週末の「東大寺ワンダーランド散歩」の写真は,どれもライカM9+ズミクロン50mm,35mmで撮影。
一眼レフ+ズームレンズで撮影することに慣れていると、このレンジファインダーを通してみる景色はまた異なった趣がある。視点を変えて時空旅に出る時によい。
そもそもレンジファインダー機の性質から言って、
1)花などのクローズアップが出来ない(70cmまでしかよれない)。
2)茂みになった花や樹木のピント合わせに苦労する(二重像合致式の宿命)。
3)単焦点レンズだと自由にパースペクティブを変えれない(当たり前だが、体を動かせ)。
4)ファインダーとレンズとの視差があってフレーミングが難しい。
5)望遠系でのピント合わせが難しい。
6)ファインダーでボケが確認出来ない。
などの制約があるが、その不自由さが自ずとこのカメラで撮れる被写体と構図を決めることになる。大抵は50mmか35mmを装着して撮ることが多い。28mmになるとファインダーの中をぐるぐると見渡さないと全体が見にくい。外付けファインダーはカッコイイが、邪魔なので、結局この2本が常用レンズとなる。
正直に言って、自然や風景写真にはやや不向きで、ポートレートやキャンデットフォト向きだと思われる。が、多少の窮屈さがあっても、単焦点レンズ、とりわけライカのズミクロンレンズの魅力からは逃れられないという弱みが使い手にはある。
ズミクロン50mmを開放(F2)で撮る。被写界深度は非常に薄い。ピントの合った所の芯がしっかりしているのに対して、アウトフォーカス部分はなだらかにボケてゆく。背景のボケの美しさが魅力だ。ズミルクスのF.1.4だとさらにボケが楽しめる。ノクチルクスのF.1.1ならさらに...キリがない。被写体の立体感を強調する効果がある。
また、M9はローパスフィルターを廃しているので、クリアーでシャープな画像が得られる。
手動でピント合わせするのだが、なかなかどうして、私の腕も劣ってない。ちゃんとピントが合ってくれている。慌てているときピンボケの山を築くこともないとは言えないが、合焦した部分のシャープさは最高だ。ただし手振れ補正なんて気の利いた装置は付いていないので、暗くてシャッタースピードが遅くなると時々ブレブレの写真が出来る。ごくごく当たり前の写真機の仕組みを思い出させる。もう一度修行をキチンと積んでいきたい,と思わせてくれる。
いろいろと写真撮影の基本を思い起こさせるカメラだ。こうやって写真は撮ったものだ、などと。何しろライカレガシーと最新のデジタル技術を「見事に融合」させた道具なのだから。
ズミクロンでの撮影上の問題点は、逆光時に薄いフレアーがかかって、コントラストが落ちる嫌いがある点だ。内蔵の短いフードを目一杯伸ばしてもなかなか解決しない。最新のコーティングを施したレンズに比べると、欠点と言えば欠点だろうが、使い方、撮影のセンスの問題とも言える。 最近のニコンのナノクリスタルコートのような高度なコーティングが施されていれば別だが、普通は撮影時に光を読んで撮る。「光を読む」クセ、を最近の自動化され、高価なコーティングされたデジカメは忘れさせてしまっている。極端な言い方をすれば,ただシャッター押せば一応の写真は撮れる。
ところで、このたびの撮影で気がついたのだが、M9はシャッターを静音モードに設定すると、シャッターボタン半押しでAEロックが出来ない。これは不便だ。で、結局今まで通り普通モードで撮影することにした。ちなみにシャッター音、チャージ音はどちらでも大して変わらない。正直言って違いが分からん。強いて言うならばM8.2の普通モードのシャッター音が一番静か。個体差があるのかな。これもライカだ。
M9を使っていくうちにいろんな問題点に気がつき、いちゃもん付けて来たが、なんと言ってもレンズの魅力には勝てない。やはりズミクロンというレンズの秀逸さは何にも代え難い。だから文句言いつつもライカは手放せない愛機になってしまっている(期待ゆえの文句だ、どうでもいいカメラにはなにも言わない、などと子供や部下を叱る時の言い訳みたいだが)。ボディー側が早く完成度の高いものに成熟することを期待する。