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2021年2月2日火曜日

古書を巡る旅(8)サミュエル・ジョンソンとジェームス・ボズウェル 〜英国紳士必読の書「サミュエル・ジョンソン伝」とは?〜

 

James Boswell [The Life of Samuel Johnson LL.D.] 4 volumes 6th Edition 1811



 「ロンドンに飽きたものは人生に飽きたものだ」。「燕麦はイングランドでは馬に食わせるが、スコットランドでは人間が食う」などの言葉をどこかで聞いたことがあるだろう。これらはいずれも18世紀後半の英文学の大御所、サミュエル・ジョンソン:Samuel Johosonの言葉である。彼はイギリスで初めての体系的で「完全」な英語辞典を編纂したことで知られる。すなわち英語のレジェンドの言葉なのだ。彼の辞書には多くの皮肉とウィットに富んだ言葉が収録されていて、彼の「独断と偏見」によって編纂された辞典はジョンソン色に染まったものだという。また彼の伝記である「サミュエル・ジョンソン伝」には多くの彼の言動、警句について記述されている。これは彼のいわば弟子ともいうべきジェームス・ボズウェルによって著された

 イギリス人の独特の言語表現や思考様式はこのあたりが起源となっているようだ。私のイギリスとアメリカの両方で暮らした経験による「独断と偏見」に満ちた観察でも、イギリス人独特の皮肉っぽいジョーク表現と、アメリカ人のなんのヒネリもないストレートなジョークとの違いに同じ英語なのにこうも違うのかと驚きを感じたものだった。アメリカ人にとって「Yes」は「Yes!」以外の何ものでもないが、イギリス人にとっては「Yes indeed, but...」であり、アメリカ人の「Good !」はイギリス人の「Not so bad...」である。人にものを尋ねるときの「Could you possively excuse me to ask you a question ?」などものすごくへりくだっているようで、「君には答えるのが難しいこと聞く私を許してくれる?」と馬鹿にされているようでもある。I have a question!と言えば済むのに... 仮定法を用いて婉曲に表現をヒネらないと気が済まないのは、日本人の謙遜や返事の曖昧さと似通う点があるようにも感じるがそうでもない。日本人は謙遜ばかりしてYseかNoかはっきりしないし、京都人の「いけず」が本音と建前を区別できない余所者を婉曲にバカにするのと違い、イギリス人は意思ははっきりしているがストレートにそう言っては、自分がバカみたいで損した気がするだけなのだ。またイギリス人の愛するユーモア、ギャグもなかなかに奥が深い。BBCのかつての人気番組Monty Pysonの上品とは言わないがヒネリの効いた辛辣なジョークの根源は何か?オックスブリッジ出身者でスクリプトと演技をこなす「知的」な番組の「笑いネタ」、Ministry of Silly Walkは何を言いたいのか?オウムやスパムがどうしていつもテーマとして出てくるのか?など真面目に悩んでしまう日本人にははなはだ理解できない。彼らの発する嫌味も秀逸である。LSEの学生の時、ゼミでの討論中に英語の不自由な私が、用意したカンペを見ながら論点を述べると、すぐにチューターの教授が私のカンペ指差しながら「君が今読んだメモの第二パラグラフのところをもう一度読んでみてくれ(read it again)!」などと嫌味ったらしい質問をくれた。討論の時は自分の言葉で即応せよ!ということだが、今の論点をもう一回説明せよ!、メモを読むな!と素直に言わないのか?気の弱い日本人留学生は、言われた通りにもう一度メモを読み上げた。ゼミが終わったあとでウェールズ出身のゼミ仲間が「あれがイングランド人の教養とやらいうものだ」と、これまた皮肉たっぷりに私に囁いた。こうした皮肉のやり取りは時に上質でニヤリとすることもあれば、嫌味にしか聞こえないこともある。真の教養人として感心することもあれば単なるエセ教養人、すなわちスノッブ:snobとして失笑すべきこともある。イギリス人のこうした表現スタイルの根源を追いかけると、どうもこの「ドクタージョンソン」なる人物に行きあたるようだ。彼の英文学史において果たした役割と、その後継者たちのレガシーが今のイギリス人の言語表現や思考様式を形作っていることに気がつく。

