記紀によれば、仲哀天皇は神功皇后とともに九州熊襲征伐に出向き、橿日宮に行宮を置いた。そのとき神功皇后が神懸かりとなり「西の海の向こうに宝の国(新羅)があるので、そちらへ行け」との神のご宣託を伝えた。しかし仲哀天皇は、それをいぶかしがり「西にそのような国は見えない」として疑ったため、神の怒りに触れ急死したとされている。神功皇后はその亡骸を棺に入れ、椎の木にかけ葬った。するとその椎の木から香しい香りが四方に漂ったので「香椎」と呼ばれる事となった。それが現在古宮として残る香椎廟であるとされている。
その後、神功皇后は夫の仲哀天皇にかわり、男装して、お腹の子供(後の応神天皇)の出産を遅らせるべく、石を腹に巻き、軍勢を率いた朝鮮半島へ出陣したとされている。これが神功皇后の「三韓征伐」の伝承である。無事、戦わずして新羅を服属させ、百済,高句麗も朝貢を約束させ、九州に帰還した。その際、三宝を地中に埋めて国家の安泰を祈り、そこに杉の小枝を置いたのが、今の香椎宮のご神木、綾杉の大木であると。ちなみに神功皇后が(のちの応神天皇を)出産した地が宇美八幡宮であるとされ、また赤子のオシメを換えた地が志免であるとされている。さらには、香椎にほど近い名島海岸には、神功皇后が「三韓征伐」から帰還した時の軍船の帆柱が化石になって残る「帆柱石」がある。戦前はこれが結構人気の博多名所の一つであった。もちろんこれは古生代の自然の珪化木の化石だ。これはこれで地質学的には珍しい標本だが...
筑紫にはこのような神功皇后ゆかりの地があちこちにある。むしろ畿内よりも筑紫の方が多いような感さえする。地元には親しまれる古代史の英雄ではあるが、しかし、この伝承には様々な歴史上の謎が含まれている。
まず、仲哀天皇(タラシナカツヒコノスメラミコト)は、欠史八代の天皇同様、実在性が疑われている天皇の一人とされている。そもそも実在性が疑問視されている日本武尊(ヤマトタケルノミコト)の子だとされている事。しかも誕生年は西暦換算では、日本武尊が能褒野で死に、白鳥として天に昇って行ってから36年後の生まれである事などから、後世に創作されたのではないかと言われている。また、日本の正史である日本書紀で、天皇が神罰で急死したというエピソードにはどのような意味が含まれているのだろう。
また神功皇后(オキナガタラシヒメノミコト)はただ一人皇后として記紀にその事績が記され、歴代天皇と同等に扱われた女性であるが、やはり其の実在が確認しにくい。在位は西暦に換算すると201ー269年とされ、ちょうど魏志倭人伝に記述のある倭国邪馬台国の時代を相当するため、卑弥呼ではないか、いや、その後の台与である、とか諸説があるが、いずれも根拠に乏しい。むしろ記紀編纂時(8世紀前半)に、後世の斉明天皇の九州行幸と筑紫朝倉宮での崩御、息子の天智天皇の白村江の戦いや、持統天皇をモデルに、時代をさかのぼって朝鮮半島への出兵エピソードを創出したものだ、という見解もある。また、そもそも畿内ヤマトからやって来たのではなく、ヤマトに対抗する筑紫倭国の大王であったのだ、という説も。邪馬台国九州説に繋がる論考だ。
しかも、この記紀の「三韓征伐」伝承によれば、それまで九州の西の海中に朝鮮半島が存在している事を当時の倭国の支配者である大王(天皇)が知らなかったことになる。神のご宣託により初めて知った国だと。しかもその存在を疑ったと。2世紀から3世紀初頭といえば、中国の歴史書(魏志倭人伝、後漢書東夷伝)と照らし合わせると、「倭国大乱」、邪馬台国女王卑弥呼、其の後継の台与の時代に相当することになる。西暦239年には卑弥呼が帯方郡を通じて魏に使者を送り、「親魏倭王」の称号を受けている。さらに遡れば西暦57年には筑紫の奴国王(あるいは委奴国王)が漢の武帝から「漢委奴国王」の印綬を受けており、以前から倭国が朝鮮半島や中国と朝貢関係、交流を持っていた事実が示されている。さらに、この時代にはまだ三韓(新羅、百済、高句麗)は成立していない。このように記紀のこのくだりは後世の創作だとしても、当時の倭国の東アジア情勢認識とも一致しない。どのような意図のもとに記述された伝承なのか謎だ。
当時の倭国(日本)と中国、朝鮮半島との交流については、中国の前述の歴史史料で確認するしか方法が無い。日本で記紀が編纂される8世紀以前に、残念ながら日本には文字で表された記録は残っていないからだ。
中国の史書による倭国に関する記述を要約すると、
1世紀半ば:後漢書東夷伝によれば、倭の奴国王が光武帝に使者を送り「漢委奴国王」称号を受ける。
2世紀初から半ば:倭国王師升後漢に遣使。また倭国大乱ののち、卑弥呼擁立して倭国安定。
3世紀半ば:魏志倭人伝によれば、卑弥呼が魏に使者を送り「親魏倭王」称号を受ける。卑弥呼の死後、また乱れたが卑弥呼の養女台与を立て再び安定。魏のあとの晋に遣使。
4世紀:倭国に関する記述がふっつりと消え、空白の4世紀に。ただ、朝鮮半島で見つかった好太王碑文によれば、倭国軍が百済、新羅と戦って勝利した,と言う記述が。
