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2012年2月14日火曜日

大和の環濠集落を巡る(2)ー山辺の道 竹之内/萱生集落ー

前回訪ねた、大和郡山市の稗田、若槻、番条集落に次いで、今回は山辺の道周辺の環濠集落を訪ねた。

竹之内集落と萱生(かよう)集落である。この二つの集落は現在の行政区域としては、天理市に属す。山辺の道の北より、すなわち、天理側。JR桜井線(万葉まほろば線)の駅で言えば、長柄駅から東へ歩いて20分ほどの傾斜地にある。この辺りは大和(おおやまと)古墳群の真ん中、周辺には衾田古墳や西殿塚古墳などの3ー5世紀に築造された大型古墳や、その陪塚、その他の中小古墳が散在している。

長柄駅近く,古代の下ツ道沿いには旧官幣大社、大和(おおやまと)神社がある。この辺りはおそらく大和最古のエリアであったろう。そもそも「やまと」とは「山処」すなわち山の麓、辺り、という意味である。魏志倭人伝のような中国の史書では、当時の日本を「倭國」と呼称しており、これは華夷思想による「小さくて背中の曲がった人の国」という意味の蔑称であった。後にこれを嫌ったヤマト王権は「倭」(訓読みで「やまと」)に換えて「和」を用いる。さらに地名を二文字化する政策で、「和」の字に修飾語の「大」を付けて「大和」とした。そしてこれを、この辺りの地名である「やまと」と読ませた。この神社の名称は「大和」と書いて「おおやまと」と読ませるのは、こうした背景と、この辺り一帯の豪族「大倭(おおやまと)」氏に由来するものであろう。さらに天武。持統天皇時代に日本書紀が編纂され始めると、「倭国」を捨て、「日本」とういう国号を用いる事になる。「日本」を「やまと」と呼ぶのもこれらに由来するのだろう。

ここは戦艦大和の守護神としても知られており、戦艦大和及び護衛艦で戦死した英霊が祖霊社に祀られている。また、邪馬台国の卑弥呼の宮殿はここにあったのでは、と唱える学者もいる。これは一昨年に纏向遺跡で発掘された3世紀の宮殿/神殿とおぼしき建物跡が卑弥呼の宮殿あとではないか、と騒がしくなっていることから、少し大和神社説は静かになった感がある。

話を環濠集落に戻すと、ほとんどの環濠集落が平地の田園地帯の中に形成されたのに対し、この竹之内。萱生集落は標高100mほどの傾斜地に形成されている。西側から緩やかな坂を登ると集落は、すぐにそれと確認出来るほどで、微高地に建物がまとまっている。集落内には立派な門構えの屋敷、大和棟や本瓦葺きの豪壮な建物が密集している。環濠趾はほとんど残っておらず、一見、普通の集落に見える。
それでも竹之内集落では、集落の西側の入口付近に環濠趾が確認出来る。一部は埋め立てられて児童公園や自治会の集会施設が建っているが、比較的分かりやすい。
一方、萱生集落ではやはり、集落の入口付近にある、農産物の集荷場の屋根をくぐると、右手に環濠趾が確認出来る。集落の西側の低位部にあった古墳の周濠を利用したもののようだ。集落の外周を歩いてみると、南側に小さな水路があり、小さな小川に流れ込んでいるが、これは環濠の痕跡なのか、後世に作られた水利施設なのかよくわからない。

いずれにせよ,このような傾斜地の環濠とはどのようなものだったのか想像しにくい。何処から水を引いたのか、斜面部分の濠にはどのように水が貯められたのか。今残っている濠趾は全て集落西側境界の低位部だけなのは納得出来る。どの程度防衛的な効果があったのだろう。

この山の傾斜地に形成された二つの環濠集落の起源はあまり明らかになっていないようである。集落内には寺や神社があるが、村の鎮守の杜と言った風情で、今井町のような寺内町ではなさそうだ。平地ではないので、唐古鍵遺跡のような弥生時代の農耕集落(ムラ)でもない。ヤマト王権時代の豪族の居館でもないだろう。平安時代の荘園でもない。武士の時代の国人、土豪の居館や砦でもない。おそらくは南北朝時代以降の農村集落が戦乱の中、自衛の為に濠を巡らしたものなのだろう。

ここからは、奈良盆地が一望のもとに見渡せる。葛城、金剛、生駒山と、奈良盆地を形成する西側の山々が連なっている。山脈がやや途切れる辺りに二上山がその双峰を見せている。贅沢な眺めだ。倭国の時代の官道、山辺の道に沿って歩けば、東に龍王山,さらには三輪山が迫り、見た目イッパイの風景がヤマト国中なのだ。ヤマト王権発祥の地であるこの辺りは、今では柿の産地で、傾斜地に柿畑が広がる。奇妙な枝ぶりの柿の木越しに「国のまほろば... 」が広がっているのである。竹之内も萱生も史跡でも観光施設でもなく、この辺りの農地で生産活動を行う人々の、まさに生活の場である。決して貧しい農村集落ではなく、平和で豊かさを感じさせる住環境がうらやましい。

JR長柄駅から歩き始め、大和神社から山辺の道へ向かい、それを南下。竹之内集落、萱生集落、大和古墳群、長岳寺から、崇神天皇陵、柳本織田陣屋、黒塚古墳と回り、JR柳本駅(長柄駅の一駅先)から、桜井経由で帰途についた。


(撮影機材:SONY NEX-7,18-55mm Zoom)



大きな地図で見る(竹之内集落)


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