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2009年12月21日月曜日

京都 嵯峨鳥居本

京都の嵐山,嵯峨野と言えば観光スポットとしてあまりにも有名。春の桜,秋の紅葉の季節ともなれば大勢の京都ファンが押し掛けるいわば京都定番、初心者コース。渡月橋から天竜寺、大河内山荘、落柿舎、常寂光寺、祇王寺、二尊院そして化野念仏寺くらいまでは誰もが知る有名観光コースだ。嵯峨御所と呼ばれる大覚寺へもかなりの人が訪れる。この時空の旅人もその昔、彼女とデートした思い出深いコースである。今では私のツレアイとなったその「彼女」が今でも憧れるコースである。渡月橋のたもとからボートに乗ったりしたっけ.....


(渡月橋あたりは観光客で賑わうが、堰を切る水の輝きに眼を奪われる人は少ないのでは....)


(冬の太陽の光が水面に煌めいて美しい。特殊なフィルターは使ってません,念のために)

しかし、化野の念仏寺からさらに先へ歩を進める人は意外に少ない。この先の嵯峨鳥居本は観光ガイドブックにも詳しい説明が掲載されていることがまれであるようだ。この清滝に至る愛宕街道は愛宕山参りの参道でもあった。瓦屋根の町家や蔵の続く家並から、参詣道らしく茶屋や土産物の店が並ぶあたりを過ぎ、さらに進むと苔むす茅葺きの農家や山荘風の宿が続く。山に囲まれた地形と相まってこの一本の道の両側にはとてもバラエティーにとんだ景観が展開している。愛宕山の赤い一の鳥居辺りには昔から続く料亭宿、苔むす茅葺き屋根のつたやと平野屋が鳥居を挟んで二軒、暖簾を誇って建っている。嵯峨鳥居本は京という都の雅と、その郊外の農村ののどかさとがシームレスに融合する地域なのだ。


(参詣道、観光地らしくみやげ物の店が軒をつらねるが、化野の念仏寺を過ぎるあたりからだんだん人が少なくなる)

ここは元々は京のはずれの農村、山村であった所だが,その歴史は古く室町期には集落が形成されていたようだ。また何時しか愛宕山参詣の為の参道として栄えた。今はかつてのような門前町としての賑わいはなくなったが、その分静かな嵯峨野観光の奥座敷となっている。この鳥居本の町並みは平成17年には重要伝統的建造物群保存地区に指定されている。景観保存という考え方は,そこに暮らす人々の生活と建造物、道、それ等を取り巻く全体の環境を景観としてまとめて保存してゆこうというものである。こうした町並み、景観保存の活動は、それ自体を歴史ある日本の文化財として未来に残そうというもので、このような活動が評価されるようになったということは日本もようやく成熟した大人の国に近づいた、ということだ。時空トラベラーとしてはいつかは全ての伝建地区を巡りたいと思っているが、さらにまだ伝建地区に指定されていないが,ひっそりと忘れ去られそうになっている情景、未来に残しておきたい景観についても探し出して見ておきたいと思う。

しかし、これまで回った中でもこの嵯峨鳥居本の佇まいは強く心を引かれる。京都という1000年の都はあちらこちらにその歴史が熟成させた本物の文化の香りを漂わせている。東京などの都市ほどではないが、街全体としては都市化により大きくその景観を変容させてしまったが、仔細に見るとそこここにそれを感じ取ることが出来る。ここも京の町家の風情と農村の茅葺き屋根と信仰と山村の自然が融合するという点でユニークな都の景観だと思う。


(ここから嵯峨鳥居本の景観保存地域。左の壁に景観保存地域の説明があり、町家資料館も開設されている。正面には愛宕山の一の鳥居が見える)


(鮎料理の老舗、つたや。苔むす茅葺き屋根がこの辺りの景観を独特のものにしている)


(ここには鳥居を挟んでもう一軒の老舗料亭、平野屋がある。)


(愛宕山の一の鳥居。山あいの街道に華やかさを添える。ここから愛宕山を目指して人々の行列が続いたのだろう)

愛宕山は京都市の北西にそびえる標高924メートルの市の最高峰である。山城と丹波の国境に位置し、比叡山や比良山を望む位置にある。山上には全国900余の愛宕神社の総本社である愛宕神社が鎮座ましましている。創建はさかのぼること1300年前、役行者によると言われる。明智光秀が本能寺に織田信長を攻める前に参詣し、神籤を引き四回の「凶」の後に五回目で「吉」を引いた、という逸話が残っている。その後、宿坊で連歌を催した。

「時は今 雨が下しる 五月かな」

これが秘めたる謀反の決意を表した歌だと言われている。

この鳥居本の愛宕神社一の鳥居から愛宕山上の本殿までは山道を遥かに登り続けなければならず、昔の参詣はかなりの苦行であったことだろう。明治の頃になって嵐山電鉄嵐山駅から愛宕鉄道、ケーブル線ができ、乗り継いで愛宕山頂まで行けたそうだ。まるで今の比叡山のような行楽地であったのだろう。これもすごいはなしだ。今人々が散策する嵯峨野に廃線跡は見つけることが出来ない。戦争中にこうした交通手段は撤去され戦後復活することはなかった。いまでは、再び古の昔に戻り、山頂へ向かうには清滝から徒歩で2時間ほど登らねばならない。元来参詣とは苦労して神仏に到達するもので、そうしてこそ法悦を感じたものだったはずだ。簡単に行けてはありがた味がないのだ。それだけにいにしえ人にとっても、参詣をすませ麓の街道沿いの集落に降りて来てからの楽しみは地元の鮎料理やおいしい酒だったのであろう。千日参りの善男善女が賑々しく行き来する光景が眼に浮かぶようだ。