 なかでもボズウェルの「ジョンソン伝」:Boswell's "The Life of Samuel Johnson"はイギリスの教養人の必読書と言われている。伝記文学の最高峰と評されイギリスの英語による文学や教養の基層に位置付けられている。これを読んでみようと翻訳本を探したが、日本語に翻訳された「ジョンソン伝」や彼の警句集は意外に少ない。古くは岩波書店版があるが絶版になっているようだ。あとはみすず書房版。日本では英文学の古典といえばシェークスピアやディケンズは多く研究され翻訳されているがジョンソンはあまりポピュラーではないようだ。そもそも日本語化したものをパラパラと拾い読みしてみたが何かピントこない訳文が多い。というか難しい表現になっている。研究者、訳者のそれぞれの受け止めであるから非難すべきことではもちろんないが、そりゃそうだろう!英語表現の持っている比喩や皮肉を読み解くには、その背景の理解がなければなるまい。なかなか他言語には簡単には翻訳できない。ところでAIはジョークや比喩をどのように翻訳するのだろう?興味深いテーマだ。それはそれとして明治の西欧文化ならなんでも食らいついてみようという時期には大学や旧制高等学校ではジョンソン伝やジョンソン英語辞典が幅を利かせていたようだ。きっと帝大のお雇い英国人教師たちが英文学の基礎として持ち込んだのだろう。その時の漢文調の翻訳がそのまま現代まで承継されている感じがする。これでは漢学の素養も英語の素養もない現代人の我々には理解できるわけがない。イギリスではジェントルマン、教養人の必読書と言われる「ジョンソン伝」も日本では敷居の高い難解な書籍と化しているようだ。やはり原書に当たってみることが肝要と考えた。かと言って私は英文学者でも、翻訳家でもないのだから原書を読んで日本にこれを広めてやろうなどとは考えていない。しかしイギリスを改めて知るためにも18世紀という時代に「時空旅行」して、この頃の空気を吸ってみたい気にはなる。なのでこの「ジョンソン伝」は以前から気になっていた。そしてこの、James Boswellの「The Life of Samuel Johnson LLD」6th editionの原書に出会った。1811年にロンドンで出版された4巻からなるセットである。




見開き
左にSamuel Johnson肖像、
右が表紙であるが経年変化で肖像が転写されてしまっている


初版のJoshua Reynoldsへの献辞の最後に
My dear Sir, Your much obliged friend, And faithful humble servant,
という英国らしいへりくだり表現
London, April 20, 1791, James Boswell



第6版の改訂に携わったE.M.すなわちEdmond Maloneの告知。
Foley-Place, May 2, 1811, E.M.


革装の背表紙が美しい

革装の背とマーブルカバーの装丁



まずは登場人物を簡単に紹介しておく必要があるだろう。

サミュエル・ジョンソン:Samuel Johnson (1709-1784)

 イングランド中部リッチフィールド生まれ。オックスフォードに学ぶが、家が貧しく中退。のちにオックスフォードから修士号を得る。英語辞書 (A Dictionary of the English Language) 編纂 (1755)、詩集編纂、シェークスピア作品集編纂で功績。チョサー、シェークスピアに次いで英文学の歴史に画期をなす大御所である。英語辞典は当時、イギリスにはドイツやオランダ、フランスに比べキチンを選定編纂された辞典がなく、ジョンソンがこうして声に動かされてスポンサーもないにも関わらず一人で短期間に編纂を完了した。その内容はかなり彼の独断と偏見に満ちたものが多くあるが、20世紀になってオックスフォード英語辞典ができるまで、最も権威ある辞典であった。また彼はさまざまな「警句」を残したことで有名。これらはボズウェルの「ジョンソン伝」で詳細に伝えられている。また彼が手がけたシェークスピア作品集はマローンによって継承された。

Samuel Johnson (1709-1784)

ジェームス・ボズウェル:James Boswell (1740-1795)

 スコットランド・エジンバラ生まれの法律家。エジンバラ大学、グラスゴー大学で学び、グラスゴー大学ではアダム・スミスの倫理学の講義を直接聴いた。若い頃には諸国遊学の旅(当時流行のGrand Tour)に出てオランダのライデン大学などでも学んだ。のちにロンドンのインナーテンプル(法曹学院)で学び弁護士資格を取得。弁護士としては不遇であったようだが、1763年にジョンソンと出会い、彼に傾倒してその後、伝記文学の最高峰、教養人の必読の書と評される「ジョンソン伝」:The life of Samuel Johnsonを書いたことで英文学の世界に名を残した。イギリスにおける伝記文学、日記文学の大御所と称されている。のちにBoswellianと呼ばれるれるような記録魔ボズウェルの一言一句の書き留めが「ジョンソン伝」を産み、サミュエル・ジョンソンの名を後世に残したとも言われる。

James Boswell (1740-1795)


エドモンド・マローン:Edmond Malone (1741-1812)

 同時代人でジョンソンと繋がりがある人物に、以前のブログで紹介したエドモンド・マローンがいる。彼はアイルランド・ダブリン生まれで法律家。ダブリンのトリニティーカレッジで学び、のちにロンドンのインナーテンプルで学び弁護士資格を得ている。ボズウェルと同じ時期に在籍しているが二人がそこで出会ったという記録はない。ジョンソンと出会い、彼のシェークスピア作品集の編纂事業を引き継ぎマローン版シェークスピア全集(下記ブログ参照)を出したことで知られる。また一方、マローンはボズウェルの死後は「ジョンソン伝」を引き継ぎ、第6版まで改訂を行なっている。さらにマローンの死後、彼の「シェークスピア作品集」はボズウェルの子、ジェームス・ボズウェル2世が編纂を引き継ぎ、現在のマローン版シェークスピア全集の完成を見ている。古書を巡る旅(4)エドモンド・マローンの「シェークスピア全集」の謎 2020.8.18

