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2010年1月3日日曜日

2010年正月 初夢を見た

16世紀の大航海時代が始まる前のヨーロッパはユーラシア大陸の西端に圧迫された後進地域であった。森の中で獣を追っかけて西へ東へ移動していた狩猟民族の世界だった。文明の中心から外れた辺境の地ですらあった。ローマ帝国から広がったキリスト教はまだ世界宗教ではなく、東方の圧倒的なイスラム教世界に包囲された地方宗教に過ぎなかった。
そうした閉塞感の中、イスラムに何度も占領されたイベリア半島のポルトガルやイスパニアによるヨーロッパからの脱出行動は、ユーラシアの西端という閉ざされた地域の経済的閉塞状況の打破、大文明イスラム世界に包囲された中でのキリスト世界の生き残りをかけた挑戦だった。

10世紀から200年にわたって行われた十字軍の遠征に始まるイスラムとの戦いは,当時ユーラシア大陸東方に存在していると信じられていた伝説のプレスター・ジョン率いる幻のキリスト教王国との同盟によりイスラム世界を挟撃せんとする試みに発展してゆく。また13世紀のマルコポーロの「東方見聞録」に描かれた伝説のジパングに代表される東方世界、その黄金と香料という富に引きつけられ冒険者達が一攫千金を求めて,あるときは商人になり、あるときは海賊に変身して東方へ船出してゆく。

こうして東を目指したヨーロッパ人はアラブ世界が圧倒的に支配する陸路を避けて海路を進む。やがてバーソロミュ−・ディアスはアフリカの南端に喜望峰を「発見」する。バスコダ・ガマはさらにインドのゴア、カリカットに到達。こうしてアジアへ東航路が開拓される。さらにその後輩達はマラッカ、そして中国マカオに到達し,そこを植民地化し、ついに伝説の国ジパングに到達する。

一方、ポルトガルに東航路の制海権を支配されたイスパニアの国王はコロンブスに命じて、インド、ジパングを目指す西航路を開拓しようとした。そして偶然にも「新大陸」に行き当たる。サンサルバドルに上陸したコロンブスは最初はインドへ到達したと信じていた。やがて彼らの後続部隊がそこが未知の大陸であることに気付くと、キリスト教を持ち込み、在地の文明を滅ぼし、そこを侵略支配した。金が出た。そこはまさにヨーロッパ人にとって黄金の郷エルドラードだった。略奪帝国主義の時代のはじまりだ。

もっとも皮肉なことに,ヨーロッパ人達にとっての憧れであったはずの伝説の「黄金の島ジパング」は、時がたつにつれ、その輝きが薄れてゆく。東方へのパッセージの途中に香料諸島を見つけ莫大な利益を上げることが出来た。さらに新大陸の黄金はまさに想定外の世界帝国発展の源泉となる。わざわざジパングまで行かなくても…コロンブスもジパング探索どころではなくなった。マゼランもその世界一周航海の途中で日本近海を通過しているが、立ち寄ってみようともしなかった…

現に当時の日本は内戦状態の戦国時代。貧しく、資源の乏しい国であったし、絹も陶器などの工芸品も中国から輸入していた国であった。まして黄金などわずかしか産出しなかった。石見銀山が博多の豪商によって開発されて脚光を浴びるのはもう少し後の話だ。やがてポルトガル商人がこの銀に眼をつける。日本と中国の間での中継貿易に従事して大きな利益を上げたが、新大陸やモルッカ諸島で行ったような略奪的支配とまではいえない状況であった。

やがて旧教世界の盟主ポルトガル、イスパニアに替わって世界に躍り出たのは、ヨーロッパの新興国、旧教に対抗する新教国オランダとイギリスであった。イスパニアの植民地だったオランダは独立を果たし、イギリスに先駆けて世界へ乗出してゆく。この頃ようやくブリテン島内の混乱を治めたエリザベスのイギリスはイスパニアの無敵艦隊を破り、閉塞されていたビスケー湾を脱し、ついに大西洋へ出て世界へ進出する突破口を開いた。一時はスペインの脅威を避けて北極周りで東洋へ向おうという無謀な計画を立案,実施して,案の定手痛い失敗を経験したりもしている。これがその後のアラブ、インド、インドシナ,オーストラリア、新大陸、やがては香港にまたがる大英帝国の時代の始まりだ。

