東京に出てきたばっかりの九州男児クンにとって、原宿表参道の街並景観は衝撃であった。銀座や渋谷、新宿はただただ人が多い殷賑な街という印象であったが、ここは、パリのシャンゼリゼ通りみたいだと驚嘆したものだ。初めてここに来たのは高校生の時だったろうか。もちろんその頃はシャンゼリゼなど行ったこともなかったのだが、なぜか並木の美しい大通り、両側に洒落たお店が並ぶ都会的な街並みを一律にシャンゼリゼ通りとイメージしていた。少し高低差のある通りを青山通り側から見渡すと一直線の通りが少し下り、やがて少し登る。やがて緑の並木道の先には明治神宮の森だ。それがとても美しく、オシャレに見えた。それで写真でしか見たことのなかったChamps-Élyséesと勝手に見立てたわけだ。
ここを歩くとダニエル・ビダル(Danièle Vidal)のオー・シャンゼリゼ( Les Champs- Élysées)のメロディーが今でも頭の中でぐるぐる回り始める。あの頃の彼女、とっても可愛くてまるでフランス人形みたいだった。その彼女が日本語でも歌うんだから九州男児クンは撃沈であった。1969年のことだ。彼女、今も健在なのだろうか。
' Aux Champs-Elysées, aux Champs-Elysées
Au soleil, sous la pluie, à midi ou à minuit
Il y a tout ce que vous voulez aux Champs-Elysées …'
あれから40年... 本場パリのシャンゼリゼも散策した、ロンドンやニューヨークなど世界の美しい町並みを訪ねることもできたが、その上でここ原宿表参道界隈の佇まいは、やはり世界に誇れる町並み、都市景観だと再確認した。シャンゼリゼほどの道幅はないし、凱旋門も無いが、江戸とは異なる東京の新しい風景だ。表参道はその名の通り大正9年明治神宮の参道として作られた。出来た当時は舗装もされていない埃だらけの道だったそうだが、やがて舗装されケヤキが街路樹として植えられ緑陰を作る美しい通りになった。ケヤキは大きく育ち街に風格を与えてくれる。パリのプラタナスもいいが、日本の都会にはケヤキが似合う。やがて和風の響きのある「神社の参道」は、洋風の洒落た「アベニュー(Avenue)」に変身していった。
かつて参道には同潤会アパートがそのレトロモダンな姿で立っていた。このアパートは昭和2年に建てられ当時はハイカラな集合住宅として表参道のランドマークになっていた。戦時中の空襲では同潤会アパートも被災したが戦後補修され、表参道のランドマークであり続けることができた。高度経済成長時期になると住居というより、場所柄ブティックやギャラリーとしてリノーベートされて使われることが多かったが、2003年に論争があったものの取り壊しが決まり、2006年に表参道ヒルズ(安藤忠雄設計)に建て替えられた。ちょうどニューヨーク在住中のできごとだったので彼の地でニュースとして聞き、代官山の同潤会アパートとともにあのレトロアパートが無くなるのか!と残念に思った覚えがある。帰国後一度行って見たいと思っていたが、意外に訪れる機会がなく、気がつくと今になった。全部取り壊され建て替えられたのかと思っていたが、一部が残されているのにビックリ!レトロとモダンのハイブリッドになっている!参道景観にアクセントを与えているではないか。今や表参道は東京のファッションストリート。ブランドショップ街。歩いている女性もみんなカッコいい。プロダクションのスカウトがウロウロしている場所なので、その気の女の子たちは意識して気張って歩いているのだろう。最近は竹下通りや裏原宿(ウラハラ)が若者や外国人観光客に人気のスポットになっている。そういえば昔から神社の参道は参詣の善男善女で賑わう所なのだ。
ふと気がつくとその場の佇まいから浮いているオジさんがいる。カメラぶら下げて散策するでもなく徘徊している。挙動不審な怪しいオジさん。そういう自分がいる。あの時の九州男児君は、すっかり「垢抜けた?」都会人、いや世界を股にかけるグローバルトロッターになったのだが、ふと時空を旅してここに戻ると「浦島太郎はたちまちオジーさん」になってしまった。乙姫様にもらった玉手箱は絶対開けないつもりだったのだが!
表参道から先は御幸通り 六本木ヒルズを望む |
PRADAビル |
表参道 |
旧同潤会アパートも一部残されている 表参道ヒルズ |
早くも梅雨明け。日傘がいる季節に |
同潤会アパート |
表参道ヒルズ |
安藤忠雄設計の表参道ヒルズ内部 自分が何階にいるのかわからなくなる幻視構造 |
青山通りから原宿駅の向けて高低差がある |
梅雨が明けた! |
JR原宿駅 これも建替え計画進行中 |