ページビューの合計

2023年9月5日火曜日

古書を巡る旅(37)「ウィリアム・ホガース全集:Hogarth Illustrated from His Own Manuscripts」〜ホガースの全集を見つけた!〜

ホガース全集



表紙 左に編者のジョン・アイルランド 右にウィリアム・ホガース肖像


表紙を飾るウィリアム・ホガース自画像
「画家とパグ」




先日、東大駒場博物館のウィリアム・ホガース展「近代ロンドンの繁栄と混沌」展を見てきたが、そのホガース全集を神保町の北澤書店で見つけた。18世紀末のイギリスの著作家で版画作家でもあるジョン・アイルランド:John Irelandによるセレクションと編集、解説という全3巻の全集である。132点のホガースの原画が掲載されている。初版は1789年にロンドンで刊行されたものであるが、本書は1812年の第三版である。ハーフロシアン革装にマーブル模様の表紙、ブルーのスパークリングエッジというお洒落な装丁の全集である。


本書「ホガース全集」全3巻その内容と構成

編者のジョン・アイルランドによる本書の内容と構成は、ホガースの代表的な作品を網羅したものとなっており、連作、単体、また未公開の発掘作品も採録されている。それぞれの作品には彼の解説と、詩と、来歴を紹介する記事が掲載されている他、作品のその後を追跡した事後談、所有者の変遷など様々なエピソードも記されている。「読む版画」「描かれた道徳」と言われるホガースの世界、その充実感と手応え十分の全集である。ただ、なぜか、前述の「南海泡沫事件」に関する版画が採録されていない。また、ホガースの人物像と、様々なエピソードについても採録しており、ホガース研究の重要資料と言える。しかし、編者のジョン・アイルランドがどのような人物であったのか、残念ながら資料が殆ど見つからない(Wikipediaでも和英ともにひっかからない)。生年、没年もはっきりしていない。ただ幾つかの研究論文に彼の名前が引用されており、ホガース研究においては外せない人物であったらしいことが推定できる。


第一巻

アーティストに関する逸話エピソード
ホガース画集
Battle of the Picture
Analysis of Beauty I, II:「美の分析」
Sigismunda
Time Smoking a Picture
the Harlot's progress:「娼婦一代記」 6点 最初の連作、ヒット作
The Rake's Progress:「放蕩息子一代記」 8点 続く連作
Southwark Fair
Midnight Modern Conversation
Sleeping Congregation
Distressed Poet
Enraged Musician
The Four Times of The Day:「一日のうちの四つの時」 連作4点(Morning, Noon, Evening, Night,)
Strolling Actress, 
Mr. Garrick in the character of Richard III:ギャレット氏の「リチャード三世」
Industry And Idleness:「勤勉と怠惰」 連作12点 
Roast Beef at the Gate of Calais,:カレーの門とローストビーフ
The Country Inn yard, 
Mask and Palette


第二巻

Mariage a la Mode:「当世風結婚」 連作6点
Four Stages of Cruelty:「残酷の四段階」連作4点(First Sstage of Cruelty, Second Stage of Cruelty, Cruelty in Perfection, The Reward of Cruelty)
Beer Street and Gin Lane:「ビール街とジン横丁」 代表的連作2点(Beer Street, Gin Lane)
Paul before Felix, in the manner of Rembrandt
Paul before Felix, Plate I
Paul before Felix, Plate II
Mose before Pharoah's daughter
Four Prints of an Election:「選挙」「トーリーとホイッグ」 連作5点
The Invasion or France and England :「フランスとイングランド」 連作22点


第三巻

編者ジョン・アイルランドによる
イントロダクション
ホガース伝 その生誕から死まで
人物評 作風解説 
そのほかの新たな版画33点
ドン・キホーテ11点


ウィリアム・ホガース:William Hogarth (1697-1764)

