ページビューの合計

2022年6月12日日曜日

古書を巡る旅(22) The Works of Laurence Sterne  〜奇人による奇書を手に入れるという奇行の巻〜

The Works of Laurence Sterne 10 volumes




Laurence Sterne (1713~1768)


イギリスの小説家ローレンス・スターンと言われても知らない人が多いだろう。 ディケンズやジョンソン、シェークスピア、チョーサーについては多少の知識があってもスターンは知らぬ。英文学の研究者でもない限り馴染みのない作家であるといっても良いかもしれない。

ローレンス・スターン:Laurence Sterne (1713-1768) は18世紀イギリスの小説家、ヨークシャーの聖職者。1713年に英国軍人の息子として父の任地、南アイルランドに生まれた。曽祖父はケンブリッジ、ジーザスカレッジの学寮長、ヨーク大主教であった人物で名門の家系。彼もケンブリッジを出るが平凡な田舎の牧師としてあまり目立たない人生を送る。のちに小説家としてデビューするのは、1760年に彼の代表作「トリストラム・シャンディー」を書き始め第一巻を出版する頃から。これが一躍人気小説となり売れ行きが伸び、文壇やロンドンの社交界でもて囃されるようになる。しかし、巻を重ねるにつれ、後述のような表現手法に起因する難解さと徐々に間伸びしたせいか、売上がどんどん下降して行く。1767年の第九巻を最後に未完のまま終了。その翌年1768年ロンドンに没す。

このスターンの代表作「トリストラム・シャンディ氏の人生と意見」The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentlemanという長編小説は、ヨークのトリストラムという男が、あるとき自分の半生をを記録しておこうと思い立ち自伝をまとめ始める。いわばスターンの自分史的な側面もある作品だ。1760年に書き始め1767年の第九巻を最後に未完のまま終わる。ところが、その文体や表現手法が奇妙で、自伝なのにいつまでも本人が登場しない(生まれてこない)。主人公が生まれる前の父母やその周辺にまつわる人物描写と彼らの会話が延々と続く。しかも話があちこちに飛び、相互関連もなく、どこが初めで、どこが終わりか不明。一向に本題に戻ってこない。全く奇妙奇天烈な長編小説である。やっとこの世に生を受けた主人公が途中でどこかへ行ってしまい本題とならないまま未完で終わる。何が言いたいのか。作者の問題提起もない。小説としての感動もない。スリリングな緊張感もない。モチーフも不明。爽やかな読後感も考えさせられる教訓もない。そんな小説がなぜ英文学の傑作の一つに挙げられるのか?彼はいわゆる奇人と言って良いだろう。またこの小説は奇書と言って良い。明治期にロンドンに留学してスターン作品に触れた漱石も「どこが頭で尻尾かわからない海鼠のような小説」と表現している。全くもって意味不明の小説で、あらすじを聞いて(もっともあらすじなど書きようもないが)この作品を読んでみようという気にすらならないだろう。最後まで読み切るには相当な忍耐が必要である(と言われている)。ましてこんな全集を英語原文の古書として手に入れるなど奇行以外の何ものでもない。しかし手に入れてしまった。なぜなのか。単純に「珍しいから」としか言いようがない。王道を行く古書ハンティングとも言えないかもしれない。しかし歴史的な遺産、奇書/稀書として後世に残すべきだからだ。いや、やっぱり奇行だ。

結局、スターンの小説は、一貫したストーリーを持ち、巧みな文章表現力と編集力によって生み出されたフィクションではなく、一見無関係な事実や事象が次々とリンクされる、いわば現代のネット世界のファクトやフェイクや素性のわからない事象が散乱している状態を18世紀の長編小説上に手法として憑依させたと考えるしかない。すなわちサイバー空間に散らばるさまざまなウェッブサイトやブログをリンクさせてまとめ読みする、それをあたかも一つのストーリーとして表現するような、一種ハイパーテキストの先駆けに見えてしようがない。そう考えるとこれは類を見ない傑作であるかもしれない。なんと250年以上も前にWWW:WorldWideWeb、HTTP,TCP/IPとクラウドの世界、サイバー空間におけるネットサーフィンの快感(?)を提示してみせたことになる。時は18世紀末の啓蒙思想と百科全書時代。彼は、当時の理性や知識偏重や合理主義に対するアンチテーゼを提示し笑い飛ばしたのだろう。現代における既存のメディアや情報の価値や権威を壊してみせたような「ネットの世界」のメタファーが、実にイギリス産業革命の黎明期。アメリカ独立戦争、フランス革命前夜という時代に出現した。だとすれば、彼の小説は主流とならなかったとしてもすごいことだし、歴史は繰り返すということの証明でもある。19世紀に入ると彼の作品は、一種の通俗的なユーモア小説と見做され、文壇の主流と評価されることなく忘れられた存在となっていった。しかし20世紀に入ると、ジョン・ロックの「観念の連合」「「連想作用」の理論に基づく「意識の流れ」手法、すなわち人物の思考を無秩序で絶え間ない流れとして描く表現手法がブームとなり、スターンの小説はその先駆的な作品と見做され、ジェームス・ジョイス、マルセル・プルースト等によって「再発見」された。今では英国を代表する作家の一人として評価されている。

