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2014年1月10日金曜日

新春放談 〜外来文化による日本史のパラダイムシフト〜

2014年が始まった。今年は日本にとって、世界にとって、そして我が家にとって時代を画する年となるのだろうか。我が家の方は小市民的な(しかし私にとっては大切な)イベントが幾つかありそうだが、「歴史の画期」などという大げさな出来事は無い。もっとも、自分自身を振り返るとサラリーマンとしてはいろいろな波乱の人生ではあった。特に国内市場に閉じ込められていた会社、事業モデルを、法律制度の枠を壊してを海外市場に進出させた10年プロジェクトは「画期的」と、今でも自負しているが、それでも基本的には、歴史の必然的なレールの上での出来事にすぎない。我が社にとっては画期的であったし、サラリーマン一個人としてはチャレンジングで納得のいく仕事をさせてもらった満足感はあるが、世界史的視点から見て、未開の荒野に新たにレールを引くような事業とまでは言えないだろう。そもそも歴史に関わるような仕事はしてこなかったのだし。

一方、日本を取り巻く情勢に鑑みれば、これからは東アジアが台風の目になるだろう。しかし今年が歴史の大転換の年になるだろうか?「歴史の画期」とはなにか?今だからこそ少し巨視的な目で日本史を振り返ってみるのも悪くないだろう。そもそも「今の日本」はどのように「今の日本」になったのか。東京に生活拠点を移した今年は、去年以前のように頻繁に歴史の現場へ「時空トラベル」にも出れなさそうだし、せめて机上で「日本史の画期」を振り返ってみよう。

「時空トラベラー」なりに日本の歴史を振り返ると、パラダイムシフトと呼べるような大きな画期は、分かっているだけで大きく5つあったと思う。

第一の画期(紀元前5世紀):稲作農耕・鉄器の伝来
•在地の狩猟・採集を中心とした縄文文化から大陸渡来の稲作農耕を中心とした弥生文化へ。
•ムラ。クニの出現。支配者、首長の出現。
•首長、豪族の中から農耕神の司祭者としての大王、のちに天皇の出現。
•自然崇拝アニミズムから人格神へ(タカムスビ、アマテラス、ニニギノなど)。
●中華王朝への朝貢、冊封という外交。

第二の画期(6世紀):仏教伝来
•文化的グローバリズムの始まり。
•寺院建設。仏像建立に伴う技術の伝播。異文化の可視化。
•多神教(八百万の神々)に対する一神教。しかし既存の神々と融合(神仏習合)化して取り入れる。
•鎮護国家思想による天皇中心の国家統治の強化。倭国から日本へ。
•中華王朝への遣使(朝貢/冊封ではない)のよる文化の接受(仏教思想・学問、律令制、都城建設、税制、文字、史書編纂)
•やがては遣唐使廃止(菅原道真により894年に)で国風文化(平安時代)。250年の太平の時代。

第三の画期(16世紀):キリスト教伝来と鎖国
•大航海時代の西欧文明との出合い(イエズス会宣教師、南蛮貿易、鉄砲伝来による戦争形態の激変)
•しかし、主に新しい文物と貿易利権に関心のあった権力者からは、最初は受け入れられるも、旧教と新教対立の余波もあり、排他的な一神教ととらえられ、最終的に排除される(禁教令、鎖国)
•その結果、皮肉にも鎖国→第二の国風文化(江戸時代)が花開くきっかけとなる。250年の太平の時代へ

第四の画期(19世紀):黒船来航、明治維新
・欧米文明の再来航(気がつくとポルトガル人やイスパニア人は居なくなって、イギリス人、オランダ人、ロシア人、アメリカ人が周りに)。
・欧米列強によるアジア植民地化の恐怖。東南アジア、中国(清朝)という反面教師。
・尊王攘夷による排外運動、倒幕、王政復古(天皇中心の政治体制復活という保守的な革命)から、積極的に西欧文明の摂取へ転換。
・明治維新。アジア初の近代国家へ脱皮(立憲君主制、富国強兵、殖産興業、不平等条約解消)

