連休初日は、快晴の爽やかな1日。遠出の予定などないので、近場で済まそうと辺りを見回す。柴又帝釈天はどうだ、ということになった。谷根千、根津神社に続く江戸の名所巡りって訳だ。「時空トラベラー」はせっかく東京にいるんだから、京都や奈良大和路ばかりでなく、もっと江戸を探訪しよう。
柴又の帝釈天は日蓮宗の寺である。経栄山題経寺が正式名称。創建は江戸時代初期の寛永6年(1629年)。もとは房州中山法華経寺が起源とか。その後、庶民の帝釈天信仰が盛んになった江戸時代中期以降、参道に茶店や川魚料理の店が立ち並び門前町をなした。このころから寺は地元の人々から「帝釈天」と呼び習わされるようになったという。本来、帝釈天は仏を守る「天」であり、本尊は祖師堂(旧本堂)に安置されている日蓮宗のお題目「南無妙法蓮華経」を中心に諸仏の名前を配した「大曼荼羅」だ。この帝釈天は、もともと日蓮聖人のお手彫りと伝わる帝釈天板本尊が長らく行方不明となっていたが、安永8年1779年に本堂修復の際見つかった。以来、その日が庚申の日であったことから庚申参りや帝釈天信仰が庶民の間で盛んになったと言う。現在の境内の配置は二天門を入ると正面が帝釈堂。その右手がご本尊を祀る祖師堂(旧本堂)、その後ろに開山堂となっており、まるで寺の主役が入れ替わったかのようになっている様がわかる。こういう、後世に信仰の対象が代わり、その結果伽藍配置にも変化が現れる。どこかで見たようなこのパターン。そうだ奈良大和路の当麻寺だ。本来真言宗の寺で南北軸に、御本尊弥勒仏を祀る金堂、講堂が配された極めて奈良仏教に伝統的な伽藍配置であった。しかし後世、平安時代に入り阿弥陀信仰が盛んになるとともに、中将姫が織ったとされる當麻曼荼羅を祀る曼荼羅堂が西側に建てられ、ついにはこれが本堂のようになり、参詣者の利便のためにと東側に山門が付け替えられることとなった。
ここ柴又帝釈天も、帝釈堂は昭和4年の再建だそうで、二天門は帝釈堂の正面に位置している。現在の境内案内図(右図)を見ると、やはり旧本堂(現在は祖師堂)の正面に南大門がある。創建時はこちらが伽藍配置の中心軸だったのだろう。のちに庚申参り、帝釈天参りが盛んになると、本堂の左手に帝釈堂を建てたのだろう。最初は小さなお堂だったのが次第に大きなお堂に建て替えられていったのかもしれない。そしてその正面に参詣者を迎える二天門を配した。やがてその二天門に通じる参道が門前町に発展したのだろう。長い歴史の中で庶民による信仰が寺の性格や伽藍配置を変えるということは珍しいことではないようだ。こうして境内をじっくり眺めてみると色んな歴史の変遷があって面白い。
柴又帝釈天は、山田洋次監督の人気映画シリーズ「男はつらいよ」には欠かせない柴又のランドマークであることは言うまでもない。笠智衆の御前様がいかにも箒持って出てきそうだが、こんな寺の変遷のことまで考えて映画を観ていた訳ではない。賑やかで江戸の下町情緒たっぷりの門前町にある甘味処、「くるま菓子舗」が舞台となってストーリーが展開されるおなじみの映画だ。その時代の代表的なマドンナと各地の風光明媚な景色と土地土地の人々の暖かさ。江戸情緒豊かで、人情味溢れる家族や近所の人たち。全国各地を旅して回る風来坊の「寅ちゃん」。突然故郷の柴又に帰ってくきてドタバタを巻き起こす毎回同じパターンの恋と失恋ばなしだが不思議に飽きない。安心して観てられる。おいちゃん、おばちゃんが妹さくら一家とともに暮らすこの茶店のモデルとなった店がいまも参道にある。この裏にタコ社長の印刷工場があるかどうかは知らないが、あっても不思議ではない町の佇まいだ。この参道は京成柴又駅から帝釈天の二天門までの比較的短い通りであるが、並ぶ店は、どれも老舗ばかりだ。映画のモデルになったという高木屋老舗を始め茶屋、和菓子屋や川魚料理の店や、仏具を扱う店。観光地にありがちな「なんちゃってレトロカフェ」や土産屋もない。スタバもコンビニもない老舗ローカルビジネスオンパレードである処がすごい。
この「男はつらいよ」寅さんシリーズ映画は、ロンドンで貧乏留学生やってた頃よく観た。英国在留の日本人コミュニティが中心となって様々な文化活動をしていた欧日協会が定期的にCharing Crossの映画館で無料上映していた。日本文化を広めることが目的であったはずだが、見に来ていたのは望郷の念に駆られた英国在住の日本人ばかりだったような。当時、私も若かったが、お金もなく、故国を遠く離れ距離的にも心理的にも日本ははるけき彼方であった。当時の英国にとって日本はFar Eastの遠い国。日本食レストランもHanover Sq.にあった「さくら」くらいしかなく、日本人観光客向けの「法外プライス」の天ぷらそばなど、貧乏学生にはそうそうあり付けなかった。あんまり自分は望郷の念などないつもりであったが、なぜか「寅さん」は毎回見に行った記憶が有る。映画が終わって「寅さんワールド」にどっぷり浸り、雪駄、腹巻スタイルの寅次郎になりきった気分で外へ出ると、そこは夜の帳が下りたロンドンのチャーリングクロスの雑踏。目の前から柴又帝釈天参道の賑わいも、寅さんもさくらも御前様も、夢幻のようにかき消されてしまった。その時空を超えるワープ感がたまらなかった。