しかし、彼の著作は日本では夏目漱石や、伊藤整によって取り上げられ、また英文学者朱牟田夏雄によって翻訳され紹介されているが、ほとんど英文学の代表作品として省みられていないと言っても良いかもしれない。岩波から文庫本が出版されているが現在でも入手可能なのだろうか。図書館で日本語訳英文学全集を開いてみても彼の作品は出てこない。まして彼の著作の原典、英語の全集などは神保町の古書店でも出回らないし、ネット検索してもヒットしない。買い手もつかないのだろう。しかし北澤書店が珍しくも仕入れてネットで公開した。1796年版の初期本で、スターン自身による巻頭言と自伝が掲載された全10巻揃いの貴重なものだ。装丁もオリジナルの革装である。売れないことは分かっていたがこれも文化財。散逸させるのは勿体無い。それなりのプライスで出せば買い手は付く、という北澤社長の判断だったそうだ。慧眼である。私はそれに見事に引っ掛かった。珍しい物好きの奇人がここにいた。引っ掛けた釣り人もすごいが、そんな釣り人に釣られた魚もえらい!と自画自賛している。しかし、もっとすごいのは明治期に夏目漱石がこの難解な英語原書を読み、評論を加え日本に紹介していることだ。私がスターンの名を知ったのも漱石からである。本家イギリスでも、先述のようにこの時期忘れられたていたスターンに着目した。「吾輩は猫である」に大きな影響を与えたと言われている。なるほどそういう視点で「猫...」を読み返してみるのも面白いかもしれない。20世紀に入ってイギリスでもスターンの再評価が始まった訳である。伊藤整の著作「得能五郎氏の生活と意見」はさらに戦後になってのことである。明治期の知識人は実に貪欲に多くの西欧文学作品を読み研究した。漱石のような偉才が生まれ育った。このように漱石はロンドン留学中にシェークスピア研究者のクレイグ先生に師事してあらゆる古典作品を探し求め読んでいる。そりゃ貧乏にもノイローゼにもなるだろう。こうした明治人の知識への熱量は現代の日本では忘れられてしまったのか。北澤書店の社長は、今や大学の文学部や図書館からもこうした古典書に対する引き合いがないという。日本は大丈夫なのか。知のラビリンスはどこへ行った。古典を学ぶことによって養われる歴史の想像力、知の力がかなり衰えてしまったようだ。



Laurence Sterne肖像と表紙 第一巻 1793年版



この全集の大半(第八巻まで)は、代表作「トリストラム・シャンディ:The Life and Opinions of Tristram Shandy, Gentleman」と「フランスとイタリアへのセンチメンタル・ジャーニー:Sentimental Journey through France and Italy」、「ヨーリック氏の説教:The Sermons of Mr. Yorick」であり、あとは書簡集である。彼のもう一つの大作「フランスとイタリアへのセンチメンタル・ジャーニー」もフランスは出てくるがついにイタリアは出て来ないまま終わる。まあとにかく、他の文豪の小説とはまるで異なる奇想天外な文体や挿画に驚かされる。以下にその例をいくつかご紹介したい。挿画は、当代きっての人気画家ウィリアム・ホガースのものが数点含まれているのも興味深い。


牧師ヨーリック氏の死を悼む墨塗りのページ

挿画は当代きっての人気画家ウィリアム・ホガース

「私の著作の象徴」として掲示する墨流しマーブル模様
19世紀の本の見開きによく用いられた


以下は、文中にしきりに用いられる不思議な文字列や記号








この本には、第一巻目の見開きに所有者の流麗な筆記体のペン書きメモが記されている。「1799年、ジェームス・ロッホ氏からの贈り物」とある。この全集の出版年は1793年なので、出版の6年後に贈呈されたものということになる。

ところで、このJames Loch氏とは何者なのか? 試しにネットで検索してみた。Wikipedia英語サイトで一件ヒットしたほか、いくつかの英文ウェッブサイトも引っかかってきた。1780年スコットランド、エディンバラ郊外に生まれる。1855年ロンドンで没。ブロンプトン墓地に埋葬。スコットランド出身の法律家(Scotish Adovocate:スコットランド法廷弁護士、Barrister:リンカーン法曹院法廷弁護士)、資産管理委員、ホイッグ党の下院議員(Member of Parliament)、のちのスコットランド労働党の幹部Sir Thomas Dalyell)1932~2017)の先祖、曾曾祖父。イギリスにおける運河網や鉄道網の建設にも関わり、ロンドン大学の創設メンバーの一人でもあった。18世紀のスコットランド出身の法律家にして政治家として後世に名を残した人物であったようだ。ロンドンのNational Portrait Galleryに彼の肖像画が残されている。彼が生きた1780~1855という年代から、この本にペン書きされているジェームス・ロッホ氏とは多分この人物であろうと推測する。同姓同名の人物が他にもいるのかもしれないが。もしこのロッホ氏であれば、彼が19歳の時のプレゼントということになる。まだ法律家としても下院議員としても功成り名を上げる以前と思われる。どのような交流関係のもとで、誰にこの当世話題の人気作家スターンの全集をプレゼントしたのか。この全集には蔵書票も署名もないので所有者が誰なのかはわからないが興味深い。そして、その後この全集がどのような経緯を辿って21世紀の東京の神保町の書肆の棚に並んだのか。その250年の流転の旅路の物語を想像すると感慨深いものがある。これだから古書ハンティングはやめられない。




A present from James Loch Esq. 1799

James Loch (1780~1855)
National Portrait Galleryより