今回は、破石町バス停から、旧志賀直哉邸、白毫寺、新薬師寺、そして最後に、大和路情景写真の聖地、入江泰吉写真美術館へ、という高畑町ルートを散策した。
(1)旧志賀直哉邸と高畑町界隈
志賀直哉は家族とともに京都から奈良に移り住み、昭和4年に高畑町に自宅を建てた。数奇屋造りであるが、洋風の居室も設け、当時としては斬新な邸宅であった。昭和13年までここに住み、昭和12年には長編「暗夜行路」をこの邸宅で完成させた。終戦で米軍に接収されたが、接収解除後は厚生省の職員保養所として利用された。その後取り壊して建て直す話が出たが、地元では保存運動が起こる。結局、奈良学園の理事長が、保存を目指して厚生省から買い取り、再生/修景を行い現在に至っている。取り壊されなくてよかった。ここでも篤志家が文化財を守る良きパトロンとなった。最近の金融資本主義のなれの果てのような成金はこういう文化財に対する目線が乏しい。社会に富を還元するという志が薄くなっているようだ。残念なことだ。
志賀直哉邸玄関 |
馬酔木 |
(2)白毫寺と五色椿
白毫寺の五色椿。東大寺良弁堂糊こぼし椿、伝香寺もののふ椿とともに「奈良三名椿」と称されている。一本の木に白、ピンク、赤、まだらなど様々な花をつける。天然記念物に指定されている。今年は花付きが悪いそうで花の数が少ないようだがその美しさは変わらない。秋には萩寺として有名な白毫寺だが、この椿の季節がまた一段と良い。ここからの奈良市内の展望が素晴らしい。春日山、高円山の山麓に位置し、山の辺の道の北端にあたる。一度、ここから山の辺の道の全行程を踏破してみたいものだが。入江泰吉師の白毫寺界隈の写真にはのどかな田舎の風景が写し出されている。今でもその面影は残されているものの、この辺りも開発が進み、白毫寺に至るのどかな参詣道ぞいにあった風情ある古民家が取り壊され、プレハブの民間アパートやマンションに建て替わってしまっている。あたりの景観にまったく配慮しない建物だ。なぜこのようなものが建築許可を得る事ができたのか理解に苦しむ。かつての鄙びた佇まいがどんどんなくなってゆくのが悲しい。奈良白毫寺町も鄙びたまま時を過ごすのは難しいのか。なんともやるせない気持ちになる。
2012年3月21日のブログ:奈良三名椿を巡る
五色椿 |
五色椿 |
落花の舞 奈良市内の展望が素晴らしい |
椿 |
桜が開花した |
サンシュユ |
(3)新薬師寺
御本尊薬師如来、十二神将で有名な華厳宗の古刹。聖武天皇の病気平癒を願って光明皇后が創建したと言われるが、正史に記載がなく正確な創建の由来、年次は不明と言われている。しかし、奈良時代には南都十大寺の一つとして広大な寺域を有していたことは確かであったようだ。やがて平安期に入ると徐々に衰退していった。現在は境内もこじんまりとし、金堂も本尊の薬師如来と十二神将が鎮座する小さなお堂でしかない。同じように寺域が後世縮小してしまった元興寺も、旧僧房の一つにこじんまりと本尊を祀る寺になってしまっているが、現在の奈良町が旧元興寺境内であったことが分かっており、広大な寺域を誇っていたことを確認することができる。新薬師寺は創建時の壮麗な大伽藍を彷彿とさせるものはあまり残っていない。しかし平成20年、創建時の威容を示す遺構が、近くの奈良教育大学構内で発見された。巨大な金堂を想起させる礎石列が地中から発見された。平城京東郭にあって東大寺、元興寺、興福寺に匹敵する大伽藍であったことが確認できる。ちなみに新薬師寺の名は、新しい薬師寺ではなく、霊験あらたかな薬師寺という意味。
学生時代に新薬師寺を訪れた時、山門の前に素焼きの土器を製作する工房があった。ここで薬師如来の土面を買ったことを覚えている。なんとも心奪われる穏やかな面立ちの面であった。いまでも実家に飾られており、経年変化でさらに味わい深いお顔になっている。大阪勤務時代にここを再び訪れた時にはその工房はなくなって、土産屋兼食堂になっていた。工房を継ぐ後継者がいなかったのだろうか。門柱がわりのハニワ像がその痕跡を残していた。そして今回行ってみたら閉店の看板。その横に「売り物件」の張り紙。時の移り変わりを感じざるを得ない。
新薬師寺のすぐ隣が「入江泰吉写真美術館」である。この道すがらの田んぼは秋になると案山子が立って、懐かしい田舎の光景であった、しかし、今回の旅でその田んぼがなくなってしまっていることに気づいた。なにやらシニア向けマンションぽい真新しい施設が建っている。ここを人生の終着点として住む人には良い立地だろうが、鄙びた「滅びの美」を探し求めてここへたどり着いた旅人にはどうだろうか。むしろ路傍に終の住みかを見つけて「旅に死す」ほうがロマンチックだと思うのはまだ若いからだろうか。
新薬師寺近金堂 |
レンギョウ |
ハクモクレン |
馬酔木 |
入江泰吉写真美術館 |
締めくくりに、今回の散策で出会った椿をご披露したい。白毫寺参詣を終え、坂を下りると参道に一軒の植木屋さんがあった。そこには様々な種類の椿の鉢が並べられ、どれも美しくその華麗な姿を競っていた。そのなかで、パッと目に飛び込んでくる椿の花が一輪。華麗ではあるが可憐でもあるその姿。懸命に咲き誇りこちらに手招きをしているではないか。出会いとはこういうものだ。一目で気に入り、早速求めたいと思った。が、店の人が誰もいない。そもそも周りに誰もいない。散々「ごめんくださ〜い」「おねがいしま〜す」と声をかけるが誰も出てこない。やはり縁がなかったのかと思って立ち去りかけた頃、建物の裏から年季の入った温和な風貌のオトーさんがひょっこり現れた。やれやれだ。聞けば、この椿は「絵日傘」だとか。玉之浦や岩根絞りもあったが、オトーさんのイチオシはこれだという。都会ではなかなかお目にかからないはずだという。あまり大きな鉢に移し替えず、小ぶりな鉢で小ぶりに育てると、花が大きく色鮮やかに咲く、と教えてくれた。こうして、大和路散策の旅の締めくくりは、この「絵日傘」と二人旅となった。奈良白毫寺から京都経由で新幹線に乗って東京の自宅まで、「博多来るときゃ独りで来たが帰りゃあ人形と二人連れ」。筑前博多節の一節だが、今回は「大和来るときゃ独りで来たが帰りゃあ椿と二人連れ」と洒落込んだ。
白毫寺参道で出会った「絵日傘」 「奈良へ来るときゃ一人できたが帰りゃ椿と二人ずれ」 |
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