第五の画期(20世紀):太平洋戦争敗戦、「大東亜共栄圏」の破綻
•アジア植民地の解放、東アジアの盟主を目指した戦争。しかし、西欧列強と対抗した植民地争奪戦に。
•日本史上未曾有の大敗北(日本人同胞350万人死亡、人類史上初の核攻撃や沖縄戦、東京大空襲など都市爆撃による無差別殺戮、国土の焦土化。無条件降伏。国土が外国軍隊に占領され主権喪失)
•民主主義、自由主義、平和主義の憲法による再スタート。天皇制は象徴として残った。
•冷戦構造下、アメリカを中心とした西側アライアンス、資本主義経済体制に組み込まれた。
•アメリカの庇護のもと未曾有の戦後復興、経済成長。皮肉にも日本史上もっとも繁栄した時代となる。
•かつて、白村江の戦いの敗戦でも侵略されなかった。二度の元寇でも本土侵略食い止めた。大航海時代の西欧植民地化にも抵抗排除した。幕末/明治期の欧米帝国主義にも対抗していち早く近代化を果たし独立を守った。にもかかわらずこの結果...

こうして振り返ると、日本は常に外からの「文明の波」によってパラダイムシフトを起こして来たことが分かる。第二の画期までは、ユーラシア大陸の東の果ての海中に浮かぶ島国(シルクロードの終着駅)として、主に中華文明の波による画期であった。第三から第五までは急速に世界進出してきた西欧文明の波の受容、ないしは反発による画期であった。

日本は、中華的華夷思想によれば辺境の蛮夷の国、西欧的世界観によれば東の極み、Far east。いずれにせよ地の果つるところ、文明の果つるところであった。しかし、それは流入する文明を咀嚼し、既存の価値観と同化させ、消化(昇華)して独自文明を育む「文明のるつぼ」だった。古代東アジア世界とういうパラダイムでは「文明の発信地」にはなり得なかった日本。しかし、世界が変わり、新しい西欧文明が新文明として世界を席巻し、イスラム文明やインド文明、中華文明などが、旧文明と片付けられるパラダイムに転換すると、逆に、アジアにおいて、いち早く近代化を果たした日本は、東洋の文明と西洋の文明を適度に融合させた新たなる「日本文明」の発信地になって行く。文明は逆流する。

気をつけねばならぬのは、時として偏狭なナショナリズムや愛国心は、為政者が自分の失政や国内に内包する矛盾から国民の目をそらさせ、外部に生け贄の敵(スケープゴート)を作るために用いる常套手段となりうる事である。歴史や文化や文明は、そういう時に、都合の良い点だけ利用されがちである。そうではなくて、国家権力とは関係ない我々市民一人一人が、世界市民として生きる中でのアイデンティティーと品格と価値観を育み、真に尊敬される「人たち」として影響を与えることが出来る「文明」があるということ、むしろ「文明」とは決して国家(権力)が作り出すものばかりではないということを認識しておくことが大事だと思う。そして相互に排他的ではなく、多様で、共存しあう寛容なものであるべき事も。

それにしても、21世紀になってもいまだ国家間の闘争が終了していないこの時代、これからはアメリカ、中国という二大勢力の狭間で、日本はどのような立ち位置を築くのか考えざるを得ない。この地政学的な位置はこれからも変わらないのだから。その中でどのような「文明」を築いてゆけるか。「文明の衝突」ではなく、「文明の融合」という化学変化の場を提供できるのか。それこそ日本の過去の歴史から学べる「日本文明」の特色であるはずなのだから。和食文化、富士山信仰が新たな無形世界遺産に加わったことはうれしい。しかし日本固有のものを押し出すばかりではなく、「文明とは衝突し闘うものではなく、融合し昇華してゆくものだ」ということを示せないか。2020年の東京オリンピックを、どのようなO-MO-TE-NA-SHIを具現化できる機会にするのか。大きなチャレンジだが、同時にワクワクする。うまく行けば、第六の画期は日本発の「文明」によるものとなるかもしれない。





(奴国からみた伊都国の夕景。第一の画期、稲作農耕文化、弥生の文化は、大陸からここ博多湾にやってきた。今の福岡市から春日市にかけての存在したと言われる奴国の跡からは、日本最古の稲作環濠集落跡である板付遺跡、奴国の都邑である比恵遺跡、奴国王墓のあった須玖岡本遺跡など、稲作農耕遺跡、金属器製造工房遺跡、住居跡などが広範に見つかっている)