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2015年5月26日火曜日

古書探索の楽しみ 〜「ペリー艦隊日本遠征記」縮約版〜





  
Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan, Performed in the Year 1852-54, Under the Command of Commodore M.C. Perry, by Order of the Government of the United States.

New York: Appleton, 1856.
[First trade edition] 1 vol. 


26:17cm, VII, 624 pages. With engraved portrait, 8 engraved-and 67 woodcut-plates, 11 partly folded lithographed maps, and various woodcuts in the text. Half cloth in contemporary style, title in gold on spine. Shortened edition of the official report of the famous Perry-Expedition, which lead to the end of the isolation of Japan against the western hemisphere.


 この書物は、フランシス・ホークスがペリー艦隊の日本遠征の公式報告書として編纂し、ペリーが監修して1856年に 全3巻で刊行された“Narrative of the Expedition of an American Squadron to the China Seas and Japan”(『ペリー艦隊日本遠征記』)を縮約したものである。

  日本橋の丸善で見つけた。以前から翻訳版や復刻版は見たことがあったが、この原書との邂逅を心待ちにしていた。古書店めぐりするたびに本棚を見て回り、店主に問い合わせてみたりしたが、これまで一度も出会うことがなかった。特にロンドンやニューヨークの古書店では、より遭遇する可能性が高いことを信じて探していたが、そこでも出会いは訪れなかった。こうして探していると見つからないものだが、出会いは突然やってくる。なんだ「君」は日本に居たのか。それも不思議ではないかもしれない。やはり日本人コレクターの方がこの本への関心は高いだろうから。


 ニューヨークのマディソンアベニューにThe Complete Travellerという旅行書/地理書/古地図専門の古書店があり、私の大好きな古書店で心落ち着く空間であった。店主は博識で日本関係の旅行書のコレクションも優れていた。Isabella Birdの「Unbeaten Tracks In Japan」の初版本はここで入手した。他にもLafcadio Hearnの初版本も豊富に並んでいた。しかし、この「ペリー艦隊日本遠征記」だけは、何度訪ねてもお目にかからなかったし、問い合わせても入荷情報もなかった。これだけ日米の歴史上有名な出来事のNarrative(記録)なのだから、当然古書店市場にはそれなりに出回っているだろうとタカをくくっていたし、ましてアメリカで出版された記録なのだからニューヨクでは見つけやすいだろうと考えていた。現実はそう容易くはなかった。店主曰く「公文書だったので国立公文書館や大学図書館、博物館に収蔵されていて滅多に市場に出てこないのかもしれない」と言っていた。

 ちなみにこのThe Complete Traveller、この3月にニューヨークへ行った時立ち寄ったら、残念ながら2015年3月をもって閉店してしまっていた。マディソンアベニューにはまだ店があり、看板も出ていたが、「Closed」の張り紙が... まさにタッチの差であった。今後はネット販売中心でやっていくらしい。あの古書店独特の空気感と店主との会話、そして本棚に佇む美しい装丁の本達がたまらないのだが... どうも中古カメラ屋と古書店は実店舗販売が難しくなってしまったようだ。どんどん町から姿を消してゆく。悲しいことだ。


 The Complete Travellerのウエッブサイト

 確かに、日本でも翻訳版が岩波書店などから出されているし、横浜の開港資料館には3巻セットの公式報告書原本が収蔵されている。下田の豆州下田郷土資料館編纂の「ペリー日本遠征記図譜」も出回っていることから、図書館や博物館には収蔵されているのだと考えていた。しかし今回判ったのは、そうした公的な報告書だけでなく、いわゆる「市販本」が商用ベースで出版されていたということだ。今回入手できたのもNew YorkのAppleton社による「Trade Edition」(市販版)である。また、公式報告書(議会版と言われている)は3巻からなる膨大な書籍であるが、ペリーの功績を多くの人々に伝えるために、より入手しやすく1冊にまとめた「Shortened Edition」(縮約版)が出版されている。


 入手した本にはTrinity College Libraryの蔵書印がある。それが米国コネチカット州ハートフォードのそれなのか、英国ケンブリッジのそれなのか、あるいはアイルランド・ダブリンのそれなのかは確認できないが、いずれにせよ大学図書館が放出(withdrawn)したもののようだ。なぜ放出したのだろう。
公式版3巻が入ったので市販版を放出したのだろうか。また表紙が中身に比して新しいので、装丁はオリジナルではなさそうだ。あるいは大学図書館で補修したものなのかもしれない。経年によるシミや変色はあるものの、書き込みやインク汚れのようなものは見当たらず、古書としては程度が良いように見受ける。あまり読まれなかったのか? そうした本の歩んだ道筋を想像するのも面白い。


 マシュー・カルブレイス・ペリー(Matthew Calbraith Perry:1794-1858)は15歳で海軍に入り1812年の米西戦争、地中海・アフリカ巡航、西インド諸島での海賊狩り、メキシコ戦争等を経て、1852年米国東インド艦隊提督(この提督は正式にはCommodoreでありAdmiralではない。また艦隊も当時はFleetではなくSquadronと称されていた)となった。やがて大統領フィルモアの命を受け日本と通商開始のために1853年浦賀に来航、久里浜に上陸して大統領の国書を将軍に伝達。翌1854年再び江戸湾に入り横浜で日米和親条約に調印、ついで6月には開港地となった下田を視察し、そこで追加条約(下田条約)に調印した。こうして鎖国日本の開国への道を開いたことは衆知の通りだ。 

