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2017年10月1日日曜日

芙蓉の花 その志は今何処?



芙蓉の雪の精をとり   芳野の花の華を奪ひ
清き心の益良雄が    劔と筆とをとり持ちて
一たび起たば何事か   人生の偉業成らざらん


(旧制一高寮歌:矢野勘治作詞)



芙蓉峰とは富士山の美称。芳野の花は桜。富士と桜花。日本人の心情を表す二つの象徴。散り際の桜花だけでなく富士の名に冠せられた芙蓉の気高さも忘れてはならない。かつての若き日本のエリートたちは、芙蓉と桜花を胸に、私を捨て人のために尽くす。それが人生の偉業だと。エリートとはそういう社会的義務感を背負うものだと。

これはかつての日本の武士道や維新後のエリートだけの美徳ではない。欧州でもこの伝統は生きている。noblesse oblige. 例えば戦争があれば上流階級の人間が真っ先に戦場へ出て戦う。オックスフォード大学やケンブリッジ大学の戦没学生のplaqueには数え切れないほどの若者の名前が刻まれている。自己犠牲を人に強いるのではなく、自らに課して人に尽くすのがエリートだ。

そんな志は何処へ?そんなエリートは日本にはいなくなったのか。

9月28日国会開催日冒頭解散。野党勢力が混乱している状況に乗じて解散する。政局をみた戦術としては狡猾で正しいのだろう。しかし大義なき「me first」の時代の幕開け... 国のエリートたちの「XX first」がぶつかり合って争いになると「滅私奉公」と言い換えて人々を戦争に駆り立てたあの時代が脳裏をよぎる。大義を忘れたエリートについて行くほど主権者は愚かではない。




酔芙蓉












品川区民公園にて

(撮影機材:Nikon D850 + Nikkor24-70/2.8)