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2019年7月20日土曜日

松永安左ヱ門(耳庵)と「老欅荘(ろうきょそう)」



「老欅荘」へ向かう石段

石段の麓に存在感を示す欅の巨木。
「老欅荘」の名の由来となる古木だ。


「老欅荘」玄関

老欅荘に付属する茶室「松下亭」の露地門
瓦の形状に特色がある
益田鈍翁邸から移築されたもの

築地塀



 ちょうど一ヶ月前、福岡平尾の松風庵(旧田中丸邸茶室)を訪ね、福岡市美術館の「松永コレクション」を鑑賞してきたばかりである。(2019年6月19日 ”梅雨の「松風庵」を訪問す〜福博の数寄者文化探訪〜”) 梅雨時の雨の一日であった。雨の中彩りも鮮やかな青もみじや苔が美しかったことを思い出す。今回は、以前から探訪せんと願っていた小田原にある松永安左ヱ門の「老欅荘(ろうきょそう)」を訪ねた。この日も雨は上がったものの曇天のはっきりしない天気であった。今年の梅雨は長く、しかも冷夏という異常気象だ。こんな梅雨時にここを訪れる数寄者(好き者?)もなく、この季節ならではの静謐で緑あふれる非日常空間を満喫することができた。入場が無料というのも助かる。この庭園の紅葉の樹々が見事だ。「松風庵」のイロハモミジと同様、秋のシーズンもまた見事なことであろう。

 ここ「老欅荘」は松永安左エ門(耳庵)翁の終の住処となったところである。松永耳庵は昭和21年に埼玉県所沢市(柳ヶ瀬)から小田原にこの邸宅を建て移り住んだ。晩年をここで過ごすとともに、多くの茶会を催し、当時の有名な茶人、政財界の重鎮、学者、建築家、画家を招いた。益田孝(鈍翁)、原富太郎(三溪)、畠山一清(即翁)などとともにわが国を代表する近代数寄者として著名なことは以前にも紹介した通りである。「老欅荘」の名は、その邸宅への登り坂にある欅の古木に由来している。孤高の大木であり、翁の人生を物語るにふさわしい佇まいだ。建物は数寄茶人としての精神や美意識が遺憾なく表現されており、三畳大の床の間を設けた十畳の広間と隣接した四畳半台目の茶室や、母屋に取り付く三畳の寄付などの意匠に数奇屋造り建築の特色を表している。庭園は耳庵好みの形式にとらわれない自然の趣を生かした設計となっている。老欅荘と付属の茶室「松下亭」の庭園は苔が美しくこの季節、緑あふれる静謐な佇まいである。また敷地内にはかつて「黄梅庵」という大和今井町の今井宗久由来の名茶室もあった。現在は堺に移築されている。展示館や移築された茶室「葉雨亭」の前には大きな池が配され、睡蓮や菖蒲、シャクナゲなどの花々が彩りを添える。また庭園各所には大和不退寺、長岳寺、東大寺の石塔、礎石や、近代数寄者同士の交流の証ともいうべき益田鈍翁旧蔵の石造物などが配されている。展示館などの幾たびかの増築と、茶室「葉雨庵」の移築により、現在は小田原市が管理する「松永記念館」となっている。ちなみに「老欅荘」は国登録有形文化財。

 昭和34年に設立された財団法人松永記念館により、建物や庭園、多くの茶器・美術品コレクションが管理、公開されてきたが、翁が昭和47年に97歳で他界すると昭和54年に財団が解散となり、敷地と建物、庭園が小田原市に寄付さた。しかし多くの松永耳庵古美術品コレクションは耳庵の出身地で、創業の地であった九州福岡の福岡市美術館や東京国立博物館に寄贈され「松永コレクション」として常設展示されている。耳庵の近代数寄者としての影響力も大きく、前回訪ねた福岡の田中丸家「松風庵」にも耳庵の筆による扁額が掲げられている。こうして翁の数寄者としてのレガシーを福岡と小田原の双方で鑑賞することができたというわけだ。ちなみにこれだけの財界の巨魁、近代数寄者のトップに君臨した翁も、子孫には財産を残さず、多くを上述のように寄付してしまった。叙勲も断り、葬式もせず、かなり型破りな人生で、まさに「鬼と呼ばれた男」であった。

 ところで今まであまり意識していなかったが、小田原には明治以降に建設された、政財界の大物の別荘、別邸が多いことに気づいた。この松永安左エ門邸のほか、近くには旧黒田長成別邸「清閑亭」、さらには山縣有朋の終の住処「古希庵」(現在はあいおいニッセイ同和保険研修所。京都「無鄰菴」、東京「椿山荘」と並ぶ山縣三名園の一つ)、旧清浦圭吾別邸「皆春荘」(のちに山縣の古希庵に編入)、旧田中光顕別邸(現在の小田原文学館)、旧益田孝(鈍翁)別邸「掃雲台」、旧大倉喜八郎邸「共寿亭」、旧松本剛吉別邸「茶室・雨香庵」などが市内各所に点在している。これから少しずつ探訪していきたいと思う。



大広間から庭園を鑑賞する

三畳の床の間
生前「死んだら棺をここにおけ」と言っていたそうだ。
実際にはそうならなかったが。
耳庵の肖像写真が飾られている
 
「老欅荘」広間の扁額
秋の紅葉の季節も素晴らしいだろう

雨水を受ける砂利が軒下に張り巡らされている






四方に仏像を刻んだ蹲




陰翳礼讃
陰翳礼讃


母屋につながる茶室



邸内には巨大な金庫が




玄関寄付
左下に水屋が設えられている

玄関寄付の天井

玄関寄付の天井



不明な装置






美術品収蔵庫

池には睡蓮が


松永記念館エントランス
本館(展示室)

池越しの本館(展示館)を望む
茶室「葉雨庵」
旧野崎邸「自怡荘」から移築したもの

旧野崎邸「自怡荘」の正門を移築




松永安左エ門(耳庵)

(撮影機材:Leica Q2, Leica CL + Apo Vario Elmar 55-135 + Super Vario Elmar 11-23)