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2013年2月5日火曜日

播州龍野 ー露の風の城下町ー

 龍野は播磨の国、揖保川沿いの静かな城下町。姫路からJR姫新線乗り換えで約15分。山陽本線沿いではない所がポイントだ。最寄りの本竜野駅は龍野の旧市街からは徒歩で20分ほどの川向こうにある。明治の頃、日本各地で鉄道が開通し始めた時の地元の人々の反応は様々だった。大抵は近代化の恩恵を複雑な気分で恐る恐る手にとって見たのだろう。鉄道の駅は必ずと言ってよいほど町外れに出来た。その町が古い城下町であればあるほど... 龍野も例外ではないという事を、まず駅をおりて実感する。町まで遠い...

揖保川にかかる龍野橋から旧市街を見渡す。戦国時代の城づくり、城下町づくりに共通するエレメント、小高い山と川。辺りを睥睨する山上に石垣を巡らして堅固な山城を築き、その山麓に城下町を開く。そして、川を掘りに見立てて城を守る。ここ龍野も戦国時代の赤松氏が鶏籠山(けいろうさん)に城を築き,その山麓の揖保川沿いに城下町を開く、という典型的な城下町ロケーションだ。

江戸時代に入り、信州飯田から移封されて来た脇坂氏の龍野藩5万3千石の城下町となる。時代は既に徳川幕府の支配が確立された時期で、城も戦国時代の要塞、砦の機能はもはや不要のものとなる。また諸大名も幕府の眼を恐れて壮麗な城造りを控えるようになった。脇坂氏は入封とともに、鶏籠山の山頂ではなく、その山麓に縄張りをする。山を背に正面を石垣で囲んだ居館といった風情の平山城となっている。脇坂氏は明治維新まで代々藩主として龍野を治め、維新後に多くの藩主が東京へ移住した後も龍野に戻っている。旧武家屋敷地区に居宅を構え昭和初期まで居住したそうだ。今も「脇坂屋敷」としてその敷地が残っている。

脇坂氏といえば、あの浅野内匠頭の刃傷事件で,御家断絶になった浅野家の赤穂城を幕府の命令で受け取りに行った大名である。忠臣蔵の物語りの中でも、脇坂出羽守は浅野びいきであり、ふだんから吉良上野介を快く思っていなかったとされている。松の廊下での内匠頭刃傷のおりに、斬りつけられて逃げる上野介と出羽守は交錯し、その家紋が血で汚された事を怒り、上野介を「無礼者めが」と叱責したというエピソードが伝えられている。どこまでホントかはわからないが、同じ播磨の赤穂と龍野はお隣さんと言ってよいほどの距離。どちらも5万石ほどの外様大名である。親近感を持っていてもおかしくない。また赤穂城開場時の大石内蔵助はじめ,赤穂藩家臣の潔い引き際。その後の隠忍自重、艱難辛苦のすえ武士の忠義を示した討ち入りに、庶民大衆を始め、多くの武家も喝采を送る中,特に浅野/赤穂浪士シンパの大名の存在が,忠臣蔵の話に花を添える名脇役としてもてはやされたとしてもおかしくない。

この美しくたおやかな龍野の城下町は、こうしたお隣の赤穂浪士達の義挙に花を添える脇役としての歴史を伝える訳であるが、むしろそのエピソードよりも、一般には三木露風の唱歌「赤とんぼ」で有名な町だ。戦前の哲学者で治安維持法で検挙され獄死した三木清もこの龍野の出身。旧制第一高等学校の寮歌「嗚呼玉杯に花受けて」の作詞者で歌人の矢野勘治もそうだ。こうした文人を輩出した龍野とはどのような町だったのか。

一方、龍野を代表する産業は世界のブランド、ヒガシマル醤油。房州野田のキッコーマン醤油に対峙する龍野の淡口醬油だ。関西の味の原点を生み出した町でもある。そして、そうめんの名品ブランド、揖保の糸。ここは明治以降も時代から忘れ去られた,歴史のタイムカプセルに収められた城下町としてではなく、伝統産業を世界に広める近代産業への脱皮を実現した現代の町としても発展している。