ホガースは、ロココ時代のイギリスの画家。版画家、社会批評家で、風刺画の父と言われる。一般にイギリスの画家と言われてもなかなか名前が出てこない人も多いと思うが、ホガースはこの時代に風刺画を中心に版画作品を多く世に出したことで知られる。「政治的な風刺画」は「ホガーシアン:Hogarthian」と呼ばれている。ロンドンの中産階級の家庭に生まれ、父は借金が返せなくなり債務刑務所に収監されるなど、決して恵まれた環境で育ったとは言い難い。こうした幼少期の生育環境が彼の絵画や版画に社会に対する眼差しの鋭さをもたらしたと考えられる。彼はフランスやオランダなど大陸で絵を学び、ロンドンを拠点に活動した。当時のヨーロッパ絵画の主流であった王侯貴族や金持ちの肖像画のような油彩画、版画ではなく、またオランダのレンブラントの市民の集団肖像画や、フェルメールのような市民ブルジョワジーを肖像として描いた作家でもなく、世相を物語風に描き出す連作版画(「読む版画」と言われた)を生み出し、18世紀というイギリスの隆盛期(大英帝国の繁栄前夜)の潮流に乗り、人気の作家となった。彼の作品は比較的安価に入手できるように版画で出版され、大量に流布された、いわば当時のニューメディア(表現媒体)とでも言うべきものであった。19世紀の日本でブームとなった浮世絵版画と同様の庶民に人気のメディアであった。後に19世紀のイギリスの風刺画家、ローランドソンやクルックシャンクなどに大きな影響を与えた。ただ、ホガースは自らの画を風刺画ではあっても、事象を歪曲したり誇張したカリカチャーや戯画ではないと主張している。後世のローランドソンやクルックシャンク作品は「戯画化された」風刺画であるのに対し、ホガースの画はロココ時代の「風俗画」としての美術的価値を持ちつつ、「リアリズム」都市風刺画として評価されている。風刺画はホガースによってイギリス伝統の絵画ジャンルになったといえよう。代表作として、「当世風結婚シリーズ」「娼婦一代」「放蕩息子一代」「残酷の四段階」「ビール通りとジン横丁」「南海の泡沫」「勤勉と怠惰」などがある。

ホガースの銅版画は、美術作品としても評価されるとともに、18世紀前半のイギリスの社会や文化を知る貴重な資料となっている。その、世相や政治、経済、風俗などのビビッドで、かつシニカルな描き方には、細部にわたって同時代の人々に向けられた様々なメッセージが込められている。彼の画は「描かれた道徳」と呼ばれるが、そのテーマである「道徳」も、17世紀の厳格なピューリタン的な宗教に根ざした道徳の残滓を含みつつも、市民階級の人間の欲望や見栄、悪徳などを含む人間の本性をも描き出す「等身大の人間」のそれであった。「娼婦一代」「放蕩息子一代」「残酷の四段階」「勤勉と怠惰」などは、その代表的な作品である。またホガースは都市を描いた作家であった。彼が生まれ育ったロンドンは、17世紀に起きたペストの大流行とロンドン大火で、何世紀にも渡って無秩序に形成されてきたロンドンの都市空間は消滅した。その後に再生された街であった。ロンドンは18世紀になると産業革命による商工業や貿易業の隆盛を見ることとなり、金融資本のシティーへの集積や、それに伴う金と物と情報のロンドンへの集中があり、「アーバンルネッサンス」と言われる都市活性化が起きる。ホガースの描く世界は自然ではなく、そうした啓蒙主義時代の都市景観である。やがて19世紀のヴィクトリア朝時代の大英帝国繁栄へと繋がってゆくのであるが、そうしたロンドンは輝くような繁栄と、その輝きの分だけ、濃い陰も存在する街であった。ホガースは、こうした時代のロンドンで諷刺画家として、庶民の目線から時代の空気を描き出すことに成功した。「ビール街」と「ジン横丁」の対比がロンドンの「繁栄と混沌」を象徴している。一方で、彼のフランス嫌いも作品の随所に現れている(「カレーの門」「フランスとイングランド」)。イギリスは長い間フランスと戦争を繰り返しており、そうした時代背景も彼の作品には描き出されている。

