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2013年2月3日日曜日

平福と利神城

 兵庫県佐用町の平福は、江戸時代初期に池田氏が築いた山城、利神(りかん)城の城下町として建設された。利神城はもともとは戦国時代に赤松氏が砦を設けたのが起源だと言う。その後一国一城令により廃城となり、平福は旗本の直轄領となり、平福陣屋、代官所がおかれた。城下町としての性格は薄れ、因幡街道/出雲街道の分岐点、佐用川沿いという交通の要衝に位置していた事から、在郷町、宿場町として発展する。なんと300軒の8割が屋号を持っていたという。また因幡鳥取藩の本陣も置かれた。その後明治以降は、鉄道が通らなかったために,交通の要衝、商業地としての地位が低下し,次第に時代から忘れ去られて行った。1994年になってようやく智頭急行線が開通し,平福に駅が出来たが、もはや往年の繁栄を取り戻すことはなかった。

なんと言っても平福を象徴する景観は、赤土壁の土蔵を中心に、川屋敷や商家が続く佐用川沿いの家並だ。最近は「川端風景」として観光名所にもなっているが、まだまだ知名度は低く穴場的な存在だ。第一、ここへ来るにはなかなか大変。今は車で来れば比較的簡単なのだろうが、ここの地理的な距離感、旧街道と川の町の雰囲気を知るにはローカル線の旅がなんと言ってもおすすめだ。

初めてこの美しい町並みを見たのは、鳥取から大阪へ向う智頭急行線、スーパーはくとの車窓からであった。「宮本武蔵」(もちろん武蔵の生まれ育った)という駅を過ぎ、佐用川沿いに走ると、右手の山麓に広がるこじんまりした町並み、さらに佐用川のほとりに土色の土蔵が並んで居る風景が眼に飛び込んで来た。なんと心を奪われる風景。こんな山の中の小さな町に,往時の繁栄の記憶がひっそりと保存されている。まるで南欧の田舎の風景を彷彿とさせる、どこかエキゾチックな景観でもある。それ以来,是非一度行ってみたいと恋いこがれた。

先述のように、平福はもともと城下町として建設された。佐用川を隔てて東に山があり、ここに山城、利神城があった。智頭急行線のトンネルの上に「利神城跡」の看板が見える。山上に見事な縄張りで石垣が築かれているそうだが、残念ながら集中豪雨で石垣が崩れ落ち、登山禁止になっている。播州、但馬など中国地方にはこうした山城があちこちに築かれている。去年登った和田山の竹田城も良く佇まいが似ている。山上の壮麗な石垣、麓の城下町... そういえば備中松山城を抱える備中高梁もそうだ。

今回は姫路からJR姫新線で本竜野に行き、播州龍野の散策を楽しんだ後、憧れの宿場町平福を目指す事にした。本竜野からは播磨新宮まで各停で行く。そこで佐用行きに乗り換える。姫新線はその名の通り姫路から岡山県の新見までの路線であるが,地元の足として細切れにローカル各停を走らせているが、既に急行等の直通の列車はないそうだ。通学の高校生と買い物のオバちゃんが乗客の主体。乗ってたオバちゃんが、話しかけて来て、そんな事を教えてくれた。人なつっこくて優しい人達だ。

佐用はJR姫新線と智頭急行線の分岐点。ここから智頭急行線各停(一両ワンマンカー)で鳥取方面へ一駅乗れば平福だ。平福駅は立派な駅舎が利神城の麓にそびえているが、無人駅。観光案内所辺りで地図もらおう,と思っていたが人っ子一人居ない。近畿の駅百選の一つとか。宮本武蔵が初めて13才で決闘した場所ということで、その看板と記念写真用等身大武蔵がポツンと。下車したのは二人の高校生と私だけ。高校生は駅舎内の庇の下に留めてあった自転車に乗って颯爽と町並みに消えて行った。小雪の舞い散る駅には私一人。深閑とした空気に急に寂しくなった。

しかし、町自体は非常にコンパクトで地図はいらない。まずは車窓から観た土壁の町並みへ行ってみよう。しかし、ちょうど日は西に傾き、早くも山間の家並は陰に入って来ている。佐用川に架かる天神橋からの土蔵撮影ベストアングルは、真逆光!ああ、もっと早く来るべきであった。しかし、それでも赤土色の土蔵が美しい。あの心を奪われた川端の景観が目の前にある。やっと来たぞ,はるけき平福へ!

ちょうど佐用川の浚渫作業が行われていて、水が濁っている。勝手に清らかなせせらぎをイメージしていたので裏切られた感があったが、水量豊かな脈々とした川の流れがかえって、土蔵から高瀬舟に荷物を積んで,忙しく各地に出荷していた往時を彷彿とさせる。旧因幡街道と国道が接する辺りに現代の「道の駅」があり、そこに平福本陣跡がある。国道が街中を外れて走っているために、旧因幡街道沿いの静かな平福宿の町並みが往時のままの残されているのが嬉しい。明治以降、鉄道が通らなかったため、かつての街道随一の繁栄を誇った平福宿は衰退し、であるが故の静けさと,美しい佇まいをタイムカプセルに留めている。近代化以前の日本の原風景。

薄暗くなって来た無人の平福駅で、佐用へ行く電車(いやワンマンDL車)を待っていると,もう一人乗客とおぼしきオトウさんが、駅に向う一本道を歩いてやって来た。「寒いねえ」「かなんなあ、雪降ってきましたなあ」と話しかけて来た。都会と違って、これだけ誰も人がいないと,お互いの存在を無視し得ない。しばらくたわいない話で列車が来るまでの時間をつぶす。これから上郡まで行くと言う。私は佐用乗り換えで大阪へ帰る、と。こうした知らぬ人同志の何でも無いコミュニケーションが無くなってしまった現代人が、この地に似合わない事を実感した。




(てんじん橋からの川端風景。ちょうど日が西に傾いてしまい逆光に)




(赤土色の土壁が美しい。どこか南欧の小さな町の風景を彷彿とさせる)




(土蔵は川岸から船で荷物を積み出せるようになっている。)




(利神城のある山裾に智頭急行線が走る。スーパーはくとが通過中。)


写真集はこちらから→







立派な駅舎だが無人駅


隣の駅が宮本武蔵出生の地
その名も「宮本武蔵駅」


利神城麓の智頭急行平福駅

天神橋を渡って平福の街へ





















出雲街道

平福陣屋跡







佐用駅で大阪行きの急行に乗り換え

(撮影機材:NikonD800E, AF Nikkor 24-120mm)


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アクセス:JR山陽線上郡から智頭急行線各駅停車で約40分。平福下車。大阪からはスーパーはくとで佐用下車、乗り換えで平福下車で約一時間半。駅からは徒歩5分ほどで川端風景。