスはほぼ同じ30ポンドとうプライスタグで売り出したという。ライカを超えることを目指した彼は、ライカの使い勝手と言うよりは、ライカにない機能を、ライカより小型のボディーにありったけ詰め込むということを目指し、その通りにした。その結果、賭けには勝ったのだろうが、前に述べたように極めて使い勝手の悪いカメラになってしまった。まさに「過ぎたるは及ばざるが如し」である。コンパス社がその後商業的に成功したのかどうか多くは語られてはいないが、おそらくはそうではないだろう。その会社は現存していない。彼にとってそんなことはどうでも良かったのだろう。賭けに勝ったのだから。ただ、いじくり回し甲斐のあるメカニカルなおもちゃが好きなクラシックカメラマニアには垂涎の珍品、稀少カメラになっていることだけは確かだ。中古カメラ市場では高値で取引されているようだ。私の場合、17年ほど前にヒョンなことから手に入れることとなった。フリマでガラクタと一緒に金属の塊が転がっているのを発見。売り手に聞くと、この逸物がなんだかまったく分かっていなかった。「コンパスと書いてあるから多分何かの測定器械だろう」と言ってた(カメラだと思っていなかった)。「持ってけ泥棒」で手に入れた。私自身、こんな珍品だとは知らなかったのだが、帰ってから調べてお宝だと分かった。ノエル・ペンバートン・ビリングのツキが私に巡ってきたのだろう。ただし、フィルムフォルダーが無いのでキチンとした撮影はできないし、中古カメラ屋で聞いても入手はほぼ無理とのことだから、今は珍しいカメラの形をした高価な「文鎮」になっている。




スイスの時計メーカー、ル・クルートル(Le Coultre Co.)社がイギリスのペンバートン.ビリングの特許により製造、という刻印
イギリスのコンパスカメラ(Compass Camera Ltd.)から発売された

二重沈胴レンズになっていて、外周は距離計/ピント合わせ、中の鏡胴でロータリーシャッターの速度(1/500~4.5, B, Tとスナップモードの21速設定が可能)を設定する。

沈胴させるとコンパクトになる

レンズには固定フードがついている。引き出して使う。
レンズカバーが被写界深度表になっている
これがえも言われぬ「謎のサイン」感いっぱい!

正面の面構え カメラに見える?
レンズ周辺にシャッターボタン、フィルターセット、シャッターセット、天候による簡易フィルタ表、
下部にレンジファインダー

底部にレンジファインダ(距離計連動)とビューファインダ(右)がある本格的なもの
当時のLeica IIIシリーズと張り合ったのだろう

正面から見ると、左端がフレーム窓、二個の丸い窓が測距窓
底部にはカメラを立てるバーと三脚座がついている

これがユニークな露出計(SPEED METER)
右の丸い窓から覗きなからグラディエーションスケールをずらし、うっすらと見えるポイントが露出値。その数値を換算表で見てシャッター速度と絞りを決める。昔の露出計で時々この方式のものがある。

(撮影手順1)フィルムフォルダーを入れる前にルーペをのぞいてフレーミング、ピント合わせする。
あるいは底部のレンジファインダーでもフレーミング、ピント合わせができる。
右下サイドのアングルファインダーで、人に気が付かれないように撮影することもできる。

(撮影手順2)ここにフィルムフォルダーを挟む。
35mmフィルム一コマ毎しか撮影できない

(撮影手順3)裏板を閉めて撮影する。
こう説明すると簡単に見えるが、どっこいそうは行かぬ。

同じスイスのマイクロカメラ、テッシーナ(右)と並べてみた

黒のソフトレザーケースがついてきた。
中身に比べ、あまりにそっけない作りのケースだ。



2020年3月12日木曜日

クラシックカメラ遍歴(5)イタリアの伊達男デュカッティ・ソーニョ 〜有名オートバイメーカーが作った超コンパクトカメラ〜





イタリア製超小型精密カメラ、デュカッティ(Ducati)。クラカメ専科43号イタリアカメラ特集に詳細が記されている。本機はレンジファインダー付きのソーニョ(Sogno)。ハーフサイズの15枚撮りで専用カセットつき。コンパクトで精密な作りのカメラ。なんと言ってもオール金属製なのでマイクロサイズカメラだが手にずっしりとくる。この質感とがなんとも言えず心地よい。距離計窓がビューファインダーの両側にある二眼式レンジファインダーだ。二重像の分離が良く、クリアーで見やすい。一個の光学ガラスファインダーブロックで出来ている。しかも視度補正レバーまでついているから驚きだ。しかし小さなファインダーで針穴から覗くような感じである。シャッターは横走り布製のフォーカルプレーンシャッター。ライカなどの高級機を意識したのだろうが、シャッターガバナーを搭載する余地はなかったと見え、固定スリットでスプリングのテンションだけでシャタースピードをコントロールしている。低速シャッターはない。フォーカルプレーン幕の前に、観音開きの金属製鎧戸があり、シャッターボタンを押すとパタパタと開閉する。シャッター速度は500/200/100/50/20/Bの6速。部品点数を少なくして工作精度をあげるシンプルな構造だ。操作は慣れが必要。というのもフィルム巻き上げも左、シャッターボタンも左という、他カメラとは異なるレイアウトとなっているからだ。レンズは交換式で標準レンズは沈胴式のVitor 35mm f.3.5がついている。この他に豊富な交換レンズをはじめ一大アクセサリー群を擁するデュカッティ-ワールドを形成している。さすがイタリア製だけに素敵な作りの皮製ケースがついたオシャレなマイクロカメラだ。 