一方、大西洋の向うの新大陸では、スペイン。ポルトガルの略奪帝国主義的な支配が南米大陸に及び、インカ、アステカ、マヤなどの幾多の現地文明を破壊したのに対し、北米大陸はノバイスパニア(メキシコ)を除き、彼等が望むようなエルドラード(黄金郷)が見つからなかったせいで征服の意欲を失い、やがて後発の新興国のフランス、オランダ,イギリスが「残り物に福あり」とばかりに植民地化してゆく。そしてやがてはイギリスからの独立を獲得したアメリカという新興国が生まれることになる。

こうして世界は19世紀、20世紀を迎えてヨーロッパとアメリカといういわば欧米キリスト教文明(西洋文明)が世界を支配する時代となる。世界は欧米中心の経済、文化、政治、戦争を含む外交、思想、宗教の時代となった。世界観も欧米中心世界観となった。イスラムはキリスト教に対する異教徒.近代文明への脅威であり、野蛮な戦いの相手。インドは文明から取り残された未開地域。中国は閉鎖的な孤立した文明。日本に至っては伝説と異なり,現実は遥か東の果て(Far East)のそれほど豊かでもない島だった。

しかし、こうした欧米中心の世界観が唯一無二、無誤謬ではないことは歴史が示しはじめている。そして時代は大きく場面展開を果たしつつある。21世紀に入り時代の転換点にきた。中国やインドやアラブイスラム世界諸国と言った「新興国」が、17世紀〜19世紀20世紀、未開の文明のレッテルを貼られ、発展から取り残され、帝国主義の時代を迎えて欧米諸国の植民地というつらい屈辱的な時代を経たのち、再び世界の中心的な経済圏、文化圏として歴史の舞台に踊り出ようとしている。

このきっかけを作ったのはユーラシア大陸の東の端にあって、かつて黄金の島「ジパング」と伝説化され、しかし現実には、貧しくあまりの辺境(Far East)ゆえ欧米の植民地化を免れた日本というアジアの鎖国国家。19世紀中葉以降のその急速な近代化、「改革開放」の動きであった。欧米植民地主義への恐怖とそれへの挑戦が日本の近代化「富国強兵」「殖産興業」の大きな原動力であった。やがて世界の舞台にそろそろとデビューした小さな国日本は、中国の支配政権であった清朝を破り,南進してアジアを狙う後発帝国主義国ロシアを破り,一気にアジア随一の近代国家、軍事大国として躍り出た。しかし、列強の帝国主義的野望をくじき、アジアを解放するとした日本の拡張政策は次第に欧米列強の脅威になるまでになり、想定通り反発を招いたのみならず、皮肉にも欧米列強に伍してアジアにおける帝国主義的植民地争奪戦に参戦するという事態に突き進んでゆく。すなわち「日本の欧米化」である。その結果、宗主国である欧米列強諸国と現地双方からの激しい反抗に合い、無惨にもその野望は破綻する。

しかし、この出来事が皮肉にもアジアにおける欧米列強の植民地支配の終焉をもたらした。日本が本来意図したはずのアジアの自立と繁栄を実現させるきっかけとなる。最後まで残った欧米のアジア植民地、香港とマカオが中国に返還されたのは記憶に新しい。また欧米に永年牛耳られて、あたかも文明世界への脅威の様に扱われて来たイスラム世界が、石油という戦略資源をテコにして、また経済的な発展の可能性を武器にして、復興の時代を迎えようとしている。

世界の景色は21世紀初頭から大きく変わるのだろう。「旧世界」の中国、インド、イスラムの「新興国」が新しい世界の表舞台に復活してくる。人口で世界のマジョリティーを占めるこれらの地域が一斉に経済発展を始める。明国鄭和の大船団が再び世界を闊歩する。アラブの大商人イブンバツータが再びやってくる。大航海時代の16世紀から、世界戦争の時代20世紀にかけて世界を、そして地球文明をリードしたヨーロッパ、そしてそのエクステンションであるアメリカの時代が徐々に終焉を迎えるのかもしれない。

高校時代に大学受験で世界史を必死で覚えさせられた悪夢がなぜか今再び… 
覚えられない!という悲痛な叫び!
気がつくと汗びっしょりで眼がさめた。
よかった。もう大学受験の時代なんぞとうに終わっていた…

しかし正月早々壮大な夢を見たものだ。