ホガースの作品の根底にはシェークスピア、ミルトン、スウィフトの影響があったと考えられている、彼の自画像に描かれている三冊の本は、イギリスが誇るこの三人の偉人の著作である。それぞれ演劇であり、叙事詩であり、風刺小説である。とくに同時代の先達であるジョナサン・スウィフトの風刺作家としての視点と作風、その表現手法に大きな影響を受けたであろうことは想像に難くない。また、ホガースの画は、ローレンス・スターンの「トリストラム・シャンディー」にも出現する。ホガースはスターンの奇妙な小説に影響を与えたのであろう。うってつけの挿画だったというわけか。また、同じ頃スコットランド、グラスゴー大学で道徳哲学を講義していたアダム・スミスは、重商主義的な繁栄の限界を予言し、自由主義市場経済理論を示し「経済学の父」と呼ばれることになる。スミスとホガースが直接接した形跡はないが、歴史的にはこの二人は、このヴィクトリア朝前夜の「繁栄と混沌」の時代を象徴する同時代人である。そして「南海泡沫事件」の当事者としてSouth Sea Company :南海会社に40年以上奉職し、大作「大英帝国商業史」を書いた、アダム・アンダーソンも同時代人である。ホガースは「South Sea Bubble」という作品を残している。ちなみに偉大なる「自然科学の父」にして「プリンキピア」の著者アイザック・ニュートンは、この「南海泡沫事件」で投資に失敗し大損を被っている。「私は天体の動きは計算できるが、人びとの狂った行動は計算できない」という名言(迷言)を残している。ホガースは「人びとの狂った行動を計算」できた天才ということになる。まさに、18世紀のロンドンを舞台とした、ロイヤル・シェークスピア・カンパニーの新作悲喜劇、「繁栄と混沌」の役者が揃ったというわけだ!


(参考)この時代の人物

ホガースは1697年に生まれ、1764年に亡くなっている。18世紀前半にイギリスで活躍した画家だ。同時代人としては、ジョン・ロック(1632−1704)、アイザック・ニュートン(1643−1727)、ジョナサン・スウィフト(1667−1745)、アダム・アンダーソン(1692−1765)、ローレンス・スターン(1713−1768)、アダム・スミス(1723−1790)がいた。この時代のイギリスは、それぞれ活躍分野の違いはあれ、お互いに時代の空気を醸し出し、世界を変えた偉人が生まれた時代でもある。ちなみに、日本では江戸時代中期、絵画では琳派全盛期で、光琳、乾山が活躍、この他に、鈴木春信、荻生徂徠、新井白石、貝原益軒などが活躍した時代である。歌舞伎も隆盛期に入り、近松門左衛門が人気作家となった。一方、喜多川歌麿が出現して浮世絵ブームが始まるのは1800年に入ってからである。彼らも世界を変えた。これまた歴史のSyncronicity:「共時性」、Co-Incidences:「ともに事を起こす」、である。



以下に、本書収録のオリジナル版画を幾つか紹介したい。


ビール街

ジン横丁

勤勉と怠惰

英国のローストビーフとフランスのカレーの門

おもしろい顔顔顔

企業家達

美の分析

ありがたい説教と居眠り

ギャッレト氏の「リチャード三世」

青のページ
珍しいカラーページ

ホガースの手書き献辞

The End  
Finis



「南海泡沫事件:South Sea Bubble」
本書には掲載されていないが、歴史的には貴重な作品の一つなので紹介しておきたい(Wikipediaから引用)



旧蔵者の蔵書票:
Edward William Leyborne Popham(1764-1843) General of Littlecote, High Sheriff of Wiltshire イングランド・ウィルトシャーの大司教、行政長官を務めた貴族。ポッパム;Pophamといえば、「イギリス経験主義の父」「自由主義の父」と呼ばれたジョン・ロック:John Locke(1632-1704)の幼少期に彼を庇護し、ウェストミンスターカレッジ、オックスフォードへ進学させた治安判事、議会議員Alexander Pophamがいる。100年前の祖先であろうか。


旧蔵者の蔵書票


若き日の肖像


参考過去ログ

時空トラベラー  The Time Traveler's Photo Essay : ウィリアム・ホガース版画展 〜東大「知の継承」プロジェクト 駒場の旧制一高図書館にて〜: 東京大学駒場博物館 東京大学経済図書館蔵 ウィリアム・ホガース版画(大河内コレクション)「近代ロンドンの繁栄と混沌」展を見てきた。東京大学駒場キャンパスの駒場博物館で開催されている。東京大学が進めている「アダム・スミスからの「知の継承:2020−2023」プロジェクトの一環として...



(書影撮影機材:Leica Q3 Summilux 28/1.7 17cmまでの接写機能あり)