Edmond Malone (1741-1822)


 このようにジョンソンとボズウェルとマローンは同時代を生き交遊関係を結んだ。ボズウェルとマローンは年齢も同じで、父ほど歳の離れたジョンソンを太陽とした、いわば「英文学の宇宙」を生み出していった。またボズウェルはスコットランド人、マローンはアイルランド人でともにロンドンのインナーテンプルで学んだ法律家だ。それぞれの父親が法律家や政治家であったこともあるが、この頃は爵位を有する上流階級やジェントリー(大地主階層)の家系でもない限り法律家になることが立身出世の道であったようだ。しかし、どちらもそのような「末は博士か大臣か」の立身出世で名をなすのではなく、むしろそうした出世街道からはドロップアウトして文学の道で後世に名を残す偉業を達成したことになる。すなわち共にジョンソンと出会って「教養人」としての目が開かされ、シェークスピア作品集やジョンソン伝の編纂者となったわけだ。時代はイギリスが1770年代の産業革命の絶頂期に至り、1776年のアメリカ植民地13州の独立。1779年のフランス革命による王政の終焉、やがては1804年ナポレオン帝政の前夜であった。政治や経済や社会が大きくパラダイム転換してゆく世紀変わり目の激動期であった。これまでの価値観や考え方が通用しなくなっていった時期だ。なんだか今の時代に生きる我々にとってはデジャヴだ。イギリスはアメリカ植民地を失ったとはいえインド支配を広げ、産業革命で世界の工場となり、世界に冠たる大英帝国繁栄への道を直走っていた。ちなみに日本では江戸時代中期。徳川吉宗から家重、家治、田沼意次、松平定信、天明の大飢饉、平賀源内、青木昆陽、賀茂馬淵、本居宣長、与謝蕪村が活躍した時代だ。ある意味で日本独特の江戸文化が醸し出されてパクス・ジャポニカを満喫していた。

 最高の伝記文学書として広く認知されているボズウェルの「ジョンソン伝」初版は1791年四折判2巻として出版された。出版物の大量印刷、大量販売の始まる直前の時代である。ボズウェルの出版に対する意気込みは並々ならぬものがあっただろう。この初版本は、現在は大英図書館に収蔵されるような稀覯書となっている。その後ボズウェル自身により改訂(第2版)が行われた。1795年のボズウェルの死後は、盟友のエドモンド・マローンにより第3版(1799年)から第6版(1811年)まで改訂が行われた。のちのジョンソン研究の定本となる1934〜50年に出版されたいわゆるHill・Powell 版(全6巻)は、ボズウェル亡き後、マローンにより改定された第3版を定本にしたものと言われる。

 今回入手した本書「The Life of Samuel Johnson」全4巻は1811年の第6版だ。エドモンド・マローンが改訂に携わった最後の版である。その第6版へのコメントで、インナーテンプルに在籍していたボズウェルの次男によって読み返されタイプミスや印刷の誤りが訂正された、また新しく発見された記事や手紙が加えられ、最も完全な版になったと述べている(前出の写真参照)。これが同時代のジョンソンのいわば愛弟子による最後の改訂版である。背は革装で、表紙/裏表紙はマーブルボード装丁の豪華な仕上がりの書籍である。構成はジョンソンの生涯における言葉や記事、資料を1735年から1756年まで時系列的に採録している。章立てや分類もないので読むのには辛抱がいる。年代でページにアクセスすることができるほか、53ページに及ぶ索引:Indexが巻末についている。ちなみにこのIndex、欧米の書籍には必ずと言って良いほど巻末についている。これの出来の良し悪しで本の値打ちが決まるとさえ言われるが、不思議なことに日本の本にはついていないことが多い。これは何故なのだろう?これもまた別に研究する必要がある。ともあれこの第6版が書誌学の専門家からみてどの程度画期的なものであるのか、希少価値があるのかよくはわからない。マローンによる改訂版であり、のちの復刻ファクシミリ版とは異なり、18世紀末から19世紀初頭の出版物へのこだわりと意気込みを強く感じる貴重なオリジナル本である。程度もかなり良い方だ。去年入手したマローンの「シェークスピア全集」全16巻、1816年版とともに我が家の貴重な洋古書コレクションであることは間違いない。古書の良いところは、ページを開くと、一瞬にしてその時代の空気が部屋に充満し、一気にその時代にワープできる点にある。少しカビ臭い匂い、古い活字、紙質の経年による劣化、シミ、たまの鉛筆での書き込み... 写真もない時代の銅板プリント等々、時の流れを閉じ込めたカプセルである。今回も神保町の北沢書店にお世話になった。いつものことだがこの書店の書庫はお宝の巣窟だ。イギリスへの旅行が躊躇われるこの時節、この東京神保町の「知のラビリンス」は「時空トラベラー」にとって願ってもないタイムトンネルの入り口である。この「時穴」を通り抜けて18世紀のロンドンへ旅をする。店主の時空旅への計らいにこの場を借りて感謝したい。


