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2013年7月5日金曜日

時空フォトジャーナリズム 〜現代の都会のなかに古代をイメージする〜

写真というものは、基本的には被写体に感動し、惚れなくては写せない。要するに撮りたいと思うものに出会うことが必要だ。とくに歴史写真は、風景やその現場の空気の中に、過去の出来事の痕跡や、人間の情念や、文化の残照を感じ、感動する要素が見つけられなければシャッターを切れない。写真はテーマに沿った被写体を探し出す事に始まる。

私は、日本という国の発祥の時期である、弥生後期から飛鳥、奈良時代の歴史的な出来事や当時の人々の心象風景を写真に切り取り、時空を超えてその時代を表現しようとしている訳であるが、しかし、これは容易なことではない。第一、過去の出来事は既にその場に形を持って存在しないから、報道写真のように「決定的瞬間」を撮影するわけにはいかない。今、可視化されるのは、名所旧跡を示す石柱や、現存する歴史的な建造物、古墳や廃墟、仏像や美術品、出土した土器や金属器のような考古学的な遺物だけだ。ないしは歴史学者垂涎の古文書のたぐいだ。後世の人が著した歴史書もそうだ。

こうした、いわば部材だけを取り上げて、ただ撮り続けると、それはなにか記録資料的な写真、ないしは観光ガイド的な写真になってしまう。見栄えの良い写真や、説明的な写真は世の中にあふれているから、今更自分がそこへ行って撮らなくてもよいだろう。せいぜい「私もそこへ行ってきました」的な証拠写真となるのが関の山だ。しかし、現地へ赴き、その「場」の風景に身をおくと見えてくるものがある。想像をたくましくして、現場に立つと、その辺りの空気や、たたずまいのなかに古代人の息吹や心の動き、文化の残照が漂っている。いやそれを感じることができることがある。やはり「そこ」に身をおいてこそ感じ取ることができるものだ。

これを「時空フォトジャーナリズム」と(勝手に)呼ぼう。ただ、それを写真というビジュアルなメディアに切り取ろうという訳だからやっかいだ。一見きわめて写実的表現のようであるが、実は観念的表現である。客観的な史実に基づく現況証拠写真であるよりは、想像をたくましゅうするためのイメージを求めた情況写真であったりする。すなわち、歴史の具体的表現ではなく、抽象的表現である。

まして古代人がご神託を得たという神や、スピリチュアルな経験や、非業の死を遂げた人物の祟りや怨霊など、その具体的な姿を写真にしようもない。おそらくは天変地異などの自然現象や、山や河などの地形、一木一草、水、気、空などに神や霊魂や祟りを感じたのであろうから、そうした光景を用いて表現するしかない。大和盆地は天気の変化が激しい土地柄だ。ある意味その変化が美しい。二上山の雲間から降り注ぐ夕陽の光芒、といったシチュエーションが典型的な表現だろう。それでも画にする事はかなり難しい。

さいわい大和盆地には記紀伝承地や万葉集に歌われた美しい山河や田園、自然景観がまだ残されているので、現代の風景からかつてのヤマトの景観を想像するのは比較的容易である。だから大和が好きなのであるが。こうした時空を超えた、連続的な風景の共有が可能であることは、今となっては得難いことである。尊敬する入江泰吉先生の写真には,そうした時を超えた光景が写し出されている。そこに古代の飛鳥や奈良の姿が写っている。

しかし、こうして今、現代の東京へ帰ってきて、雑踏の中を歩いてみると、この町はあまりにも変貌しすぎてしまっている。河口に広がる寒村だった江戸は、400年前の徳川家康の江戸開府以来、営々と築き上げられ、当時としてはロンドンやパリを超える巨大な都市に成長した。幕末の動乱期の戊辰戦争による焼き払いは避けられたものの、東京と名を変えて以降、関東大震災、東京大空襲、そして戦後の高度経済成長期の地上げで、街の様相は一変する。今でも人口の一極集中で、中空に、地下に、海上に、留まる事無く都市改造が進む東京。

東京では、古代の人々との時空を超えた風景の共有、心象対話はもはや不可能である。不変の景色の代表である富士山でさえも、東京から見えるポイントは限られてしまっている。わずかに富士見坂などの地名に痕跡を残すのみだ。古代までさかのぼらなくても、たった150年前の幕末から明治期に、御雇外国人ベアトが愛宕山から撮影した江戸市街地の風景(写真参照)も、今はまるで全く別の都市か、と思われるほどの姿に変貌してしまっている。まして万葉集に歌われた武蔵国の草深き野山を駆け巡るあずまびとの姿を空想することは難しい。

さて困った。写真で表現する古代の心象風景。ここ東京ではあきらめねばならないのか?東京に古代史の痕跡を見つけるコトは出来るのか? 記紀や万葉集の世界を垣間みる事は出来るのか? 力強い古代人の美の残照を見極めることは出来るのか? かなりハードルが高そうだ。空想力、写真表現力の限界を感じてしまう。




(ベアトが愛宕山から撮影した江戸の町の景観。大名屋敷の甍の連なりが美しい町だったのだ,江戸は...)



(現代の新橋駅烏森口周辺。旧新橋停車場は、駅の向う側、汐留シオサイトのある辺りにあった。どう見てもこの町から古代の武蔵の国を想像するのは難しい。)