ショートストーリー:「ハトとおじさん」
(ハト)「おじさん、冬空に一人ボッチでヒマそうだね〜」
(おじさん)「そういうおめえだって高いところに一人ボッチでヒマそうじゃねーか」
(ハト)「ハトが忙しいわけないだろう!」
(おじさん)「いつも大勢集まって忙しそうに首振ってマメ食ってっるんじゃねえのかい?」
(ハト)「最近そういう生活に疲れたのさ」「おじさんもそうなのかい?」
(おじさん)「バカ言っちゃいけねえよ!コロナで仕事無くなったし、行くとこもないし...」
(ハト)「人間は大変だねえ〜。ハトはコロナにかからないから関係ない」
(おじさん)「ハトはいいねえ、羨ましい」
(ハト)「じゃあ、おじさんもハトになるかい?」
(おじさん)「やめとくわ。だって首あんなふうに振れないし...」
(ハト)「人間でも上手なのいるよ。鳩首会談って、アレ人間だろ?」
(おじさん)「いっぱい集まって頷いてるアレ?」「やっぱりハトやめとくわ」
しながわ区民公園にて |
公園を散策していてこの場面に出会った時、ふとオスカー・ワイルドの「幸福の王子」という童話が脳裏をよぎった。幼いときに読んでもらったこの話がなぜか心に深く刻まれたとみえて、こんな年になってふと思い出した。このベンチのおじさんは多分気高く慈愛の心を持った「幸福の王子」ではない。フェンスに止まっているハトも「幸福の王子」の心のメッセンジャーの「ツバメ」ではない。むしろ「幸福の王子」の眼差しの先にある世の中の理不尽に苦悩する人々を象徴する一人であるし、南に帰るアテもツモリもない都会のはぐれハトである。しかしその視点の対比がより現実が抱える問題をビビッドに浮き立たせているように思えた。こんな時代だからこそ「自己犠牲」の物語が美しく心に響く。しかしこの「幸福の王子」と「ツバメ」の話は、人の痛みを知る慈愛の心の持ち主にだけ問題の解決を期待する空気に警鐘を鳴らすものだ。自分さえ良ければという人々、他人に無関心な人々、責任を取らない為政者などの空疎な心と対比させることで、困難に立ち向かう時に大切なものを照らし出して見せた。オスカー・ワイルドらしい皮肉が効いている。そして冬空の下、公園のベンチにポツネンと佇むこのおじさんの寂しそうな後ろ姿と、我関せずで虚空を見つめるハトの姿が、この物語をもう一つの側面から描いているような気がする。
オスカー・ワイルド「幸福の王子」 Wikipediaより |