兄弟国? |
ウクライナ軍よって奪還、解放されたブチャの街 残されたのは大量のロシア軍の戦車の残骸だけではない。 虐殺された大勢の市民の遺体が見つかった。明白な戦争犯罪だ。 (BBC Newsより) |
ニューヨークに赴任中、ミッドタウンにある高層アパートに住んでいた。オフィスにも近くイーストリバーを望む快適な住環境であった。国連本部に近いこともあり住人は多国籍で、アパート内のコミュニティーとしての繋がりも大事にされていた。さながらグローバルヴィレッジといった感じであった。アパート自体はサービスが充実していて、ドアボーイ、コンシェルジュ、フロアマネジャーなど、皆フレンドリーで気持ちの良い人たちであった。水回りや電気系統、エアコン不調など生活の困りごとや修理などをやってくれるハンディーマン。それを束ねるスーパーインテンダントは、フロントやコンシェルジュとは少し雰囲気が違い、どこか屈強なシュワルツネッカーのような男であった。彼にある仕事を頼んだ時に言葉を交わした。彼は「日本人か?」と聞く。「東京から来てマンハッタンで仕事している」と自己紹介した。すると彼は「あなたはロシアを好きか?」と唐突に聞いた。ちょっとびっくりしたが、外交辞令的配慮が咄嗟に働き「かつてのソ連の体制には賛同できないし、日本とは過去に因縁があるのでその政治体制には違和感があった。しかし、今のロシアは変わった」と言った。すると彼は「ロシアは悪いことをいっぱいした。何も変わっていない。日本人なら知ってるだろ」とボソッと言った。話しをするうちにうちに彼はロシアの支配と理不尽な仕打ちから逃れてアメリカに来たウクライナ人であることを知った。彼は元ウクライナ空軍のパイロットだった。なるほど武ばった感じなのはそのせいか。しかしそんなエリート軍人だった彼がなぜニューヨークでアパートで裏方の仕事をすることになったのか。その事情を詳しくは語らなかった。移民の国なので色々な国から来た人がいても不思議ではない。それにしても「ウクライナはソ連でしょ」、「ウクライナ=ロシア」的な理解しかなかったわたしにはショッキングな会話であった。旧ソ連圏内の国出身の人のこんなに直接的な反ロシア感情に接したのは初めてであったからだ。似たようなことはヨーロッパにいた時も経験した。フィンランドのヘルシンキはロシア文化の影響を色濃く残す美しい街であるが、ロシアへの複雑な感情をあらわにする場面に幾度か出くわした。その多くは「あなたのような日本人には言える」というようなロシアをからかうジョークだった。ロシアバルチック艦隊を撃滅した東郷平八郎は今でもフィンランドでは英雄である。TOGOというブランドのビールがある。またポーランド出身の仕事仲間は、しきりにソ連圏時代のポーランドを暗い記憶として語っていた。彼らは何かしらロシア文化にノスタルジーを感じているのかと思ったがそうではなかった。旧ソ連圏の国の人々を「鉄のカーテンの向こう側の人たち」として一括りにし「一般化」:Genaralizeすることの過ちを悟った。一方でロシア人のイメージが変わる経験もした。顧客のIT部門のマネジャーはロシア出身であった。彼はアメリカの大学で学んだ技術者であったせいか、屈託のないフレンドリーな若者であった。若いのでソ連時代を記憶していない。むしろ完全に今時のニューヨーカーであった。あの満州に侵攻してきたソ連兵のイメージ、我が一族の歴史に悲しい記憶として消すことのできない「シベリア抑留そして遺骨も帰らない一片の死亡通知」という残忍で野蛮なソ連のイメージしかなかったのだが。ソ連とかロシアとか十把一絡げにしての偏見と理解は正しくない。スターリンやプーチンのような独裁者のイメージが強いが、少なくとも「国家」と「市民」をキチンと分けて理解しなければならないと思った。
あれから10年。ウクライナ騒乱、いわゆる「マイダン革命」(2013〜14)で親露派のヤヌコービッチ政権が倒され、ロシアへ亡命したのちに、これに対抗してプーチンが親露派が多いとされるクリミア半島を一方的に併合し、東部ドンバスの分離独立を画策して武力介入した。このロシアのウクライナ侵略が戦乱の始まりであったといって良いだろう。混乱を避けるためにイギリスやアメリカへ避難してきたウクライナ人が大勢いた。いまウクライナ人が流暢に英語を話し、盛んに情報発信することができるのに驚く日本人も多いが、それは彼らは鉄のカーテンの向こうの英語や欧米文化とは隔絶されたロシア語文化圏の地域の人たちであるという偏見に基づくものだ。彼らにとって英語は、今や母国語ウクライナ語に次いで生きてゆくために必要な言語になっている。むしろロシア語よりもそうである。それがプーチンにとって気に入らないのであるのだが。ちなみにこの時のプーチンの一方的クリミア併合には欧米諸国が足並みを揃えた対応ができなかった。そして国連も機能しなかった。マスメディアも徐々に興味を失っていった。
このようにウクライナとロシアは歴史的にも別の国、別の民族であることを後になって知った。「旧ソ連」と一括りにした理解のいい加減さ、無知と偏見を恥じるばかりだ。中国だって、中国共産党という専制的な「支配王朝」を一皮捲れば、その中身は歴史も価値観も宗教も異なる多様な国と民族に分かれた「連邦国家」である。チベットもウイグルもモンゴルもマンチュリアもタイワンも、元はと言えば異民族。その他にもほとんど無数と言って良いほどの少数民族がいる。そうした異民族と漢民族の攻防の歴史が中国史であることを観念的には知っていても、それが現代政治に与える影響の理解には至っていない。しかし、このことから習近平の「偉大なる中華民族」などというプロパガンダがフィクションであることは明らかだ。プーチンの汎ロシア、ヒトラーの汎ゲルマンと同じプロパガンダだ。ウクライナの人々がこれほどまでにゼレンスキーの元に結束してロシアに徹底抗戦するのか、その力の源泉はこうした「汎ロシア」に対する民衆の抵抗と独立の歴史にあった。