イタリアにこんな精密光学機器が、と思ってしまうが、現在ではスーパーオートバイで有名なドゥカッティ社の製品であったというからびっくりだ。デュカッティ(ちなみにカメラはこう表記するが、オートバイではドゥカッティと表記されている)社は戦前にイタリアのボローニャに創業されたメーカーで、通信機器、無線機やラジオ、シェーバーなどの電気機器など幅広く製造する。いわば総合電機メーカーであった。オートバイ、カメラは戦前から作られていたとの説もあるが、確かではない。このカメラ、デュカッティは戦後(1950年?)の製造で1952年まで製造されていたが、したがって台数が少なく珍品カメラである。レンジファインダーのソーニョ(Sogno)と距離計なしファインダーのシンプレックス(Simplex)がある。ちなみに1954年にドイツのエルンスト・ライツ社がレンジファインダーカメラの完成形ともいえるライカM3を出して業界に衝撃が走った。それに先立つ2年前の1952年にはドゥカッティ社はカメラ部門を閉鎖し、1953年には通信機器部門とオートバイ部門を分社化している(双方とも現在も存続しているが資本関係はない)なお、オートバイメーカーとしてのドゥカッティー社は2012年にドイツのアウディーに買収された。今でもバイク好きにはたまらないイタリアブランドだが、カメラの方もナカナカの伊達男振り。イタリアもこんな精密工業製品が作れるんだ!と。

このカメラは20年ほど前にウイ-ンの老舗中古カメラショップから購入した。ネット通販など無い時代なので、メールで注文、国際銀行振り込み、航空便で送られてくるという、なかなかリスキーな買い物で勇気がいった。注文してから、ちっとも送ってこないのでメールで問い合わせると「調整が必要なのでもうすぐ送る」との返事。注文確定から2週間で配送。しかしちゃんと出荷時にチェックしてるんだ。ほっとくとなにも言ってこないが、問い合わせるとすぐ返事がくる。結局「調整したがシャッターが完璧ではない」としてプライスタグから大幅なディスカウントしてくれた。さすが老舗、信用第一。結構ちゃんとしてるんだ。本機はやはりシャッターの調子がよろしくなかった。高速では巻上げスプリングのテンションが強くなり、シャッターダイヤルのクリックがすぐ外れてしまう。指で押さえればちゃんと行くが。低速1/20ではスプリングテンションが弱いのか、シャッター幕が戻りきらない。スプリングのテンションだけでシャッター速度を制御しているのでメカ的には脆弱だ。購入から数ヶ月後に使用中にシャッター幕が切れてしまった(古くて劣化していた)のと、シャッター速度1/500が滑って設定出来なくなってしまったので、有楽町のDカメラで直してもらうことにした。日本に部品などあるのか心配だったが、Dカメラはデュカッティやロボットなどの欧州製珍品クラカメを手掛けているので修理出来るとのことであった。依頼から数日後に新しいシャター膜に換装され、調整されたデュカッティーが戻ってきて感動した。ウイーンの工房より腕がいい!デジカメ全盛の当世、カメラ屋と言うものが世の中から消えてゆく中、Dカメラは今でもクラシックカメラ専門店として盛業中。ただしデュカッティはもう手に入らないそうだ。もし市場に出てきてもいまなら当時の三倍の値をつけていると言う。実用的には撮影にいろいろ難しい「お作法」がいるカメラだが、その希少価値と圧倒的な精密機械的「お道具」としての存在感が魅力的なカメラだ。



手の中にすっぽり入るマイクロカメラだが、オール金属製の質感は抜群で、手にズッシリと来る
ファインダーは二眼式距離計連動レンジファインダー
小さいのに凝った作りで、二重像分離で見易い
シャッタボタンが左前なので少し戸惑う
軍艦部には右から、フィルム巻き戻し、シャッターダイアル+視度補正レバー(!)、フィルム巻き上げ
シャッター速度は500/200/100/50/20/B
ファインダーは右が距離計連動、左がフレーム枠

イタリア製らしく上質な革製のケースがつく
左上に見えるのはVitor専用のレンズフード。これは珍品!

ハーフサイズの15枚撮りフィルムカートリッジを使用する。
詰め替え用のフィルムローダーもある。

裏蓋を外してフィルムを装填する。
ハーフサイズの布幕フォーカルプレーンシャッターだ。

レンズ交換式
沈胴式標準レンズのVitor 35mm f.3.5
フォーカルプレーンシャッター幕の前に金属の観音開きの遮光鎧戸があり、シャッターボタンを押すとパタパタと開閉する。