ドクタージョンソン語録

 先述のようにサミュエル・ジョンソンは、人々には親しみを込めて「ドクタージョンソン」と呼ばれ、後世に伝わる数多くの警句を残している。イギリス人の警句好き、比喩好き、皮肉、ブラックなユーモア、直接的な言い方ではなくて、持って回った言い方などはここにルーツがあると言って良いだろう。もっとも教養人ぶったスノッブな物言いにイラッとすることもあるが。かといってアメリカ人のあまりにもストレートで、ひねりのないジョークにもうんざりだが。上質なsense of humor, wittに富んだepigramは好きだ。いくつか私のツボにはまったジョンソン語録を紹介しよう。

「ロンドンに飽きたものは人生に飽きたものである。なぜならロンドンには人生で手に入る全てがあるからだ」when man is tired of London, he is tired of life; for there is in London all that life can afford.(サミュエル・ジョンソンといえばこれ。最も有名な言葉だ)

「老年期に思考が鈍くなってくるのは本人が悪いのだ。頭の使い方が足りないのだ」It is a man's own fault, it is from want of use, if his mind grows torpid in old age(仰せの通り。耳が痛い)

「幸せな人間が全くいないよりは少しの人間が不幸な方が良い。これが一般には”平等”という状態なのだ」it is better that some should be unhappy, than that none should be happy, which would be the case in general state of equality.(なんとに皮肉な...)

「あなたのいう平等主義者は上のものが自分たちのレベルまで下がってくることは望むが、下のものが上がってくることは望まない」your levellers wish to level down as far as themselves; but they cannot bear levelling up to themseives(この視点...)

「私はすべての人類を愛する。アメリカ人を除いて」I am willing to love all mankind, except an American(独立戦争の話をしてるとき「奴隷を使っている連中が、自由を!と叫んでいるんだ」と。)

「天国で召使いになるより地獄で君臨する方が良い」Better to reign in Hell, than serve in Heaven(鶏頭となるも牛後となるなかれ)

「地獄への道は善意で敷き詰められている」Hell is paved with good intentions(なるほど...)

「燕麦:イングランドでは馬に与える穀物、しかしスコットランドでは人間が食す」Oats: A grain in England is generally given to horses, but in Scotland supports the people(英語辞典)

これに対しスコットランド出身のボズウェルは「だからイングランドでは馬は優秀で、スコットランドでは人間が優秀なのだ」と反論した話は有名。この辺の本歌取り的なやり取りはセンスがあって好きだ。

 こうした多くの警句は英語辞典やこのボズウェルの「ジョンソン伝」に書き留められたものである。ボズウェルはジョンソンとの会話の中で、彼の発言を細大漏らさず一言一句を書とめ記録に残した。彼は「存在すること」は「記録されること」。すなわち「存在の証」として「文字で記述されること」と考えた。逆にいえば「文字に記録されていないものは存在しない」も同然、と考えた。なんだか「Googleで検索されないもの」は「この世に存在しないもの」と同義だ、というネットの覇者の言葉のルーツはここにあるのではと考えてしまう。ともあれボズウェルの記録がのちに多くのジョンソン語録を後世に伝えることになった。のちの人は、こうした記録魔、メモ魔を、尊敬の念を込めてBoswellianと呼ぶようになる。ジョンソン伝で頻繁に使われる「As Johnson said,」は、漢籍における「子曰く」に相当するイギリスの教養人の引用の常套句となっている。すなわち会話の中で「As Johnson said, ....」と始まり、正確に彼の言葉を引用して話をすることで教養ある人物とみなされ、仲間として受け入れられることが期待される。かつて海外の多くの外交官が「ジョンソン伝」を英語のテキストとしてを研修に取り入れたという。一方でこれが知ったかぶりのエセ教養人snobをも生み出すことにもなる。なるほど少しイギリスがわかってきた感じがする。が、なかなかイギリスも奥が深い。


ロンドンに現存するJohnson House
手前はジョンソンの愛猫Hodge the cat像
17 Gough Street, London, EC4A 3DE

(肖像、ジョンソンハウスの写真はWikipediaより引用。その他の写真はLeica SL2 + Apo Summicron 50/2で撮影)