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2017年4月24日月曜日

お江戸の「高低差」に薫風を感じに行く 〜根津神社・白山神社・小石川植物園散策〜


新緑とツツジに彩られる根津神社楼門


 以前、文京区白山に住んでいたことがあった。その時はあまり知らなかったのだが、いまになって我家の生活圏は、実は非常に複雑な地形の上に存在していたことがわかった。当時も「坂」の多い所だと感じさせられていたが、それもそのはず。実はこんな地形(下記のGoogle earth地形図参照)だったのだ。もともとは人が耕作し定住するには十分なスペースに乏しい、台地と谷が織りなすどちらかというとワイルドな場所だったといっても良い。縄文遺跡はそこかしこに見つかるらしいが、稲作を旨とする弥生遺跡は、比較的スペースのある本郷台地上の弥生町東大構内(弥生時代の名の元になった)で見つかっているというのが面白い。いまは都市化して、びっしりと地表を建物が覆い、台地と谷筋の区別を見分けることは難しいが、数々の「坂」がその地形の記憶を呼び起こしてくれる。現代のこの辺りの東京居住民は、狩猟も採集も稲作農耕も行わない都市生活者なのだ。

 桜狂想曲も終章を迎え、新緑と薫風に包まれる季節になった。今回、昔住んでいたという懐かしさもあって久しぶりに、その我が家ゆかりの土地を訪ねてみようということになった。つつじで名高い根津権現(神社)を訪れ、その足で白山神社(アジサイで有名だがさすがにまだ早すぎる)、小石川植物園の新緑とめずらし花々を愛でるべく歩を進めた。結果、本郷台地、白山台地、小石川台地を上がったり下がったり、尾根筋と谷筋を股に掛ける1.6万歩の散策となった。再び下記の地形図を参照いただきたいが、これだけの高低差は、太古には、中小河川が複雑に流れていて、武蔵野台地の東端部を侵食し、舌状の高台、河岸段丘、谷筋扇状地が形成されていたことにより生み出されたものである。タモリじゃあないが、「高低差ファン」にとっては嬉しくなるような所に住んでいたことになる。

 谷中を散策した時にも述べたように、「谷中」は文字通り上野台地と本郷台地の谷筋に当たる地域だ。現在の上野不忍池から北へ伸びる「不忍通り」に沿って東に位置するのが谷中だ。ここも昔は川だったのだろう。本郷台地には、「谷根千」の「千駄木」、「根津」がある。尾根筋の本郷通りに沿って根津権現や旧加賀藩邸跡、すなわち東京大学がある。そこから西へ坂を下ると白山通り。白山上、白山下の地名が示す通り、北方向に向かってゆるゆると上り坂の家並みが続く谷筋の町だ。ここも昔の川筋が目に浮かぶような地形だ。この白山通りを西へ横切って、再び坂を登ると白山神社がある白山台地へ。登ったかと思うまもなくすぐにこれを降り、新白山通りを渡ってさらに西へ進むと、今度は小石川台地の坂を登ることになる。ここに以前住んでいた。そして、今回久しぶりに懐かしの彼の地(「小石川台地」)を徘徊し、坂を下り東京大学小石川植物園、すなわち旧幕府御薬園、小石川療養所跡へと進んだわけだ。まあ、よくこれだけの坂を登ったり降りたり、東京の都心にいてちょっとした尾根筋、谷筋横断ハイキングコースを歩いたことになる。東京人は結構足腰が強いのだ。

 この日は雨が上がった後のクリアーな青空。爽やかな空気のなかツツジが今を盛りに咲き誇っている。全ての品種が咲きそろっているわけではないが、根津神社のツツジ山も小石川植物園のツツジ園も瑞々しい花々の競演であった。写真としてはピーカンの晴れは、光のコントラストが強くあまり好ましくないのだが、日陰を狙ってみたら、意外に豊かな階調が表現できることに気づいた。あるいは、鮮やかな透き通るような若葉はむしろ青空を背景にシルエットを強調してみたり、逆光を生かして透過光を写し取ったりしてみるのものも面白い。いずれにせよ、このあたりはライカのMレンズ群の豊かな階調表現力と発色という素晴らしい性能のおかげと言わざるを得ない。しかもLeica M10という最高のマザーボディーを得て。今回は最新レンズ設計のSummilux 50/1.4とLeica Q Summilux 28/1.7およびApo-Summicron 75/2で撮影したが、実にイメージする画が表現できたように思う。この3本があればあえてズームはいらない。


文京区の地形図



本郷台地から白山通りに下る坂



根津神社参道の鳥居


根津神社楼門














ツツジ山

千本鳥居





白山神社参道
白山台地の南端に位置している
白山通りとの高低差が見て取れる

小石川植物園内の東京大学研究総合博物館小石川分館
近代建築遺産がキチンと保存利用されている

イロハモミジの緑のトンネル
秋の紅葉はまた格別








写真としては面白くないが貴重な品種だとか





旧帝国大学医学校本館
東京大学研究総合博物館として公開されている