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2011年2月25日金曜日

琉球の風 ー成長のポテンシャルはここにありー



 仕事で沖縄へ出張。3年ぶりの沖縄だ。遠隔地医療のプロジェクトで琉球大学を訪問した時以来だ。

 大阪伊丹からの便は満席。こんな季節に,何故?と思ったが、沖縄は今が一番過ごしやすい季節なのだ。暑すぎもせず寒くもなく。確かに昨日まで着込んでいたコートは置いて来た。支店での会議も皆ネクタイを外した。さすがにカリユシウエアーにはまだ早いらしいが。
 今はプロ野球10球団が交互に沖縄キャンプを張る季節。オフシーズンでこの快適な気候、分かる気がする。そしてそれお目当ての観光客やファンも多いと言う。確かに機内には私のように背広にネクタイなんて無粋な格好した乗客はほとんどいない。

 那覇空港は他の地方空港に比べるとなかなか立派だ、サンフランシスコやサンノゼの空港の雰囲気を想起させる。そして那覇の街へ出るとそこも大きくて立派な街並が続く。県庁や博物館などの公共の建物が大きくて堂々としている。最近オープンしたというショッピングモールも、都心にフルブロックの敷地を有している。個人の住宅や小規模な建物もみなコンクリート製で頑丈。木造家屋や瓦屋根がなく街全体が白っぽく見えるのはこのせいだ。街路樹はガジュマルなどの亜熱帯植物で、こうした町並みが独特の景観を生み出している。なんだか西海岸的な空気が漂っている。

 台風の通過点なので木造家屋では心もとないので頑丈なコンクリート製になっているんだと,支店の方が説明してくれた。確かに、街のビルの谷間に所々残る琉球風の古民家も、瓦を漆喰でしっかり固定し、石を載せたた屋根になっている。そしてシーサーが屋根に載っているのがご愛嬌だ。

 基本的に車社会で、公共輸送機関はこれまでバスだけだったが、数年前にようやくモノレールが空港から首里城間で開通した。それでも車社会である事は変わらない。道路も広いが結構渋滞する。アメリカの都市並みだ。

 また長い米軍統治下で、那覇の都市計画には建物や街区の設定に米国式が持ち込まれた為かもしれない。印象的なのはそれぞれの家屋の上に銀色のステンレス製のタンクがのっかっている事だ。これはもちろん水不足に対応する為の水槽だが、ニューヨークの街のビルは必ずある木製の水槽を思い起こさせる。多分米軍統治時代の置き土産かもしれない。

 意外に起伏の多い市街地と幅広い道。町並みがアメリカナイズされ、さらにはようやく本土復帰後、復興の為の資金投入で造られた街は,立派で,堂々とした大都会を生み出したが,一方で古い古民家がここでも次々と失われて行く。支店の方が「宮古,石垣へ行くと全く違う町並みに出会いますよ」と説明してくれたので少しホッと出来た。

 車で少し走るだけで米軍基地が大きなスペースを占めている事がすぐに分かる。那覇の湾岸を占める広大で閑散とした補給基地。宜野湾市の普天間基地、極東最大の嘉手納基地の延々と続くフェンスと土手。東アジアのキーストーン沖縄の実態だ。沖縄の人々の思いとは裏腹に,中国の軍事的膨張、尖閣諸島への領土的野心などの東アジアの緊張の高まりがますますこの沖縄の戦略的な重要性を再認識させる事となるだろう。

 車で北へ向う。沖縄自動車道はさすがに駐留軍ナンバーの車が多く走ってる。なかにはなぜか懐かしいコネチカット州のナンバープレートで走ってる車もいる。おいおいここは日本だぞ。浦添市、沖縄市(旧コザ)、宜野湾市、宜野座村。高速道路を一時間程走ると、名護市、宜野座村のIT金融特区に到着。ここに我が社のコールセンタとデータセンタがある。この特区には全国から200社余のIT、金融関連の企業が集まっている。

 我が社のデータセンタの入る宜野座ITオペレーションパーク、サーバーファームは、国の補助金で建てた村立の施設だ。外見はシリコンバレーのIT企業本社のような広大な駐車場を有し、立派な建物は美しい珊瑚礁の海(ちゅら海)に面した眺望絶佳の地にある。さすがにまだ沖縄のシリコンバレーと呼べる程の「知」と「資金」の集積度はないが、琉球大学などの研究機関が人材を世界から集められるようになれば大きな相乗効果が得られるかもしれない。

 二階の喫茶室のテラスから望む美しい海の彼方には,辺野古地区、米軍基地キャンプシュワブが見える。ここが、普天間基地の移転先候補として話題になっている所である。無責任な国のトップの妄言、迷走に沖縄の人たちが惑わされている問題の現場だ。こんなに静かで美しい平和な海なのに。ちゅら海、米軍基地、補助金による特区、公共工事、政治の迷走,市民の困惑.. 沖縄の激動の歴史と現実がこの静かな風景の中にも凝縮されている。

 その昔、琉球王国は大陸や日本やルソンといった東アジア地域のハブという地政学上の位置を占めて、その大国の勢力バランスの均衡の中で平和な経済、文化の交流を行って来た海洋王国であった。人々は芸能や、アートをたしなみ、高い教養と、国際的なセンスを有する平和な人々であった。大きな軍事力に頼らず文化と知性で生きて来た人々であった。しかし江戸期の島津藩による支配、明治期の琉球処分、さらには太平洋戦争での日本での唯一の本土決戦地となり、多くの住民が犠牲になった。戦後の米軍統治。平和な島が過酷な歴史を経験する事となった。

 こうした歴史の積み重ねが那覇の街にも北部の宜野座村にも幾重にも折り重なって風景の中に閉じ込められている。

 ところで沖縄は全国一の長寿県。しかも出生率上昇中。県の人口増加中。地方がドンドン人口減少や少子高齢化が加速して元気がない中、日本全体が縮小する中,これはすごい。県民所得や事業所数は全国的比較では低位に位置づけられているが,そのような統計上の数値に表れない魅力と成長のポテンシャルを秘めているようだ。ひょっとすると日本全体の再生、復活のシナリオを描くヒントが沖縄に隠れているのかもしれない。

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(宜野座ITオペレーションパーク、サーバーファーム一号館。一階にデータセンタ、二階にコールセンタ、二号館はオフィス棟)

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(ビル二階のテラスからは渦中の辺野古地区、米軍キャンプシュワブが望める。この珊瑚礁のリーフに守られたちゅら海が静かで平和な風景を生み出しているのが皮肉だ)


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