 1855年1月帰国後、政府の委嘱を受けフランシス・ホークスに命じて編纂せしめたのが本書である。ペリー自身の航海日記と公文書を中心に部下の航海記や日記・報告書を用いて編纂、1856年に公刊された。この「遠征記」には色々異本があるようで、本報告書には、米国議会上院版と下院版の2種がある。その内容構成は第1巻は遠征記の本文、第2巻は諸調査の報告書類、第3巻は黄道光の観察記録である。また、先述のように市販版がNew YorkのAppleton社から出版されている。その縮約版の1856年初版が今回入手できたものである。



下田の公衆浴場の図
ペリー一行が最も驚いた光景の一つ
 また、俗に云う「風呂屋版」と云うのがある。同行した画家ハイネが描いたものを、黄・淡藍・墨の3色刷の砂目石版に複製した「下田の公衆浴場の図」(右図)入りの版である。ペリー艦隊一行が、女性のお歯黒と共に、この公衆浴場での混浴を、最も驚いた日本の習慣であると記述しているものである。公式な本報告書では、あまりの驚きにより(?)この図が掲載されていないものが多いと云う。ハイネ著のドイツ語版には、ハイネが写生したものを木版画にしたものがあり、今回の古書店にも並んでいたが、希少本扱いでとても手が出る値付けではなかった。コレクターズアイテムというわけだ。ちなみに今回入手した版にはこの「話題騒然」は掲載されていない(残念ながら...)。

 ペリーは遠征準備のため8か月間もの時間を掛けたという。その間、航海に必要な海図をオランダから入手し、日本に関する書籍を可能な限り収集して読破したという。これらの書籍の中には、シーボルト『ニッポン』やケンペル『日本誌』などが含まれている。 中でもシーボルトはペリーに書簡を送って日本との折衝のアドバイスををしている。
イントロダクションでは、かなりのページを割いて、これまで日本を訪れた過去の西洋人の活動の歴史が記述されていて興味深い。16世紀末の大航海時代のポルトガル人、オランダ人、ウイリアム・アダムス、イギリス人などの活躍、幕末のロシア人、アメリカ艦隊などの日本との関わりから説き起こしている点が興味深い。そうした歴史の上に成り立つ今回の偉業であることを印象付けたのであろう。

 ペリーの黒船来航は、日本を鎖国から開国に向かわせた歴史的な出来事であるが、一方で長い眠りからたたき起こされた側から言わせてもらうと、その強引な砲艦外交に対する批判もある。そもそもこの当時、鎖国していた日本をなぜ開国させようとしたのか。当時、七つの海を支配するイギリスを始め、フランスやオーストリア帝国などの欧州列強諸国はオスマントルコ帝国に関わる「東方問題」で日本に構っている余裕はなく、ロシアと新興国アメリカが日本の開国に関心を持っていたに過ぎない。しかもアメリカの関心事は、日本との交易というよりは、中国に向かう太平洋ルートの開拓であった。欧州の列強諸国がアジア/中国へと歩を進めた大西洋、喜望峰、インド、マラッカという南回りルートではなく、直接太平洋を横断して中国へ向かコースが重要であった。広大な太平洋を横断するためには、途中、食料や水、薪炭を補給し休息を取る寄港地が必要であった。さらに当時盛んであった米国捕鯨船の、薪炭、食料の補給、乗員の保護も重要な課題であった。このころはすでに帆船による遠洋航海に時代が終わり、蒸気船によるそれに移っていたので、航海の出先での燃料補給が喫緊の課題であった。ペリーが持参した大統領フィルモアーの親書に記されていた要求事項はこの補給のための寄港地を日本に開いてほしい、ということ。激動の19世紀帝国主義植民地争奪戦のなか、奇跡的に(?)極東で平和な生活を楽しんでいた日本を、無理やり開国させる欧米列強側の直接的動機は、皮肉にも(幸運にも)日本そのものがターゲットではなかった。


 しかし、この「日本遠征記」自体は歴史上の一大事件に関するその当事者達の詳細な記録であるだけでなく、当時の日本の社会・文化・自然等に関する観察記録でもある。さらには異文化との遭遇の記録である。そういう観点から読んでみると、現代の日本人の目からとても興味深い。黒船来航騒ぎといえば、度肝を抜かれた日本人の驚きばかりが伝えられているが、一方で、日本に上陸したアメリカ人の驚きも新鮮だ。彼らは、危険な未開の国々を経由する長くて困難な航海の後、たどり着いた地球の裏側にもう一つの文明国を発見した、と書いている。これは260年前に、オランダ船リーフデ号で豊後府内に漂着同然にたどりついた、イギリス人航海士ウイリアム・アダムスが、彼の航海日誌の最後に記した言葉でもある。まさにEast meets west. West meets east. 東西の文明の歴史的な遭遇である。

 さて、この本の表紙を開き、時空のドアーを開けて、ゆっくりと幕末の日本にタイムスリップしてみようと思う。古書探索はもう一つの「時空旅行」だ。



ペリー艦隊の日本への航海(横浜開港資料館資料より)