ページビューの合計

2024年8月15日木曜日

終戦から79年目の夏〜今年もまた酷暑と台風の終戦記念日〜

 



今年も終戦の日がやってきた。79年目の夏である。先の大戦で亡くなられた方々の霊に哀悼の誠を捧げたい。今年の終戦の日は、1ヶ月以上続く猛暑と日向沖地震とそれに続く南海トラフ警戒警報騒ぎ、そして台風の首都圏直撃か?という自然の猛威の中で戦没者追悼式が行われた。去年の8月15日のブログを見たら、ほぼ去年も同じ猛暑と台風下の式典という事情であったことが記されている。年齢を重ねると忘れっぽくなるが、こうした地球温暖化による異常気象が常態化しつつあることに気付かされる。この時期になるといつも戦争に関する反省が繰り返される。誰もが「戦争だけは絶対にいかん!」とお題目のように唱えるが、問題解決への道のりは、戦後79年も経っているのに程遠い。世界は戦争が常態化し始めている。カントは『永久平和論』で「人類の歴史において平和が常態で戦争が非常態なのではない。戦争こそ常態であった」と述べている。平和状態がデフォルトではなく、それは努力しないと維持できないのだと。今年の長崎の原爆死没者慰霊祭には原爆を落としたアメリカとヨーロッパ4カ国の大使は出席しなかった。式典にロシアを呼ばなかったのは良いが、イスラエルを呼ばなかったのはいかん!と。あっちは侵略だが、こっちは自衛だから、と。戦争は皆自衛のため、正義のためという。この戦争は侵略のための戦争だなどとは誰も言わない。ここでは正義とは相対的なものだ。人道主義は地に落ちた。民主主義は危機に瀕しているし、核の脅威はさらに現実のものとなっている。

日本のリーダー、責任者不在の意思決定プロセスという組織風土も相変わらずである。今年はその典型的な出来事があった。終戦の日の前日、岸田首相が突然、次期自民党総裁選挙には出馬しないことを表明した。この突然の退陣発表で、自民党の中でも大混乱しているらしいが、早速それなら次は私が俺が、が出て来て騒がしい。一国のリーダーとして責任を最後まで取る気概はあるのか。岸田氏の退陣は、安倍前首相の暗殺で、自民党のカルト集団旧統一教会とズブズブの関係が露呈し、さらに派閥ごとの政治資金の裏金横流しの常態化という金まみれの自民党の実態が白日の下に晒され、ついに岸田内閣の支持率は20%を切ってしまった責任をとる形だ。しかし、岸田氏が総裁を辞めたからと言って、自民党が変わるのだろうか。日本の政治が主権者である国民の付託に応えうるものになるのだろう。自民党内部のロジックでまた総裁が決まる。分裂した野党には政権担当能力がない。戦局が悪化して本土が米軍の空襲で脅かされるようになったので責任をとる、として内閣総辞職した東條英機首相を思い出す。「責任を取って辞める」は、ある意味「投げ出す」のと同じだ。反省していない。あるいは反省はしているが反省にはなっていない。責任者はいるが責任はとっていない。これが日本のリーダーの姿と組織風土だ。

そんな今年の終戦の日。戦没310万同胞は彼岸でどのように思っているだろう。今の日本、再び「やむをえず」「仕方なく」戦争に突き進んだ戦前の時代を繰り返すような予感がする。あの時、ずるずると起きてしまった戦争を収束する決断力も行動力もない。明らかに継戦能力が壊滅したにも関わらず、一億総特攻とか一撃講和とか言って戦争を止めようとしなかったのはなぜか。また1945年6月22日に終戦の聖断が下されたにもかかわらず、無条件降伏が8月15日まで引きずったのはなぜか。この2ヶ月の逡巡の間に原子爆弾が広島、長崎に落とされ、和平交渉の仲介を期待したソ連が中立条約を破って満州に侵攻し、連日の本土の無差別都市空襲が繰り返された。死ななくてもよかったはずの人が何十万人もこの間に死んだ。誰も戦争をやる決断もしないが止める決断もしない。その総括はしたのだろうか。声のでかい奴が勝つ。他は沈黙して声を上げない。そしてその声のでかい奴は責任を取らない。沈黙した奴らは、悪いのはあいつだ!と指をさし、沈黙の責任を取らない。結局は原爆とかソ連参戦といった外部条件(外圧)によって意思決定が促されないと(追い詰められないと)決めない。「待機主義」「傍観主義」である。だからアメリカの歴史教科書では今でも「原爆投下」が戦争を終わらせたのだと書かれている。戦争を始めた軍部や戦争を止めなかった政府は自ら終戦の意思決定せず、最後は天皇の聖断を持ち出す。外圧や超越的権威がないと動かない。しかも意思決定プロセスにおける国民不在が決定的だ。いや「国体護持」が、日本側のポツダム宣言受諾の唯一の条件であったことは、権威主義が民主主義を凌駕していたことの証左であろう。戦後はマッカーサーが天皇を上回る超越的権威・権力であり全てを決める。「国民主権」を謳う日本国憲法は「マッカーサーに押し付けられた憲法」だと言う人がいるが、あの時日本人が民主的な憲法を自らの手で生み出し得たのか。戦後79年、様々な幸甚が重なり、日本は戦争に巻き込まれなかったし、急速な経済成長で明治維新以来念願の「一等国」になったが、そのバブル終焉もあっけないほど早かった。どこかに「あの時の不安」が息を潜めて潜んでいるような予感がする。それはある時突然表に現れる。国が経済的に潤っているときは良いが、その富の分配が国民全てに行き渡らなくなると話は変わってくる。

「この道はいつか来た道」