帝釈天の話に戻るが、ここの帝釈堂外壁全面を飾る木彫レリーフが圧巻!帝釈堂外壁全体をガラスの壁で囲み、その中を彫刻ギャラリーとして見学できる。ケヤキの板に彫り込まれた超絶技巧の透かし彫りの数々。10の法華経説話を視覚化した木彫レリーフは、その無彩色モノトーンの写実的描写が圧倒的なリアリティーを持って法華経世界を心に訴えかけてくる。ちょうどカラーよりもモノクロの写真の方が時にメッセージをストレートに伝えるのと同じだ。これらは大正末期から昭和初期の木彫の名人たちの作品だそうである。欄間にはさらに細密な動植物や獅子頭の彫刻が施されており圧倒される。ヨーロッパの古い教会や聖堂を飾る石造レリーフには目を見張るものがあるが、この帝釈堂の木彫レリーフはこれに匹敵するか、あるいはそれを越える強烈なメッセージを今に伝えていると思う。木彫だからこそより細密に仏や聖人の姿や動植物の有様を描写できるのだろう。こうした「木の文化」が「石の文化」に十分対抗できるヘリテージとして後世に残されて行くことだろう。文化財や国宝には指定されていないそうだ。もう少し時間を経て、歴史の埃がたまらないとダメなようだ。しかし写真撮っても良いし、拝観も割に自由だ(300円払うが、レリーフと庭園も回廊に沿って楽しめる)。これ見に来るだけでも十分にご利益がある気がする。
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最近、さくら像もできた |
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京成柴又駅の寅さん像 |
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帝釈天の門前町
「寅さん」のホームグラウンドだ |
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昔ながらのおせんべい屋さん |
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総檜造りの帝釈堂を巡る外壁には、法華経説話を表した木彫ギャラリーとなっている。
その見事な超絶技巧はヨーロッパの聖堂のレリーフに引けを取らない。 |
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客殿、庭園に向かう回廊 |
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大庭園「邃渓園:すいけいえん) |
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菖蒲が咲き始めた |
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矢切の渡し
江戸川を渡る渡し船。演歌の題材になった |
「葛飾柴又寅さん記念館」/「山田洋次郎ミュージアム」ノスタルジック探訪。「男はつらいよ」のセットやジオラマがうまく並んでいて「寅さん」「山田洋次監督」ファンなら文句なしに楽しめる。懐かしい昭和な下町に引き込まれて行く。しかしここから外へ出ても映画の世界そのままな昭和な帝釈天参道を歩くことになる。ここではウチソトのワーブ感がないのが嬉しい。
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くるま菓子舗 |
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寅さん、居眠り中 |
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タコ社長の印刷工場 |
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涙の別れ |
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巨匠山田洋次監督 |
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帝釈堂 |
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二天門 |
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京成金町線柴又駅 |
(撮影機材:Leica SL + Vario Sonner 24-90. ボディー+レンズで3キロを超える重量は街角スナップにはこたえる。ズームでも機動力が落ちてしまう。やはりこういう場面ではLeica M10システムの方が良かった。ただレリーフのクローズアップではズームが活躍した。)