一年前のあの日、ちょうど東京にいた。経験した事も無い様な揺れにたじろぎ、「帰宅困難者」の一人として会議室で一夜を過ごした。
今年もその日は東京だった。あれから一年。時間が止まったように,あまりにも何も進んでいない。この国の狼狽ぶりと、政治のリーダーシップの無さが顕著に見えてしまう。人々の絆や我慢強さや優しさが、世界の人々の賞賛を浴びているが、それも、何もしてくれない政治や,お上に、そろそろ憤懣のエネルギーが蓄積しつつある。特に原発事故対応は、終点どころか、明日の行動指針すら誰にも共有出来ていない。
凄惨な出来事も、一年経つと、「あの時の衝撃映像」として、テレビでも流れ始める。今や,ケータイやデジカメが普及し、誰もが静止画や動画を、いつでもどこでも撮れる時代。報道機関の眼でなく、その厄災のただ中にいた人々の動揺が如実に伝わってくる写真や動画はリアルだ。リアルすぎて残酷だ。だから今までテレビでも流さなかったのだろう。もうそろそろいいか、と流してみたら、やっぱり眼を覆いたくなる無惨さ...一年経ったからと言ってその衝撃はとても薄れる事は無い。そんな事分かってたはずだけど...
そんな今日,東京から大阪に戻った。羽田から伊丹に戻る飛行機は、最新鋭の787だった。ANAが自慢しているハイテク機だ。しかし、何とも狭くて窮屈な機内。シートピッチは、最近流行の各安航空会社の機内のような狭さ。私の「長い足」だと膝が前席に当たっている。立ち上がると、座席上の荷物棚のハッチに思いっきり頭をぶつけてしまった。機体が軽量で燃費が良くて、航続距離が長いので、こんな中型機でも米国東海岸や欧州のようなロングホールに使える,というので航空会社がもてはやしている。しかし、乗客から見ると、こんなに狭くて、これじゃ長距離路線なんかとても窮屈だろう。NY便なんか777でも狭い気がする。昔の747ダッシュ400のサロンのようなゆったりした機内が懐かしい。
生活が効率優先になると面白くなくなるなあ。などと考えながら、今年の3.11のある時間をこの狭い最新鋭機機内で過ごした。このハイテク最新鋭機にしろ、原発にしろ、インターネットにしろ、世の中進んでいるのか,退化しているのかよく分からない。このごろケータイ経由のインターネットがホント繋がりにくい。私が羽田で搭乗前にFacebookに投稿した3.11に寄せたメッセージは,伊丹に着陸した後もとうとうアップされてなかった。
ただ、窓から眺める富士山の気高さだけは、今も昔も変わらない。不変のものを探す旅に出たいという強い衝動に駆られた。