ロシアのウクライナ侵略開始から40日になる。当初は2〜3日で首都キーウ(キエフ)を陥落させてゼレンスキー政権を打倒し、ウクライナ全土を支配下に収めると考えていたプーチンの戦略は見事に外れた。ロシア侵略軍はキーウ周辺から撤退を余儀なくされ、東部に力点を移す戦略に転換中だ。そして東部を制圧したのち今月中にはロシア国内向けには「勝利宣言」を出す、という笑止千万なプロパガンダを用意しているという。戦時中の大日本帝国大本営陸海軍部発表 ”彼の地における作戦を概ね完遂したのでガダルカナルから「転進」する” というのと同じ類の発表だ。敗退や全滅の事実を国民に知らせない情報統制国家の常套文句である。ロシア軍が撤退したキーウ州の街ブチャでは虐殺された市民の累々たる遺体が残されていた。思わず目を覆いたくなるような凄惨な光景だ。これは紛れもなくジェノサイドだ。明らかな戦争犯罪行為の証拠がテレビやSNSを通じて世界に配信された。それでもロシア側はこれをウクライナと欧米の「捏造」だと強弁する。これまで幾度もウソをついてきたロシアの言葉をもはや世界の誰もが信じることはない。かつてのナチに勝るとも劣らない犯罪行為。これがプーチンのいう「ナチからのウクライナの解放」の現実の姿だった。
前述のように、今回プーチンは偉大なるロシア帝国の復活。ロシア語を話す民族はみんな血族である!との妄想に基づき、「ロシアとウクライナは兄弟だ」と言い出した!「兄弟をナチから守る戦い!」だと。しかし、今やウクライナ人はそんなフィクションには全く耳を貸さなくなった。むしろ今回のプーチンのウクライナ侵略で明確にロシアはウクライナの敵だと認識した。プーチンの戦争はウクライナ人のアイデンティティーをより強固にした。それを国際社会が一致結束して支持している。皮肉なことにウクライナを「ナチ」から守るための戦争だ!とするプーチンの戦争ロジックが、ウクライナの人々のロシア離反を決定的にした。そしてロシアの衰退を決定的にした。人の言葉に耳を傾けないプーチンの妄想を根拠としたずさん極まりない作戦による戦争の結果だ。こうした試みを徹底して挫く。これが今後の世界の平和にとって重要だ。「武力による一方的な現状変更は絶対に成功しない」ということをはっきり証明させなければならない。
しかし、なぜプーチンのような時代錯誤な誇大妄想を抱く独裁者が生まれたのか。それは35年前の冷戦終結後の西欧諸国、米国の、旧ソ連圏の民主化への対応の誤りに遠因がある。あのとき、東欧までは民主化を支援し、復興を支援し、EUやNATOへの加入を進め、ヨーロッパの一員として迎え入れた。そして旧ソ連邦構成国であったバルト三国やウクライナ、ジョージアの民主化まで広がったが、しかし本丸の「ロシアの民主化」には冷淡であった。これがゴルバチョフ、エリツィンを失脚させ、プーチンを産み、やがて彼を孤立化させ、西側への反発、やがては汎ロシア主義、偉大なる大ロシア帝国の妄想へと発展させた。この西側諸国、アメリカの責任は大きい。あの時、ドイツを追い詰めてナチスによるファシズムの台頭を許してしまった歴史の教訓は生かされたのだろうか。だからと言って、プーチンはこのウクライナ侵略の責任から逃れることはできないし、彼がロシアを衰退の道に導き、「偉大なるロシア帝国」とは真逆の道を歩むことになってしまった責任を負わねばならない。しかし、追い込まれた独裁者の核保有国は危険だ。ロシアの北朝鮮化だ。今度こそ民主主義国家に転換する仕掛けと支援が大事だ。そしてロシアの市民は独裁者を許している以上は、共に責任を負わされる事を知らねばならない。中国共産党の専制主義体制、権威主義的なアプローチが間違いであることを中国の市民に気づかせるためにも絶対に必要だ。これは結局、国と国との戦いであるよりは、国を超えた民主主義と専制主義の戦いである。ナチやプーチンの過ちを繰り返してはならない。
我々は知らないことがたくさんある。知ったつもりでいることも多くある。無知と偏見を抱いたままであることがいかに世の中の正しい理解を妨げているかを知る。まして限られた個人的な経験だけで物事を判断することの危険性を認識する。まさに「愚者は経験で判断する。賢者は歴史で判断する」(ビスマルク)である。そして今回の戦争は情報戦である事を知らされた。政府によって統制されたテレビや新聞しか観ない人と、インターネットが使える人では、この世界の見え方は正反対になっていることも分かった。特に報道統制されているロシア国内の認識ギャップは甚だしい。それに比べてSNSとスマホを駆使するウクライナの情報戦における優位は明らかだ。そして平時から戦時に備えて情報インフラの脆弱性回避に努めてきた国防戦略にも驚嘆する。さらに何と言っても、そうした出来事の背景を知り、無知と偏見を取り除くためには、もっと歴史に学ぶ必要がある。プーチンはヒトラーから何を学んだのか。まさか自らの姿をヒトラーに投影したわけではあるまい。また西側諸国もヒトラーとナチの出現に何か学んだのだろうか。またプーチンを生み出してしまった。そのプーチンの出現に何を学ぶのか。