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2010年12月6日月曜日

追いかけるモデルのない時代へ 〜英国のリーダー像に何を学ぶか〜



 今年はNHKの大河ドラマ「龍馬伝」や、「坂の上の雲」で、幕末、明治期の日本人のヒーローがブームをよんだ。
 この閉塞の時代の指針にしようという事なのか、日常のなかの情けないリーダ達の言動に辟易して、非日常の英雄に夢を託そうというのか。多くの人が歴史ドラマを楽しみ、涙し、現状に悲憤慷慨する。ツイッター上で語り、なかにはエライ経営者までが「なりきり龍馬」ではしゃいだり、大騒ぎだ。

 たしかに、この時代のヒーロー達は古い時代の破壊者、変革者であり、破壊のあとの創造者であった。幕末の志士の変革へ情熱、明治の若者の成長への意欲。どれも今の日本に求められるものだ。しかし、当時の彼等と同じような行動が今求められるかと言うと、事態はそれほど単純明快ではない。今の混迷は明治維新の時期のそれとは大きく異なっている。

 一番大きな違いは、追いかけるモデルがないことだ。今から思えば明治期には変革のモデル、目指すべきゴールがはっきりしていた。何もしないと欧米列強の植民地になってしまうという恐怖心から生まれたエネルギーがある。そしてそこには欧米列強と言う明解なレファレンスモデルがあった。そして隣には、清國というこれまた明解な反面教師、負のレファレンスモデルがあった。

 ゴールやモデルがあればあとはやるべきことやる実行力の問題だ。殖産興業、富国強兵、西欧列強に追いつけ追い越せ。その為には古い仕組みを壊して、近代化に突き進む。もちろんそれを成し遂げるには強力なリーダシップが必要であったことは言うまでもない。ある種のビジョナリーリーダが求められた。旧制度、幕藩体制に押さえつけられていた階層の中からそのようなリーダーが出現した。そして彼等がが時代を変えた。そのハングリー精神が原動力だった。

 しかし、近代資本主義国家というゴール目指して突き進んで来た日本は、やがてその行く果てに「衰退への道」というフェーズを見てしまった。国家の栄枯盛衰は歴史の理だ。これからはかつてのような目指すべきゴールも、参照モデルも何もない。全くの無から、新たに政治や経済が突き進むべきゴールとモデルを自ら設定する必要がある。

 こうした時代のヒーローは、残念ながらみんなが憧れる幕末や明治維新の英雄達ではなく、別のパラダイムの創造者でなければならない。武市半平太を想起してもだめだ。坂本龍馬を待望してもダメだ。立身出世のモデル秋山好古や真之兄弟を自分達になぞらえてもダメだ。これからはゴールも、ビジョンも、モデルも誰も示してくれない。全くの未知の世界を突き進まねばならないわけだから。坂の上に追いかけるべき雲はない。

 イギリスの政治情勢をリードする二人の若き政治家、キャメロンとミリバンドを特集した日経朝刊の一面記事。「民主主義国はおそらくどの形態の政治よりも国民を指導し、鼓舞する卓越した人物を必要とする」(ブライス)という言葉が心に残る。

 そういう意味ではイギリスという国は、近代の最先端を走っている国だ。資本主義帝国主義の覇者大英帝国の時代を過ぎ、超大国の座をアメリカと言う新興国に明け渡し、さらに日本と言う新興国にも追いこされてしまった老大国。英国病などという汚名を極東の新興国日本に浴びせられたイギリス。しかし、マーガレット・サッチャーのイギリス政治経済の大手術を経て、次のステージをどのように作り出すのか。英国の若きリーダー達と、それを輩出する人材層は健在だ。そして世界中でイギリス人(いやUnited Kingdom各地の出身者)が活躍している。

 幕末明治期の若者達から学ぶべきことは沢山あるだろう。しかし、過去の歴史をただ振り返って慨嘆したり、英雄の出現を待望しても何も生まれない。日本は全く新たなパラダイムに突入しようとしている。アメリカもヨーロッパも日本も。過去の資本主義的な、帝国主義的なロールモデルを追いかけるステージは終焉を迎えつつある。それは新興国にまかせておけ。役者が変わるがいずれ歴史の中で新興国も我々と同じ道をたどる。

 資本主義「先進国」は「衰退」期を経て、次のロールモデルを誰がいち早く作り出して実行できるかの競争に突入するだろう。そしてそれをなし得るリーダー層をどれくらい幅広く生み出せるかが全ての競争の源泉になるだろう。その点でイギリスの「人づくり」に学ぶ点は多いと思う。

 我々日本の明治期の若者から学ぶべき点の一つは、彼等のどん欲な知識吸収力と行動力、理想に燃えた目線の高さ、ハングリーさと、そしてなによりも能天気までの「楽観主義」だ。そして今付け加えるべきは「創造力」すなわちオリジナリティーだ。明治の先輩達にかけている所だ。いずれにせよ、そういう点では「人」が国の基本だ。そしてその「人」こそ国の発展の原動力だし資源だ。そしてその「日本人」は日本という国の枠を超えて世界の様々な分野でリーダーシップを発揮するだろう。 この事を忘れたら日本人には未来はない。「自分が楽しければそれで良い」人生を送る人が大多数のなかで、高い理想と卓越したビジョンで「滅私奉公」する人材を育てなければならない。