5世紀:宋書によれば、倭の五王が遣使。倭王武(記紀にいう雄略天皇ではないかと言われる)の「ソデイ甲冑を貫き山河を跋渉して寧所にいとまあらず...」。朝鮮半島における倭国の権益を認めるよう要望し安東将軍や鎮東大将軍の称号を得た。
1〜3世紀の混乱した情勢の中で生まれた、祭政一致(ヒメ/ヒコ)制による邪馬台国を盟主とするクニの連合国家「倭」が、4世紀には朝鮮半島に進出し、5世紀には歴代男王による倭国の武力統一、さらに倭国外の朝鮮半島における権益を中国王朝に認めさせようとする武断的な国家「倭」に変貌する。この間一体どのような変化が倭国に起こったのだろうか。政祭一致の邪馬台国のよる倭国連合は、いつしかヤマト王権による統一倭国へと変遷して行ったのであろうか。チクシ倭国がヤマト倭国と統合された,と推論する説もある。
中国の史書は、当時の倭国の動向を知るよすがになるが、なかなか日本側の記録との一致が見られない。すなわち日本書紀や古事記の記述との事績、時間双方の乖離がある。そもそも記紀には邪馬台国も卑弥呼も出て来ない。一方、中国の史書には神功皇后による「三韓征伐」エピソードに相当する記述が見当たらない。前述の史書のどの事象を示唆しているのか不明である。例えば、神功皇后が3世紀の在位とすると卑弥呼が朝鮮出兵したことになるのだろうか。あるいは、神功皇后が魏に朝貢し「親魏倭王」の称号を貰ったことになるのだろうか。どちらも考えにくいだろう。倭国が朝鮮半島伽耶国に権益を持ったり、百済と同盟関係を結んだり、唐/新羅連合軍との白村江での戦いに敗れたりするのは5〜7世紀の事だ。神功皇后は実在したのだろうか。
既知の通り、日本書紀は8世紀に編纂された日本の正史であり、天武天皇、持統天皇が壬申の乱後の倭国,日本における天皇支配の正統性を記したもの。主に当時の超大国である唐と対等の外交交渉を行うために整備した国史である。したがって、当時の国の正史とはそのようなものであるが、時の支配権力、統治権威の正統性を示す事が主たる目的であり、客観的な史実を公正に記述するものではない。その点では中国の史書も同様であるが。
中国の史書で仲哀天皇や神功皇后についての記述が見えるのは時代をずっと下って10世紀(日本の平安時代)の唐時代の新唐書になってからだ。これはおそらく日本側の正史である日本書紀を参照したのであろう。いずれにしても神功皇后、仲哀天皇とはいかなる人物だったのか。実在性は如何。 だとすると、香椎宮古宮に祀られているのは誰なのか? 河内王権の始祖ともいわれる応神天皇はどのような血統から生み出されたのか... 新たな謎がわいてくる。もっとも神功皇后は神の子を宿した聖母(しょうも)であるとも伝えられており、応神、仁徳天皇の聖君子を演出するストーリなのかもしれない。
素晴らしい香椎造の本殿、古宮、ご神木の綾杉を参拝して、帰途につく。来る時はJR香椎駅から香椎線で宇美行き(宇美八幡のある)に乗り換え、一駅目の香椎宮前で下車。帰りは並木の美しい表参道を通り、JR香椎駅、西鉄香椎駅方向へ歩いた。この両駅間の道は、そう、松本清張のミステリー小説の傑作「点と線」の舞台となったところだ。人気の無い真っ暗闇の道を香椎海岸へ歩く男女二人。「寂しい道ね」という女の声を聞いた通りがかりの人の証言が謎解きのヒントになる,あの場面だ。今はJRも西鉄も高架駅となり、あたりはにぎやかな商店街となっていて、「点と線」の面影はない。今ここに朴訥な九州男児、福岡東署の鳥飼重太郎刑事が居れば、ポツリと神功皇后の「点と線」の謎も解いてくれたかもしれない。
(香椎宮の綾杉。神功皇后が「三韓征伐」からもどり、国家安泰を祈って三宝を埋め、その上に杉の小枝を置いたものが綾杉になったと伝承されている)
(香椎造の本殿。香椎宮だけの独自の建築様式。江戸時代に筑前藩主黒田氏によって再建された建物)
(仲哀天皇が祀られている古宮には棺掛けの椎木がご神木として鎮座ましましている。この椎木が香しい香りを発した事から「香椎」の名が出たと言われる)
(香椎宮の表参道。鬱蒼とした並木に覆われた参道は、昔は香椎浜に続いていた。今は浜は埋め立てられ面影が無い)
(松本清張ミステリーの傑作「点と線」の重要な舞台となった国鉄香椎駅と西鉄香椎駅をむすぶ道。当時は人気の無い真っ暗な道であったが、今は両駅とも高架となり賑やかな商店街になっている)
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(撮影機材:Fujifilm X- E1, Fujinon Zoom 18-50mm)
アクセス:JR鹿児島本線香椎駅、西鉄貝塚線香椎駅ないしは香椎宮前駅から徒歩10〜15分。JR香椎線香椎宮前駅から徒歩5分。
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