龍野には有名な本屋さんがある。伏見屋さんだ。絶対訪ねる価値有りだ。明治34年(1901年)に建てられた白壁の商家を一歩中に入ると、ぐるりと廻廊が巡らされ、天井には採光用の天窓が並んでいる。吹き抜け2階建てのユニークな店内のしつらえが眼に飛び込んでくる。この建物は今も現役の書店として営業中である。ご主人に「写真撮らせてもらっていいですか?」と伺うと快く承諾して下さり、しかも接客の合間にこの店の説明をして下さった。二階の廻廊にも本棚が並び(昔は教科書の仕分けに使われていたそうだ),廻廊から伸びた針金のフックは一階を照明するランプが吊るされていたとか。明治にこの建物を発想した人もスゴイが、今にこの建物を引き継ぎ、家業を継続している人もスゴイ。なんだかBusiness Continuity Planningってこういうことではないか、という気がしてきた。

ご主人が下さった一枚のプリントにこの伏見屋さんの歴史やエピソードが記載されている。明治/大正期には龍野は大阪、京都、奈良といった関西と山陰地方、出雲を結ぶ街道の途中にあり、伏見屋さんは書籍だけではなく,紙や油その他の物資の流通にも携わっていたそうだ。以前は出雲の人がわざわざ龍野まで書籍を探しに来たり、戦時中、某大学教授が疎開して研究に没頭する時は伏見屋のある龍野に居を移したり、様々なエピソードに事欠かない一種の文化流通の拠点であったようだ。さらに歴代のご主人や奥様も若い人達の教育や、文化活動の支援にも尽力されたそうだ。

ご主人にチョット失礼な質問をしてみた。「今も現役の本屋さんとしてやって行くご苦労は?」 ご主人笑いながら「今でもこの町の方々の本の注文はウチに頂けるし、学校向けの教科書の取り寄せや配布もやらせていただいてるのでなんとかやってます」と。まさに現役なのだ。この日も、中学生の女の子が学習参考書の注文に来ていた。自転車でやって来たおかあさんが取り置きしてもらって雑誌をうれしそうに受け取って帰ったり,ご主人は結構忙しそうであった。 ご商売の邪魔をしてはいけない。早々にお礼を行ってその場を辞した。

出版の衰退とか,活字メディアの衰退とか言われているが、やはり「本」は文化の源泉なのだ。本屋さんは本を通じて人が交流する一種のサロンなのだ。三木露風、三木清等の多くの文化人を生んだ龍野の文化的背景のかなり大きな部分を担って来たのだろうと思う。AmazonやGoogleにはマネ出来ない「実在」が確かに息づいている。

もう一つ,龍野には和菓子屋さんが多いのも気になった。松江や金沢のように、武家や商家の間で盛んであった茶の湯文化の町には素敵な和菓子屋さんが多い。きっと龍野もそういった文化の香りを和菓子に留めているのだろう。白壁の本屋と和菓子と醤油と赤とんぼ。日本だなあ。




(脇坂氏5万3千石の居城、龍野城。城と言うより,防備を巡らした居館という造り。明治維新後破却されたが、戦後一部が再建された。これはその再建隅櫓)




(鶏籠山麓の龍野城趾から城下町を見渡す。お城はあまり高い位置ではないので威圧感が無い。ヒガシマルの醤油蔵が見える)




(伏見屋書店。明治34年(1903年)に建てられた吹き抜け2階建ての店舗。二階の回廊と天井の採光窓が明治の建築とは思えないモダンさを醸し出している。)




(和菓子屋さんが多い龍野の町。茶席にふさわしい和菓子の他にも、薄口醤油を売りにした饅頭などユニークな商品が並ぶ)




(ヒガシマル醤油の醤油蔵。延々と続く白黒の壁と,水路が龍野の街の独特の景観を生み出している。)


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(撮影機材:Nikon D800E, AF Nikkor 24-120mm いつものブラパチ風景散歩のベストパートナー。)



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アクセス: JR新幹線、山陽線の姫路からJR姫新線本竜野下車。徒歩20分で揖保川を渡り,旧市街へ。町中散策は特に地図などなくても十分に楽しめるが、駅の案内所に散策マップがおいてある。